97話
悪魔に滅ぼされた三公国は、各国から注目されていた。特に神聖ミレニアは悪魔に対して敏感であり、強い警戒心を持って諜報員を派遣していた。
だが……
「ほう、なるほど。天使どもは私たちのように封じられているのですか」
諜報員たちはあっさりとサテュロス、つまり傲慢の高位悪魔スペルビアに捕まって逆に情報を抜き取られていた。結果として集まった情報はかなり重要である。
セイと大悪魔マリティアもその場で聞いている。
「天使ってお前たちの宿敵だよね?」
「ええ。そうよ」
「封印って……おいおい」
高位悪魔は剣に封印され、竜殺剣として利用されていた。
つまり、高位天使たちも同じように封印によって利用されていると推察できる。セイはスペルビアに尋ねた。
「どんな風に封印されているか分かる?」
「詳細はこの男も知らないようですね。しかし利用方法は分かります。神聖ミレニアという国では有名な事実のようですから。白銀の聖騎士団という僅か八人の騎士団が存在し、その者たちが自らの肉体に天使を宿して力を引き出すようです。私たちとは異なる利用法ですね。あまり大きな声では言えませんが、実に無様です」
「あらスペルビア。私に喧嘩を売っているのかしら?」
「滅相もございません」
高位悪魔たちも剣に封じられ利用されていたのだ。そしてマリティアは神剣として祀られていた。大きな声では馬鹿に出来ない。
一方でセイはスペルビアに再び問う。
「で、天使を憑依させるのは分かった。戦闘力は?」
「純粋に高位天使どもの力が上乗せされるようですね。それに眷属召喚も使えるようです」
「下位悪魔や中位悪魔を召喚するアレか?」
「ええ。天使にも同じスキルがございます。『神界聖天門』と言いまして」
「『魔界瘴獄門』と似てるって訳か」
ここで問題なのは、七体の高位天使や一体の大天使と同等以上の存在が組織として同時に襲ってくる可能性が高いことだ。今のセイではどう考えても勝てない。高位悪魔たちが協力してくれたとしても、敗北する可能性は高いままだ。
それはもう一つ、白銀の聖騎士団が保有する大戦力と関わっている。
「白銀の聖騎士団は聖竜王を使役しているそうです。厄介ですね」
この事情はセイもあらかじめ知っていた。聖竜王の使役は有名な事実のようで、少し調べれば簡単に知ることが出来る。既に氷竜王を除く全ての竜王が人類の手に落ちているとは言え、聖竜王に関しては非常に厄介だ。竜王の一角と敵対しなければならないのだから。
「まぁ、こういうことを想定していたからスペルビアに任せたわけだ。サテュロスを利用して三公国を上手く支配してくれ。表向きは正常に見えるようにな」
「ええ。ルクスリア、グラ、アケディアも手伝っていますからね。あと数日で盤石に仕上げて見せましょう。ところで魔王様、イーラはどうされるのですか?」
「できれば俺とマリティアの手伝いをして欲しくてね。三公国の南部……エスタ王国を滅ぼすために、イーラには先に動いて貰っている。まぁ、彼女に相応しい任務を与えたつもりだよ」
セイにはまだ三公国でやるべきことがある。サテュロスの支配体制は悪魔たちに任せるとして、自由組合とのやり取りをしなければならないのだ。自由組合理事の一人であるネイエス・フランドールと契約を交わしてアルギル騎士王国を支配させたように、三公国の扱いについても交渉しなければならない。
だが、そちらの交渉はすぐに終わる予定だ。
そもそも既にサテュロスが経済支配を実行しているため、自由組合に入り込む余地はない。支配体制の下に加えて貰うことが精々だろう。それに三公国は竜脈の減衰により、元から豊かな土地ではないため、自由組合も絶対手に入れたい場所ではないのだ。
つまり、セイとネイエスはお互いに確認し合う程度で終わらせるつもりである。
「次はエスタ王国。神聖ミレニアが三公国に目を向けている隙に次を落とす」
魔王の次なる目的はエスタ王国。
より正確には、その王国が保有する最古の迷宮だった。
◆◆◆
エスタ王国はエスタリオ王家によって統治されている。この王国の特徴は複数の迷宮は生かしたまま保有していることだ。その数は合計で七つ。その内の一つに、初代魔王が生み出したとされる最古の迷宮が存在する。
最古の迷宮は現代に至るまで複数の魔王が手を加えており、つまりは複数の魔物が存在する。地上から地下へと潜っていく地下階層型迷宮で、この最古の迷宮だけは攻略されていない。
