4日目:水色の部屋
目を覚ますと、俺は水色の部屋にいた。ベッドで横になっていた体を起こす。もうちょっと横になっていたいのに、大きな電子音が俺の鼓膜を刺激してきた。
ウトウトしながらも俺はベッドから離れた壁に設置してある受話器をとった。あれ? こんなところに電話機なんかあったか? そんな事を思いつつも、受話器越しに聴こえる女性の声に何となく耳を傾けた。若い女性ではない。それなりに歳を召された婦人の声だ。
『おはよう。遠藤君。朝ご飯はちゃんと食べた?』
「はい? えっと、まだ食べてないです」
『え? 今起きたの?』
「はい。そうです。今起きたところです」
『寝坊じゃないの! ほら、冷蔵庫に入っているから、すぐ食べなさい』
「はい。わかりました」
『まさか言わなくてもわかると思うけど、準備も怠らないのよ?』
「準備? 何のことですか?」
『あなた大丈夫なの? 制服の準備と水着の準備よ。そろそろ大会になるのだし、しっかりしなさい』
「大会? えっと、とりあえず急いで準備します。すいません」
『もう、心配かけないでよね? 今日はやけに丁寧に話して別人みたいだけど、しっかり泳ぎきるのよ。みんな貴方のこと頼りにしているのだから。じゃ、電話はここまで。私もプールに向かうから、そこでまた話しましょう』
「はい、何から何までありがとうございます。すいませんでした」
そこで電話は切れた。眠たかったからでもあるが、ほとんど相手の御婦人に合わせる形で会話した感じだ。やけに丁寧に話して別人? じゃあ普段の俺は失礼な言葉遣いでもしているのだろうか?
疑問は尽きない。だけどじっとしてもいられないようだ。
俺は部屋を見渡した。水色に装飾されたこの部屋は部屋中央にある硝子の机を中心にどこか洒落ているようなデザインが施されていた。台所もあれば風呂場もある。勉強机の横の本棚には様々なボキャブラリーに富んだ本や漫画がズラリと並べて置かれていた。なんて贅沢な空間にいるのだろう。俺は素直に喜んだ。
記憶が曖昧でよくないのだが、俺はここ数日1つの部屋に監禁させられているようだ。それだけは何となくわかるのだが、他のことは何一つ思い出せないのだ。勿論ここから出ようなんて思ってもいない。体が丈夫でないのも肌に感じている。
さて俺はシャワーを浴びて着替えを済ませた。着替えは箪笥の中に唯一あった物を着用した。笑わないで聞いて欲しい。俺が着用したのは高校生が着るような制服だ。サイズこそは今の俺に合わせてあるが、胸ポケットに刺繍された目立つロゴマークといい、黒でなく明らかな灰色のスラックスといい、歳不相応な服を着る羽目にあった。でも他にないのだから文句の言いようもない。
俺は制服の支度を終えると冷蔵庫からバナナと牛乳をとりだし、それを朝食にした。ここまでざっと30分程度。多少寝坊はしたのかもしれないが、その取り分は取り戻せたかと思う。枕元に置いた時計を見るとまだ朝の8時にすらなっていない。
俺は今朝早起きをしたのだ。全くあのせんせ……おばちゃんは何でまたこの俺を早起きさせたかったのだろうか? 俺はちょっと不満な気持ちを持った。
退屈な時間をただボーっと過ごすのも勿体ないので、俺は本棚より適当に漫画をとりだして読みはじめた。まだ時間はある。時間がくるまではリフレッシュなことをしよう。俺の頭の中でそんな思惑が浮かんできた。
時計の針が9時をまわったとき、鍵のかかっていたドアが開く音がした。
俺はハッとしてドアの方を見る。「カチッ」という音にただならぬ衝撃を感じた。ゆっくりとドアに近づく。心臓がバクバク鳴る。戸惑いながらも俺はドアノブをまわした。
ドアを開けたその先に、俺は想像を超えた空間を目にした。
屋内プールだ。もっとも室内は巨大な白い壁に囲まれており、陽の光は真上の天井から注がれていた。「何だよ? これは?」と俺が口にするのもおかしくないだろう。自宅とプールが繋がっているのだ。俺の住んでいるこの家はどんな豪邸だと言うのだ? 贅沢にも程があるだろう?
俺はプールの周辺をグルっと1周歩いてまわった。どうやら俺が入ってきた出入り口とは別に大きな鉄格子のドアがあったが、やはり鍵がかかっていた。その先には暗くて長い廊下が延々と続いているようだった……。
俺はひとまず元の部屋に戻った。頭が狂ってしまいそうだ。鏡の前で頬をつねって確かめる。うん。間違いない。これは現実だ。なんという現実だ。
10分ぐらい経っただろうか? 部屋の中心で呆然としていた俺はふと何かを思いついたようにして、改めて箪笥の中を探り始めた。
あった。箪笥1段目の奥の方にそれは確かにあった。
「ふふ……せっかくだ。ひと遊びしちゃおうかな?」
俺は制服から水着に着替えた。そして軽く準備体操して、例の屋内プールへと足を運んだ。考えてみれば、これほど理想的な環境はない。自宅の中に生活空間と遊べるプールが隣接しているのだ。世の凡人にはこの贅沢がわかるまい。ニンマリした俺は体を一捻りするぐらいのストレッチをしてプールへ飛び込んだ。
ああ! 気持ちいい! 超気持ちいい!!
俺はクロールやバタフライ、平泳ぎなど泳ぎ方を色々変えてみては水泳を思う存分に楽しんだ。
一段落すると、すぐ隣にある自宅の空間へ。なんと都合よく贅沢にできた施設なのだろう。浴室のシャワーを浴びながら、俺は自然とこみあげる笑いが止まらなかった。
それから俺は料理の本を読みながら調理に挑んでみたり、部屋の片づけや詮索などもしてみたりした。写真などの資料はみられなかったが、漫画の他に流行歌などが収録されたCDなどがあったりして、充分に退屈しのぎができた。
それでも不思議なことに時間が空くと俺は水泳に夢中になっていた。
何だろうか。この感じ。俺は何かを思い出してきているようだった――
俺が夕ご飯を作って食べている時、ドアがカチッと閉まる音がした。
俺はとっさに食べるのを止めて、閉まったドアの方へ駆け寄った。
ドアノブを力強くまわす。開かない。俺の心の奥底から燃え上がる憤りが止まらなかった。
「おい! 開けろ! 開けてくれ!!」
ドン! ドンドン! と俺は激しくドアを激しく叩いた。しかしドアは頑なに開かない。俺はその場で項垂れた。
気がつくと俺は涙を流していた。どうして? わからない。ただ何かが悔しくて。この建物から出られないことなんて最初からわかっている筈なのに。
陽が沈んで夜になる。疲れ果てた俺は部屋の電気を消灯して寝ることにした。
そういえばさっきから体のあちこちが痛い。
嘆いても仕方がない。どうしようもないこともあるのだ。今日はもう寝よう。
∀・)夢中になること。これ青春なり。また明日もお会いしましょう♪♪