◆03 星(ほし)の精
少しひんやりとした風を、頬に感じている。ぼやけた意識がだんだんはっきりしてきて、なんとか重い瞼をあけた。
視界には空があった。けれど赤みがかっていたはずの空はいまでは深い漆黒で、その色をまるで塗りつぶすかのように色とりどりの星々がどこまでも広がっている。
……夜だ。唖然とした。星空が綺麗だったこともあるけれど。
まだ、生きている。たしか俺はあのとき窪地で毒ガスを吸って、死んだものと。いや直前に変な感覚があったような。
考えるうちに視野が広くなる。いまいる場所は窪地ではなかった。――洞穴、と言い表せばよいかもしれない。固まった土でできた横穴が外の星空を囲んでいる。服もなぜか船外活動服ではなく下に着ていたスウェットのみ。呼吸も問題なくできる。
いったい、なぜここに……。しかしもうひとつのことに気がついた。洞穴の壁が、やわらかい明かるさに揺らめいている。暖かな色合いをした炎の光だ。
寝返りをうって反対側を見ると、洞穴の入り口にいたことがわかった。高さも奥行きもある赤茶色の広い空間がそこにはあって、真ん中に焚き火の炎がひとつゆらゆらと燃えている。しかも端にはコンテナや衣服などの小物、古びた宇宙船の頭が顔を出していた。
「……なんだ、ここ」
と、
「――あっ、起きたんだ!」
突然、涼やかで元気のある声が聞こえ、――声の主が宇宙船の後ろから姿をあらわした。
女性だった。もちろん人間だ。ダークブロンドの長い髪を後ろに束ねた、茶色の目に、鼻梁がとおった顔立ちのきれいな人物が。俺に無邪気な頬笑みをおくっている。そのまま近づいてきた。
対して俺は、半身をおこし身構える。誰だかまったく知らない人物がしかも笑顔で歩いて来るんだ。不安どころか怖い気持ちがあった。それに相手は俺よりも年が五、六歳ほど上に見える。
大人な風貌で、そして女性、……あのころ見た光景がよぎる。嫌いなんだよ、大人っていうのが。
怪訝な視線を送ったつもりだ。ジトッとした目つきに見えたはず。けれど女性はなんにも思わないようで、俺のそばに来てしゃがみ込んだ。
「ねえどこか痛くない? ずっと寝ていたからさ、心配したよ」
大きな目にじっと見つめられている。遠目で女性の瞳は茶色に思えたが、茶に青や緑が淡く混ざったヘーゼル色(榛色)だった。深みがある色合いに、なんだか吸い込まれそうになる。
あわてて目を下にそらす。女性は使い込まれた白の短いブラウスを着ていた。胸の膨らみが浮きあがり、短い丈のためへそが露わになっている。ストレートのパンツはひざうえ丈ほどの黒色で、ぴっちりとしたやわらかそうな素材だった。ふたたび胸を見る。もしかして窪地で感じたあの柔らかさは、……気恥ずかしい。
「……金なんか、持っていないぞ。お前にやるものは無い。脅したって無駄だからな」
俺は下を向いたまま、小声でしか反抗できなかった。
だが女性は、きょとんとしたのだろうか。わずかな間があって、そして俺に笑った。明るく朗らかに。
「あはは、大丈夫大丈夫。私なんにもしないよ。君はお客さん」女性は続けて言った。
「とくに歓迎するからね。だって『私の惑星』に来て帰らなかった人は君が初めてだもの」
……『私の惑星』。なにを言っているんだこの人は。そう思うあいだに女性はお構いなく地面に腰をおろす。すらっとした長い脚を横に流した。顔を上げてみると、まだ微笑んでいた。
なんだか、もやもやが募ってくる。人差し指で頬をかく。
「あんたさ、俺の船外服はどこにやった。ヘルメットつきの」
「君が着ていた外着のこと? えっと、もうガスで変質していたから捨てたよ。あれ脱がせるの大変だったんだから」
「脱がせる、って」
いま着ている服に目がいく。何があったかのか想像してしまった。顔が火照りだす。
女性は続けた。
「あそこはとくに腐食性がつよいガスが溜まる場所だから気をつけたほうがいいよ。近くにいてよかった。すぐ助けられたからさ」
「……じゃあ、この惑星は毒ガスに覆われていなくて、」
「そう、ここは窒素と酸素が主な大気。廃棄物の毒ガスや廃液はどれも比重が大きくて、みんな地下か窪地とか低いところに流れていくの」
「な、なるほど」
