93話
「決着がついたな」
魔王セイ=アストラルは呟いた。中立都市アリオンの上空で戦場を観察しており、その全ての動きを一望することが出来る。
故に、この戦いが終わったと気付いたのだ。
「ドロンチェスカ軍が引いていく……思ったより決断が早かったかな。『軍神』はやはり賢い」
『軍神』カイン・アルベルト。
個の実力としては普通よりも上。しかし突出した戦闘力を保有しているわけではない。彼の最も注目するべき部分は、軍師としての能力だ。多くの戦場を経験しているのは勿論、彼のスキル『教導』により、兵士の教育においても功績をあげている。
ドロンチェスカ軍が大人しく引いたのも、彼の手際だろう。
セイはそう予想した。
(悪魔たちはアリオンで思う存分暴れている。そろそろか……アビス!)
『是』
魔王の呼びかけに応じ、中立都市アリオンに仕込まれていたアビスが暴れ始めた。最強の形態である深淵竜となり、咆哮をあげた。空気を震わせ、大地を震わせ、暗黒に染まった竜種が数えきれないほど降臨する。
そしてアビスは現在進行形で作成され続けているのだ。中立都市アリオンは魔王セイによって迷宮と化しており、殺された人々から霧散した魔力を回収して魔物アビスを作り出す。魔力核に《魔物創造》を発動させ続けることで、際限なくアビスが……いや深淵竜が生まれるのだ。
深淵竜たちは、初手の一撃とばかりに魔力を溜めて圧縮し、放った。
青白い魔力光が、破壊の光線がアリオンを消滅させる光となる。
既に悪魔たちが滅ぼしかけていたが、これにより決定的となった。アリオンの自由組合に所属する自由戦士も、協力して下位や中位の悪魔を倒し続ける。しかし数百、いやもう千に届く深淵竜の一斉掃射が一気に戦況を傾けた。
今まで自由戦士、あるいは魔術師組合の者たちが必死に守ろうとしていた街が、一瞬にして崩壊してしまったのだ。茫然として気を緩めてしまった者たちから悪魔に屠られる。
(……やりすぎたか?)
セイは少し考えこんだが、すぐにその思考は振り払った。魔王としての目的を考えれば、別にやり過ぎて困ることはない。
(情報を共有しろ)
『ドロンチェスカ軍の総数を計算』
『推定、二万九千』
『強者である『死師』アルトリウスは殿軍を担当しています』
『撤退の陣形を確認。ブレスによる一斉掃射を提案』
(竜種のブレスを止める防御魔法があるとは思わないけど……警戒するに越したことはない。それに『死師』アルトリウスは法則属性使い。アビスを使うのは早計か)
セイはこの深淵竜の使い方を決めている。あまり消耗したくはない。
混沌属性という面倒な魔術を使う『死師』アルトリウスは警戒に値する。無属性魔法では決して抗えない強烈な魔力だ。
このまま数の力でアビスによる殲滅を敢行するのも良い。
しかし、『死師』アルトリウスに阻まれて逃しかねない。
『死師』アルトリウスと戦いつつ、ドロンチェスカ軍を殺せるような策といえば、一つだけだ。
「やっぱりマリティアに任せるのが一番かな?」
「あら? 呼んだかしら?」
「お、丁度良かった」
気絶したイーラを抱え、マリティアがセイの側に現れる。まるで予定調和だった。
「紫電将軍は逃がしたのか?」
「ええ。人間の中では見所があったの」
大悪魔ほどの悪魔が認めた人間だ。期待して良いだろう。
しかし、この場合において『認めた』とは良い意味ではない。人類の間引きに利用できるという面において認められたのである。
セイとしては、自分を殺す可能性のある人間が野放しになることに若干の忌避がある。注意して情報を集めるべきだと考え、情報収集の優先リストに加えた。
その情報はアビスネットワークを通じて全てのアビスに共有される。
「マリティアにあそこの……ドロンチェスカ軍の殲滅を任せたい。混沌属性を使うアルトリウスって魔術師が厄介でね」
「あら、人類の中にも至る奴がいたのね。不快だわ」
マリティアは非常に不愉快とでも言いたそうだ。
それもそのはず。彼女からすれば、ゴミにも等しい人類が自分と同等の力を使うのだから。今すぐにでも滅ぼしたいという意思が表情に現れている。
