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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あなたにとっての私、犬にとっての水たまり

作者: 紅 綾女

「私さ、痩せたいんだよね」


それが亜紀ちゃんの口癖みたいなものだった。別にさしたる意味があるわけじゃないだろう。だって彼女には新作スイーツが出ればチェックは怠らないし目標体重だって特に無い。脂肪吸引だとかこんにゃくダイエットだとか言うようなものに手を出しているのだって見たこともない。昔結構熱心にやったけど中途半端に飽きた名残で一応まだ口にしているのだ。ただ言ってるだけの言葉なのは火を見るより明らかだった。だから私もいつもと同じように返すのである。どうせ彼女の中では呟いた時点でこの会話は終了していて、返しなんて聞いてない。


「亜紀ちゃんはそのままで十分かわいいよ」

はい、嘘。私は正直今の彼女など好きでも何でもないんだから。でも繰り返す。亜紀ちゃんの言う数だけ、毎度毎度律儀に。いっそこれが私の口癖みたいなものだ。今度から全部嘘になる。閻魔様の前に引きずり出されたら情状酌量の余地はないだろう。でも私だけじゃないよね。

「えー、真奈美もかわいいよ?」

ほらギルティ。聞いてなんかないくせに聞いていたみたいに返事をするなよって思っちゃう。スマホを見つめながら片手間に、割合どの会話の流れでも違和感のないことを適当に言ってるだけでしょ。見え透いてる。私もスマホに目を落とした。亜紀ちゃんは私に興味なんてないよね。私もだよ。変なおそろいだね。電車が揺れる。もうすぐ私の最寄り駅。ああ、何だってよりによって亜紀ちゃんと通学路が同じになんてなってしまったんだろう。思いついてみるとここにもおそろいがあった。どうせならもっと別のものの方が良い。


私と亜紀ちゃんは高校の入学式で初めて会った。よくあるパターンだ、席が隣だった。それでも明るくて派手で登校初日からネイルとメイク完備で現れた亜紀ちゃんと校則そのままの格好をした私が仲良くなったのはとんでもない奇跡な気がするけど。いや、仲良くなったなんて言っては駄目か。だって別に私たちは休日に遊びに行ったこともものの貸し借りをしたことも、どころか二人組を組めと言われて自主的に集ったことだってない。多分客観的には登下校を同じくするだけの同級生だ。うん、それくらいがちょうど良い。登下校が一緒なのだって亜紀ちゃんとよくつるんでいる派手なメンバーは早く帰ったり遅刻したりの常習犯で彼女が帰る頃には手頃なのが私しかいないからだ。彼女は見た目に反してそういう所が妙に真面目である。私がそう気がついて特に嫌そうにしなかったのも大きな要因だった気がする。じゃあやっぱり私たちは一緒に学校に行く程度には仲が良いのかも知れない。もしかしたら、だけど。


ああ、納得したところで話を戻そう。私は校門を出て以来とうとう三十分間は堂々巡りしていた思考を引きずり起こした。今日は大事な話があるんだ。私は時計を見た。三時十二分。電車が止まるまで……十分。我ながら卑怯だ。この瞬間を待っていた。こんな時間じゃ私が話しただけで時間はいっぱい。亜紀ちゃんが何か言うより先にこう言うしかなくなるわけだ。ごめん、もう降りなきゃって。言うだけ言って逃れようという算段である。我ながらこざかしいな。でもまあいいか。私にとっては大事でも、どうせ亜紀ちゃんにとってはふうん、で済む程度のことだ。


「亜紀ちゃん」

目は見ない。だって顔を上げたら絶対言葉に詰まってしまう。それに、上げたら亜紀ちゃんがスマホをいじっているのが見えてしまう。私との話を聞くことに重きを置いていないと態度で示されたらきっと冷静でいられない。それは駄目。だからさっき慌てて作ったカンペを凝視しよう。

「んー?」

ほら、上げなくて正解。軽い調子だ。絵に描いたような生返事。亜紀ちゃんは私になんて興味がない。今だって多分SNSを見る邪魔をするなぐらいに思ってるに決まってる。思えばいつでもそうだ。亜紀ちゃんは私と話すときスマホを手放したことがない。でも、でも、亜紀ちゃん、今日くらいは、ううん何でもない。

「私さ、お昼休みに亜紀ちゃんが牧野さんと喋ってるのを聞いちゃったんだよね」

「……え?」

衣擦れから亜紀ちゃんが身じろいだのが感じられた。因みに牧野さんとは亜紀ちゃんの一番の仲良しだ。類は友を呼ぶ、って感じの子。私は一生ああはなれない。別になりたくもないけれど。

「……どこ、から……」

ああ、亜紀ちゃんもそんな切羽詰まった声をするんだ。意外だな。

「私が好き、ってところから」

「そ、れは……違うから。誤解とかやめて。ただ友達って意味だからね」

「どういう意味でもいいんだけどさ」

言わなければ楽だ。言葉の解釈なんて言葉や態度に表しさえしなければいくらでも自分用のものにしておける。自分の都合の良いように解釈してそのぬるま湯につかってられる。でも仕方ない。ぬるま湯に浸っているとそのうちそれが本当の温度みたいに錯覚を始めてしまうのだと痛感してしまったのだから。お昼休みからこっち、確かに私は気持ちが浮ついていた。それを自覚してしまった。だからここいらで正しておかねばならない。今まで嬉しかったあれこれの思い出には全部無価値のレッテルを貼り直さなきゃ。勘違いは醜いでしょ。これ以上舞い上がって亜紀ちゃんにとって不都合な存在になったら私はこの時間さえ失ってしまう。亜紀ちゃんにとっての私は、私にとっての亜紀ちゃんは、あくまで水たまりであるべきなのだ。通学路にちょっと落ちていて戯れにのぞき込むような、そんなもので。


「あんなの完全に恋の吐露みたいな口調だったでしょ。うっかり聞いちゃって誤解する人もいると思うよ。そういうこと、冗談でも言ってるとそのうち本命から信じてもらえなくなっちゃうよ。亜紀ちゃんはクラスの人気者なんだし、モテなくなったらもったいない」

亜紀ちゃんが何か言いたそうな顔が画面に反射して見える。あ、結局顔を見ちゃった。でももう言いたいことは言い尽くしたし良いか。覚悟を決めたみたいにその目尻が上がる。私は時計を見る。三十秒。車内放送がうるさい。


「違う、私は……ああもういい。言うよ。私は真奈美が……!」

「あ、別にフォローとか要らないから。亜紀ちゃんは私に興味ないでしょ?」

だっていつもスマホから顔を上げなかった。

「好きだから顔を直視できなくて」

「言い訳しなくてもいいよ」

だってね、亜紀ちゃん。

「私、これでいいの」

気がついちゃった。私って、ダイエットと同じでしょう?重きを置かれるということはいずれ別の何かに重きが移ろうのを見守るってことだ。私は亜紀ちゃんに大切になんかされたくない。亜紀ちゃんが他の人を好きになったときに笑って見送るなんてできっこないから。それなら目もくれられず、されど視界からも消えない路上の水たまりである方がずっと幸せなのだ。



「亜紀ちゃんにとっての私は、道ばたを散歩する犬にとっての水たまりであってほしいんだよね」


電車の扉が開く音がした。


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