3話 巫
魔王なんて大層な称号を与えられながら、光は称号持ちとしては例外的にまったくの無名だった。何なら少し前までは普通に学校に通い、成人してからもサラリーマンとして働いていた程だ。もっとも、その仕事も神子を攫った際に辞めた訳だが。
政府には勿論、把握されていたし世界各国の1部においては「魔王」は恐怖の代名詞として知られている称号だが、遺憾なことに世間1般においては今でも神子を攫ったロリコンとしての認識しかないだろう。
だから、まあ、神子様が「あそびたーい、外にでたーい」なんて我儘をおっしゃられても変装もせずに、あちこちをまわって遊んでいようとバレはしない。
ショッピングに行ってセーレが神子の服を買い漁っているのを眺めたり、遊園地で「おー!」と目を輝かせる彼女に連れ回されて絶叫マシンを踏破したり、公園で平凡に散歩しようともただの一家団欒にしか見えないだろう。
仮に称号持ちがいれば気づいて卒倒することだろうが、生憎平日にその辺をフラフラする程暇な称号持ちは彼らくらいだ。
もっとも例外はいる。
「すみません。ソフトクリームのえーとセーレがブルーベリーでお前がストロベリーか、で俺がもずく味でよろしく」
「はいはい、可愛らしいご家族ね。今日は世間で言うところ家族サービスと言うやつかしら?いいわねー、30近くなって独身の私への当てつけかしら死ねばいいのに」
「本音だだ漏れだなぁ。と言うか何やってんの。時雨さんがこんなところでアイス売ってるとか知れたら日本政府の上層部が卒倒するぞ」
その例外にあたるだろう、すべてを見通すとまで言われた、日本有数の称号「巫」を持つ新藤時雨がアイスを売っていた。と言うより、どこにでもある屋台のアイスで、喪服を来た背徳感溢れる女性が立っているのだから正直逃げたくなった。
神子の教育にも悪そうなので無視して立ち去ろうとしたのだが。
「無視するの?ねぇ、無視するの?それとも気づいてない?私だよ、時雨だよー。もしかして忘れられてるのかな、存在感ないもんね、私、えへへ……」
と、割と大きな独り言を聞かされては立ち去る選択肢はなかった。むしろ道行く人々の「早く行って、この公園に平穏を届けろクソが」と言う視線と「アイスたべたーい」と言う鶴の1声には従わざるを得なかったと言うべきか。
「はーい、アイスお待たせー!本当にお待たせー!待たせてごめんね、もう死にたい」
「時雨さんが言うと洒落にならないからやめてくれ」
頼んでもいないのに3段盛りのストロベリーアイスが出てきて、神子は「おーすごー」と感動している。微笑ましい1面の隣に今すぐリストカットしそうな巫が嫌に対照的だ。
しかも、前科があるから割と洒落にならない。リストカット程度に致死性の低いレベルならいいが、この人は日常的に発作レベルで大量の睡眠導入剤を摂取して永眠しようとしたり、日本政府の本拠地の15階あたりから飛び降りようとする。
時雨自殺抑え係的な人間が常に護衛についているから心配ないとは思うが、ストロベリーアイスを食べている神子に見せたい光景ではない。普通の子供なら1生もののトラウマになるだろう。
「時雨さん」
「なに?あ、ごめんアイスおいしくなかった?ごめんなさい、ドライアイスに顔突っ込むね?」
「二酸化炭素中毒で死ぬからやめて」
確かにもずくアイスはあまりおいしくはないけれど、これはこれでいい。不味いからこそ食べる価値がある。
いや、そこはどうでもいい。大切なのは巫が光に会いに来たと言う事実そのもの。日本政府の保有する称号持ちの中でも上から数えた方が早い貢献度を誇るこの称号持ちの力を1言で表すなら未来予知だろうか。
割とメジャーな能力だ。日本政府でも卜者、外国に行けば神々から声を聞くと言われる枢機卿なども、これにあたる。
だが、その中でも1線を画し最高の称号とまで噂されるのが巫だ。詳しくは未来予知ではなく、未来確定分岐点知覚能力と呼ばれている。
通常の未来予知は、未来を知るだけの弱い力だ。それも見たいものを選べる訳でも、必要なものが見れる訳でもない。だから卜者ならば人を簡単に導く程度だし、枢機卿においても神託などと言う神々の噂話を盗み聞きする程度のものだ。
だが、巫の未来確定分岐点知覚能力は違う。彼女が見るのは未来が確定する場面。
未来はいつでも揺蕩っている。海に浮かぶ藻屑のようにあちらこちらに揺れて、波が起きれば簡単に沈んでしまう程に不安定だ。
それを人は可能性と呼ぶのだが、しかし今が未来に行き着くには必ず通らなければならない地点がある。未来確定分岐点と呼ばれるそれを巫は見通す。
未来確定分岐点の行動によって、どの未来を辿るか確定するのだ。
つまるところ彼女は世界で唯一、未来を自分の思う方向に変えられる可能性を持つ称号持ちと言うことだ。もっとも、あくまで存在するのは可能性だけだ。
