91話
蘇った大悪魔マリティア。
彼女はまず初めに、秘めたる魔力を解放した。
「はぁぁぁぁ……あははははは!」
神剣という器に閉じ込められていた五百年を思うと、その解放感は爽快の一言に尽きる。不老不死である悪魔は――より正確に表現すると、死んだ場合は転生する――人類とは比べ物にならないほどの生命エネルギーを抱えている。
そして魔力とは生命エネルギーと意志を練り上げたものであり、故に悪魔は膨大な魔力を保有しているのだ。同様の理由で長命種族であるエルフも魔力保有量が多いのだが、ここでは置いておこう。
大悪魔マリティアの放った混沌の魔力は、生死という概念に混沌をもたらした。
法則属性、混沌魔術《大葬軍》。
マリティアが殺した生物をアンデッドとして蘇らせる術式である。ボコボコと土が盛り上がり、大地から無数の腕が飛び出た。それらは白骨化したものもあれば、僅かに腐肉が残っているものもある。混沌より生まれ出たアンデッドたちは、全てマリティアの支配を受ける。
「これほどの魔力。流石でございますな」
傲慢の高位悪魔スペルビアは心からの称賛を表明する。
このアンデッドたちは、魔力の精霊王が作成した魔物ではない。ゴーレムと同種の魔法的疑似生物に該当する。そのゴーレムの一種であるアンデッドを、たった一人で全て制御するのは至難だ。
まして、マリティアが復活させたアンデッドの総数は数万を超える。
どれほどの偉業か、それは専門家が聞けば泡を吹いて倒れるほどである。
「私の子、私のしもべたち」
マリティアが高位悪魔を呼び寄せる。
一瞬の隙すら感じさせず、スペルビア、ルクスリア、アケディア、グラは頭を低くしてマリティアの側に控えた。
そんな高位悪魔たちにうっとりとした視線を送りつつ、命令する。
「私のために祭りを開きなさい」
「それは勿論、血祭りでございますね?」
「ええ。分かっているじゃない、スペルビア」
「光栄でございます」
人類にとっては恐ろしい死の祭り。
しかし、悪魔たちにとっては復活祭。
五百年ぶりに人類を掃除する、清めの祭りでもあった。
「その血で大地を汚しましょう。私達の好みに……ね」
高位悪魔たちにとって、その一言で充分だった。
「傲慢の高位悪魔スペルビア、人類を破棄しましょう」
「色欲の高位悪魔ルクスリア、仰せのままに」
「怠惰の高位悪魔アケディア、大雑把にお掃除するけど許して欲しいな」
「暴食の高位悪魔グラ、アケディアの残り、処分する」
解き放たれる、悪夢。
しかしそれは人類にとっての悪夢だ。
皮肉なことに、世界にとって彼らは救世主でしかなかった。
◆◆◆
神に守られた地。
勇者一行の末裔が守る地。
神聖なる地。
そのように伝承されてきた中立都市アリオンは今、死に埋め尽くされていた。マリティアが生み出した死体型の魔法生物が街を蹂躙し、命ある者たちを食らう。
比喩ではなく、文字通りの意味で喰らっていた。
「があ、あああああああああああ!」
「痛い、痛い、痛い!」
「やめてぇ……いやぁ、食べないでぇぇ」
「お願い、その子だけは!」
動く死体に食欲はない。だが、大悪魔マリティアが命じた通り、人類を見つけては喰らっていた。まさに絶望、まさに恐怖、まさに滅び。
魔術を使える者たちは必死に動く死体を攻撃する。
だが、死体は幾ら肉体が欠損しても、動き続ける。
標的である人類を求め、大悪魔の命令のままに、ひたすら食らい続けるのだ。
更には悪魔たちもアリオンを破壊し続ける。
スペルビア、ルクスリア、アケディア、グラの四体は、狙いをアリオン内部へと向けて魔術を次々と発動していた。また、スキル魔界瘴獄門により中位や下位の悪魔を呼び出し、世界を地獄へと塗り変える。
悪魔エニグマは蜘蛛のような悪魔だ。荷電粒子砲を放ち、人類を焼き、建物を吹き飛ばす。
悪魔フォルテは巨大な狼のようである。音を操り、その正体である空気の振動を操る。衝撃波が周囲を破壊する。
悪魔ガーゴイルは平凡な能力しか持っていない。しかし、武器を持った器用な立ち回りは、軍隊を思わせる。
