◆09 迎えの船は
雨宿りをしたあの日からどれだけ過ぎたのだろう。惑星に住んだ日数を数えることも忘れている。それぐらいクロエと暮らす毎日は心地がよいものだった。これからもその気持ちはたぶん変わらないと思う。
早朝の洞穴で俺は、まだ半分寝ぼけつつ横になっていた。まぶたをつむるとクロエの姿が浮かぶ。笑って、困って、少し不機嫌そうな彼女の顔を、俺ははっきり描ける。
やはり、というか。おそらくそうなのだ。俺はクロエのことが――いつしか抱いた感情にすっかり、嫌悪感は感じなくなった。
夢見心地でいた俺に足音が近づく。身体を起こそうとした。
「おはよう、ク……」
――だが、俺は『異変』に気づいた。彼女の異変に。
洞穴の奥からきたクロエは、なぜか重い足取りで歩いていた。両腕をだらりと下ろし、うつむいた姿で。表情もよく見えない。
身体を左右に揺らし彼女は俺の横を通り過ぎる。そのまま外にでていった。
……どうしたんだろう。いつものクロエと雰囲気が違う。そう思いつつも、眠気がふたたび襲ってきて、
俺は眠りにおちていた。
「えっ、覚えていない?」
クロエは俺に、真面目な顔でうなづいた。
つぎに目が覚めたときクロエは洞穴のなかにいて、いつもどおり元気な様子に戻っていた。そして今朝のことを尋ねたところ彼女はまったく覚えていないと言うのだ。表情からして嘘とは思えない。
……夢だったのかな、あれ。
異様に思えたあの姿が脳裏にこびりついていたが、もう忘れよう。
クロエと朝食を終えた。
そんなころだった。
……外から轟音が聞こえてくる。
これって、
「まさかスラスターの?」
「そうみたい。船ね」
クロエはのんびりと答えた。彼女にとっては何度も経験をしたことなのだろう。けれど彼女は俺を見て何かに気づいたらしく、頬笑んだ。
「ユーリ見に行こうか。こっそり覗いちゃおう」
音を頼りに進むうちに俺たちは船を見つけた。ごみ山に越しに眺める。しかし四つのスラスターを使い空を飛ぶその船には、見覚えがあった。
船は急に進路をかえて降下、俺たちのそばに着陸した。
間違いない。
この船は『貨物船クルタナ号』だ。
「どうしたの?」
「俺を捨てた船だよ。……あいつらなんで戻ったんだ」
クロエは俺に身をよせる。下ろしていた手に、指の感触を感じた。
「逃げようクロエ」
だが、
「おお!? 見間違いじゃねえな。マジで生きていたか」
後部の大きなハッチがひらき野太い声が俺を目がけて飛んできた。そして小太りの男がそそくさとおりてくる。
……まさかこいつらホバリングで俺を探していたのか。相手の足を考えるともはや逃げられそうにない。
やってきたのは、副船長兼機関士のヨゼフだ。俺をことあるごとに打っていたあいつが、今度は厚かましく笑顔をたたえていた。
「ようユーリ。んで、元気だったか」
「『元気か?』だ……? 今更なんの用だよ。俺を捨てたくせに。ほかに言うことがあるだろ」
「おいおいやめてくれ。長年おなじ飯を食った仲間だろ。なあ、みんな」
はぐらかしたヨゼフが、うしろに振りむく。開いたハッチにはのこる船員三人の男たちがいる。
そのなかで、背が高い、がっしりとした体格の男が鋭く睨んでいるのがわかる。
船長のダグラス。……その視線に、あのころの日々が頭をよぎった。
「ちなみにだがユーリ、おとなりの美人は?」
クロエはそばを離れずに、俺の手をにぎっていた。
「ここで知り合った。それしか言わない。ヨゼフ用件はなんだ」
吐き捨てるように訊ねるとヨゼフは眉をしかめ、だがもういちど薄っぺらい笑みを貼り付ける。「お前にも良い話だ」と言って。
「すげえんだぞ、とびきりに上客の運送依頼がはいったんだ。報酬も三倍よ! こんな案件めったにない。……だが、ちと手間がかかる。そこで、」
