一生の願い
「こら、もうやめんか宰相」
「《消す》なよ。面倒なことになる」
皆様が口々にお父様を諌めます。
その声で、ようやく我に返ったようです。
お父様は彼から手を離しました。
「―――ああ、失礼。つい」
「困った奴だな。まだ抜けないのか」
お父様の横の席――私の斜め前に座る侯爵様が、渋い顔をして言いました。
「おい、小僧。お前も、もう何も言うな。
言ったところでクリスティン嬢はもう何もできない。
《一生の願い》は使ってしまったのだからな」
「……一生の……願い……?」
「なんだ、それも知らんのか。
―――宰相。説明してやれ」
お父様は深く息を吐きました。
私は……目を閉じました。
お父様の声がします。
「いいですか?
貴族の子女なら政略結婚は当たり前だ。
成人前。
大抵は親が縁を結びたい家の子女との結婚話を持ってきて婚約させられ、そして成人後、結婚させられる。
そこに子――当の本人たちの意思はない。
まあ、親だって子が不幸になるのは嫌だ。
子の意志の確認はしますよ、普通はね。
だが。
中には本人が《どうしても嫌だ》という相手と、無理にでも結婚させようとする親もいる。
《一生の願い》はそんな貴族の子女の救済法です。
どうしても嫌な相手との結婚を《破談》にする。
もしくは《離縁》。親子の《断絶》など、普通は《別れる》ために使う。
……どうあっても解決できない、どうしようもなくなった時に使う。
言葉通り、一生に一度だけ無条件で許される……まあ、《我儘》ですね。
クリスティンはそれを貴方と婚約するために使った。
だから貴方とクリスティンの婚約は成ったのです」
「……なん……だって……?」
「子どものクリスティンが言った《貴方の婚約者になりたい》なんて《我儘》は普通、通るはずがないでしょう。
一笑に付して終わりです。
いくらクリスティンが《女王》になる資格のある公爵令嬢でも、何か権限があるわけではない。
当時から《我ら》の会議を見学することは許されていましたが、ただそれだけ。
発言権があるわけではない。
もちろん執務に携わっているわけでもない。
単なる小娘ですよ。
そんな小娘の《我儘》をいちいち聞いていたら国が潰れるでしょう?
……だが、クリスティンが使ったのは《一生の願い》だった。
だから望みは叶えられたのです。
―――しかし、それは貴方から破棄されました。
わかりますか?
クリスティンにはもう、この件で何か言う資格がないのです。
この件だけではない。
……この先、どうあっても解決できない、どうしようもなくなった時でも。
もうクリスティンに《一生の願い》は使えない。
もう《我儘》は許されないのです。
例えば、結婚相手です。
クリスティンの結婚相手を決めるのは親の私だ。
どれほど愛する者ができようが、私が駄目だと言えば別れるしかない。
たとえ相手がどんな男だろうが私が結婚しろと言えば、拒む権利はもうない。
黙って私に従うだけだ。
それが《貴方と婚約するために》クリスティンが払った代償なのですよ」
どさり、と何かが床に沈む音。
「そんな」という彼の小さな呟きが聞こえました。
そしてすすり泣く声。
他には何も聞こえない、
居た堪れない、
痛いほどの沈黙。
きゅっと唇を結んで下を向き
次に、私は、立ち上がりました。
淑女の笑みと共に伝えます。
「気にしないで下さい。私が勝手にやったことですから」
そして
背筋を伸ばし
涙をこぼしてしまわないように
声が震えてしまわないように気をつけて
私は……居並ぶ皆様に向けて声を張り上げました。
「皆様。
今日まで、私の《我儘》を受け入れてくださりありがとうございました。
そして―――申し訳ございませんでした」
深く
深く、お辞儀をいたしました。




