ズレ
そして一週間が経過した。この一週間という期間が、これほど長く感じ、またこれほど精神を摩耗させたことはないだろう。少なくとも過去の経験の中でここまで自分の精神が異常を自覚したのは初めてだった。
僕と圭と元と花音以外――入学式に出席していたほぼすべての人間とのズレを浮き彫りにされたのだから。
そしてもう一つ。僕の方では追加で気が狂いそうになった。もう一種の廃人になったんじゃないかと錯覚するぐらいすべてが信じられなく、またどうでも良くなった。
…………。
………。
……ふぅ。
現在一週間が経過。それは間違いない。
「……大丈夫か?」
「いやー強がれないね。無理。ダブルパンチでノックアウト寸前。いっそのこと自殺したらみんなの目も覚めるかな、なんて考えが頭をよぎってる」
「……多分、意味ない」
「だろうね」
現在位置は僕達が住んでいる地域にある古びた教会の、地下。
学校が始まって三日後(入学式含む)に失踪届を出されないように家を出てからここに暮らしている。ここには他に、元と花音も暮らしているけど、二人で調べ物をすると言って外に出ている。
学校も四人が一斉に休学届を出したことに首を傾げたのだろうかと考えながら、天井についてる照明をぼんやり眺めながら呟いた。
「洗脳、か……」
――――
――
あの日。体調がよくなった僕は教室へ戻った。まだ移動してないからか一人もいなくて――
「あれ、連君? どうしたの~」
「あれ、花音さん? 入学式どうしたの?」
――なぜか花音さんがいた。今朝来てた記憶があるんだけど、入学式はどうしたんだろうか。
そのことを聞いたところ「ちょっと呼び出されて出掛けてたんだよ~」と答えが返ってきた。
「先生には?」
「ちゃんと言ったよー。そういう連君は?」
「ちょっと気持ちが悪くなって、ね」
「連君人ごみ苦手なの?」
「いやーどうだろ? しばらくしたら落ち着いたから、きっと精神的なものかな? 姉さんたちが来ると思うと……」
そういって顔を青ざめる。それに納得した花音さんは「ご愁傷様~」と明るく言ってくれた。そこには同情以外の感情が籠ってなかった気がした。
案外間違ってない分信用は得られたのかと思った僕は「そろそろ戻ってくるよ」と言って自分の席に座って待つことにした。
「おい大丈夫か連」
「うん。何とか持ち直したよ。心配かけてごめん」
「……連の両親来てたぞ。あと渚さんも」
「あー出席してないから怒られる、これ」
クラスメイトがぞろぞろと戻ってくるのを見ていたら全員に心配されたので感謝を述べておく。頭の中で大黒が残した言葉の意味を考えながら。
レミリアさんも来たけど、演技で心配な表情を浮かべていた。僕との約束はちゃんと守っているようだ。すぐに駄目になると思ったけど。
意外となるもんだなぁと感心してから、気付く。
圭だけが僕を見て安堵したことに。
それに気付いたことにより大黒の言葉の意味が想像できて、しまった。
――何かが起きた。
起きている、ではなく起きた。もうすでに発生した出来事が、存在する。
それを考えるだけで嫌な汗が流れようとしたけど自制心を働かせて思考を隅に置く。切り替える。そんな想像をこれ以上膨らませないように。
「普通」である僕達が解決できるものではない、はず。そんなものを想像したところで寿命を縮めるだけなのだろうし。
僕は先生に心配されたのを誤魔化して謝ると、「まぁ、気を取り直して今度こそ自己紹介やるぞ」と言って編入生達に声をかけホワイトボードの前に並ばせる。どうやらこの人たちだけをやらせて終わりにしたいらしい。楽なのは確かだけど。
レミリアさんや佳織の自己紹介を聞きながら部活は無理だなーと現実逃避する。気づいたものをこれ以上考えたくないのだから。
編入生は五人。うち二人が見知った人(僕にとって)。そして一人がレミリアさんと同じ事務所の人だと思う。それなりに演技をしてるのが見て取れた。僕のことをちらっと見てきたけど、心当たりがないため無視。もう一人もこちら側に視線を向けていたようだけど正直印象に残っていない。
ラスト。それですべてを持っていかれ、予想が確信へと変わってしまった。
