第十五話 ワーズ家への疑念
■ブラハルト視点■
「失礼します」
「どうした、マリーヌ?」
「ついさきほど、屋敷の案内が完了しました。それを含めたご報告がありまして」
「そうか。俺の代わりに案内してくれて、ありがとう」
「いえ。それで、そのご報告なのですが……これをご覧ください」
自室で仕事をしていた俺の元に突然来たマリーヌが差し出したのは、よくある小説だった。
急に来た理由が、小説なのか? なにか語りたいことがあるなら聞くが、せめて仕事が終わってからにしてくれると助かるんだが。
「この小説のタイトル、読めますか?」
「バベルの冒険だろう」
「はい。エルミーユ様は、これが読めないような感じがしたんです。他の小説でも、わからなさそうな雰囲気でした」
字が読めないだって? それは少々おかしい。貴族を含めた富裕層は、学校に行かせたり、家庭教師をつけて勉強をさせるのが一般的だ。
なのに、初歩中の初歩である、文字の読み取りが出来ないって……。
「エルミーユ嬢が虐待されていたと思っていたが、これでその仮説はほとんど確定したと思って良さそうだな」
「ですね。それで、いかがされますか?」
「これからも、エルミーユ嬢を妻として大切にするだけだ」
「それが一番ですね。本当は、なにをしていたか、ワーズ家に問い詰められればいいのですが……」
俺もそれをしたいのは山々だが、俺達から過去について聞くのは、禁止されているからな……それを破ってしまえば、彼女は家に連れ戻されてしまう。
俺が既に、エルミーユという素敵な女性を失いたくないと思っているのもあるが、俺の選択次第で、また最悪の環境に戻してしまったらと思うと、体中に冷たくて嫌な汗が流れてくる。
「エルミーユ嬢をこの家に留めておくために、契約は守らなければな」
「さすが坊ちゃま、エルミーユ様の事を大切にしているだけありますね。でも……愛するつもりはないのでしょう?」
「愛してしまったら、俺のような恐ろしい人間と愛し合う、おかしな人間と思われてしまうかもしれないじゃないか。そうしたら、彼女の悪い噂が広まり、傷つけてしまう。それなら、最初から深く干渉しないように仕向けたつもりだったんだが……」
「やっぱりそういう考えだったのですね」
「……あっ」
しまった、言うつもりはなかったのに、つい……ま、まあいい。絶対に隠しておかないといけないことでもないしな。
「でも、本当にそれだけが坊ちゃまの考えなのですか?」
「どういうことだ?」
「愛するつもりはないと言っておきながら、とても溺愛している。それはエルミーユ様が結婚してくれたことへの感謝と、エルミーユ様を守るため……それは理解してますが、坊ちゃまの行動原理には、他にも理由があると思うんですよ」
……さすが、俺を生まれた時から見ているだけあるな。完全に見透かされている。
「……エルミーユ嬢だけだったんだ。俺の噂が広がった後に、社交界で偏見無しで俺に接してくれたのは」
「……そうですね。今まで親しくしていたお方はいましたが、噂が広まると、手のひらを反すように離れていきましたものね」
「ああ。彼女にはとても感謝しているんだ。だから、それに対してのお礼という側面もある」
俺にも、昔は親しくしていた人がいた。
だが、あの噂がどこからともなく広がってから、彼らは全員俺から離れていった。
唯一今でも交流がある人は、一応一人だけいるが、その人は社交界には出ないから、実質的に社交界に親しい人間はいなくなり、俺は孤立していった。
「ちなみに、今の坊ちゃまの中で、エルミーユ様はどういうお方ですか?」
「どう、とは?」
「坊ちゃまが、エルミーユ様をどう思っているかです。もちろん、異性として」
「…………」
「沈黙で誤魔化さないでください」
ニヤニヤと笑うマリーヌからそっぽ向いて、書類作業に戻る。
エルミーユ嬢への気持ちか……彼女はとても内面も外見も美しいし、気配りが出来るし、愛らしい一面もあって……とても魅力的な女性だと思う。
だが、俺は愛することはない。エルミーユ嬢を、悪意から少しでも守らなくてはならないのだから。
「そうだ、文字の件は本人に聞いておかないとな。もし本当に読めないのなら、家庭教師をつけて勉強させておかないと、これから生きていくのに支障が出るだろう」
望んでいるのかもわからない勉強をさせるのは酷だが、エルミーユ嬢のこれからを考えると、必要なことだろうと思っている。
「くすくす、私にはわかってるんですよ……なんだかんだで、坊ちゃまは既に、エルミーユ様の優しさや人柄にぞっこんって……」
「何をブツブツ言ってるんだ?」
「いえ、なにも」
「そうか。さて、仕事も一区切りついたし、エルミーユ嬢のところに行ってくる」
「はい、どうぞごゆっくり」
俺はマリーヌに見送られながら自室を出ると、エルミーユ嬢のいる部屋へと向かって歩き出した。
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