第二十二話 失礼極まりない男
「ファソン殿! エルミーユにちょっかいをかけないでください!」
現状の理解に追いつけていないで困っていると、ブラハルト様が部屋の中に飛び込んできた。
「おいおい、弟君……自分の妻を前に、ボクのことを仮りの名で呼ぶなんて、無粋なことをしないでくれよぉ」
「っ……!」
今、確かにブラハルト様のことを弟と仰っていた……やっぱりこのお方は、アルスター家の人なんだわ。
実際にブラハルト様と並ぶと、何となく顔は似ている。
でも、髪色はブラハルト様が白色に対して、お兄様は金色で、目の色も違う。ブラハルト様は、赤と青の目だけど、このお方は両方とも赤い目だ。
ああ、そうか。さっき見たことがあるような気がしていたのは、昔のパーティーの会場で、彼を見たことがあるからね。
ただ、私の記憶にある彼の姿と今の姿は、随分と変わっていたから、すぐに気づかなかったのだろう。
でも……ちょっと待って。ブラハルト様のご両親とお兄様は、事故で亡くなったはずだ。
もしかして、本当はブラハルト様には、もう一人お兄様がいらっしゃったのを、私が知らなかっただけ?
と、とりあえずはブラハルト様の妻として、ちゃんとご挨拶をしなければ。
「はじめまして……ではありませんでしたわね。お久しぶりでございます」
「うんうん、昔と変わらず、今もとてもしっかりした娘じゃないか! あの愛想が皆無なブラハルト君が結婚したと聞いて、と~っても心配してたけど、どうやら杞憂だったみたいだねっ!」
エドガー様の前に立ち、いつもの様に礼儀正しく挨拶する私とは対照的に、エドガー様はヘラヘラと笑いながら、私の頭のてっぺんから、つま先までジロジロと観察していた。
「どうどう? ブラハルトちゃんとは、うまくいってる? あいつ、驚く程つまらない男でしょ? 父上によく似て、クソ真面目なところ以外、取り柄が無いんだよねぇ。ボクみたいに、明るくて社交的になればいいと思わない? そうだ、君からも言ってくれないかな~」
「…………」
ブラハルト様のご家族相手に、こんなことを思うのはなんだけど……軽薄というか、人を小馬鹿にしているというか、舐めているというか……全く良い印象が持てない。
はっきり言わせてもらうなら、このお方は嫌いな人種だ。
「……ご心配するお気持ち、大変痛み入ります。ですが、ブラハルト様との生活には、何不自由はございませんので」
「あれま、お堅いところも昔と変わらないねぇ。まあ、堅物弟君にはピッタリかも?」
「もうやめてください。話は終わったのですから、今日はお引き取りください!」
「も~、相変わらず冷たい弟だねぇ。お兄ちゃんは悲しいぞ? と~っても大切な弟のお嫁さんとの再会なんだから、もう少しゆっくり話させてくれよぉ」
変わらずヘラヘラと笑うエドガー様は、ブラハルト様と肩を組もうとするが、心底嫌そうな表情をするブラハルト様に、するりと逃げられてしまった。
「夫婦そろってお堅いこった。まあそれくらい堅物じゃないと、ボクの代わりに、どうでもいい領地と領民の管理は出来ないよね~」
私とエドガー様の間に立ったブラハルト様は、ジッとエドガー様のことを見つめる。
その両手は、ぶるぶると震えるほど、強い握り拳を作っていた。
ブラハルト様が、今どんな感情を抱いているのか、私にはわからない。
でも、少なくともブラハルト様がエドガー様に対して、良い感情を持っていないということだ。
かくいう私も、飄々とするエドガー様の態度には、腹が立っている。
「まあ馬鹿……っと失礼。真面目君のブラハルトのおかげで、ボクはこうして毎日遊んで暮らせるんだけどね。いやぁ~感謝感激! ほんと、ボクって人生勝ち組~!」
「……お言葉ですが、今の言い方ですと、あなたはブラハルト様に全てを丸投げして、遊び歩いているようにしか聞こえないのですが」
「え、うん。そうだよ?」
