96話
大悪魔マリティアに敗れた紫電将軍アイリスは、早々に戦場から撤退して東に逃れていた。
闘いで魔力も尽き、戦う気力も起きない。
彼女は戦闘狂だが、無駄死にしたい訳ではないのだ。改めて万全の時に大悪魔と戦うことを胸に誓い、東の大帝国を目指していた。大帝国を目指す理由は、まだ大帝国に争いが残っているからである。
「あらぁ?」
アイリスの近くに強大な気配が引っかかる。
見上げれば、漆黒のドラゴンがいた。既に呪いで消滅したアリオンを目指す深淵竜である。アイリスの上空を飛んでいたことに他意はない。ただの偶然だった。
だが、ただの偶然にしては不幸過ぎた。
「丁度いいところに面白そうなものがいるじゃない」
オリハルコンの軍刀を抜く。
魔力を流すと紫電が弾けた。
アイリスは空を飛ぶ深淵竜を睨みつける。凄まじい魔力が沸き上がったことで、流石の深淵竜も気付く。
しかし遅すぎた。
アイリスが一閃すると、嵐属性の斬撃が飛ぶ。
氷竜王の姿をコピーしたはずの深淵竜が一撃で真っ二つとなる。確かに魔力をあまり吸収していないアビスではあったが、それでも簡単には倒せない。それを一撃で倒してしまったのだから、流石は最強の将軍というべきである。
「なによ……つまらないわねぇ」
ポトリと落ちてきた魔石を拾い、溜息を吐く。
振り返ると、混沌の呪いが炎のように燃え上がっている。あの場所には、アイリスが恋焦がれるほど興奮した戦いの相手イーラがいる。しかし、魔力も消費しきった今は向かっても愉しい戦いはできないだろう。
「もっと強くなっておかないとねぇ……」
アリオンから離れる途中、アイリスは大悪魔マリティアの本気を見た。
自身の切り札である《紫電の雷神》にも似た魔術を。実際に戦った憤怒の高位悪魔イーラも中々の相手だったが、大悪魔マリティアはそれ以上である。
思い出すだけでアイリスは心臓が高鳴り、体が疼く。
「ふふ……」
アリオンは呪いによって蝕まれ、その上空には無数のドラゴンが舞っている。空を見回せばまだまだ漆黒のドラゴンが集まりつつあることも分かった。
万全の魔力があれば、あの中に飛び込みたいと思う。
しかし、自分がもっと強くなればさらに愉しむことができる。
妖しい笑みを浮かべたアイリスは東へと消えていった。
◆◆◆
混沌に侵されたアリオンの上空は更に混沌としていた。
魔王、大悪魔、四体の高位悪魔、そして千体を超える深淵竜。都市を瞬時に滅ぼせる大戦力が集まった。
ただ、滅ぼすべき都市は既に滅びている。
「ようやくか」
セイは予定通り、三公国を滅ぼした。
数年という準備期間の末、ようやく実現したのだ。やり切ったという感情が湧いてくる。
(予定外のモノも手に入れたし、かなり順調かな)
アビスが発見した王異種ユグドラシルはかなり使えると考えている。これを利用すれば、次の目的であるエスタ王国をより楽に攻略できる。
そして三公国の各都市にあった魔力核もすべて回収し、セイの魔力量は一気に増大した。魔力核は魔王の分身とも言える物質であり、魔王自身が魔力の器を分けて作成する。そのため、回収して吸収すれば魔力総量が増えるのだ。
今のセイは、初期に保有していた魔力総量の四倍以上になっている。元から魔力量が多い魔力の精霊王が更に魔力モンスターになっていた。
「魔王様」
「スペルビア?」
「マリティア様が落ち着かれたようです」
混沌魔力と融合して暴れまわっていたマリティアもすっきりとした表情をしている。彼女のお蔭で、アリオンの周りに生き残った者はいなくなった。
この戦争の結末も、アリオンが滅びた直接的原因も、誰一人として知る者はいない。
正確には大帝国方面へと逃れたアイリスのみ知っているのだが、彼女を除くすべての人類は間違いなく死んだ。
マリティアはセイに話しかける。
「愉しかったわ。久しぶりの殲滅は」
「それは良かった」
「まだ万全じゃないけれど……かなり取り戻したわね」
マリティアはまだまだ万全の状態ではなかった。封印の影響が残っているので、少しばかり弱体化している。しかし、今回の大虐殺でかなりの感覚を取り戻しており、魔力を全力で解放する戦いは支障がなくなった。
後は細かい扱いに慣れればほぼ元通りである。
「愉しませてくれたお礼よ。何か、一つだけ言うことを聞いてあげるわ」
「それは丁度良かったよ。頼みたいことがある」
「ふふ。言ってみなさい」
「また国を滅ぼすつもりなんだけど、それを手伝って欲しくてね。あ、スペルビアたちはしばらく三公国に残って欲しいかな。特にスペルビアはサテュロスを利用して経済を支配して欲しいし」
サテュロスはスペルビアが立ち上げた裏の組織であり、表の企業をマスクとして経済に食い込んでいる。ただ、その支配が行き届いているのはグロリア公国だけであり、ドロンチェスカ公国とフィーベル公国までは及んでいないのだ。