悪魔シェルヴァは二足歩行する獣だ。気配を隠して瓦礫に潜み、近くを通った人類へと襲いかかる。生命の源である血を吸い尽くすのだ。
悪魔グラムは剣のような見た目である。柄にある単眼がギョロギョロと動き、狙いを定める。一突きで命を奪い取る凶悪な悪魔だ。
悪魔パラスは寄生する。人類へと憑りつき、その運動能力を限界まで引き出す。友だった者に襲われ、絶望の底へと落ちる者たちがいた。
悪魔ニトログリゼは鳥型の悪魔だ。その腹に付けた卵は、全て爆弾である。自爆特攻により、固まって逃げていた家族はまとめて爆殺された。
「もう無理だ! 早く逃げ……ぎゃあああああああ!?」
「自由組合は何をしているんだ。こんなのどうしようもないだろ!」
「逃げる? どこに逃げるってんだよ!」
「アリスを知らないか? 俺の妻なんだ! 誰か!」
「うわああああああ! なんで浄化が効かない。浄化、浄化、浄化あああああああああ!」
アンデッドは大悪魔マリティアの法則属性、混沌魔術により生まれた。聖属性の魔術ごときでは、到底消し去ることなど出来ない。
動く死体を生み出す《大葬軍》によってアリオンの市民は死にゆき、そして魔術《大葬軍》によって新たなアンデッドにされる。
五百年前、大陸を滅びの淵にまで追いやった、アンデッドの魔王を思わせる凄惨さだ。
その時は勇者という存在が現れた。
しかし、今は都合の良い勇者など現れない。
勇者一行の末裔であった神子一族も既にいない。いや、生きてはいるのだが、人類を滅ぼす存在へと立ち向かう、真の勇気を秘めた者は一人としていなかった。形骸化した血筋だけの愚者だけが、生き恥を晒す。
「あたくしはアリスティアの次期当主なのよ! 命懸けで守りなさい!」
愚かなるアリスティアの生き残り、モネ・アリスティアは半狂乱で叫ぶ。
彼女は代表神子であったアリア・アリスティアの叔母の従姉にあたり、勝手に次期当主を名乗っていた。それでも彼女は神子一族の血筋であるため、従者の一族である、武のフランチェスカ家は命をとしてモネを守護する。
例え守るに値しない愚者であったとしても、それがフランチェスカ家の生きる意味だからだ。
「ぎゃっ!?」
フランチェスカ家の護衛が生体魔剣グラムに貫かれる。この下位悪魔は乱戦において真価を発揮する。無数に浮遊したグラムは、何処からともなく不意打ちを仕掛けてくるのだ。
モネを守護し、襲い来るアンデッドと悪魔たちを討伐していれば、自然と隙が生まれる。
不意打ちによって心臓を抉られる護衛が続出していた。
配下や奴隷を殺し合わせる残虐な趣味の神子一族も、実戦で死を感じると恐怖を覚える。
自分は観戦するだけであり、絶対に痛みを感じることのない試合とは違うのだ。自らの命がかかった戦い、自らの死を逃れるための闘争なのである。
「あたくしは! あたくしはこんなところで……」
尊き血脈の人物も、死は等しく訪れる。
モネ・アリスティアは数百匹の悪魔ガーゴイルに囲まれ、最期を遂げた。
貴人も貧民も、強者も弱者も、男も女も、大人も子供も、何もかも関係ない。五百年ぶりに悪魔の猛威が地上を焼き、呪い、地獄と化す。
一から十まで、今代の魔王セイ=アストラルによって計画された滅亡だった。
◆◆◆
炎と呪いに包まれた中立都市アリオンの上空。
そこで無属性魔術《障壁》を足場とし、地上を観察する魔王がいた。魔王セイ=アストラルは魔力核をアリオンに仕込み、迷宮化を完了している。思考リンクにより魔力核とは常に知覚が繋がっているのだ。
当然、人類を蹂躙する悪魔のこともはっきり知覚していた。
(そろそろ魔素が溜まってきたね。魔力核、アビスを作成する)
『警告。三公国を魔王が滅ぼしたことは伏せる作戦でした。アビスの作成は、王である魔王様の関わりを示すことになります』
(警告は不要だよ。大悪魔マリティアが復活した以上、それは魔王を上回る脅威として認知されるからね。それに三公国付近の竜脈を回復させるには、魔力を還元しないといけない。迷宮化したアリオン周辺の魔素を全て吸収し、アビスを作成するよ)