しかし、それ以外の六つは既に攻略済みで、今では魔物からドロップアイテムを回収するための資源採取場となっている。魔物からドロップする素材を外交の手札として利用し、エスタ王国は圧倒的な富を得ていたのだ。
「うむ。今日も素晴らしい光景だ」
国王デビッド・エスタリオは王宮のテラスから王都を眺めるのが趣味だ。望遠鏡を使って毎日のように街並みを観察している。
王宮から望遠鏡を使って眺めると、街の全てを見ることができる。
国民の家も、中庭ならば覗き込めたりする。
彼は国王であることをいいことに、人々の生活を覗き見ていたのだ。そして偶に女性が水浴びをしていれば、その裸を見ることもできる。デビッドの秘かな楽しみでもあった。
「おおっ!」
そして今日は運よく、水浴びをしている女性を見つけた。
デビッドは興奮する。
(何と美しい。まるで美に愛された女のようだ)
彼は妻を持っているし、側室も三人いる。勿論、後継者となる王子も複数いる。
だが、デビッドは水浴びをしている女性に恋してしまった。一目惚れというやつである。
これまでは女性の水浴びを覗いてもこれほど恋焦がれることはなかった。性的に興奮することはあっても、恋することはなかった。
デビッドは側近に命令する。
「あの家の女を調べよ」
「は? しかし……」
「調べよ!」
「……仰せのままに」
国王の命令は絶対だ。
側近も「調べるだけなら……」という気持ちで命令を実行する。それがエスタ王国を致命的に追い込むとは予想もできずに。
◆◆◆
エスタ王国はこの大陸で唯一、自由組合の力が及ばない国だ。
その理由は、自由組合に変わる組織が存在するからである。アドラメレクという総合大企業だ。金融、工業、農業、建築、医薬、そして迷宮攻略。それらを一手に引き受ける一大組織なのである。残念ながら影響力はエスタ王国の中だけだが、逆にエスタ王国ではアドラメレク以外の企業は弱小ばかりだ。実質、社長はエスタ王国において国王に匹敵するほどの影響力がある。
(ふん。ここが冒険者ギルドか)
憤怒の高位悪魔イーラは、エスタ王国の王都へと訪れていた。その目的はアドラメレクに入社することである。
エスタ王国に存在する七つの迷宮は、全て王家の所有物だ。しかし、攻略しているのはアドラメレクの冒険者ギルドという支社である。迷宮を開拓し、その素材を持ち帰るのが冒険者の役割だ。つまり、資材調達班というわけである。
(全く……なんで私がこんなところで働かなければならないのだ)
文句を言いながらも、イーラは中に入る。
幸いにも、冒険者ギルドに入社試験はない。命を張って迷宮を攻略し、素材を持ち帰るのが冒険者の仕事だ。迷宮攻略に必要な技能を持たない者は、必然的に淘汰される。尤も、アドラメレクは迷宮攻略に必要な技能を教えてもいる。食料配分、魔物の生態、警戒の仕方、キャンプに必要なものなど、戦闘以外の知識や技能も多く必要だ。それらを学ぶための仕組みはしっかり整えられている。
つまり、ある程度の覚悟があれば、一から勉強して冒険者になることも不可能ではない。実際は戦闘力の高い者しか門を叩かないが。
世界最高クラスの戦闘能力を保有するイーラなら、冒険者としてすぐに活躍できると期待できた。餓死の心配がないイーラなら、本来必要な知識もほとんど必要ない。
それでセイは彼女を送り込んだのである。
イーラは文句たっぷりだったが。
「冒険者になりたい。早く手続きするのだ」
「新規入社の方ですね。こちらの書類に記入をお願いします」
「む……」
渡された書類は、契約書だった。
雇用条件が長々と記され、最後にイーラの素性を問う設問とサインの欄がある。素性に関しては年齢と性別と出身国が問われる程度。幾らでも嘘を記せる。
本来は雇用条件を熟読するべきだが、面倒臭がったイーラは設問欄とサインをササッと埋めた。ちなみに彼女は字も書けるし、あらゆる言語を話せる。これはセイと同じだった。世界の管理者側である高位悪魔には、こういった技能がインプットされている。
「……確認いたしました。イーラさんの入社は今日中には承認されるでしょう。ギルドマネージャーが受理すれば、無事に冒険者となります」
「分かった」
「社員証の発行は明日になります。こちらが引き換えとなる証明書です。明日まで無くさないでくださいね。再発行は時間がかかりますので」
「そうか。明日に来ればよいのだな」
「はい。お待ちしてますね」
すぐに働けるわけではないことがイーラにも分かった。
ならば用はない。
イーラは踵を返し、ギルドから出て行った。




