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殿下が隠したもの

お立ち寄り下さりありがとうございます。

波乱の舞踏会から一夜が明け、マーレイ公爵邸では朝食が始まろうとしていた。


今朝の朝食は、昨晩、舞踏会に参加していたアンソニーとリズのことを考えて、遅い時間からの始まりとなり、ほぼ昼食も兼ねていると言っても差し支えないぐらいである。

食堂には明るい日差しが心地よく入り込み、テーブルを照らしている。


娘にお気に入りのデザインのドレスを着せることができてご満悦のクリスティが、明るい日の光に相応しい笑顔を浮かべている。


当主のロバートの姿はない。

昨晩まで領地に帰り仕事をこなしていたロバートであったが、娘の一大事を白の守護師から魔法で伝えられ、取るものもとりあえず、朝一番で領地の魔法使いの力を借りて転移で王都に戻り、その足で王宮に向かったそうだ。


目覚めてすぐに侍女から父の動向を教えられたリズは、昨晩の騒動を否が応でも思い出してしまった。


王弟殿下の処分について話し合いをなさるのかしら


重い気持ちを表に出さないことが、リズの今日の課題となっている。


リズ以外に愛するものがないと言って過言でない兄なら、リズの隠した気持ちを立ちどころに見抜くはずだったが、今朝の兄は、いつもの兄ではなかった。


「お兄様。気持ちの良い日差しですわ。そろそろ復活してください」


食堂に入るときも、入ってからも、うなだれたままの兄は、リズの表情どころか兄の見事な銀髪を輝かせている日差しにも気づいていない様子だった。

煌めく銀髪が兄の肩から流れ落ち、兄の顔を隠している。

その銀髪の奥から、消え入りそうな声が漏れ出た。


「昨晩、僕の天使が婚約したというのに、どうして復活できるんだい?」


全く生気を感じられない兄に、リズは明るく声をかけ続ける。


「お兄様。婚約ではなく、婚約者「候補」になっただけです。これから11か月もの間、審査があるではないですか」


11か月は長い期間だ。その間に、どんなことが起こるかは神のみが知ることだ。

リズが殿下に恋をするかもしれない。はたまた、殿下にもリズにも運命の相手が見つかるかもしれない。

見つからなくとも、審査で婚約者として不適格となる切り札がリズにはある。

兄が落ち込む必要も、リズが焦る必要も全くないはずだ。


リズがこれからの11か月のことに思いを馳せて微笑んでいると、ゆっくりと力なく兄は顔を上げて、リズを眺めた。

美しいエメラルドの瞳も、今朝は輝きが失われてしまっている。


「リズ。あの腹が真っ黒な王子が、審議の手順を踏むはずがないだろう?」


「まぁ、お兄様。王室法の第3章第6節第4条第2項に書かれている審議なのですから、手順を踏まないわけにはいきませんわ」


兄を安心させるために、条文まで出したリズであったが、兄の表情は全く明るくはならない。

眉を寄せて、哀しみと諦めを体現する。


「一皮むけばどこまでも黒く染まり切ったあの王子が、第3項を使って審議を省くことをしないはずがないよ」


――え?

「第3項?」


口から疑問がこぼれ出た。

第4条は第2項までしかなく、その次は第5条の婚約発表の定めに移るはずである。

――はずであると思いつつ、それでもリズは自分の鼓動が大きくなったことを感じ始めていた。


お兄様の記憶違い――、でも、なぜわざわざ「第3項」と具体的な条項が出てくるのかしら――


リズはこくりと唾を飲み込み、知りたくない気もする、けれど絶対に知らなくてはならない問いを兄に投げかけるかどうかを躊躇っていると、鈴を振るような声がのんびりとリズに投げかけられた。


「王室法について、私は詳しくないのだけれど、第3項については知っているわ。」


リズは驚きから強張る身体を軋ませながら、母に顔を向けた。

母は悪戯めいた笑みを浮かべていた。

リズは自分の鼓動で体が揺れているのではないかと思いながら、手を握りしめる。

その手が冷え切っていることにリズは気が付いた。恐らく冷えているのは手だけではないだろう。


こっそりと内緒話を楽しむように、母は小さな声でリズに話しかける。

「今の国王陛下と王妃殿下は、お若いころ、社交界で知らない者はいないほどの大恋愛で結ばれたのよ」


リズは小さく頷いた。

大恋愛を成就した経験を持つ国王陛下のお陰で、殿下とリズの婚約はリズの心が殿下に向くまでなされないことになったのだ。

そのため、リズは心の内で生涯の忠誠を陛下に捧げている。

母は人差し指を口に当て、更に小さく囁いた。


「第3項は、今の王妃殿下が王太子殿下の婚約者に決まるときに、審議を待つ余裕がなくなって大慌てで作ったのよ」


大慌てで作った――、その言葉にリズの頭は真っ白になる。

王室法は状況に応じて臨時に作られた条文が幾つもあることは、リズも知っている。

真っ白な頭に、楽しそうな声が容赦なく入り込む。


「第3項は、確か、王太子から求婚を受けた者がその求婚に応じた場合、王太子からの申し出があれば第2項を省略することができる、だったわ。社交界では急遽作られたその条項の話題で持ちきりだったのよ」


