今日は楽しく
結局コンビニで夕飯を済ませてから警察にお世話にならないように移動してホテルへ戻り、心配してくれたのか入り口で待ってくれたレミリアさんに礼を言って部屋の風呂に入ってすぐに寝た。指輪のことは話さずに佳織と一緒に昼食を摂ってからの話をかいつまんで話した。
三日目。午前六時。いつもより少し遅く起きた。二度寝したとかいう訳でもなく。
リズムが段々狂ってきたのかなと思いながら洗濯しようと昨日まで着た服を袋に入れ、財布と一緒に持って部屋を出る。相変わらず誰も起きてないけど。
学校始まったら遅刻者続出するんじゃないかなとこの状況の行く末を想像しながら歩いていると、
「池田様。おはようございます」
「詩音さん。おはようございます」
見回りにでも来たのか詩音さんと遭遇した。
これから洗濯するといったところ、案内してくれるというのでそれに応じた。
並んで歩いていると、彼女が口を開いた。
「池田様はこの度の旅行を楽しんでおられますか?」
「え、えっと……」
楽しいというより、負の感情ばかり募っている気がする。素直にそう言えるほど子供ではないので「心配して頂きありがとうございます」と話題を逸らす。
すると「楽しまれていない様ですね。申し訳ございません」と頭を下げられた。
当然慌てる。
「そ、そんな! 詩音さんが謝ることじゃありませんから!!」
「いえ。当ホテルにお泊りいただいている方が楽しそうにされていないのは私達に責任がございます。よろしければご意見をお聞かせください」
「え、え~っと……不満は特にないですよ。本当に」
細かい点は利用した時に書いているので。という言葉を飲み込んで食い気味に聞いてきた詩音さんの質問に答える。
だけど彼女は、その答えに納得した様子がない。
本当に僕の中の問題なのになぁと思っていると、「本当にないのですか?」と確認をとられたので何度もうなずく。
本当にそう。タダで泊まらせてもらっているのに不満なんてない。というか、このレベルの設備で無料というのが信じられない話なんだけど。
やっぱり僕の楽しみ方の問題しかないのかなぁと歩きながら結論を出すと、「それならそれで構いませんが……」と言ってから、少し間をおいて何かを糾弾するように僕のことを呼んだ。
「なんですか?」
「……差し出がましいかと思いますが、察するに池田様は集団で行動することに慣れていらっしゃらないのですか?」
「…………はい」
図星を突かれたので潔く頷くと、「そうでしたか……」と呟いてから無言になった。
生まれてこの方、基本的に独りで作業することの方が多かったので他人と行動が違うと合わせられなくはないけど、自分のやりたいことがあるとそれを優先したくなってしまう。あんまり褒められたものじゃないのは分かっているんだけど、基本的に他人のことに興味が持てないのも相まって別行動をとりたくなってしまう。
あとはまぁお金は……人から奢ってもらうというのが自分の中で許せないというか、そこまでしてもらうなら別にやる必要もない・買う必要もないと考えるから……うん。
きっとみんな同程度の価値を共有することで罪悪感の解消とか仲間意識を保ちたいのだろう。僕みたいに、身の丈に合ったものでいいという価値観とは思いっきり対立している。
だから僕だけ別なのを選ぶとみんなが反対するのだ。正直それが鬱陶しい。多数決の原理が何だというのだろうか。
選ぶのは自分だ。人生という、自分だけの物語を刻んでいる中での選択は、自己責任だ。だから他者と違う選択をするのに非難されるいわれはないはずなのだ。そうでなければおかしいのだ。
別に違うからと言って友達とかの関係が変わるはずないというのに……一体どうしてなんだろうかと思わずため息をつきたくなっていると、詩音さんが「皆様と一緒に行動するのは、楽しくありませんか?」と確認してきたので首を横に振る。
「ならば、どうして?」
「強制される感じが、どうしても嫌なんです。協調性がないからですかね」
「それは……」
言いよどんでいるのか言葉を頭の中でまとめているのか黙り込んだ時、ちょうどランドリーコーナーへ到着したので、そのまま黙って洗濯機に洗濯物を入れてからお金を入れ、作動させる。
