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楔の愛し方  作者: 嘘吐き
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 あれから、幾年を重ね、フロレンツの提唱した技術は、皮肉にも教会が取り入れた。


 フロレンツは一般の司祭が賜る褒章としては最高位の、象牙製の聖印を持つに至るが、それでも神子セシルの栄光には到底及ばなかった。


「最低だとは思いますが、私は今までの人生で、最高に幸せです」


「裏切り者と、背信者と罵られても、ですか?」


 セシルの縋りつくような声音に、フロレンツはやけに慈悲深い笑みで頷いた。


 手に入れた名声技術、その全てを捨て、たった一人の肉親へ大きな憎悪をぶちまけた。


 もちろん、セシルには何ら罪は無い。

 長年の差別と比較が、フロレンツの何かを壊してしまった。


「こんなのおかしいよ……フロレンツ……狂ってる」


「――狂っているのは貴方と教会です。私を利用し、タウィスカラをただ無意義に封じ、この意味もない封印を子々孫々と続けている」

   





『片割れ、まだ聞こえるかい』


「まだ母の元へは、召されていない」


 イオスケハの持つ雄鹿の角の鎗に腹を貫かれ、野荊はしばし動きを止めていた。


『なあ、今まで大人しく封じられていたというに、何故にこんな真似をする』


 どいつもこいつも、と野荊は溜め息を吐いた。


 神というのは、感情と自由意思が低く、ただ無から有へ流れるひとつの現象だ。


 そんな存在が、生を謳歌する人間の、その真意を理解できるはずもない。


「我を封じるために、人の子を利用するお前には、死ぬまで解らぬさ」


『……利用するに至ったのは、お前が原因だぞ』


「そうだな。だからこそ、後始末は自分でするさ」


 その言葉の意味するところを理解し、イオスケハは鎗を下ろした。


『あの子らの元へ、行かなくてはな』


 イオスケハは白鴉に変体し、虚空へ羽ばたいた。


「……抜いていけよ」


 置いてきぼりをくらった野荊は、苦労して鎗を抜き、自らを拘束する楔を抜いた。


 鎖が床に落ちる。封印は、全て無効となっていた。







 封印の消失を感じ取り、セシルは面を上げた。


「イオスケハ様、なぜ封印を解いたのです……!」


 白鴉が顕れ、セシルの肩に止まる。


 そして厳かに、善良の神イオスケハは宣言した。


『残念だが、契約不履行だ』

  

 契約不履行。その言葉に、セシルは愕然となった。


 それはすなわち、神の力を失うという事に他ならない。


「な、何故!この状況で、貴方は何を言っているのですか!?」


『契約不履行の条件は、我かお前が死んだ時。またはタウィスカラに封印の必要が無くなった時だ』


 フロレンツはタウィスカラの全てを受け入れ、また全てを与えた。


 宗主が与えた短剣は、霊質を操作する。

 それを利用し、フロレンツは自身をタウィスカラをこの世に繋ぎ止める楔と成した。


『タウィスカラはもう、五十年と生きやしない。そして彼の許可なくして、力を行使することもできない』


 凄まじい執念だった。フロレンツは懐から短剣を取り出す。

 刃をセシルに向け、静かに言い放つ。


「詰みです」


「宗主は……っ、宗主は何を考えて……。

私はあの方の指示に従い、何度も記憶を失う貴方を、タウィスカラの傍に置いていたのに!」


「お陰様で、タウィスカラは私のものとなりました」



 少しずつ、少しずつ、彼はセシルを追い詰める。ああ、なんという快感だ!


 区別され、蔑まれた自分が、その対称となった男より優位に立ち、見下しているのだ。


『我の大事な子よ。不本意だが、我は引き下がる。

皮肉だが、あの者は自ら終わらせた。それはお前の自由をも意味する』


「そんな、待って!まだ行かないで!」


『可哀相な子よ、自らのために生きることだ』


 どこまでも自分の役割に忠実な神は、セシルの哀願を無視し、羽ばたいては虚空に消えた。

  

 うなだれるセシルに、フロレンツは何の感情も浮かばない。


 本当に壊すべきはセシルではなく、自分を取り巻いていた環境そのものだ。


 しかしフロレンツはそれに気づかない。


「……さて、あとは」


 セシルが弾かれたように面を上げる。

 騎士は全て本国へ帰途した。唯一の対抗であるイオスケハは、もういない。


 逃げなければ。思考が働いた時には、セシルの頭部は背後から捕らえられていた。


「……タウィスカラ」


 深紅の瞳が、無感情にセシルを見る。

 何をするのだ、と聞く前に、フロレンツが無慈悲な命令を下した。


「野荊。この者の記憶を、喰いなさい」


 イオスケハとタウィスカラは、力の代償に記憶を喰う。


 記憶はふとしたきっかけで戻ることもあるが、普通の人はそれが原因で混乱し、依存や強迫といった、異常な精神状態に陥る。


 フロレンツがそれでも正気を保てたのは、タウィスカラに世話を焼くことで、依存をしていたからだった。


 この作業を持って、フロレンツの復讐は終わる。


「特に私に関する記憶を、全て消すのです」


 セシルは足掻いた。泣き叫んだ。それだけは止めてくれと。


「私から離れても、何をしてもいいですから、お願い!それだけは、それだけはやめてえッ!!」


 伸ばされた手を払い、フロレンツは再度命じた。


 愚かしい系譜を絶つために。何より、自身の片割れという楔を断つために。

  

