90話
フィーベル軍最強の将軍アイリスは、伝説の高位悪魔イーラを相手に互角以上の戦いをしていた。彼女は生まれながらに風嵐属性を高純度で手にしていた。故にその身を精霊へと近づける禁断の力を扱うことが出来た。
紫電将軍アイリスはその身を変質させる《紫電の雷神》を発動した。
人外の戦闘力を誇っていたアイリスが本当の意味で人外となったのだ。イーラも高位悪魔とは言え、苦戦させられる。
「人間が! 燃え尽きろ!」
憤怒の高位悪魔イーラは炎爆属性を得意としている。次々と空間に爆発を仕掛け、アイリスを消し飛ばそうと試みた。しかし、自在に空を飛ぶアイリスはその全てを回避する。そして紫電の魔術で炎を弾き飛ばし、暴風によってイーラを地面へと叩き落そうとした。
「悪魔の翼……引きちぎってあげるわぁ!」
今のアイリスはとても人とは思えない。
眼球は黒く染まり、瞳が深紅に輝く。そして体には紫電が纏っているのだ。これは『魔に属する』者だと誰もが思うことだろう。
アイリスの持つオリハルコンの軍刀は過剰な魔力が流されることで紫色に染まっている。
軍刀が振るわれるたびに、無数の落雷と竜巻がイーラを襲うのだ。
「鬱陶しい雷雲だ。《崩落の天蓋》!」
「遅いわねぇ! 《黒雷嵐》!」
イーラの魔術で天空から紅蓮が降り注ぐ。それが雷雲を破壊し、風を吹き飛ばすのだ。爆炎を天より降らせる広範囲破壊魔術である。
同様にアイリスも広範囲破壊魔術で対抗した。イーラの発動した《崩落の天蓋》は効果こそ凄まじいが、発動が遅い。そこで嵐を呼ぶ《黒雷嵐》を発動したのだ。これで降り注ぐ爆炎を揉み消すのである。
「死ねえええええええええええ!」
「アハハハハハハハハハハ!」
二人の戦いはまさに災害。
イーラは常に《星の怒り》でマグマを操り、周囲に無尽蔵の被害を与えている。アイリスは嵐と落雷で周囲を破壊し、マグマを撒き散らし、金属鎧を着込んだ者は電撃を受けて黒焦げとなる。
既にフィーベル軍は崩壊していた。
何万という人間が死んだせいで、周囲には濃密な魔力が溢れている。
だが、これからまだまだ増えそうだった。
◆ ◆ ◆
グロリア軍の陣地に単騎で乗り込んだ大悪魔マリティア……いや、神子アリア・アリスティアに憑依したマリティアは手始めに神剣を大きく振りあげた。
『この一撃に耐えられるかしら?』
莫大な魔力を神剣へと流し込む。
それは伝説の法則属性、混沌だ。生命エネルギーを削り取り、死者に偽りの生を与え、あらゆる物質を虚無へと還すことが出来る。混沌属性の前には命も自然も風前の灯火だ。
禍々しい力が剣に宿り、魔力が天を衝く。
『さぁ……死になさい』
マリティアを殺すべく、グロリア軍の本陣から無数の兵士が現れる。だが、彼らはマリティアの魔力を見て体を震わせていた。今にも逃げ出しそうな兵士たちが逃げないのは、訓練の賜物ということだろう。
しかし、逃げないだけでは意味がない。
混沌の魔力はもう放たれる直前だ。兵士たちはダメ元でも攻撃するべきだった。
故にマリティアの即死攻撃を許してしまった。
『何人生き残れるかしらね……ふふ』
その言葉と同時に神剣は振り下ろされる。
混沌の魔力は大地の生命エネルギーを消し去り、草木を枯らす。そして混沌魔力に触れた兵士は一撃で身体が干からび、そのまま灰となって散った。金属の鎧すらも消し飛ばす一撃は誰一人として耐えることが出来ない。
元々、グロリア軍はアリアが神剣解放の時に放った一撃で壊滅しかけている。まだマリティアがアリアに憑依していなかった時の一撃だ。
