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小説『雨上がりの虹』  作者: 中野奏仁
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第一章 (愁視点) 2

愁は目を覚ました。


彼は部屋の一角に背をもたれかけさせられて座らされていた。さっきまで降りしきっていた雨は既に止んでいる。


彼は薄目を開けて周囲を見回した。身の回りは何の変哲もない自分の部屋、書類が散らばっている汚い床、ゴミ袋、そして、視界の片隅に入る大きな白い羽根。


……羽?


そう不思議に思って彼が顔を上げると、目の前に見知らぬ男の後ろ姿が目に入った。部屋には見知らぬ男がいた。ここは紛れもなく自分の部屋であるし、自分だけの居城である。


その見知らぬ男は、部屋の真ん中に立ち、彼の手元にある書類と、その向こうの窓の方を交互に見あげながら時折ペンを走らせていた。


愁はすぐに状況を理解した。


目の前の見知らぬ男は背中に大きな翼が生えていた。そしてその先端が、先ほどの白い羽根と同じものになっていた。


また、遠くを見遣ると、その見知らぬ男の向こうに、どう見ても自分のものとみえるやる気のない地味な服装の男が見えた。 まぎれもなく相原愁のそれだな、と愁は感じた。 


あれが自分の死に姿か。 冴えないな、と愁は内心苦笑いした。もちろん、生きていても十分冴えないけれど。


要するに、天使が死んだ俺の魂を迎えに来た、ってことだよな。と愁は思った。


愁は羽の生えた青年の後ろ姿を一瞥した。数多ある伝承って本当だったんだな、と妙に感心したが、思ったより天使が神々しくないな、という妙に新鮮な感想を抱いた。愁の目には、目の前の背を向けている男は、神話に出てくるような神々しい天使ではなく、天使役をやらされているただの若い男、キャッチ、といった印象にしか見えなかった。


そう愁が感じたのは、彼の様相が、あまりにもその辺にいる人間らしすぎたからだ。平均的な成人男性の上背にカジュアルなシャツにチノパン、アッシュに染めた髪を癖っ毛に似合わせているさまは、普段、愁が大学のキャンパスで見かけている周りの先輩・後輩達の姿と大差なかった。 


しばらく愁がぼんやり見ていると、その「天使」役であろう男は、そのうちペンを走らせる手を止め、手元の書類とにらめっこしてから、何やら、うんこれでいいと自分で納得したように首を縦に振った。そして、すぐさま勢いよく手元のバインダーをぱたん閉じた。


その時、男はようやく愁の気配に気づいたらしい。


彼は、はっとしたかのように振り向いた。愁と目が合う。彼は一瞬、非常に驚いた顔をしたが、しかし、次の瞬間には、社交的で穏やかな笑顔になった。


「はじめまして。でも、もう、さよならかな。気がついてよかった」


羽根のある男は言った。愁は目をそらしたりはしなかったものの、とっさには挨拶にかえす言葉が思いつかず、これといった情報は何も答えなかった。


「まあ、びっくりするよな」天使役であろう男は気さくに笑いながら愁の方へ近づいてきた。


彼は歩きながら続けた。


「何せ君はラッキーだ」


愁はその後の文面を予想した。『もう大丈夫』、『安らかに逝ける』、『安心していい』、諸々。


天使のような羽根をもった男は口を開いた。


「君ホント運良かったなぁー。君の肉体はまだ全然生きててピンピンしている。やり直せるぜ」


愁は表情を変えずに瞬きをした。


羽根の生えた男はつづけた。


「これなら魂戻したらすぐ明日にでも日常生活を送れるぐらい回復できる。なんつーか、俺もこういう奇跡見たことないからびっくりしたし、すごい安心したわー。あ、書類には、「確認したところ生存を確認」とかそういう風に書いといたから。この文面、書いたことなかったからドキドキしちゃったわぁ♡てなわけで、手続き的には大丈夫ちゃんよ」


愁は内心動揺した。予想が大幅に外れたこと、また、生き返って味気ない日常を繰り返さなければならないこと。これではいったい何のために自殺したのだろうか。無表情なままだから、おそらく悟られていない、そう信じたい。


