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楔の愛し方  作者: 嘘吐き
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 セシルの寝室は、先ほどまで居た部屋と殆ど同じ構造であった。


 この屋敷内にある多くの部屋は、どれも同じようなものだろう。


 二人は並んで寝台に腰掛ける。

 堰を切ったように、セシルが話しはじめた。


「何故ですか!何故こんな恐ろしい事を!

あなたは私たちを裏切ったのですよ!?」


「罪悪感はあります。それでも、私は成さなければならなかった」


「成す?何を成すというのです。まさか……タウィスカラの力で、再びの災いを呼ぶというのですか!」


「いいえ。タウィスカラには、そんな力もありません。存在することに殆どの力を入れています。

それに解るでしょう?私の死は、タウィスカラの滅びも意味します。

あなたにも喜ばしいことではないですか」


 さらりと恐ろしい発言をする彼に、さしものセシルも怯んだ。

 だが引き下がるわけにはいかない。

この事態はいずれ教会に露呈し、セシルも彼も、何らかの懲罰を受けるだろう。


 そしてタウィスカラと契約した彼にいたっては、投獄は免れない。


「フロレンツ……忘れたのですか?私たちは、タウィスカラが放った餓えた獣から人々を守った聖人、モリサキの系譜なのですよ。

生まれながらの使命を忘れるなんて……正気ですか」

  

 彼はふいに立ち上がり、部屋に設置された窓へ向かう。


 カーテンを開くと、外は夜の闇が広がる。

 眼下は森であり、さらに遠くは、どこまでも海であった。


「餓えた獣を神に昇華した、人類史上初の神憑り、聖守崎もりさき……。直系ではないにしろ、セシルはその子孫ですから、怒りも当然ですね」


「貴方も、でしょう」


 セシルの反論には答えず、彼は優しい目で夜景を見る。

 そして、唐突に話題を変えた。


「セシル、貴方は生まれた時から完璧でした。容貌、勉学、社交性、司祭としての素質……何もかもが他人とは違う」


 彼はゆっくりとセシルの方を向いた。痛ましい表情で自虐する。


「同じ母から生まれたというのに、何故こんなにも違うのでしょうね」


 思わずセシルは駆け寄り、彼の両肩を掴んだ。

 何が何でも、今の言葉だけは否定しなければ。


「ちがっ、違いなんてありません!私はあなたで、貴方はわたしです!」


「……私はあなたで、貴方はわたし?」


「そうです。そうですよ。ですから、また共に……」


 彼は恐ろしいほど冷めた目で、セシルを見る。

 やんわりと肩の手を払い、厳しく言い放った。


「ふざけるな。それは神に持っていかれた精神を、私で埋め合わせているだけではないですか」


「なっ……。ちが違います!違う!セシルは真剣にあなたを愛して――」

  

「その依存傾向……十五の時にイオスケハ様と契約をしてから、全く変わりませんね。私を精神安定の触媒としか見なしていない」


「い、や……嘘です。私が寂しいと言うと、聖印を交換してくれたではありませんか!」


 証拠とばかりに、ふたつの聖印を出すセシル。

 彼はそのうち象牙製のものを取り、面倒臭げに説明した。


「当初は真面目に付き合っていました。セシルの精神を戻せるかと信じ、医療の知識も得た。……けど、もう終わりです」


「……な」


 立て続けの責め立てに、絶望したセシルは床に座り込む。


 今まで共に悪神を封じてきた相棒が、まさか自分を憎んでいたとは。


「どうして……どうしてこんな事に……」


 彼はセシルと同じ目線になるようにしゃがむ。

 そして両の肩に手を乗せ、言い聞かせた。


「もはや私たちは傷つけ合う存在でしかない。私たちは即刻、決別すべきなのです。タウィスカラとイオスケハ様のように」


「……そ、んな……そんなのって……」


 喪心し、言葉も返せないセシル。

 それを放り、彼は立ち上がりて再度、窓の外を見た。


「美しい宵だ。記憶を失って、追い込まれた甲斐があったというものです」


「……まさか、あれは……あの状況は、貴方が仕組んだのですか、フロレンツ!」

  

「ええ。ですが私を後押ししたのは……他でもない、我らが教会指導者です」


 フロレンツが懐から、タウィスカラの喉を貫いていた短剣を出す。


 刃に聖印が彫られたそれは、宗主によって製造された、神に仇なす武器だ。


 刃に触れた霊質を使い手の制御下に置き、時に分解する。霊質で構成される神にとっては、自分の存在そのものを変えてしまう恐ろしいものだ。


 短剣は神子にしか持つことを許されていない。


 セシルは、フロレンツが自分の身内であるから、特別扱いを受けているのだと勘違いをしていた。


「私は私のためだけに動いています。それにあの方が便乗したのです」


「馬鹿な!宗主に何の利益があると?」


「……さあ、私に、あの方の考えなど」


 それは本音と同時、ごまかしの言葉でもあった。

 本当はタウィスカラを解放せずとも、傍に居られればよかった。


 だが動けば、セシルに対して凄まじい裏切りをすることができると気づいた。


 悪辣非道なる彼を、罰する者はこの場にはいない。






 初めて地下の封印室に入った時、フロレンツには不思議と恐れがなかった。


 セシルの精神安定の媒体として、無理矢理連れて来られ、正直ぐれていた。


 半ばやけくそになっていた彼は、禁じられた部屋に無断で入った。

 どう罰せられようと、もうどうでもいい。セシルだけが必要とされる世界には、いたくはない。

  