「セシル・クレーエ・二宮にのみや。お前がいたから、私は人々から見向きもされなかった。

お前がいたから、私は出来の悪い子だと、けなされ続けた。

お前がいたから、お前が私の傍に居続けたからだ!」


 タウィスカラがセシルの後頭部に口づける。

 白い青年は気を失い、力なく床に倒れた。



 不思議と、動揺も喜びも無かった。

 ただ虚無が、彼の心を支配していた。それを埋めるのは、タウィスカラ――野荊だ。


「……行きましょう」


「ああ……」


 野荊がフロレンツを、そつと抱き寄せる。

 彼はその冷たい体に、愛おしげに触れた。


 まるで、この者は我が片割れだと主張するように。







 島にある唯一の埠頭。その岸壁には、既に船が横付けされていた。


 久しぶりに当たる夜風の、何と清々しいことか。


 小型の船体には、教会の聖印。

 入り口には、星を見上げる、車椅子の男がいた。


「……宗主」


 呼ばれた男は、静かにフロレンツの方を向く。

 そして不遜に、世間話を始めた。


「みすぼらしいなりをしおって。髪はそいつにやったのか」


「え、ええ……。というより、わざわざ宗主自らおいでになるとは」


「けしかけたのはわれだ。出向くのは当然よ。セシルは館か」


 優雅に脚を組み、宗主は言った。

 全身に様々な宝石の装飾品をつけ、見た目は成金趣味の男である。

 しかし彼こそが、世界最大の宗教思想。教義学術振興会、通称教会を取り纏める、最高指導者だ。

  

 宗主から漂う、香水のきつい匂いに眉を潜めながらも、フロレンツは頷く。


「そうか、ならば結構。――ようやく終わったな」


 宗主が疲れたような息を吐いた。

 たかが力を無くした神を封じるためだけに、何世代も、何人もの神子が孤独な生を此処で過ごしたのだ。


 野荊もそれを知り、大人しくしていた。

 しかし神が角を折られて消滅するまで、一体どれほどの時を要するのか、誰も知らない。


「全く持って、無駄で無意味でしたね」


「いいや、そうでもない」


 フロレンツの虚無的な言葉を、宗主は即刻否定した。


「少なくとも汝らは、無意味ではない」


 それ以上の戯言を聞く気は、フロレンツには無かった。

 懐から短剣と聖印を出し、宗主に渡す。


「こちらはお返しします。今までお世話になりました」


 聖印の返還は、還俗を意味する。

 宗主は象牙製の聖印を見て、皮肉げに笑った。


「教会福祉局の副局長がいなくなると、ちと困るな」


「穴は後任の者でも充分です。施術を記した書も残してきました」


 まだ何か、と聞くフロレンツを、宗主はなだめる。


「汝は素晴らしき努力の天才だ。正直、聖人認定したいくらいでな」


「皮肉ですか」


 そろそろ宗主を海に投げ込みたくなったため、フロレンツは船に乗り込む。

  

「その船は国境付近の港に停まる。あとは好きにせよ。

おすすめは、吾の手が伸びておらぬ大陸北部だ」


「ご指摘感謝します。それでは」


 野荊の皮肉が移ったか。フロレンツは微笑し、船室へと消えた。




 船が錨を上げ、動き出した。

 それを導くように、空が白み始める。

 再びこの地に、永い朝が来た。


 宗主は象牙製の聖印の裏側を見た。

 裏には名前と、誕生年が刻まれている。


「フロレンツ・ナハティガル・二宮……皮肉なものだな」


 双子の神の代理戦争の如く、何もかもが違う双子が、憎み、争い、別れた。


 結局はどちらも理解が足りなかったのだ。

 フロレンツは依存してくるセシルを避け、セシルは野荊に依存するフロレンツを認めなかった。


葦弥騨あしやだの民の依存傾向――他民族の血が混ざっても駄目か」


 宗主は溜め息をつき、しかし思い直して車椅子を進めた。


 もう一人、哀れな双子を回収しなくてはならない――。


「不義の双子よ。しかしそれも、世界の導き――汝らの下した選択だ」




  

 曇天の空から、ちらちらと花びらのごとき白いものが降ってきた。


 細雪だ、と気づいた頃には、お付きの騎士が傘を差しかざしていた。


 何故か、その雪にうたれていたかった彼は、わざと傘を避ける。


「お風邪を召します。セシル様」


 教会審問局局長、セシル・クレーエは悪戯っぽく笑い、騎士を置いて走った。


 まるで子供のお守りだ、と騎士は追いかける。遊ばれている自覚はあるが、セシルは高位司祭で、宗主からの信頼も篤い人物。無下にはできない。



 走っている途中、通行人とぶつかりそうになり、セシルは慌てて避ける。


 申し訳なく会釈をするが、相手は無視した。

 世の中は無情だ、とは思うが、仕方ないとも割り切った。


 外套で顔を隠したその人物は、小夜啼鳥さよなきどりを抱えている。


 ささくれ立つ指が羽毛を撫でる度、応えるように小夜啼鳥は美しい鳴き声を上げた。


 仲睦いな、とセシルは少し羨ましがった。

 しかしすぐに忘れ、後続の騎士に追いつかれないよう、さらに足を早める。


 この白い景色を堪能しないなんて、もったいない。

 セシルは笑った。前を向いて。



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