だからヘルメットなしでも呼吸ができるわけか。納得をしつつ、いまの、さらにもやもやする気持ちを抑えようとしていた。
すると、
「……君は、ここで暮らすの?」
「えっ?」
眉をさげて女性は言った。
「だって見てたんだ。宇宙船が去っていくのを。君はあの船にいたんでしょう」
俺はその質問にいったんは黙った。けれど閉じた口をひらく。
「ああそうだよ。あんたが見た船に乗っていたし帰る予定も無い」それから、少しだけ考えて、
「……暮らすのも、まあ良いかもな」
曲がりなりにも助かったわけだ。このごみ惑星で生きても誰も文句は言わない。女性もいちおうは善良そうだ。
――決めた。
「うん。暮らす」
ひと言、彼女に告げる。とたんに女性は晴れやかな笑顔を俺に見せてきた。
「ほんとう!? ほんとに!? うれしいありがとう。私の惑星に住人ができた」
女性は目を輝かせよろこぶ。まるで無垢な少女のようで、それがかえって不思議さをより際立たせていた。だが、とくに気になっていたことを、俺は口にした。
「あのさ……、あんたよく『私の惑星』だ、とか言うけど、こんな『ごみの惑星』の何だっていうんだ? 勝手にここで暮らしているだけだろう」
まったく些細なことかもしれない。でもあまりにも堂々としているから気になっていた。
俺の質問をきいた女性は、小さく首を傾け『どうしてそんなあたり前なことを』とでも言わんばかりに奇妙そうな顔をした。
そして言った。
「私はね、『この惑星の精』。いまあなたがいるこの惑星が、人のかたちで具現化した姿なの」
「……。はあ?」
俺は半分無意識で、呆れを意味する声をだしていた。
何を言っているんだこいつは……。頭がおかしいのか。いや、考えればこんなごみしかない惑星にひとりで暮らしていられる奴がマトモなわけが無い。狂ったのかはたまた元からなのかは知らないが。だけど女性に対して恐怖は抱かなかった。
いっぽう女性はというと、自慢げな顔で喋りだす。
「宇宙にある星――惑星や恒星、彗星とかには、どれも私みたいな精がいるんだよ。自然物とか、人工の惑星とか関係なくてね」それから、少し悲しそうに目を細めた。
「……だからさ、『ごみの惑星』とか、言わないでほしいな」
真面目に、かつ寂しげな表情をされてしまった。たしかにこの人はおかしい人ではある。いますぐに拒絶して、俺はどこかに逃げたほうが最善なのかもしれない。
でも、実際の行動は違った。
「……変なの」
そう口にしただけ。呆れた目でただ睨んだだけ。
女性は腕ぐみをする。
「『変なの』、かあ……。うーん、まあでもビックリしたとは思うし、君が迷うこともなんとなく分かる、うん」
腕組みと、もったいぶったような顔に、俺は遠慮をせず吹き出した。女性も俺を見て微笑んだ。
こんな場所にふたりしかいないんだ。狂ってる云々なんて小さいことに思えたし、この女性と居て不思議と緊張も解けていた。悪い居心地じゃない。万が一、本当に惑星の精なら、……それも良いだろう、
「私はクロエ。あなたは?」
「ユーリ。よろしく」
俺はクロエと、人づてに聞いたことがある『友達』というものになった。
洞穴の入り口、星空がよく見える場所に俺用のマットレスを置いた。布地がぼろぼろな代物だけど十分使える。布を一枚敷いて整え、枕を添えた。ぜんんぶこの洞穴『クロエの棲み処』にあるもので、つまりは彼女が集めたごみたちだ。
かけ毛布も用意し、マットレスに横たわる。これからこの惑星であたらしい生活がはじまろうとしている。きらめく星たちを眺めるうちに、不思議とほっとした気持ちを抱いていた。
クロエがそばに来た。
「寝心地はどうユーリ」
「大丈夫だよ」
答えながら俺は星空に視線をもどした。
「君は星が好きなの?」
尋ねてきた彼女に、答えた。
「ああ、好きなんだよ星が。……あんな船の生活で唯一、楽しくなれる、夢中になれるものだったからさ」
「……へえ」
ごみ惑星の夜は、さまざまな星のきらめきで満ちていた。
――少年が気がついたとき、そこはごみでできた洞穴でした。彼は『惑星に暮らす女性』に助けられたのです。綺麗な姿の女性は自分を『この惑星の精』だと言いました。
ちょっと変にも思いながら、少年は女性の言葉を信じます。
この惑星で、彼にはたったひとりの友達ができました――