第二章 12-3
『地獄』テーマパーク。そのような名前である種の親しみを持ってハルが呼んでいたその場所、すなわち黒い溶岩のような岩で形成された温泉地帯にハルは向かった。
案の定、そこに杏子はいた。
ハルが来た時、杏子は岩の淵に腰かけていた。下からは白い煙と湯気が吹き上がっていて、足元はよく見えない。
足湯に浸かっているのか。
《典型的な行動》(typical moving or typical options)
いやそうじゃないって。ハルは脳裏に浮かび上がった不躾な語彙列を打ち消す。
ハルは後ろから少し近づいた。
杏子は羽を伸ばしていた。その羽根は、深い灰色。
靴下を脱いで、素足。足湯に浸かろうとしていた。
その足先は、灰色に、黒に、宝石のようなきらきらとしたパーツを光らせながら黒曜石のように変色していた。
ゆらゆらとゆらめく水面。浸かる足先。
「杏子……」
ハルは声をかけた。位置的にはとっくに気付いているはずだ。
杏子は答えない。まるで、ハルの存在などそこにいないと感じているかのようだ。
「杏子、さっきの彼らはさ…」ハルは言う。ハルが知っている「本当のこと」を。その場で耳にした本当の会話の内容を。伝えようとする。誤解を少しでも減らすために。
「いい、そういうの」
杏子が遮った。ハルはそれ以上言葉を続けられなかった。
「ところでさ、これ」
杏子はハルに視線を向けるよう促す。
「綺麗じゃない?」
「……なにが」
「つやつやした感じ、宝石みたいな感じだよ。まるで……」
「………」
「……瑪瑙」
言いながら、杏子の足は、その「黒曜化」の靄にどんどん侵蝕されていく。
杏子の足先の黒曜石のような色調が、くるぶしをこえ、ひざ裏の近くまで来た。
「綺麗だよね」
「……ああ」
そこでその変化は止まった。杏子は足湯から出、渓谷の黒い岩の上に立ち上がった。
杏子は後ろを向いた。
その後ろ姿は、そっとしておいてよ、と言っているかのようだった。
そして、杏子は飛び立った。高く。その迷いのない飛翔は、逆に飛んでいくべきどこかをさがしているかのような印象も与えた。
まるで、杏子は、この黒い渓谷にあえてやってきて、黒く『なりにきた』かのようだなとハルは思った。
流石に鈍い俺でも判る。