「やる気になってくれたようでなによりだよ。出来るだけ周囲を巻き込むように戦ってくれたら嬉しい」
「お安い御用ね。この子を任せるわ」
「分かったよ」
セイはイーラを受け取る。そして懐から短剣状のアビスを取り出し、深淵竜へと形態変化させた。その背に乗り、これまで足場にしていた無属性魔術《障壁》を消す。
そしてイーラを深淵竜の背中で寝かせた。
「私は行くわ。楽しい楽しい虐殺にね」
悍ましいほど歪んだ笑みを浮かべ、大悪魔マリティアは飛び去って行く。セイは魔力感知で、マリティアが凄まじい魔力を練り上げているのを感じた。よほど疎ましいようだ。
「おっと……俺もやることやらないとな」
勿論、セイとてまだまだやることはある。
むしろここからが本番だ。
「三公国の各都市に潜むアビスに命令する」
アビスネットワークを通じて、三公国に潜むアビスへと命令が下った。中立都市アリオンに仕込まれていたアビス、あるいは迷宮化したアリオンで新しく生まれたアビスたちとは別のアビスである。
「全ての都市にある結界魔道具……その動力の魔力核を持って来い。その際に大公を殺してしまえ。城ごと吹き飛ばせば簡単だろうさ」
『是』
最後の仕上げとして、三公国で使用されている歴代魔王の魔力核を回収する。無属性魔力を発する魔力核は、都市全てを守護する大結界の動力として利用されるほか、研究試料としても使われている。
フィーベル公国、ドロンチェスカ公国、グロリア公国内にあるすべての都市でアビスによる情報収集を行った結果、魔力核の所在は判明済みだ。
(今回は全ての責任を悪魔に押し付けられるから……好きに暴れて後は放置でも大丈夫だね)
アルギル騎士王国を滅ぼした時は、各国に対する影響を慎重に考えていた。この国は回復薬ポーションを生産、輸出しており、多くの需要がある。滅ぼした時、魔王が関わっていると知られたら全力で滅ぼしに来るだろう。
そこで自由組合理事であるネイエス・フランドールと手を組み、回復薬の生産を引き継がせた。
これにより、各国は今まで通り回復薬ポーションや魔力回復薬を手に入れることが出来る。
海を越えた西にある神聖ミレニア、内乱で忙しい南の三公国、肥大化し過ぎた国土を治めるのに手いっぱいな東の大帝国。これらの状況を考慮した上で、あのような決着を付けた。
しかし今回は違う。
三公国は内乱で乱れていた国であり、竜脈の減衰で土地も痩せている。他国からしても、干渉に値する国家群ではない。魔王という存在が無暗に世を乱しても、他国は観察に留まるだろう。
何より、悪魔という絶対的な『悪』が表に登場したのだ。そして三公国は悪魔討伐という名目で軍を出している。これ以上に無く悪魔の存在が輝いている今なら、他国も悪魔の方を重要視するハズである。
「後は待つだけかな……」
『報告、フィーベル公国首都ヘルファンドの魔力核を奪取しました』
『報告、ドロンチェスカ公国首都フレイズの魔力核を奪取しました。続いて城を破壊し、大公ゼノン・ドロンチェスカを抹殺します』
『報告、グロリア公国首都パーテスカの魔力核を奪取しました。およびレイトン城を完全破壊完了です。大公ペリック・グロリアのみならず、その一族全てを抹殺完了しました』
『報告、ドロンチェスカ公国都市カイレンに存在する魔力核三つ全てを確保しました。アリオンへ向かいます』
『報告、グロリア公国都市カールテッドの魔力核を二つ全て奪取しました』
『報告フィーベル公国都市ファンネルの魔力核奪取に苦戦。研究所が厳重な警備により守護されています』
『報告――』
次々と情報が共通されていき、セイは情報を整理していく。
予想が正しければ、一日以内に魔力核が届くだろう。三公国はスペルビアが統率する闇組織サテュロスが根を張っているので、都市そのものを完全破壊することはない。ある程度のダメージを与えた後、サテュロスが経済という力で進出していく手筈となっている。
復興という特需が起こるので、それに乗るのだ。
混乱する三公国をスペルビアが支配する。
そんなことも可能だろう。
