3日目:緑色の部屋
目が覚めると緑色に装飾された部屋のベッドから起き上がっていた。
「あれ? こんなのだったっけなぁ?」
部屋を見渡す。なかなか広い部屋のようだ。そして部屋いっぱいに色んな物があっちこっち置かれていた。テレビや電話機を除いては生活必需品という物全てが揃っているように思う。部屋の片隅に炊事場があり、冷蔵庫もある。こんなに生活感のある部屋で今まで過ごしていたか? 妙な気持ちが湧き上がる。
もっとも俺は今朝目覚めてから記憶という記憶がないのだが。
ただ今日の俺は妙だった。鏡で寝ぐせがあるのを確認すると右奥にあるドアを迷うことなく開け、浴室でシャワーを浴びた。替えの寝間着も難なくタンスからとりだして、古い衣類は下着も含めて浴室近くの洗濯機で洗濯した。若干だけど失禁していたパンツが気がかりだったが、自分は生まれつきそうだったのだろう。トイレが近い習性も馴れてしまっているようだった。
ひと通りの支度が終わると壁に立てかけてある鏡をじっと見た。
酷くはねていた寝ぐせも元に戻って整った髪型となっている。これからどこかに出掛けるわけではないが、身だしなみに気を配る人間が余程人間らしいだろう。
俺は浴室のドアから少し離れた位置にあるドアのノブをまわしてみた。
やはりな。鍵がかかっているようだ。
ドアノブをまわす前から鍵がかかっていたことはわかっていた。だけど確認をしたくなってしたのだ。特に後悔などはしていないし、誰かに怒られるものでもないと思っている。ただ今日の俺は奇妙なぐらいに外の世界へ関心を持っているようだった。
勿論外にでなくてもいい。物に溢れているこの空間はいくらでも退屈しのぎができそうな余裕に抱擁されていた。
俺はひとまず冷蔵庫の中を物色して何を作るか決めた。
まずはご飯を炊くことから始めよう。
米を研ぎながら物思いに耽る。俺は小さい時からこんなことをしていたような気がするのだ。ぼんやりとした記憶だ。だけど未だに何も思い出せないのが少しむず痒い。まぁ、気にしても仕方ないか。
炊飯器のセットを完了すると今度はおかずの調理に取り掛かる。
ほうれん草をアルミ鍋で適当に茹でる。調味料も冷蔵庫にいくらかあったので適当に使ってみたりした。冷蔵庫の中身は豊富なボキャブラリーに溢れており、何でも作れそうな気がしたが、おそらく久しぶりの調理だ。自分のできるようなご飯を作ることにした。
ほかほかの白ご飯に豆腐と玉葱の入った味噌汁。焼いた白身魚とほうれん草の茹でたおかず。随分と質素なメニューが机の上に並んだが、そこまで食欲もないことだし、これで俺は満足だ。
俺は俺の作ったご飯を頬張りながら改めて物思いに耽った
俺は何者なのだろうか? 何故ここに居るのだろうか?
ここは病院? あるいは何かの実験施設?
ただここに俺を管理する者がいるとしたら、そいつは決して悪者ではないのだろう。自炊させるとは言え、満足のいく美味しいご飯を食べさせてくれる。風呂やトイレ、さらには退屈しのぎができそうな物まで用意してくれているのだ。
俺はこの部屋に居心地の良さを感じて、あながち不安という不安はなかった。
ご飯を食べ終えると、俺は食器洗いなど片づけを手際よく済ませた。
背伸びをして部屋に置いてある物を眺める。
目が覚めた時から気になってはいたのだが、ベッドの近くにある勉強机、その上に置いてある虫かごを覗いてみることにした。なかなか大きい虫かごだ。
虫かごの中ではカブトムシやクワガタといった昆虫が散りばめられて置かれたアトラクションで遊んでいる様子がみられた。
しかしどうも籠の中が汚いのが気になった。
「そこでおとなしくしてくれよ」
俺はそう言うと部屋中央にある机の上にカブトムシとクワガタを解放して虫かごの掃除にとりかかった。彼らが机から落下しないことを願いながら。
なるべく急いで作業にとりかかった。
カブトムシたちは10分ほどで自分たちのお家に戻ることが出来た。
アトラクションの位置が大幅に変わっており、土なども部屋にあった袋入りの新しい物に変えており、新しい食料も置いてあげた。心なしか彼らがとても活気づいているように見えた。
「感謝しろよ。俺様のおかげだぞ」
俺は知らない間に得意気になっていた。
部屋には他にも薔薇やチューリップ等といった3種類の花を育てて、本棚には昆虫の飼い方を扱った本や植物の図鑑、さらには世界の山々を写真に収めた写真集などがあった。ここの主がそういう趣味をしているのだろうか?