海に揺蕩う藻屑を自分の思う通りの場所に導くなど困難を極める。おまけに、彼女が見ているのは分岐点でしかないので、その後にどうなるかがわからない。
よかれと思って行動したところで、更に悪化した未来へ導く事になるかも知れないのだと言う。
「光ちゃん、人に迷惑かけちゃダメだよ」
「こ、この年になってちゃん付けはやめて欲しいんだけど」
「ごめんなさい空気読めてなかったね、ちょっと飛行機チャーターしてノーロープバンジーきめてきていい?」
「うん、やめて」
こんな時代だ、世界の破滅なんて今回に限ったことではなく、人類は割と綱渡りに生存してきた。だけれど、その中でも最大の脅威と言えたのは10年前のことだろう。
特殊称号竜を与えられた蜥蜴が暴走、ユーラシア大陸を両断して、そのまま世界を滅ぼすまで暴れ回った竜王騒乱事件。そこで彼女は分岐点を見た。
親友が死ぬと言う未来に発狂して尽力したが、世界レベルの分岐点を変えられる力はなく、竜王と正面からぶつかり合って消滅させることは出来たものの、称号の力に体が耐えきれず霧散した。消えていく姿はまるで幻のようだったと言う。
はじめから存在していたのかわからない程に跡形もなく消滅した。塵も残らず、世界に何かを残すこともなく無になった。
かくして命を尽くして世界を救った英雄が出来上がり、巫は絶望のあまりに自らの両目を抉り出したのだ。
それから彼女が表舞台に立つことはなくなったはずだが。
「光ちゃんが死ぬのは、きっと変えられない」
朗々と紡ぐ巫の言葉は重たい。彼女の見た未来は変えられるが本人が無理だと諦めたなら、その未来は確定する。可能性は諦めることで完全に潰えてしまう。
「だけど、だからって他の人を巻き込むのはよくないと思うの。わかってる、もう決めたことなんでしょ?太陽くんに話通してるもんね。知ってる、知ってるけど言わせて欲しい。迷惑だから____やめてくれない?」
「嫌だね」
「知ってる、じゃあ言い方を変えましょう。やめなさい、光。やめないならば、手足をちぎってでもやめさせる。もう、あの時の私とは違う」
「お互い用意は終わったな?」
「……はい、我が君」
いつの間にか周りに人は誰もいなくなっていた。彼女との会話中に退避させたか、そもそもはじめから誰もいなかったのだろう。
だけれど、それはこちらも同じ。神子はすでにセーレが安全な場所に連れていった。
「俺には勝てないよ、俺に勝てるとしたら、太陽くらいだ」
それは彼の強さ故ではない。そもそも戦える称号持ちが日本には3人しかいないからだ。勘違いされがちだが、戦闘に特化した称号持ちは少ない。
そもそも称号持ちの保有数が他の大国の半分程度しかいない日本は尚更だろう。その程度の国だ。普通なら攻め滅ぼされてしかるべきなのだろうが、10年前には抑止力として竜殺しの英雄「明星」がいて、今は彼女の代わりを光が務めている。
何が言いたいか。つまるところ、この無名の魔王は日本にとって決して手放せない称号持ちの1人なのだ。
能力だけならば太陽も破格だが、彼の称号は制約が防衛向きではない。だからだろう、神子の誘拐などと言う暴挙に出ても、日本政府が極力彼を敵に回そうとしなかったのは。
一般人にはわからない感覚だろうが称号持ちからすれば家を吹き飛ばされるくらいは許容範囲だ。太陽なら喜びのあまり笑うだろうが。
つまり、時雨は光に勝つ術はないのだ。手足をもがれようと目を潰されようと止まらない彼に勝つには殺すしかない。しかし魔王が死ねばすぐにでも大国は日本を取り込む用意をするだろう。
かつてはアメリカと呼ばれた大陸を統べた大国、イプールリバスウナムなどは嬉々として称号持ちを送るだろうし、10年前に助けた西ロシアでも変わらない。
まあ、どのみち。
「巫が魔王に勝てる訳もないし、太陽には話を通している。正義の味方は、こう言う場面で出張ってくることはないだろうし、最後の1人は最終手段だしな。後はまあ、自衛隊でも何でも呼んでみればいい」
「まあ、そうでしょうね。確かに同じ非戦闘系統でありながら私達では保有する戦力に差がある。でもね、ないなら補えばいいって私は思うの」
「は?」
「申し訳ありません、我が君」
それは彼が最も信頼する女の声だ。
それは彼の保有する唯一の戦力の声だ。
それはたった1人の眷属の声だ。
有り得ないと叫びそうになる声帯を抑えて、光はゆっくり後ろを向いた。精神を操るタイプの称号持ちなど、この世に存在する訳もなく、この行動が彼女の意思によるものであると理解させられる。
「私がなぜ、あなたが死ぬことを許容できましょう。おやすみなさい、おやすみなさい」
その言葉を最後に光は気を失った。