ともあれ、セイは三公国の後始末を悪魔に丸投げしたのだ。後は眺めるだけでよい。まずはマリティアに任せた、ドロンチェスカ公国軍殲滅を観察することに決めた。
◆◆◆
中立都市アリオンには無数の悪魔が湧いている。スペルビア、ルクスリア、アケディア、グラの四体が発動したスキル魔界瘴獄門によるものだ。
下位悪魔と中位悪魔がドロンチェスカ公国軍にも襲いかかる。
しかし、それを防ぐのがドロンチェスカ公国の番外将軍アルトリウスだ。
「おやおや。これは実験の甲斐もありますよ」
彼はドロンチェスカ公国が秘匿する大魔術師である。悪魔をも超えるような魔力量に加え、最強の魔力である混沌属性を操る。たった一人で国家を破壊できる魔術師だ。
そして彼の重大な欠点は、実験のために倫理観を捨て去る部分である。
《八首瘴龍》は生命力を削り取り、吸収することで巨大化していく。下位悪魔や中位悪魔を喰らい続け、今では見上げるほどの巨体に成長していた。そして八つの頭部からは混沌の吐息を撒き散らし、環境汚染を広げる。
既に大地は枯れ、竜脈も乱れつつあった。
同時にアルトリウスは空間中に散布されている混沌の瘴気を凝縮し、屍骨兵を作成する。怨みや呪いを凝縮してアンデッドを作成する死霊術の一種だ。この死霊術とも呼ばれる混沌魔術《屍骨破軍》が盾となり、悪魔たちを押し留めていた。
「くくっ! 悪魔をサンプルとして持ち帰りたいですからね。幾らかは捕らえなくては」
彼は混沌属性を研究するにあたって、古代の文献から悪魔についても調べた。何故なら、大悪魔が混沌属性を扱うことは一部の文献で知られているのだから。
基本的に法則属性は、一般に秘匿されている。
しかし、アルトリウスほどの魔法学者ならば秘匿級の文献を閲覧できた。
その中にあった悪魔と混沌属性の関係性。もはや決して実験できないと諦めていた分野だったが、いまここでその目的が叶おうとしているのだ。アルトリウスの興奮が冷めることはない。
「今から解剖実験が楽しみですよ。人間の解剖は飽きましたからね」
彼に野望はない。
しかし、あまりにも身勝手な願望がある。
自らに宿った最強の魔力を極めたい。そのためならば、あらゆる犠牲を強いるという強い意思が。
アルトリウスは考えた。
矮小な人間という種族では、魔法を極めることなど不可能である。単純な魔術の探究、文献の発見、混沌精霊の調査……やりたいことは幾らでも思いつく。しかし、それらを全てこなすには時間が足りない。寿命というタイムリミットが常に押し寄せているのだ。
故にアルトリウスは人類という存在から脱することに決めた。
混沌の力を使い、不死者へと転生する方法を探している。そのために、無限の寿命を持つと言われる悪魔は格好の研究材料だった。
しかし、そこに混沌の嵐が吹く。
「消えなさいな」
黒い暴風が辺り一帯を吹き飛ばした。そして、黒き風に触れた屍骨兵は一瞬で塵となり、消滅する。また肥大化した八首の竜も力を減衰させ、半分以下の大きさとなった。
アルトリウスは流石に驚く。
「なんと! 私の混沌魔術が? まさか生命属性の……いえ、この感覚は混沌属性のエネルギーロストですね」
「正解よ人間」
勿論、大悪魔マリティアの仕業である。上空からゆっくりと降り立ち、アルトリウスに語りかけた。
そしてアルトリウスの《屍骨破軍》を消し去り、《八首瘴龍》を弱体化させたのは、マリティアの混沌魔術《混沌死嵐》である。
混沌属性はエネルギーを削り取る性質を持っている。
「欠損」の魔力的特性を極めた結果、このような力を持つのだ。
質量エネルギーや怨念などの概念エネルギーすら削り取り、物質的に対象を消滅させる。それは混沌魔術で創られた存在も例外ではない。
「まさか私以外の混沌属性使いに会えるとは思いませんでした。感動ですね」
「ふふ。同意ね」
二人の会話に違和感はない。
しかし、そのままの意味ではなかった。
「くくくっ! 実験を始めましょう! 私が更に混沌を極めるために!」
「私以外の混沌属性は必要ないの。消えて頂戴ね」
世界を巻き込み、混沌の猛威が吹く。