『正しい』
その日の放課後。
予定なんていつも通りしか存在しないので、そろそろテーブルの設計図作成しようかなと考えながら帰りの準備をしていると、「あ、連。ちょっと時間、良い?」と深刻そうな表情な元が声をかけてきた。
少し考えてから「相談事ならカウンセラーでいいんじゃない? うちの学校にもいるでしょ?」と質問する。
時間を取られたくないのではなく、これは善意からだ。僕だと正面から叩きつけてしまう恐れがある。それに、他人の悩み事を解決だなんて面倒だ。
こうして他人を遠ざけているからいつまでたっても進歩しないんだろうと分析していると、「昼休みの会話を聞いてたら思わずって感じなんだけど……ゴメン」と謝られたので、ため息をついて「まぁいいよ。いい加減前に進みたいのか気を晴らしたいのか分からないけど、前進する気概を見せてるのだから」と褒め、荷物を持って「場所を移そうか」と言ってから教室を出ることにした。
やってきたのは屋上。随分久し振りに感じる。まだ二ヶ月ぐらいしか経っていないのに。
誰もおらず、太陽がゆっくりと沈んでいくのを見渡すのに良い場所だ。
ついてきた元はドアを閉め、鍵をかけた……。
「なんで鍵かけるの?」
「えっと、誰かが入ってこないようにだよ」
「ふぅん……で、相談事って何?」
こんなことをしている余裕が彼にはないだろうと推測は立っているけど、このまま話を進める。僕からしたら分からないからね。
で、元は話し始めようと口を開き――「って、なんで相談事なの?」と今更気付いたのか訊いてきた。
その反応に笑いながら「君の雰囲気や彼女たちの雰囲気で悩んでいるのは分かっていたからね。その自覚もなかったひょっとして?」と解説してあげる。
「え、いや……どうだったかな」
「シラを切るんだ」
「……」
俯いた彼を見てため息をつき先程からの違和感を早急に変えるべく問い詰めることにした。
「君は中島元かい?」
「あ、当たり前だよ!」
「それならこんな時間ないでしょ? それとも何? 今まで頑張ってきたもの全てふいにするつもりなのかい?」
「っ、そ、それは……」
ようやく気付いたのか彼は焦り始める。その反応を見て少し考える。
どちらでもこの反応はあり得る。本物なら相変わらずの鈍さだし、偽物なら誤魔化し方を考えていると思えるから。
もうちょっとだけ突こうかな。どうしようかなって迷っていると、「……分からなくなったんだ」と聞こえた。
「え?」
「こんなこと、本当は相談するべきじゃないんだろうけど……『正しい』って何なのかがさ」
「…………」
思ったより深刻な話だった。
思わず謝る。
「ごめん」
「え、あ、ど、どうしたの?」
「いや、君が偽物なんじゃないかと思えたから」
「あ、そ、そう……」
「「…………」」
互いに沈黙する。でもその間に言われた言葉を考える。
正しい、ね……これまた何とも『らしい』悩みだ。まぁどうせ、いずれ直面する悩みだろう。犯罪者と戦っているうちに。というより、中学生の頃に考えてもおかしくないと思うんだけど。何せ多感な時期だ。色々な言葉に振り回され、感化されてもおかしくないんだけど……今頃ね。まぁ普通か。
その間にもある程度考えた僕は「『正しい』なんて概念的なものを理解しようなんて、随分哲学者みたいなことするね」と口にする。
その言葉に彼は眉をひそめ、難しい表情をした。
「そうかな……」
「そうだよ。『正しい』が『何なのか』だなんて、誰も共通認識していないのだから。そこはもう、個人的解釈でしか成立しない。知りたくて僕に持ち掛けてきたんだろうけど、生憎と僕なりの解釈でしか語れないし、他の人達もそうじゃない?」
「……じゃぁ連の解釈って?」
「まぁはっきり言うと、『勝者』だね。勝った人が正しい」
「…………」
あっさりと答えたらまた納得のいかない表情をされた。どうやらそう思いたくないらしい。
でも自分もその立場にいるんだよなと言わず、噛み砕いて説明していく。
「そもそも正しいって言葉自体が曖昧なんだよ。明確な答えがない。人によっては犯罪行為でも『正しい』選択だと言い張るし、不正行為だろうと『正しい』ことのために必要だとか。誰も彼もが法律や規律が正しいなんて思っていない。あくまで個人が『正しい』と思っていることに従っているだけだ……ここまではいいかい?」
「……うん」
「法律や規律が『正しい』と元は今まで信じてきたのは容易に想像できるよ。そう信じるのが簡単だし、ほとんどの人がそう思うだろうし。それに、そうじゃなきゃ僕にこうして説明をさせないだろうし」
「…………すごいね、連。まるで探偵みたいだ」
元気のない声で称賛してきた。喜べばいいのか心配した方がいいのか判断がつかないけど、それより説明を遂行する方を優先する。
「君がどうしてそんなことを考えるようになったのかは聞かないけど、『正しい』ことの証明って、結局ぶつかり合うことでしかできないと僕は考えている。だからこそ、『勝者が正しい』って解釈している」
勝てば官軍負ければ賊軍なんて言葉もあるしね。そう付け足し、説明を終える。そして、彼の反応を見るために観察する。
彼はまるで自分の中に落とし込むように俯いていた。表情は窺えない。
専門外なことをするのはもうたくさんなんだけど……なんて思いながら、親切心のまま「決まってなくてもいいと思うよ。色々と経験すればおのずと『正しさ』が決まっていくだろうからさ」と助言する。
「……でも」
「一々哲学的な問題に足を止めてたら人生なんてあっという間に過ぎてくよ。それがいいなら好きなように悩めばいいと思うけど、現状そんな余裕ないでしょ? はいおしまい」
