◆05 ごみ漁り
――ユーリ ユーリよお はははっユーリ おいユーリ!
俺を、呼ぶ声がする。幾重にもかさなって、頭のなかを埋め尽くして、終わらない。その声はあいつらの声。貨物船『クルタナ号』の船員、俺以外の四人の声だ。
嫌味たらしく、理不尽に、罵られて。あいつらの嫌な声が、心の芯まで俺を責めたてる。船で繰りかえす日常が何度もよぎる。浮かんでは消え、また浮かんで――
「……あっ」
――浮かんだ光景が、ひとつだけ消えずにとどまる。
一〇歳のころか。寝室部屋のわずかに開いたドアから見た光景だった。
いつも食事をとる大テーブル。そのうえに女が座っていた。なにも着ず、白い素肌をおおきく上下に揺らしながら。
釘づけになる。その顔は喜び、叫んでいた。女は船の燃料補給をした惑星で船員たちが連れてきた。金を渡して。
女をドアの隙間からみた俺は、思った。
……おぞましい。汚らしい、と。そばで笑う船員たちにもおなじくだ。
俺の視線に船長が気づく。へばりつくようなにやけ顔を向けてきた。
「おいお前らみろよ、ユーリが覗いているぞ。ませてんな」
「きさまは大人になったら来い。はははっ……」
……嫌だ。あれが大人という生き物なら、俺はなりたくない。
大人も、大人の女も、俺は大嫌いだ。
マットレスのうえで目を覚まし、あれが夢だとすぐに理解できた。でも単なる夢じゃない。実際に、過去にあった出来事だ。
船で暮らしていたときにもよくみた、嫌な記憶の夢。あいつらとやっとおさらばできた矢先に……出鼻をくじかれた気分だった。
うす明るい陽に洞穴の入り口は包まれている。気温やおちる影の傾きが、いまが朝であると物語っていた。
けだるい身体をおこす。洞穴の奥に目をうつしたとき、俺はクロエがすでに起きていたことを知る。焚き火を消し終えたのか彼女はその近くで俺に気づかないまま、両膝をかかえ座っていた。
彼女は薄着だった。着ている白シャツははだけ、胸は灰色のチューブトップに隠れていた。そして紺のショートパンツからは伸びた白い脚があらわになっている。細くもなく太すぎない整った曲線をもった脚が、視界にとびこんだ。
……どきり、とした。
彼女の脚の肉感に、肌の美しさに……。目が離せない。そこに嫌悪感はなく、ただただ素直な気持ちで。
俺は、なんで目を離せないんだ。
クロエが俺に気がつく。
「おはようユーリ。寝られた?」
彼女は「よいしょ」と言い立ちあがる。どうやら自分の格好を恥ずかしいと思っていないらしい。はだけたシャツのままでこっちに近づいてくるので、「ボタンを掛けてくれ」と大声で伝えた。
――
――
俺よりさきにクロエは使えるものを見つける。陽が昇ったごみ惑星の大地で、あっちから、こっちから、目ざとく食糧や水に燃料、ときには住み処の装飾になりそうな小物を見い出し、嬉しそうにジャケットやバックパックのなかに入れていった。
朝食を終えたすぐ、クロエから『ごみ漁り』に誘われた。定期的におこなう習慣らしい。なんというか、この惑星の生活一日目はきのうの放浪に物拾いが加わっただけになりそうだ。
いまの俺の服装はクロエからもらった一式、カーゴパンツとシャツ、ポケットがついたハーネスベルトそしてバックパックだ。彼女が慣れているとはいえ、俺にはまだごみと使えるものの区別がつかないでいる。
スティック型の食糧を、クロエはこげ茶色のジャケットのなかにしまった。
「これでもう十分かな。ユーリはどう」
「……あまり見つからないや」
ぶっきらぼうに答えてしまう。見つけられたのは廃船で見つけた飲料水が入ったパックぐらいだ。
「大丈夫。すぐコツはつかめるから」
クロエが俺の肩に手をのせた。
あらかた漁り終わり、帰路につくことになった。
軽いままのバックパックを背負って来た道を歩く。赤茶色の地面には俺とクロエがつけた足跡が続いていた。
そんなときに、クロエは俺に尋ねた。
「ユーリはさ、この惑星に来るまえは何をしていたの」
「……あの船で、か?」
俺は黙る。土を踏みしめる音が続いたのち、答えた。若干はぐらかしながら。
「散々だったよ、クルタナ号は。もとから貨物船は屑の掃きだめだ」クロエに言った。
「俺はあいつらの嫌われ役。『不貞の子』なんだ」
歩きながらクロエに俺は語った。自分の身の上話を。
俺がクルタナ号に乗り込んだのは七歳のころだ。荒みきった居住惑星にいた当時の俺は、何も聞かされないまま停留中の貨物船に連れてこられた。俺を産んだ女に、手を引かれて。
