◆07 雨宿りは突然に
暗闇になった世界は大粒の雨にまみれていた。土砂降りの湿気にむせ返りそうになる。空を覆う黒い雨雲からは閃光と、雷鳴がとどろいた。
傘もレインコートもない俺たちは、夜の惑星で雨にうたれながら進むことになった。風もつよく水の粒が斜めにたたきつけてくる。クロエからもらった高照度ライトも見通しがきかない。
雨音のはげしさに、俺はいつしか大声になっていた。
「クロエ! まだ歩くのか!?」
「ええ、あの場所はすこし遠いの! もうちょっとかかる」
「……はあ、そうかよ」
俺はそう呟きつつクロエのあとを付いていく。彼女も焦っているようだ。
幸い、地面がぬかるんだり濁流がおきたりはしていない。だが雨は降り続ける。身体が寒くなってきた。
そんなとき、稲妻が目のまえを走った。
「うわっ!」
切り裂くような轟音も同時にひびく。いきなりのことで、思わず足がすくんでしまう。
クロエが俺の様子に気づいた。
「ユーリ! 大丈夫?」
俺は気の抜けた返事しか返せない。なんというか、情けなくなる。
困った表情をうかべた彼女はライトであたりを見まわした。するとある場所でライトはとまる。土砂降りのさきに、構造物があった。
「あそこで雨宿りしよう。さあこっち」
クロエの濡れた手にひかれ、俺はその構造物へと向かっていった。
それは土に半分埋もれた筒状の物体だった。巨大さやドーム状の窓があることを考えると、たぶん宇宙ステーションの一部。まるで空の缶詰のように片面の壁がなく、外と内部が大きく繋がっている。なかに入り、クロエが奥から燃やせそうな廃材を見つけてきた。乾いた土のうえに集めて燃やし、焚き火をつくる。
風も雨もここには届かない。暖かな炎のまえで俺たちはやっと腰をすえた。降りしきる音が焚き火の音と混ざり、やさしく聞こえていた。
緊張の糸がきれ俺は息をつく。ひとまず危ない状態からは脱せられたはず。雨がやむまで待とう。
クロエは高い天井を仰ぎ見ている。ゆらぐ火の光にうつる横顔に、彼女もここが初めてなのかもしれないと思えた。びしょ濡れの衣服が、視界にはいる。
と、
「うーん、服がべちゃべちゃで困る……。ねえユーリ」クロエは俺にむいた。
「服、脱ごうか。一緒に」
……はああ!?
叫んでもクロエはまったく動じない。
「そんな大声ださなくて良いじゃない」
「だすに決まってるだろ!」
「ユーリ、服をぜんぶ乾かさないといけないの。濡れたままだと冷えて風邪ひいちゃう」
彼女はさも当たりまえなことを諭すように俺の目をのぞきこんだ。顔は真剣そのもの。……あんた何言っているんだよ。着替えもないこの空間で、男女が服を――
耐え切れず視線が泳ぐうちに、彼女の濡れた髪が、肌に張りついた白のトップスが目に飛びこんでくる。
しかしそんな俺は、くしゃみをひとつした。すでに体温が服に奪われている。
身体は正直だ。
「……わかったよ」
俺の返事に、クロエはほっとした表情をうかべた。
濡れきった服を脱いだ。雨水は下着もぐちゃぐちゃにしたから、ぜんぶ。
脱いだ服で下を隠す。うしろでは、水を吸った布地の擦れる音が聞こえた。
「ユーリもういいよ」
「ん? ……って、わっ!」
後ろを振りかえるとクロエは、何も隠さずに立っていた。
彼女の白い肌に柔らかな輪郭、ふくよかな胸が、焚き火に浮かびあがっている。
心臓がびくりと跳ね、すぐに顔を背けた。
「なっ、なんで隠していないんだ!」
「……隠すものなの?」
横目で見るとクロエは不思議そうに顔を傾けている。
彼女は言った。
「じゃあ奥にブランケットがあったから、持ってくるね」
廃ステーションのパイプには濡れた衣服がかかった。大きなブランケット一枚で俺たちは身体を包み、おたがいにあるがままの姿で背中あわせに座る。脱いだこととブランケットのおかげで寒さは感じない。
そして、温もりはクロエからも。彼女のきめ細かい素肌の感触も、背中で感じていた。
何かがおきるわけじゃない。だけど鼓動は速く打って、でも俺は動けなくて、そんな状態が堂々めぐりしている。
「背中熱いよ。大丈夫?」
「ちがう。大丈夫だから」
反論も上ずったような声になる。
雨も夜も、明けるのはずっと先だ。炎から、ぱちりと音が鳴った。
「……あのねユーリ」
彼女の声が背中に響く。声は穏やかで、きれいな声だった。
「私の惑星にきたのがあなたでよかった。私はずっと、誰かを待っていて、けど誰も長居しないですぐ帰っていく。寂しかったし、同時にちがう不安もあったの。もしもここに住むひとが悪いひとだったらどうしようって」
「でもあなたは良いひと。だから嬉しかった。私はそんなあなたが――」
クロエが続きを言おうとしたとき、
目前を稲妻が貫いた。
落雷は近くのごみ山だ。空気を裂く音と閃きが過ぎ、廃ステーションはもとの雨音に包まれた。
「びっくりした。……クロエ?」
俺は気がつく。肌に感じるクロエの背中が、小さく震えている。
……思えば、彼女はどんな気持ちでこの惑星にいたんだろう。ひとりきりで、食糧も水も少なくて話し相手すらいなくて――誰かが来ることをずっと願った。それは精霊がとか関係なく、不安な毎日だったはず。
けどいまは違う。
俺はクロエの背に、自分の背中をぴたりとつけた。
「俺はさ、クロエと一緒にいたい。優しいし、ふたりでいると心細くならないんだ。初めてだよ、こんな気持ちは」
「クロエはもう待たなくていいよ。俺が、ここにいるから」
気持ちに身を委ねてみると、そんな言葉が出た。ちょっとこそばゆくて、でも何かつかえが取れたような、不思議な心地を感じている。
なんだろうこの気持ち、……好き。
まさか。いや、
「うん。ユーリ」
クロエはひと言、応えた。
焚き火のそばで、俺たちはやみ間を待つ。温かいブランケットに包まれ、ふたりだけの惑星の夜は過ぎていった。
まぶた越しに感じたまばゆさに目をあける。俺はいつの間にか眠っていたらしい。自分が裸だったこともブランケットをめくるまですっかり忘れていた。と同時に、彼女の髪の匂いがほのかに香った。
クロエは乾いた服をすでに着て、立ち姿で外を眺めていた。俺に振りかえる。
「ユーリおはよう」
外の世界は朝。そして晴れだった。
――雨宿りをする少年は女性と身を寄せ合いました。
外では雷がたくさん鳴っています。ですが少年は心細くなかったのです――