「『俺を船にもどしにきた』と……。なるほど」
声が少し震えてしまった。あまりに無責任で、身勝手。ほんとうにこいつらは……。
ヨゼフは凝りもせず言う。「まだユーリが生きてるかもしれんと思って」と途中で口を滑らし、それが聞こえたダグラスが船の壁を殴りつける。わずかに身を縮こまらせたヨゼフは、乾いた笑いでごまかした。
「俺たちがお前を捨てるわけねえだろ。あれは……そう、ちょっとした手違いだ。また一緒に暮らそうぜ兄弟。報酬もたんまり山分けだ」
……我慢、できなかった。
「ふざけるな! 絶対にお前らのところには帰らない。見えすいた嘘をつくぐらいなら、そっちが宇宙に帰りやがれ!」
遠くのごみ山に俺の声がこだました。ヨゼフは、笑顔のまま表情をひきつらせている。
そのとき、
「やあべっぴんさん、こっち来いよ!」
ヨゼフとは別の声がそばで聞こえ、途端にクロエとつないでいた手が引きはがされた。声の主は貨物管理士、ルッツ。いつの間にか近寄っていたこいつは、無駄に鍛えた腕でクロエを貨物船へと引っ張っていく。
「ルッツ何を!」
俺は追いかけた。クロエはおびえた顔を俺に向けている。
「どうやらお前はこの女と仲良しなようだな。彼女を返してほしいなら船に乗れ。さもないと……」
クロエをさらに引きずろうとする。かすかな悲鳴が耳にとどいた。
歯を食いしばった。こいつらの卑劣なやりかたに、従うしかない。
「……わかった。船に乗るよ」
二度と乗りたくなかったクルタナ号の船内に、ふたたび足を踏み入れた。ハッチが閉まり、ルッツから解放されたクロエが俺のそばに来る。と一緒に、心がずしりと重たくなった。
いつも、こうだ。ぜんぶこいつらに壊される。そして今ばかりは、被害者が俺ひとりじゃないんだ。あいつらは「女も乗せる」と伝えてきた。
「ユーリごめんね。こんなことになるなら」
「……大丈夫、だから」
悔やんでいる彼女に俺は、ぎこちなくしか返せない。
ダグラスが船員に命令した。書類管理士兼雑用係のマークに。
「なにボケッとしてる! マーク、離陸準備をしろ」
痩せ型のマークは大声に押されるように動きだす。が、すぐ戻ってきた。
「船長。さっきのホバリングで推進系が不調になっています。『整備がいる』とさきほど副船長が」
「そうなのかヨゼフ」
「へ、へい。いまお伝えしようかと」
笑ってごまかすヨゼフにダグラスは咳払いして、言った。
「整備のためこの廃棄座標に停留する。終え次第発進だ」
ルッツがクロエに近寄った。
「なあ、あんた名前は。名前がわからないと、仲良くなれないだろ?」
「クロエ。……この惑星の精です」
「『ほしの精』だぁ? ははっおもしれえ! この女狂ってやがる」
「ルッツきさま!」
殴りかかろうとした俺は首襟をダグラスにつかまれ、投げ捨てられる。床に横腹をうった。
「女。お前にはまず身体検査を受けてもらう必要がある。健康状態の確認と、船内に変な病原菌を持ち込むことを防ぐためだ」
ダグラスはそう言って内ポケットから小型装置を取りだした。電源をつけ、クロエの顔にかざした。
……が、
「『バイタル測定・不能』、なんだこれは。……誰か船内の生命反応検知をオンにしろ」
ヨゼフが操縦席のほうへ消えていき、機械のうなる音が鳴りはじめる。ダグラスは手元の装置を見た。
「生命反応、合計五つ。……非生物が一体。なるほど」
驚いたダグラスは、しかしすぐ嫌味な薄笑いへと変わる。ゆっくりと後ずさった彼は、右壁のレバーを思いきりさげた。それは殺菌用の紫外線ライトを光らせるレバー。
青紫に満たされた船内。
だがクロエの肌には、数字の羅列と、二次元コードが浮かびあがっていた。
「……クロエ。なにこれ?」
ダグラスは言い放った。
「こいつは人間じゃねえ。ドロイドだ!」