うじうじしてるので思い切ってこの話題を終了する。ぶっちゃけこの段階で僕みたいに解釈を決めたところで、月日や経験で変わっていくのだからあまり意味なんてないと思うし。
でも、犯人と対峙する時に迷わないようにするなら必要か。彼の環境を思い返してそう思いなおしていると、黙り気味だった彼が大きく息を吐いた。
「本当にいつも思うけど、連と話していると同い年だなんて忘れるんだけど」
「別にどうでも良いけどそんなの。で、霧は晴れた?」
「霧?」
「君の悩みだよ。果たして解決の糸口を見つけられそうなのか、ってこと」
ゆっくりと進む雲。太陽はゆっくりと沈み七時過ぎまではその輝きを僕達にみせるだろう。
そんな景色の中さっさと帰りたいと思っていると、「……まだ、晴れてはいないかな」と答えた。
「別にいいんじゃない? 僕の話だけ聞いて終わりにするより。悩んで対峙して話を聞いて。それぞれが考える『正しさ』ってものに触れて考えていけば。最終的に自分の中で形にするのは自分だから」
「……形にするのは、自分…」
「ま、言えるのはそれぐらい。それで道が見えようが見えまいが、話は終わり。帰っていい?」
そういいながら彼を通り過ぎて鍵を開けてドアノブに手をかけたところ、ドア越しに人の気配がしたので手を放してドアから離れる。
その途端に開け放たれるドア。登場したのは久美さん達四人で、視線は驚いている元に注がれている。当の本人は状況が理解できていないらしい。
「あれ、どうしたの久美達」
「どうしたもこうしたもないわよ。しばらく休暇をいただいたからテスト勉強しようって話になったのに、あんたがいきなりいなくなったから探してたのよ」
「あ」
思い出したのかしまったという表情をする。何やっているんだかと思いながら、認識されてない状況でどうやってこの場から立ち去ればいいだろうかと腕を組んでいると、花音さんが僕に気付いた。
「もしかして池田君が原因?」
「一端はあるだろうけど、そんなこと置いといたほうがいいんじゃない? テスト勉強するために探していたのならさ。時間は待ってくれないよ?」
「池田君は~?」
「テスト範囲の勉強は事件の間に終わらせたし、復習やってれば赤点にならないからそこまで必死にやる気はないかな」
「あはは、余裕だね~」
「ま、頑張ってね」
赤点取らなければ別にいいと思っているけど言わず、エールを送って一人で階段を降りることにした。
待っている人はまぁいないだろうから、そのままクラスへ寄らずに昇降口へ向かう。
靴を履き替えて校庭に出たところ、「れ~んくん♪」と佳織がわざわざ待っていたのか笑顔で現れた。
「どうしたのさ佳織」
「いや~ちょっと先生に呼ばれてねー。連君も中島君に話しかけられたみたいだからこれはチャンスかもって」
「チャンスって……というか、怒られることでもしたの?」
「してないよ! 家のこともあるから気にかけられただけ」
「そうなんだ」
歩きながら事情を聴いて納得する。事情が事情なだけにそんな不安もあるのだろうということに。
「色々あったとはいえ、今更じゃない?」
「そうなんだよねー。だから『そんな心配いりませんよ』ってちゃんと言ったよ」
「大事だよね、ちゃんと言うって」
自分ではやっていないというのに同意する。理解はできるし。
そんな僕の今の心情を感づいたのかどうか知らないけど、真剣な表情をして彼女は見ていた。
「連君って言わないよね」
「そうだねぇ。言わない方が素直に進む言葉だから言わない、ってのもあるかもしれない」
「例えば?」
「例えば、ねぇ……どうでもいいとか、興味ないとか」
「あ~~なるほどそれは確かに」
それっぽい言葉を言って煙に撒く。他にもあるけど、納得のいきやすい言葉だけをチョイスしてみた。
校門を出た僕達は話題が止まったのでしばらく無言で歩いていたけど、先程元が悩んでいたことに『答え』を持っているのか気になった僕は「そういえば佳織さ」と話しかける。
「え、な、何連君?」
「佳織が信じている『正しい』ってある?」
「何? いきなり何の話?」
話が理解できないのか瞬きをしてから首を傾げて訊いてきたので、「佳織にとって何が『正しい』のか気になってね」と簡単に説明する。
それに何度か頷いてから考え始めたらしい彼女が言葉にするのに、家まで半分の距離になるぐらいの時間を使った。
「私はやっぱり……『数字』かな。あの家の子供になってから、経済の基本的なことを教えられて……それでかな」
「お金持ちの家ってのは大変だね、やっぱり。経済を回すための中心に居続けなければならないのだから」
「中心……確かにそうかも。商談なんて規模が大きいみたいだし」
「「…………」」
唐突に話題が終わる。まぁこの話題を続けるのに僕達じゃ無理があるか。
そういえば。
「誕生日会っていつやるの?」
「え? 来てくれないんじゃないの?」
「状況が逃避を許してくれるなら、行かないけど」
「?? 変な言い回しするね連君。やるのは来週だよ」
「そっか……なら一応プレゼントの用意だけはしておこうかな。レミリアさんのも必要だし」
「えっ!? プレゼントくれるの連君!」
普通のことなのにかなり驚かれた。僕はそこまで薄情な人だと思われていたのだろうか。普段からそんな風にとれる行動をしてるのが悪いけど。
さてどんなプレゼントを贈れば笑われずに済むだろうか。彼女がものすごい喜んでいるのを尻目に、静かに、そして冷静に脳内で候補を挙げて行った。