俺は部屋の物色をしているうちに変な物までも見つけた。
登山用のバッグや服など明らかな登山グッズだ。スコップまで見つかり、相当熱心な登山愛好家が所有している物と思われる。でもそれより気がかりなのは、そのグッズのサイズがとても小さくて子供用に細工されたものだったという事。
花壇に水をあげながら俺は推測した。
ここに俺が来る前に誰かがこの部屋を使用していたのではないだろうか?
俺は自分でもわかるほどの記憶障害だ。もしかしてここに来る人間は……
まぁ、いくら推理しても真相に辿りつくわけでもないのだろうな。俺の曖昧な記憶がこの部屋に誰も入ってきていないと、はっきり告げているのだから。
俺は陽が射し込む通気口紛いの窓を見上げた。陽が沈みかけている――
俺は夕ご飯の支度をして、勉強机や本棚、箪笥に物入れなどといった部屋中にある物を調べあげた。俺のことはともかく、ここがどういう所なのかわかるかもしれないと思ったからだ。
結局何もわからなかった。意気消沈しながら俺は夕ご飯を頬張った。
メニューは昼ごはんと大して変わらない。白身魚が赤身魚になっただけだ。
俺は夕食を食べ終えると、勉強机の引き出しから見つけた1枚の写真をじっと眺めた。
2人の親子がどこかの山の山頂で仲良くピースをしている。これを撮ったのは母親だろうか? 想像するしかないが、1つだけ合点がいった。この部屋に置いてある物のほとんどがこの写真に写る父親もしくは男の子の所持品なのだという事。そしておそらくはここの部屋に元々居たのも……
俺はそれからも詮索を続けた――
部屋の電気は薄明るいもので、緑に装飾されたこの部屋の色彩がより強く視覚に残る。まるで怪しい実験室の中にいるようだ。
俺は箪笥の裏に古びた日記帳を見つけた。モップの先端部分を伸ばし、何とか日記帳を引きずり出した。とんだ苦労をしたものだった。今は熱い季節だからか、顔から汗が噴き出てくるようだった。
日記帳は埃被っていた。俺はその埃を払うとさっそく読んでみた。
日記はクレヨンで描かれたようなお粗末な絵と一緒に、これまたお粗末な字で構成されていた。リョーマ君という男の子が製作したものに違いないが、あまりにも幼稚なクオリティに俺は苦笑いをした。
日記は夏休みの出来事を1ヵ月綴ったものだった。ところどころ抜けている日もあるが、彼はほぼ毎日その日の出来事を記していた。小学生にしてなかなか熱心な子供である。これが夏休みの課題だったりするのだろうか?
遠藤龍馬君という子(おそらく小学5年生と思われる。そう記してあったので)は、小学生にして家族や地域の登山サークルの影響下で登山に励んでいたようだ。日記にはそんな事がつらつらと書かれていた。
で、俺が気になったのは最後のページに記した日記だ。
『夏休みさいごのいちにち。クンタとワンタがしんだ。りゆうはかごの中がきたなかったからって、おとうさんがおしえてくれた。おれはかなしい。だけどクンタとワンタのこといっしょうわすれない』
小学校5年生にもなって漢字が書けないのかとツッコみたくもなったが、俺はそれ以上にハッとしてしまうことがあった。
「まさか、お前たち……」
勉強机に置いてある虫かごの中でカブトムシとクワガタが躍動している。
いや、まさか過ぎるだろ。この日記に書いてあるクンタとワンタは龍馬君が夏休みの一カ月を共に過ごして亡くなったとここに記されている。
随分昔のお話だ。それが現実となって俺の目に前に現れる筈がない。
俺はそっと虫かごに触れて、今ここにある現実の感触を確かめた。
「考えすぎだな。そろそろ寝ようか」
俺はベッドで寝ることにした。
眠りに入る前だろうか、俺の耳元で2人の男の声がした。
「サンキュー! 龍馬君」
「ありがとう! 龍馬君」
∀・)緑色の部屋でした。執筆しながらも不思議な感じがする話でありました。実は作者的にこの作品の中でもっとも好きなエピソードであります。また明日もお会いしましょう♪