「初めまして! 私の名前は中島愛! ちょっと訳があって遠くに離れて暮らしていた、元の妹です!!」
『……ハァ!?』
――
――――
「大丈夫かな、元たち二人で」
「味方不明。敵側ほぼ全域。話をうまく合わせさえすれば日常は送れるが」
「出来ないからこうしてここにいるんだけどね、僕達」
「……確かに」
圭がパソコンで作業しながらも笑ったのが気配で分かる。こんな異常事態だというのに情報屋と知り合っているからか、とても生き生きしている気がする。
学校の勉強を一人でしながら羨む。こんな状況でも普段と変わらずに、普段と同じ行動をとれるということに。
僕は無理だ。家事はまだやっていける。元たちに料理を作っているし、掃除なども一日おきにやっている。
ただ、地域の人達との会話。普段から慣れ親しんでいるこれが壊滅的に駄目だった。気づいてはいけない異常を理解してしまったせいか、もう。
だから一人で勉強する以外に時間を潰すものがなかった。ここに来てからずっとこれしかやってないし、花音さんや圭に教えてもらったおかげか殆どの教科の4分の1が終わった。授業を教えてくれる教師がいないのにここまで勉強がはかどるなんてどうなんだろうか。
とはいえそれもやることが無くなってきた。いくら花音さんが天才で、圭が頭良くても僕自身がこれ以上進めるのを拒否している。
今頃庄一たちにつかまってないだろうね、元たち。そんな心配をしながら僕は自分の中のこの感情をコントロールしつつ更に思い出す。
非日常の始まりを。
――――
――
中島愛、と自己紹介した彼女。僕みたいな外見平凡組の元とは似ても似つかないほど美人だった。もうその時点で僕の頭は理解を拒絶した。さっきの自己紹介の時点で目が点になって思考停止になったけど。
そんな自己紹介が終わり、解散を言い渡された。
当然僕は急いで帰って両親と姉さんの小言を聞く必要性があるのですぐさま立ち上がる。周囲の人が元や愛さんに群がっているのは当たり前だったので無視。
――しようとして、流れてきた会話に、僕は足を止めた。
「ねぇ久美、久美からもなんとか言ってよ!」
「何言ってるのよ元。あんた、子供の時に生き別れた妹がいるらしいとか言ってたじゃない」
「……え?」
「え? 間違ったこと言ったかしら?」
…………は?
「どうしたんだよ連。帰らないのか?」
「……どうした?」
庄一と圭に呼び戻されて我に返った僕は急いで教室を出る。そしてさりげなくついてきた佳織とレミリアさんのことなどもうどうでも良かった。
ただただ知りたかった。この現状を。起こった「何か」を。
たぶん、いや絶対圭は知っている。僕を見て一瞬だけ安堵の表情を浮かべていたのだから。
そこから察するに元凶は中島愛っていう女性。性別は偽っていないだろう。
さらにそこから推測すると、「何か」は思考の介入とかだろう。ありもしない事実を「事実」として認識させる能力でも使われた……とみていいのかな。
そうなるとあの質問は絶対に無理だなと判断した僕は無言で走る。慌てた様子の庄一たちのことなんて無視して、とにかく急いで靴を履き替え、校舎を出て体育館へと向かう。
これは確認。あれが何だったのかという。
人ごみを抜けて体育館へと到着した僕は、見て愕然とした。
何も、感じなかったから。入学式前に感じた、何かが自分の内に入ってくる、あの忌まわしい感覚が。
そして同時に、僕は悟った。
ああ、無理なんだな、と。
「おいどうしたんだよ連、いきなり走り出したと思ったら体育館へ向かってよ」
「そうだよ、帰るんじゃなかったの?」
佳織と庄一がそんなことを言ってくれるけど、僕は振り返れない。どういった表情を今僕がして、これから彼らにどういった表情を見せればいいのか分からなくて。
そのまま呆然と見ていると、圭が「……入学式に出られなかったから体育館の内部を見たかったのでは?」と言ってくれたので、それをきっかけにいつも通りにして「そうなんだよ、ごめん」と振り向いて笑いかけ、「じゃ、両親に怒られてくるから先帰るね!」と言ってみんなを置き去りにした。
レミリアさんすらも置いて行ったはずなのにちゃっかりついてきた彼女。
二人きりという状況だからか、彼女はいつも通りに戻った……はず。