スペルビアはサテュロスを利用して三公国を裏から支配する予定なのである。
そのため、アリオンを除く都市では深淵竜による破壊を最小限にとどめた。復興によって儲けるため、ある程度の破壊は行っているが。
勿論、スペルビアはセイの要望を了承した。
「勿論でございます魔王様。今後はルクスリアも手伝ってくれるということですから、更に支配は楽なものになるでしょう。ルクスリア?」
「ええ。任せて頂戴」
悪魔はその圧倒的な力によって人類を滅ぼすが、時には智謀を巡らせる。スペルビアはどちらかというとそのタイプだ。そしてルクスリアは権力者を女の魅力で誘惑し、魅了して惑わし、内部から崩壊させるという手法を得意としている。
憤怒のイーラは自身の力で破壊を振りまくし、怠惰のアケディアは高みの見物をしながら召喚する眷属悪魔でチマチマ都市を潰していく。暴食のグラは食料を喰い尽くし、人類を飢死させることもある。
高位悪魔もそれぞれの特色があるのだ。
これで三公国は滅びた後も他国に手出しされることなく、無事に復興するだろう。
セイは念のため、グラとアケディアに頼んだ。
「アケディアとグラは他国からの干渉を撥ね退けて欲しい。軍隊を送ってくるようなら密かに全滅させ、調略してくるようなら暗殺……そんな感じで」
アケディアは少し嫌そうな表情を浮かべたが、それでも頷いた。面倒なのだろう。
グラは問題ないと言った様子だった。一見すると愚鈍なグラだが、実は技巧派で頭も良い。相当に腹を空かせている時以外は理性的なのだ。
「それでセイ? あなたは自分の魔物をこんなに集めてどうするつもりかしら?」
「ちょっとね。三手先の布石にと思って」
「布石?」
「次はエスタ王国、その次はシルフィン共和国のエルフ共。その二国を滅ぼせば、この大陸に残っているのは最大の難関、大帝国だけ。その大帝国の戦力調査をしたくてね」
セイは東を向く。
そして右手を掲げ、振り下ろした。
「一六九二体のアビスを向かわせる。魔物の大侵攻ってね」
深淵竜は吼え猛り、一斉に東へ向かって飛翔した。
◆◆◆
大帝国は古来より侵略を繰り返し、版図を拡大してきた。一番初めは大陸の一番東にある小国だったが、いつしか並ぶ国のない大国家へと成長していた。
皇帝は祖先を称えてか、一度も遷都することなく古来からの首都にて君臨している。
大陸最大の都市にして、大陸最東端の都市……それこそが帝都だ。
皇帝の住まう城を中心として今も広がり続けており、技術も日進月歩で向上している。そんな帝都のシンボルとも言える皇帝の城で、一つの報告がされた。
「陛下、空を覆う竜の大軍でございます」
跪いた防衛大臣が告げる。
その先にはすだれと布で覆い隠された皇帝の玉座があった。勿論、その座にいるのは大帝国を統治する今代の皇帝である。
皇帝に名はなく、称号で呼ばれる。
「赫帝陛下、ご覧ください」
大臣が目配せすると、配下の一人が機械を操作した。すると玉座から見えやすい位置に真っ白なスクリーンが降りてくる。更にプロジェクターにより、映像が映し出された。
かなり鮮明な映像である。
「偵察機にて竜の大侵攻を見張り、また先にある都市へと通達しております。この先に位置する都市はナーシュラ。そして朱雀軍を展開しております。偶然にも軍団長殿がおられましたので、専用機と共に陛下の命令を待っておられます」
大臣はそこまで述べて、チラリと赫帝に目を向けた。
すると赫帝は抑揚に頷き、口を開く。
「よい。零式朱雀の使用を許可する」
「ははっ!」
「良い余興だ。余は退屈しておる。つまらぬものを見せてくれるなよ」
「御意に。朱雀の軍団長殿にもお伝えいたします」
大臣は地面に触れるほど頭を垂れ、立ち上がって赫帝の前から去って行った。
スクリーンには漆黒の竜が空を埋め尽くすほどに映されており、普通ならば絶望するしかない。しかし、赫帝は非常に退屈そうだった。
そして戯れに、侍女へと問いかける。
「エルリよ」
「はっ! 如何なさいましたか陛下?」
「此度の大侵攻……あまり時間もかからず終わりそうだな」
「当然でございます。赫帝陛下の朱雀軍が待ち構えておりますゆえ。そればかりか、軍団長閣下までおられるのです。秘匿兵器たる零式朱雀の運用を決定なされたのですから、僅かな時間で解決することになりましょう」
「うむ。ではエルリよ。余と賭け事をしようではないか」
「恐れ多くございます」
エルリと呼ばれた侍女は表情一つ変えない。
皇帝の側に控える者は大帝国において最高の教養を持っており、社交にも長けている。困ったことを言われて困った表情を浮かべるのは三流だ。皇帝のどんな要望にも自己を排して応えなければならない。