『是』
アビスネットワークを介することで、セイは次なる作戦を決定した。
思考リンクによって迷宮、および全てのアビスと意識を共有し、術式を起動する。
「悪魔たちが人類を殺せば、魔素が散る。それを回収するのが俺の役目だからね。予定通り、便乗させて貰うよ」
無属性魔術《魔物創造》。
ダークマター体という特殊な肉体を持つ魔物を生み出すセイだけの固有魔術だ。ダークマター体はあらゆる物質に変質できるという極めて強力な特性を有している。その代わり、変質する先の物質を理解していなければならない。
変質していないダークマター体は脆く、下手をすれば農夫の鍬でもアビスを殺せる。
しかし、思考リンクによって記憶を共有し、戦闘経験も知能も受け継ぐ。消滅したアビスの経験すらも共有することで、無制限の成長を手にしたのだ。
成長率に極振りという極端な設計も、この思考リンクという特殊能力によって補われる。
『再演算が完了しました』
『王の要請により、魔力核とリンク』
『迷宮に存在する魔素量を計算』
『初期状態のアビスを八百四十二体生み出せると断定します』
『再演算』
『初期状態のアビスを八百六十六体生み出せると再断定します』
『エラーを発見しました』
『魔素量は常時上昇中』
『決定します。アビスは五百体の生産』
『残る魔素を初期状態のアビスに吸収させることを提案』
『是』
『王よ。承認してください』
(承認するよ。五百体のアビスを作り出したあと、残る魔素は全て吸収してくれ。悪魔への攻撃は禁止する。擬態によって隠れ、時を待ってほしい)
『是』
迷宮化したアリオンが起動する。
魔力の精霊王であるセイの命令に従い、セイの魔物であるアビスを生み出した。見た目は漆黒の物体であり、スライム状のぶよぶよとした見た目をしている。だが、次の瞬間にアビスは擬態能力を発動した。これによって自らを縮小させ、アンデッドや悪魔に見つからぬよう、瓦礫の隙間などに隠れる。
そして死亡した人類から散布された魔素を吸収し始めた。
(これで、このあたりの竜脈に生命エネルギーが還元されるね)
生み出されたアビスは、アリオンに仕込まれた魔力核の子機に相当している。魔物は魔力を吸収し、それを生命エネルギーと意思へと分離する。意思を魔石に溜め込むことで魔物としての知性を引き上げ、生命エネルギーを外殻として取り込むことで魔物としての力を強化する。
アビスが消滅したとき、アビスへと蓄えられた生命エネルギーは魔力核周辺の竜脈へと還って行くのだ。
つまり、生命エネルギーを竜脈へと戻すためには、アビスが滅びる必要がある。
セイは、作り出したばかりのアビスを滅ぼすつもりだった。
しかし、ただでアビスを自爆させるのは惜しい。
アビスネットワークによる演算を繰り返し、最も有用な使い道を弾きだしていた。
「今は身を潜めよう。そして中立都市アリオンが滅びた時、俺たちは次のステップを踏む。悪魔たちには、そのために役立ってもらおう。まだ弱い俺たちじゃあ……都市と三公国の軍勢を正面から滅ぼすなんて出来ないからね」
『是』
『王よ。仰せのままに』
『我らが身は個にして全なり。全ては偉大なる王の意のままに』
新たに五百体のアビスがネットワークへと加わったことで、更なる精度の演算が可能となった。生物とコンピュータの両方の利点を持つアビスネットワークによる演算方式は、魔王セイ=アストラルの計略が間違いなく成功すると予測している。
中立都市アリオン消滅は大悪魔マリティアが、高位悪魔たちと共に成そうとしている。
セイでは決して勝てないイレギュラーたる人類、紫電将軍アイリスも憤怒の高位悪魔イーラが相手をしてくれている。
不確定要素はアビスと迷宮によって取り除ける。
まさに完璧な計画。
フラグの立つ余地すらない、魔王の逆襲がまた一つ、成立しようとしていた。
ランキング1位になっていましたね。感想で教えてくれた方がいました。
これが噂に聞くブーストですか……
作者のやる気に火をつけてくれますね




