第一章 (愁視点) 6
昼だった。
愁たちが次に目にした光景は、大学のキャンパスの見慣れたカフェテリアの風景だった。愁ら二人は部屋の隅の掲示板の前に着地する。
2限が終わったあたりだろうか。先ほどのゼミ仲間三人が軽食をもって空いているテーブルについた。何か談笑しているようだが、いつもより大分静かな様子だった。無理やり笑おうとしているのか、笑い方は普段より大分ぎこちなかった。無理して笑っているのが部屋の端にいる愁たちから見ても十分伺い知れた。
天使野郎は、愁の方をちらりと見た。
ほらな?と、彼はは言いたげだったが、愁はその瞬間の彼が視界には入らなかったように装った。ばれてるかもしれないが、別に、それ自体は構わない。
眼鏡の金沢がぎこちなく食べ物の包装に手を付けようとしていた所、同じゼミの女子たちが談笑しながら、カフェテリアへ入ってきた。彼女らも語学ゼミのクラスが一緒で、ゼミ仲間の松森らはたまに彼女らとゼミ後に談笑していることがある。可愛いが俺自身はあまり関わりはなく、直接言葉を交わしたことはほとんどなかった。
彼女らは、カフェテリアの一角の松森らに気づくなり、「おはよー」と挨拶をしてから大きく手を振り、三人の近くへやってきて、一言声をかけるなり、ちょうど空いていた、彼らのテーブルの隣の席についた。 もちろん、あいつらは断らない。
女の子の一人が不思議そうに言った。
「ゼミの課題? 今日は相原君いないのねー」
「愁……?」
金沢は気まずそうな顔をした。
茶髪の松森が分け入って入る。
「あいつ、欝でさー」
「あららー」
「ま、ほら、あいつ就活、大変そうだったし?」
女子たちは口々にうんうんうなずいているが、お前ら俺の何を知ってるんだ?と、心なしか愁は思った。
女子が可愛いすぎるからか、そんな可愛すぎる女子たちの明るいノリに合わせたいが為か、わからないけれども、ちょっとゼミ仲間の空気が変になってきた。おちゃらけたように、松森が言う。
「よりによって、大手の商社ばかり受けててさー」
「えー商社―? それはちょっと」
少し毒のある語句を口にしながら、引き笑いをする女子。
「だよなー、俺もそりゃ高望みだって言ったんだけどなー。だってあいつ暗いじゃん」
口数少なめな片桐まで女子のテンションに合わせ始めてきた。まさか、あいつまで。同類だと思ってたのに。
「そーそ」
女子はストローで紙コップの中の氷をかき混ぜながらたいして興味なさげに言う。
そして、松森と金沢らは息を合わせて肩をすくめるジェスチャーをした。
「あいつこんな感じだよな、きょどっておどおどしててさ。 ハイ、ハイって……」
「わっかるー!」 女子は手を叩いて同意した。俺ってそういう風に見えてるのか、と、少々愁は落胆した。
松森が笑って言う。
「お前ら、ひっでーな。鬱で休学中の人間に対してー」
「ひどくないですーぅ!」
ロングヘアの女子が媚びる。そしてもう一人の女子がとどめの一撃を刺した。
「むしろ来なくなって良かったじゃない。お荷物が減ってさ?」
すごい言い草だな、と愁は思った。それを聞いても、松森らは笑いながら「ひっでー」と茶化す程度で、否定らしい否定もしない。
隣の天使野郎をちらりと見やると、今回も、漫画にでも描いたようなわかりやすく驚いた表情をしていた。
女子のひとりが、「本人の前では言えないくせに」と、冗談めかした声で小突くと、金沢らが「あっはは」と気の抜けた小さな笑いで肯定した。つられて松森も嗤った。おとなしい片桐でさえ肯定した。
同級生たちとの笑い声と女子の良く響く高い声が混ざる。その後も何か話し続けていたようだが、昼休みになって、人が増えてきたカフェテリアの人混みのノイズにかき消されて聞き取りづらくなっていった。
もう勝手にやってろよ、と愁は心の中で毒づいた。ほんのわずかでも期待した自分が馬鹿らしく思えた。彼らを眺めているのすら、辛くなった。
愁は、くるりと踵を返してカフェテリアの外へ向かった。外へ通ずる出口へ向かう愁に対して、一連の流れを同じく隣でみていた羽野郎は何かを言いかけ、愁を呼び止めようとした。しかし、上手い言葉がみつからなかったようで、なんと言おうか考えあぐねていた。 いうなよ。
天使野郎にだけは少々の後ろめたさはあったものの、愁は無視をして、振り向かずに出口へ向かった。自分の住むアパートの方へと、歩いてでも帰ってやると、愁は思った。 少々自棄になっていたかもしれない。 ともかく、大学からはなれたかった。