で、到着したことに気付いていないらしい詩音さんはそのまま、立ったまま考え事をしているようなので、近くにあったベンチに座る。
……暇をつぶすものがないんだけど。本とか雑誌とか。終わるの一時間ぐらい後だから、戻ってもいいんだろうけど。
ちょっと時間を潰せるものないか訊いてみようかな。そう思って声をかけようとしたところ、「池田様」と考えがまとまったのか詩音さんの方から声をかけてきた。
「皆さんは分かち合いたいのですよ」
「……それはそうなんでしょうけど、僕は別に分かち合うことに価値を感じてないんですよね。日々を生きる中の共有する時間の中で、それでも行動は人によって違うのですから。同じ時間、同じ場所にいたからといって、感じるものまで共有されるわけじゃない。仲間外れになっているわけじゃないのですから、それでもいいと考えているのですが」
「……些か難解に考えすぎでは?」
「そうですか? ですが、僕の中ではこれくらい普通なんです。なので、これでも人と話すときは配慮しているのですよ? 絶対喧嘩を誘発させるので」
「……それでも、譲れないものにははっきりと言う、と」
「当たり前じゃないですか。譲れないものをはっきり言わないで何になるんですか」
「そう、ですか……池田様の考えは伝わりました。ですが、それではどんどん自分を追い込んで生きているだけではありませんか?」
そう指摘されて、でもそんな心当たりが全然なかったので、首を傾げる。
追い込んで生きている。そんな実感は僕にはない。ただやらなければ最悪の結末を迎えていた。それを阻止するために歯を食いしばり、周りに何も言わず、悟られずに生きていた。ただ、それだけだ。
まぁ余裕がなかった人生だからそう言えなくもない、かな。回想で納得し頷くと、「それなら、この時ばかりは追い込む必要はないかと思いますが? 旅行という、日常とはかけ離れた思い出なのですから」と淡々と諭してくる。
一瞬だけ、詩音さんって圭以外に表情を見せないのだろうかと頭をよぎったけど、彼女に言われたことを自分の中に落とし込む。
つまり、そこまで意固地にならなくてもいい、ということ。人の善意を頑なに勘繰らず、素直に受けてみんなとの良かった思い出を作って欲しい、と。
……まぁ、過ぎたことに関しては考えないことにして。考えるべきはこれからのこと。この地域から戻るまでの間に同行者との良い思い出をつくる、か……。出来そうだけど、つらいなぁ。
人から施しを受けることが滅多にない側からしたら困惑以外の何物でもないんだよなぁ。自分でする、あるいは自分で与えることの方が多かったから。
してもらうっていうのは存外、不思議な感覚に陥る。これはおそらく、僕自身がなるべく他人に頼りたくないという気持ちが働いているからだろう。等価交換というものを警戒しているのかも。
人は、意味のない他人の施しをすることは少ない。大半は見返りを求めて持ち掛けたり、施したりする。施された側は、恩を感じてそれを返すように動く。
大昔に存在していた御恩と奉公という制度もこれに当たるとか。記録がそんなに残っておらず、そんな制度があったという事実もネットワークの底に沈んでいたという。
ともかく。損得勘定という言葉がある通り、人間関係に付随するそれに振り回されるのがどことなく嫌だったから、今まで善意だろうがやってもらうということを拒絶し、自分のできる範囲でのみ行動していた。
「……それを変えろって言われてもなぁ。十年近くも続いたそれを、沁みついてしまっているそれを、今更って感じなんだよなぁ」
「性分を一日で変えろというのは無茶であり、無理だというのは存じております。ですが、今周りが変わろうとしているのです。それを機会に緩和してみてはどうでしょう」
納得のいく言葉に腕を組んで、悩む。
緩和。それ自体が出来るかどうかというのもあるけど、それが今後の家に不利益になるかもしれないと思って。
変わろうとしているのは確か。だからといって、彼らに安心できる日が来るのはまだ先なんじゃないかと考えられるので、やりたくない。
…………まぁそっちに対する接し方は変えなくてもいいんだろうけど。
とりあえずはみんなに合わせるよう努力してみようかな。そう結論を出して、礼を言った。