たとえ様式美として一度断らなければならないとしても、そこに淀み一つあってはいけない。
「気にすることはない。そうだな……余は四十七分で撃退と予想し賭けよう。大侵攻の撃退にかかった時間がより近い方が勝ちだ。そなたが勝てば百金貨を寄越そう」
「恐れながら……このエルリは三十四分に賭けると致しましょう」
「うむ。結果が楽しみだ」
国を揺るがすはずの大侵攻も、赫帝にとっては戯れでしかない。
それもそのはずだ。
大帝国の戦力を持ってすれば、竜が千体以上やって来たところで問題ないのだから。
「はっはっは。あの竜の大群が余の軍勢にどれほど耐えられるか……楽しみだ」
◆◆◆
アビスたちは間もなく、大帝国の西に位置する都市ナーシュラへと辿り着こうとしていた。このナーシュラはかつて大帝国に滅ぼされた国の首都であり、かなりの規模を誇っている。
当然ながら、都市を守護する無属性結界魔道具も設置されていた。
『目標の都市を発見』
『攻撃開始』
『ブレス掃射を用意』
千を超える深淵竜の内、前面に展開している深淵竜たちが口に魔力を溜めた。青白い魔力光が輝き、破壊の魔力情報体が込められる。
竜種のブレスが強力なのは、圧縮された魔力に破壊の情報体が含まれているからだ。
まだあまり魔力を吸収していないアビスたちのブレスでは大した威力にならないが、本来の竜種のブレスはかなり強い。それこそ、数百の竜種が一斉にブレスを放てば街が木っ端微塵になるほどだ。
劣化版とは言え、深淵竜のブレスが放たれた。
数百の光は一直線にナーシュラへと吸い込まれる。
だが、全て結界に阻まれた。
『破壊を確認できず』
『データにある結界魔道具よりも強固であると推測』
『ブレスによる破壊は困難』
『取り囲み、直接攻撃を提言』
情報はアビスネットワークであっという間に共有される。
そして深淵竜は軍隊のように整然とした動きで二手に分かれた。そしてナーシュラを取り囲むようにして飛び回る。
一斉に全方向から直接攻撃を与え、結界を破壊する算段だ。
だが、大帝国軍所属朱雀軍団も黙ってはいなかった。
ナーシュラを囲む無属性結界は半球状に展開されており、その頂点に何者かが立っていたのだ。距離が遠くて確認できないが、男であるように感じる。
『敵勢力の一体を確認』
『攻撃を開―――』
『エラー。敵勢力を見失った』
一瞬だった。
男の姿が消えたと思った瞬間、大爆発と共にアビスの数十体が消滅した。
ボトボト……と魔石が落下していく。
さらに次の瞬間には数十体、また数十体、さらに数十体とあっという間にアビスが消されていく。深淵竜モードにもかかわらず、何をされたのかすら分からぬまま数だけが減っていく。
『攻撃を感知できない』
『警告、更なる敵勢力の出現を確認』
浮遊する円盤型の機械が上昇してきた。その円盤を護衛するかのように、数人の兵士も付いている。
円盤の下部には銃身が取り付けられており、それが深淵竜へ向けられた。
銃身から熱線が放たれる。
熱線は深淵竜の翼を突き破った。
ダメージを受けた深淵竜はすぐにダークマター体から氷竜王物質を具現して修復した。しかし、熱線は連続して放たれ、しかも円盤は数が多い。次々と浮上して熱線を放ち、深淵竜を撃墜しようとしていた。
『予想以上に攻撃が激しい』
『壊滅は必至』
それはアビスたちですら勝算がまるでないと断定する攻撃密度。
深淵竜はそれなりの防御力を有しているにもかかわらず、簡単にその防御を貫いてくるのだ。これは勝てるはずがない。
更には謎の攻撃で大爆発が次々と生じ、それによっても深淵竜が葬られていく。
この後、深淵竜は戦闘開始から四十七分で壊滅。
一六九二体のアビスが吸収した魔力は生命エネルギーへと分離され、竜脈に返還された。
はい。これにて三公国の話はおしまいです。
今回は悪魔たちに手伝ってもらって、三公国を騙し、中立都市を攻めさせました。アリオンという場所に実力者や権力者を集め、一網打尽にする作戦です。アリオンの神子一族は、三公国の連合軍に囲まれては神剣を使うほかなく、その使用を余儀なくされます。
神剣を使うことで大悪魔の魔力に侵食され、神剣の使用者を依り代としてマリティアが復活。
あとは三公国連合軍ごとアリオンを壊滅させればOKです。
各都市に潜ませたアビスに暴れて貰い、残った大公一族を皆殺しにすれば三公国は大混乱。その復興のためにスペルビアがサテュロスを使います。これで三公国は実質上、悪魔が乗っ取ることになります。他国にも手を出させません。
そしてある程度魔力を吸収した全てのアビスを大帝国に向かわせて、戦力を探りつつ全滅します。そうすれば魔力も竜脈に還り、万事解決です。
これが今章の作戦でしたー。
では、次章もお楽しみに。