信じられないような回答を、キョトンとした顔でするエドガー様。それは、どうして私がそんな質問をしたのか、心底わからないと仰っているかのようだった。
「そうだよって……事情は知りませんが、普通なら長男が家長となるのに、それをブラハルト様に押しつけて、遊び歩いておられるのですか!?」
「あったりまえじゃ~ん。ボクは貴族の長男にしてくれなんて、頼んでないんだよ? なのに、貴族の長男だから家長になれとか、ふざけすぎでしょ? あと、ボクはアルスター家が管理している領地も領民も、心底どうでもいいからね。そういうのは、真面目君のブラハルトに任せておくのが正解なのさ。ボクは金と酒とかわいこちゃんがいれば、それでいいからね!」
エドガー様の考え方は、あまりにも責任が無さすぎる。
きっと、私が何を言っても無駄なのだろう。だから、ブラハルト様もマリーヌも、何も言わないんだわ。
「もう満足しましたか、ファソン殿。今日はお引き取りください。そして、もうエルミーユには関わらないでください」
「あれあれ? 一丁前に庇うんだね? ははっ、知らない間にカッコいい男の子に育っちゃって! でも……クソ真面目君に色恋沙汰なんて似合わないから、一人寂しく仕事をした方が――」
性懲りもなく、ブラハルト様を侮辱しようとしたエドガー様の言葉が、そこでピタリと止まった。
なぜなら、私は机にあった花瓶を手に取り、中に入っていた水を、勢いよくエドガー様にかけたからだ。
……申し訳ございません、ブラハルト様。私、もう我慢の限界みたい。
「あら失礼。つい手が滑ってしまいましたわ」
「……おいクソ女、なんのつもりだ? ボクの一張羅が、びしょ濡れじゃねえか」
エドガー様は、数秒ほどふざけた笑顔を固めた後、顔中に青筋を立てながら、私を睨みつけてきた。
その表情は、さきほどまでふざけた態度を取っていたお方とは思えないような、怒りに満ちたものだった。
残念だけど、そんな顔で見られて怯むほど、私は優しい生活を送ってきていないわ。
「そうですか。あなたのお言葉を借りて申し上げさせてもらいます。そんなもの、心底どうでもいいですわ」
「なっ……!?」
「私は、アルスター家の事情を深くは存じません。ですが、自分勝手な理由で仕事を投げ出した身でありながら、毎日頑張って仕事をして、私のことも大切にしてくれるブラハルト様を侮辱することは、私が断じて許しませんわ」
「…………」
「さあ、この家の長がお引き取りするように仰っているのですから、素直に従ってくださいませ」
体中から湧き起こる激しい怒りを、ずっとさせられてきていた、凛とした令嬢の振る舞いで誤魔化す。
すると、エドガー様は何が面白いのか、突然お腹を抱えて笑い出した。
「ぷっ……あはははははっ! いいねぇ、まさか絵にかいたような、お堅くて真面目ちゃんだった君の本性が、そんなだったなんて! うんうん、そういう強気な子も嫌いじゃないよ! わかった、今日は君に免じて、大人しく帰るよ」
くるっと背を向けると、部屋の入口に向かって歩き始める。
最後の最後まで、人のことを舐めた態度は変わらずだったけど、何とかお帰り願うことが出来てよかった。
そんなことを呑気に考えていると、エドガー様は足を止めて、顔だけこちらに向けた。
「でもね、さすがに……ちょ~っとやりすぎなんだよねぇ。ボクに逆らったことと、大切な一張羅を汚した罰は、ちゃんと与えねぇとな……!」
笑ったり馬鹿にしたり怒ったりと、忙しなく表情をころころ変えていたエドガー様とは思えないくらい、氷のように冷たい無表情を浮かべながら、私の元へと再び歩み寄ると、右手を振り上げた。
その行動が、私に対する報復の予兆だと気づいたころには、もう逃げられる距離ではなかった――
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