「……意外と」


 封印はぞんざいだった。鉄の鎖と錠のみで、セシルから鍵を借りれば簡単に開いた。


 灯火を掲げ、牢屋のような石造りの部屋を照らす。


「……っ」


 部屋の奥に、人体の骨が横たわっていた。


 思わず怯んだが、それも一瞬のこと。ゆっくりと、フロレンツは骨に近づく。


 近くに寄り、膝をつく。骨に触れると、わずかに熱を持っていた。


「何故、そんな姿に甘んじているのですか」


 かつて角があったであろう頭部に触れる。


 フロレンツの声に反応し、災いと魔術の神がその姿を見せる。

 一瞬で筋肉と皮膚をあらわにし、中肉中背の男となった。


 長い黒髪に隠れて表情は伺えないが、深紅の眼は訝しむようにフロレンツを見た。


「タウィスカラ。かつて白き樹海に封じられた獣を放ち、故に角を折られて封印された神」


「何を……」


「何故そんな事を?意味がないでしょう」


 タウィスカラは黙ったまま。フロレンツはそつと、相手の腕に触れた。


「冷たい……けれど、本当に触れるんですね」


「角を失うと、姿を保てなくなる。物質で補っているだけだ」


 すなわち、タウィスカラは完全に現世に露出し、神域の存在ではなくなったということ。


 それが、獣を放ち、人々を傷つけた神の末路だった。

  

「血管もある……骨も」


 フロレンツはタウィスカラの腕を触り、観察し、その出来に感心した。


「……人の身体に興味が?」


「はい。私は、医師になりたいのです」


「……そうか」


「そうすれば、神子よりもたくさんの人を救えるはずです」


 あるいは、精神をおかしくした神子自身さえも。

 高い志を持つ若者を、タウィスカラは眩しそうに見た。


「せいぜい、励め」


 まさかそんな言葉が出るとは。フロレンツはひどく驚いたが、それはタウィスカラ自身も同じだった。







 フロレンツはしばしば、封印の間に向かうようになった。


 セシルには、様子を見ているだけだと嘘を吐いた。自分のために動いてくれているのだと、セシルは純粋に喜んだ。



「なぜ教会は、死体の解剖を禁ずるのでしょうか。構造を知らないと、治せるものも治せません」


 一部の地域や民族を除き、大陸では土葬と決まっていた。

 葬儀を行うのは、ほとんどの場合教会であり、遺体には司祭とエンバーマー以外は触れてはいけない決まりである。


「……同胞の死体を暴きたがる者はいない」


「それは理解できます。しかし、私と同じ考えの者も、少なくはありません」


 フロレンツは、そこで一旦、言葉を止めた。


「けれど、墓を暴くことなど、私にはできません」

  

 葛藤するフロレンツに、タウィスカラが提案した。

 タウィスカラは、目前の青年が、ひどく自分に似ている、と思った。


「ならば、我の身体をやろう」


 いくら努力をしても、近しい者が優れているせいで、決して日の目を見ることは無い。


 日陰の身でいることを決めても尚、何かを求めずにはいられず、ただ嫉妬と怒りに苛まれる。


 タウィスカラはそれに耐え切れず、封印された獣を解き放ってしまった。


「あなたの、身体……?」


「いくら刻もうが焼こうが、物質を補えば再生できる。解剖にはうってつけだな」


「ば、馬鹿なことを言わないでください!」


「我には痛みがない。心の臓以外は、人と同じ構成であったはずだ」


「う……あ……」


 戸惑うフロレンツに、タウィスカラは語りかける。自分の心を、吐露するごとく。


「お前は、我がやったことを、意味が無いと言ったな」


「……はい」


「無意味では、なかったよ」


 目を閉じ、かつてを思い出す。

 自らの火に焼かれ、く獣。喰われて死ぬる人。

 怒りの表情で、鎗を向けてくる片割れ。


 言い訳も聞かず、角を全て手折たおる、裁定の者。


「無意味では、なかった……。天には青き星が瞬き、憐れな獣は死に向かう。

我のした事は、酷であろうが、それも世界の導きだ」

  

 それを聞いたフロレンツは、とり憑かれたかのように、タウィスカラを切り刻み、暴き尽くした。


 女性や子供の身体は、墓掘り人夫を買収し、密かに解剖した。


 血管の一本、筋肉一筋に至る全ての肉という肉を把握し、フロレンツは『患部を切開し、病の元を取り除く技術』を確立させた。


 また、点滴、輸血、血液型判別なども開発した。

 しかし、あまりにも野蛮とされ、一般には広まることは無かった。



「……私は、何がしたいのか」


 自嘲げに笑うフロレンツに、タウィスカラは眉を潜めた。


 小刀を持つ手を握る。タウィスカラの手首が切れ、血が滴る。


「諦めるのかね?長い間、人を研究し、ようやく得た技術というのに」


「結局は、認められなければ意味がありません」


 いいや、とタウィスカラはすぐに否定した。

 小刀をさらに強く握り、さあ開けと促す。


「もう止めましょう。もういいのです……」


「何故かね」


「貴方は、私を通して夢を見たいだけだ」


 それを聞いたタウィスカラは、ばつが悪そうに、苦い表情を見せた。


「ああ、そうさ。いずれ死ぬるならば、その前に、人の子の道具になりたかった」


「……貴方は」


「消滅するまでの長い時を、お前との思い出で過ごそう」


「貴方はどこまで愚かしいのだっ……」


 堪えきれなくなったように、フロレンツが神を罵倒する。

  

「思い出!思い出だって?

畜生、私はそこまで無意味な存在じゃあない!」


 怒りを小刀に込め、手から腕を浅く切る。

 血のすえた匂いが充満する。


「見ていなさい、タウィスカラ。いずれ、私の技術を認めさせます。私はセシルの影でも、おまけでもないのです」



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