頭を殴られるような衝撃、そう表現していい衝撃をリズは生れて初めて受けた。

呼吸の仕方も忘れてしまったリズに、母はのんびりと知識を披露してくれる。


「そもそも11か月かけて行う審議は単なる名目で、王太子殿下の妃から生まれる子どもが疑いもなく正しく王太子の子どもであることを示すために設けられたものだったそうよ」


図らずも、11か月という半端な期間の趣旨がようやくリズにも分かった。

確かに、婚約が決まる前に王太子以外のお相手との子どもを懐妊していても、10か月ほどで出産を迎えるはずである。

審議が終わるときには、婚約者候補は出産を終え、その後の懐妊は周囲から疑いをもたれることは無くなる手はずだ。


一体、どのような事情で第2項が作られたのかしら。

夫を亡くされた女性を熱愛した国王陛下がいらしたのかもしれない。


リズは現実を避けるために、今生まれたばかりの疑問に意識を向けたのだが、母クリスティが娘の複雑な胸中を察することは今日もなかった。

隠しきれない可笑しさを声に込めながら、リズを現実に引き戻す。


「ふふふ。今の王太子殿下のお誕生は、第3項を急いで設けて審議を省き、ご成婚の準備を最大限に急いだのだけど、ご成婚が間に合わず、婚約から半年ほど経った――」


「そんなことは絶対に許さない――!」


突如、怒りの叫びを上げると同時に、生気を取り戻した兄は、ゆっくりと立ち上がり、地を這うような声で続けた。


「僕の天使を嫁がすことも許さないが、式を待たずに僕の天使に不埒な真似をしでかすなど、神に誓って許さない!」


「あら、アンソニー。兄の許しを得なくとも、恋に落ちた若い男女を止められるものではないわ。あなたが生まれた時期も、ロバートとの婚約から――」


「昔の話はいいのですよ、母上!」


母と兄の言い争いも、リズの知らなかった殿下と兄の誕生の時期も、今のリズの意識に留まることはなかった。

審議を省き即座に婚約を認めることのできる第3項が存在するということを、認めるしかなかった。

ゆっくりと、とてもゆっくりと、リズは結論を導き出した。


もしかすると審議は開かれず、今日にでも私は婚約者になってしまうということなの?


瞬間、昨晩に殿下が見せた、今まで見たこともないあの奇妙な笑顔が浮かび上がった。

あの時、殿下は「求婚に応じた」リズに第3項が使えるとほくそ笑むのを隠していたのだろう。


確信が生まれたとき、リズに天啓にも似た閃きが起こる。


――殿下が私に隠したものはそれだけではないわ


リズの手元にある見事な刺繍の施された王室法の本は、殿下から贈られたものだ。

それは、殿下の祖母である王太后陛下が若かりし頃に使われたもので、当然、当時作られていなかった第3項は記されていない。


殿下はリズに本を贈って以降、王室法が変わる度に、変更の内容を書いた紙も贈ってくれていた。

けれど、本を贈る以前の変更に関するものは――、全く、一枚もなかった。


貴族の反対を説得で懐柔し、他国との交易を再開させる有能な人間が、――百歩譲って、有能でなくとも、法が変わる度に情報をくれた人間が、本が作られてから現在までの期間の変更に気が付かないはずがない。


冷え切ったリズの身体は、一気に熱くなった。


こういうことを、何というのだったかしら


ふつふつと湧き上がる怒りと共に、探していた言葉が口から零れ出た。


「詐欺ですわ――!!」



マーレイ公爵家にリズの悲鳴が響き渡ったころ、時を同じくして、王宮にてロバートはリズが王太子殿下の婚約者となったことを、第5条に則り陛下から正式に伝えられていた。

――このとき、陛下の傍らに立つ殿下が浮かべていた、眩しいまでに輝く笑みは、しばらく王宮の語り草となったそうだ。

お読み下さりありがとうございました。

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