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小説『雨上がりの虹』  作者: 中野奏仁
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第一章 プロローグB   /相原愁

ある六月初頭、初夏の日。群青色とえんじ色が混じった夕暮れ空の中、溶け込むような小雨が降る夕方のことだった。


外では緩慢な小雨が降りしきるなか、青年は一人自室でパソコンの画面を見ていた。


その部屋は、一見、ものが多いようで何一つ有意なものがないような部屋だった。床には、これみよがしに床に散らばった書類。薄汚いベッド。無駄にバックライトが明るい大きなパソコンディスプレイ。


唯一使えそうな有益なもの、首吊り紐。

青年はパソコンの画面から目をそらし、宙に吊られたそれをぼうっとみあげた。

しばらく呆けていた頃合いだろうか、電話がかかってきた。


青年は電話をとった。

「あら、最近どうかしら、うまくいってる?」

青年は状況をすぐに飲み込んだ。 質疑応答の時間が開始したのだ。議題は『この青年の近況と進路について――』


青年はスマートフォンから流れる音声に対して生返事を返す。

どうやら声の主は女性のようだ。 母親ぐらいの年代だろうか、声のわりにやけにはしゃいだ喋り方をしている。

「すごいわ。やるじゃない、愁ちゃん」

愁ちゃん、というその妙にねっとりとした呼び方に、青年は画面のこちらで少し引き笑いをした。もちろん、電話の向こうには伝わるはずもない。


女性はさらに舞い上がったような喋り方で続ける。

「あら、もう、すごいじゃない!!どこの会社なの!」

「三友商事、大船商事、HK銀行だよ。どこも東証一部上場企業」

青年は、あらかじめリハーサルしていたかのように、大企業の名前をよどみなくすらすらと口にする。

「ほんと素晴らしいじゃない!さすが!私の息子ちゃんだわ…!」

「……だろ?」

そういって、青年は電話をぶつ切りにする。


―――本当に気付かないんだな。 気づかないんだろうな。


―――他人なんて、期待するだけ、無駄。


―――無駄か。


青年は自室の床に散らばる白い書類の束を見やった。封書に入っているもの、破かれてコピー用紙の白い肌を露呈しているもの、様々な状態の紙が、これ見よがしに床に散乱していた。


共通点は、すべて、その白地の上に、くっきりとした黒文字で例外なく次の魔法の文面が記載されていたことである。


『お祈り申し上げます』

『お祈り申し上げます』

『お祈り申し上げます』

『お祈り申し上げます』

『お祈り申し上げます』

『お祈り申し上げます』

そして極めつけは、最も日付が新しい、青年の前のディスプレイに表示された、メールの文面。

『件名:採用試験結果のお知らせ


 相原愁様


……相原愁様の、今後のより一層のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。』


―――……今後の活躍、ねえ。

いったいどこのステージだろうな、と、相原愁とよばれた青年は思った。

―――だって、俺は、これから。

そう自問して、それから青年は、窓の方を見上げた。 その先には太いロープが天井から吊られていた。

そして、相原愁とよばれた青年は、窓際の方へ行き、これが最後の抵抗だというように分厚い遮光カーテンを大きく開いた。 雨足はだいぶ緩んでいたようで、わずかだが、薄暗かった部屋が少し明るくなった。


これで、シルエット程度なら、うっすらと、外からも内部の様子が見えるようになるだろう。

こんなことして、まるで、誰かの目にとまりたいみたいだな、と愁はぼんやり思った。 そんなことはないはずだと頭では思いつつも、あえてカーテンを閉めなおすことはしなかった。


すこし青年がぼんやりしていると、外の雨足は強くなり、また、部屋が暗くなった。

おそらく、外からはもう部屋の中を見ることができなくなっただろう。

もう、なにかに、期待することなんて、疲れ……たな……。


―――ゼロが一になりかけてやはりゼロに戻った。

―――いいじゃないかそれで。


多分、最後に流れた意識はそんな風なものだったかと思う。


そして、青年はロープに手をかけた。


青年の身体がふっと上がる。


ゴングのように、大きな雷が鳴った。


青年の、時が、止まる。

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