女はいわゆる売女だった。相手は妻子ある男。なりわいでしくじり俺を産み、しかし捨てきれなかったらしく名前をつけ七年育てた。それでも食い扶持には困る。なかば愛想をつかした形で、はした金とともに俺はクルタナ号へ厄介払いされた。
船は燃料や金属素材など雑多に請け負う、旧式の薄汚れた貨物船。船員の四人は俺をこき使った。危険で無謀な業務を押し付け、理不尽に怒鳴り、手をだし、失敗ごとはぜんぶ俺のせいになる。あいつらが俺を船に乗せた理由は単純だ。自分たちがサボるため、そして劣悪な環境のストレスを発散する、はけ口を得るためだった。
一年が過ぎ、三年が過ぎ……。そんな日々を繰り返し、一五歳になった俺はあいつらに捨てられた。食糧事情から見て口減らし。大きくなり腕力がつきはじめたことも理由としてはあるかもしれないが。
どちらにせよ俺は大人という存在が大嫌いだ。ずるくて身勝手で、威張りちらし、汚らわしい奴ら……。それ以外の感情なんて、俺は今後も、抱くつもりはない。
俺の言葉をクロエは黙って聞いていた。あらかたしゃべり終えてしまい、まわりの静けさがことさら際立ってくる。だから、無理やりに尋ね返した。
「あんたこそどうなんだよ。いままで何をしてきたんだ」
質問にクロエは「うーん」と唸った。
「ほかの記憶は、ないよ。だって私は惑星の精だからね」
「……ああ。だよな」
結局クロエには『一〇歳のときに見た売女』のことは言えず、『大人の女が嫌い』だとも伝えられなかった。いちおう『大人が嫌い』とは伝えたわけでそこには女性もはいるだろう。けど彼女が直接含まれるような言葉を、俺は言えなかった。
クロエに、ああいう感情を抱いていなかった。嫌悪感を感じなくて、一緒でも不思議となじむ。……だから、不安だった。気持ちを伝えることで彼女の距離感がもし変わってしまったら、離れてしまうとしたら。いまある関係を壊したくない。……俺はなぜかそう思っていた。
もやもやするうちに、俺は地面ばかりを見ながら歩いている。生ぬるい風がふいに通りすぎた。
「ねえ、ユーリ」クロエが俺に話しかけた。
「きみに見せたいものがあるの。ちょっと寄っていかない」
クロエは急に、俺を行きとはちがう道へ連れていった。勾配のきつい坂が現れ、クロエはかまわずに進む。俺は彼女の背を見ながら登った。
……どういう風の吹きまわしだ。いきなりこんな坂に連れてきて。
しばらく歩いたのちクロエは足をとめ、
俺の腕を引っぱった。
「はい! これを見て」
そこは、坂の――いや丘の頂上だった。
俺は一瞬で、光景に目を奪われた。
「……これは、すごい」
丘から望むごみ惑星は、きっと誰が見ても絶景と答えるだろう。澄んだ空気のおかげで赤茶色の土は遠くまで鮮やか、はるか先の山脈を見ると、頂は雪化粧か白い色が薄くのっている。単に残骸にしか見えなかったごみの山たちも、地面の濃い色にやさしい色合いを加え、惑星の大地にグラデーションを生みだしていた。
美しかった。素直に抱いたこの感情はクロエにも伝わったようだ。
「ふふ、私の惑星はこんなに良いところなの。まだいっぱいあるんだから」俺に頬笑んだ。
「住人の君にはこの惑星の楽しいものをいっぱい見せたいな。ここをもっと好きになってほしいし、君に笑っていてほしいもの」
クロエはそう言うと、遠景に目をうつした。純粋で、優しい表情に見えた。
――『ごみ惑星の精』。なんだか、彼女が言っていたことが本当に思えてくる。
「クロエ、さっきの話で言い忘れていたよ。あの船で星をよく見ていた」
「……きのうの夜に言っていたこと?」
俺はうなずく。
「そう、星が好き。あの船の窓辺でよく眺めていた。いろんな色で輝く星たちがきれいで不思議で、見ると心が軽くなった。あいつらにバレないように星図をもってきて調べたりもした。興味は尽きなくて、俺はもっと星を知りたくなったんだ」
澄んだ空気を吸った。
「こんな星もあるんだな。来てよかったよ。こうして知ることができたから。あとは、……『星には精霊がいる』こともな」
最後は半分冗談に言う。でもそれ以外は素直な気持ちだ。クロエは「ほんとに信じてる?」と不満げに、しかし冗談っぽく返した。
俺たち以外に誰もいないこの惑星は、思いのほか良いところかもしれない。
――女性は少年にごみ惑星の景色を見せました。ごみしかない世界でも、世界は少年の目にはきらめいていました――