出会った相手が悪かった、と愁は思った。彼に対して悪い人ではなさそうだという印象は抱いたが、それとこれとは別だった。 彼は一度決めたら意地でも愁を殺そうとはしない、というタイプにみうけられた。


もしそうだとすると――。愁は状況を鑑みた。首を吊って意識を失ってそのまま死ねるかと思ったら、どうやら自殺には失敗したらしい、という状況を、うっすらとだが把握した。


だとすると、もう天使役ですらない、ただの羽の生えただけの青年が愁の横に座った。

愁は、これは刑事もののドラマならカツ丼が出てきて穏やかながら強固な説得をされる流れに相当するのだろうな、と予想した。


予想は当たった。


羽根の生えた若い刑事の粛々たるプレゼンが始まった。

彼は愁の横に腰を落ち着け、親しげそうな特有の口調で話し始めた。

「書類によるとな、君の自殺理由って、『就職活動に失敗しつづけ、未来に絶望し、絞首自殺』ってあるんだ。そうなの?」

彼は愁の顔をまじまじと見てから訊いてくる。愁はそれには答えずに無言のまま視線を逸らした。

「まあ、答えたくないのなら、それでいいけど……。それ以外に損傷はなし、っていろいろ不自然なんだよな」といって、男は自分の手元のバインダーをめくりぱらぱらと書類を眺める。

愁は、引き続き無言のまま答えなかった。もぞもぞと足を動かし、体制だけ胡坐に変えた。

「君はつらかったんだろうけれど、死ぬまではないっていう感じ、っていうか、精神病とかでもなさそうだし、君全然やれそうなんだよね…?なんていうか、できることなら俺は死んでほしくないんだよねえ」

申し訳なさそうな声を出して、様子を見るかのような台詞を彼は吐いた。愁は目をそらし、すぐには答えなかった。少し間をあけてから、愁は渋々口を開いた。

「あなたは死んでほしくないでしょうね」

なるべく皮肉っぽく、嫌な奴風に見せるかのようにしゃべってみた。実際はどう映ったのだろう。

「何だ君喋れるじゃん」羽根の生えた若手刑事はすこし嬉しそうに言った。

「そうそう、精神病の人特有のどんよりとした感じもないし、ぱっとみ君なら全然やれそうに見えるんだよね……。無理かな?」

愁は答えなかった。まあ、そういった反応は想定内だ、といった風な口調で、特に愁の塩反応を気にする様子もなく男は続ける。

「なあなあ、何が嫌なのか?」

「……全部だよ」

愁は言った。

「人間関係、将来のこと、自分の駄目さ具合、クズさ、もろもろ。俺がクズすぎて、誰からも必要とされない、誰からも」

「俺にはそういう風に見えないんだけど?」

羽根野郎は心底わからないといった風に首を傾げた。それって誇大妄想が過ぎるのでは、お前は自分で思っているより何の変哲もないごく普通の青年だ、ちょっと自意識過剰では、と逆にたしなめられているような気がした。