ま、いつも通りではないんだけどね。
「レン、さっきからどうしたんですか? まだ、痛むんですか?」
「そこは大丈夫かな。ところでうちの両親静かだった?」
「はい。寝ていたようでした。渚さんが黙って殴ったのが聞こえましたから」
「あー……いなくてよかった。これで僕も怒られるだけじゃなくて済む」
表面上は会話を合わせながら情報が溢れすぎて脳内で情報の整理で忙しい。
会話の中で違和感となる部分に触れさえしなければ、変わらない。いつも通りの日常を迎えることが出来る……はず。
普段と変わらない。楽しそうに笑い、楽しそうに僕の隣にいて、僕に合わせてついてくるレミリアさん。学友の目がないのが分かっているのか、昨日と変わらないまま。
でも違う。僕と彼女達では、もう。
彼女達にとって事実として認識されているそれは、確実に真実ではない。それを僕は理解してしまっている。その溝であり、ズレが、彼女達側からすれば僕を異常として見れる。
これがどこまで続くか分からないけど合わせることだけなら、できる。普通に過ごしている分にはそれほど関係はない。
「……あの、レン? どうしたんですか? さっきから真剣な表情をして」
「え、あ、ごめんごめん。ちょっと考えることが多すぎてね……」
「無理しないでくださいね」
心配そうに言ってくれる彼女。それを見て不意に思考をやめたいので代わりに気になったことを聞いた。
「そういえば編入組で一人レミリアさんのお知り合いがいたようだけど?」
「え、分かったんですか!?」
「だって自己紹介する前にちらちらレミリアさん見てたし、しながらだって僕のことを一瞬睨んできたみたいだし」
「え、えー……レン。本当に凄過ぎますよ」
「買いかぶり過ぎだよ」
現状で精神がボロボロになり始めてるのが分かっているので、これは本心だ。こういった状況でも物怖じしない人こそすごいのだ。普段できようが、これにやられ始めるのだから僕は普通だ。いくら繋がりが特殊だとしてもね。
「で?」
「え、えっと……確かに彼は同じ事務所に所属してます。私達と同じ時期にこちらに来ました」
「名前なんだっけ? 『プロメテ』?」
「そっちは芸名です……って、なんで芸名の方が出てくるんですか」
「思い出したのがそっちだったから」
「レンらしいですね……ローラルト=シュナイダーです」
「ふぅん……レミリアさんのこと好きなんだよね。良かったね」
「私は嫌いです!!」
状況証拠だけで話を進めたら、レミリアさんが強く否定した。それに目をぱちくりさせてから本気で嫌いなんだと結論付けてから「どういったところが?」と訊いてみる。
「私のこといやらしい目で見てくるからです!」
「レミリアさん可愛いからしょうがないんじゃ? というかそれ言ったら男子ほぼ全員アウトな気がするんだけど」
「えっ、あ、そ、そうなんですけど! 私には好きな人がいるといってもしつこいんです! それに、軽薄過ぎて駄目です!!」
「あ、そうなんだ。大人しく事務所内NGとかセクハラで追放したり事務所変えて共演NGすればいいのに」
「……ルックスが良いので結構仕事あるんです。共演NGにはしてますけど、結局事務所で会う機会はありますし……」
「大変だねぇ芸能人も」
レミリアさんの事情を聴いてそんな風にのんびりと感想を呟く。だってそれはレミリアさん自身の問題だ。僕に解決の手伝いなんてできない。
あ、さらっと好きな人の部分を流しといたけど、気付いてないみたい、かな? もう愚痴があふれんばかりにこぼれてきてるみたいだから。
家に着くまでに彼の、レミリアさんから見た評価という名の愚痴をずっと聞きながら、僕は内に抱えることになったズレの対処に追われていた。
うん。まぁ互いに説教するという痛み分けに終わったよね。でも僕の事情を聴いて心配してくれたのは本心だろう。
姉さんに彼のことを聞いたら「私から見たら素人に毛が生えた程度の演技力だし、周りの先輩方もそういってる。お前とあいつだったら間違いなくお前の方があるんだよなぁ、マジで」とこき下ろされていた。
ご愁傷さま、とその時思った。
こういう視点を書いてると、クトゥルフ神話TRPGの感覚に似てると思ったり。やっとことありませんけど。