「そりゃ、あんたが俺の本性知らないからだろ」

愁は吐き捨てた。 

「あんたは俺の何を知っている?」

羽根男は「えっ」と慌てて、パラパラと手元のバインダーをめくった。

「あんたの知ってるってそういうことなん?」

愁は呆れたような声で、少々過剰な皮肉を言った。 意識して嫌な奴を装った。


羽根男はさらに慌てた。

「あっすまん、そういう意味じゃ……」

「……」

愁は視線を逸らして無視をした。死んでもどうでもいいぐらい嫌な奴に映っているといいな。


少しの白けた間があったのち、羽根野郎が、げふん、と気負った音を喉から鳴らして立ち上ががった。

「確かにな」

奴は口を開いた。

「知らない、確かに俺、君のこと、なーんにも知らない」

わかってんじゃん。開き直ったか。認めたうえで今度はどう説得するつもりなんだろうと、愁は思った。

「そこでだ」羽根野郎はつづけた。

「なーんにもしらないからこそいうけど、君が誰からも必要とされてないなんてこと、嘘だと思うぞ」

「嘘じゃねえよ。何にも知らない奴が何を言うんだよ」

「そう、俺は何も知らない」

羽根野郎は妙に自信ありげな態度だった。彼は続ける。

「でも、君の生殺与奪権は、いまのところ俺が持ってる」

愁は、内心、一瞬ひるんだ。もちろん態度では平静を装ったが、顔に出ていないと信じたい。


彼は締めくくりとして、妙なことを言った。

「だからさ、確かめさせてくれ、俺に。君が本当に君が言うように、誰からも必要とされていないのかどうかを」 

そういって、奴はにやりとした。それは愁にとっては少し予想外の発言だった。

「そんなの……どうやって……」

「時間を止めて、未来を見てみるのさ。君の死後の世界を今から一緒に見にいかないか?」

聞き慣れない音の響きの言葉に、つい、愁は男の顔を見上げ、肩のほうをまじまじと見た。その向こうの背中から生えた大きな羽根が見えた。たしかにできそうだと思った。


 彼のいうにはこうだ。奴は数日ぐらいなら時間を止められるのだという。いや、正確には「止めたということにできる」のだ、と。


ある人の辿った人生とは、ある時点、ある時点で分岐した選択肢が一つ一つ決定された結果あらわれた一本の道筋であり、その周りには、「その人の人生たりえなかった」無数の選ばれなかった未来の残骸があるのだという。


彼が言うには、厳密に自分の進む未来を知ることは誰にもできないが、自分が将来「進んだかもしれない、あるいは、進まなかったかもしれない未来」を覗くことはできるのだという。無数の道筋自体はいつもそこに在るから、それがさほど遠くない、近い未来であれば、少々の道筋は覗くことはできるのだ、と。


この方法ならば、本来進むべき未来自体は傷つかないし、そのまま、いまこの時間まで戻ってこれるのだという。


そして、それはほぼほぼ、その人の未来を覗き見たと同義ととらえていいのじゃないか、と。


しかし、じっさいに、その人物がその人生の道筋の組み合わせを「どう選択したか」は、実際にその時が経過した後になってみないとわからないのだという。


愁はこんがらがってきた。

「まあつまり、数日後ぐらいの未来ぐらいまでなら見れるぜ、ってことさ」

彼は言った。

「数日……」

愁は呟いた。 数日で何がわかるというのだろう。


「数日分あればさ、葬式の時のご親戚とかさ、その後の大学の友人さんのぽっかりとした喪失感とかさ、そういうの、ひととおりみてみてさ。俺、仕事柄そういうのよく見るけど、……あれ見たら死ぬ気なくなるぜ、ホント」


青年は、愁の目線に合わせて親しみを込めた口調で静かに話した。愁は、何もわかってない癖に、と一言いいたくなったが黙っていた。実のところ、青年の言い草自体はいっさい共感できなかったが、「自分の死後の世界を覗いてみる」という提案自体は魅力的に思えていた。しかし、愁は、そのことを極力悟られないようにつとめていた。


「全部お前の都合のいい妄想だな。俺のこと悲しむ奴なんていないから」

「それならそうでかまわない」 

羽根野郎は妙に強気だった。実際見てみれば答えはわかる、と愁の否定には取り合わなかった。しまいには、彼は、こう言った。

「君だってせっかくなら死ぬ前に答え合わせしてから、心置きなく、死にたいだろ?」

愁は思った。何て強引な奴だ、と。


そして、愁は折れた。

「ずりーぞ、その理屈」

羽根野郎は、間髪入れず「決まりだな」と、笑って言った。何て強引な奴だ。


愁が渋々立ち上がろうとするやいなや、羽根野郎がそれを待っていましたといわんばかりに、すかさず愁の肩をぐいと引き寄せた。思っていたよりずっと力強かった。


そして、次の瞬間、あたりが白い光に包まれた。――


――そして、彼らはそのまま時空を超えた。

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