グロリア軍の最高指揮官である蒼竜将軍メイ・シュトロム、死音将軍フォルナー・アフォルは既に撤退を命じていた。しかし、短時間で撤退できるほど軍の動きは素早くない。全ての物資を投げだして潰走するというのならばもっと早いが、今回は正式な撤退命令だった。物資をまとめるのに時間をかけてしまい、結果としてマリティアの二発目を喰らうことになった。
『思ったより弱いわね。所詮は人間ということかしら?』
マリティアが軽く剣を振るうと、そこから混沌の魔力が飛ぶ。そして一人生き残っていた兵士を完全に消滅させた。死んだふりをしてコッソリ逃げようとしていたのだ。
『少しだけ強そうなのが二人いるわね。その他は……』
取るに足らない。
マリティアからすれば、雑魚ばかりだった。
『いい光景ね。天使共と戦っていたのを思い出すわ。ハルモーニアは元気かしら? 私みたいに封印されていたら面白いわね』
マリティアは大悪魔の対である大天使を思い出す。
五百年前の勇者を除けば、マリティアとまともに戦えたのは大天使ハルモーニアだけである。尤も、神子アリアに憑依している今の状態では簡単に負けてしまう。神剣の力を使って混沌魔力を引き出し、本来の大悪魔としての力を取り戻そうとした。
『もうすぐね。本当の力が戻ってくるわ』
神剣からかなりの混沌魔力を引き出した。今のマリティア本体は神剣に封じられており、本当の意味で復活するのは神剣から解放された時である。
マリティアは歩きだした。
『アレは? 竜かしら?』
そして正面に青く輝く竜の姿を見つける。
竜種は本来、竜脈を統治する中立的存在だ。この場に現れてマリティアと敵対することはあり得ない。例え人間が滅びたとしても、竜種は竜脈を統治するだけである。
なので竜種ではないだろう。
マリティアはすぐに正解を言い当てた。
『魔術ね。竜種の形をしているのかしら? 魔術に形を与えるなんて面白いじゃない』
魔術を含む魔法とは破壊の力だ。
故に形を与えることに意味はなかった。炎ならば、そのまま放てばよい。わざわざ形を変える労力を注ぎ込むなど無駄でしかないのだ。
しかし、観賞用としては充分である。
また、魔力制御の練習としても良いかもしれない。
マリティアはそんな感想を覚えた。
『こうかしら?』
マリティアは神剣を地面に突き刺した。
すると混沌魔力が地面へと流れ込み、周囲に漂う負の意思を吸い取る。そして竜脈に流れる竜の因子を僅かに掬い取って魔術に組み込んだ。
地面が割れて、禍々しい色をした塊が現れる。
それは瞬時に変形し、前方から迫る青い竜に似た形になった。
マリティアが混沌の竜を放つと、そのまま青く輝く竜とぶつかった。二つは一瞬の拮抗すらなく、混沌竜が勝った。
当然である。
青い竜は水属性だった。つまりは基本属性の力だ。しかしマリティアが作成した魔法の竜は、最上位の法則属性である。魔力の力で混沌属性が勝っているのは当然の理だった。
『結構簡単ね』
そんなわけがない。
魔法には幾つか種類があり、演算能力で発動する魔術、魔法回路を組み込むことで発動する魔法陣魔術、精霊に力を借りる精霊魔術、あとは究極の魔術である魔導といったものがある。これらの総称が魔法だ。
この中で発動が最も困難なのは魔術である。
自分の持つ魔力には属性を含めた情報体が組み込まれており、これを世界に投影することで魔法という現象を引き起こす。
当然ながら、ただの現象に形という新しい定義を加えることは困難だ。
相当な想像力と演算能力、そして信じる力が必要となる。
やすやすとやってのけたマリティアが異常なのだ。
『あとは……そうね。あれも試していなかったわ』
マリティアは指を鳴らす。
すると、地面から白骨化した腕が現れた。もぞもぞと動きながら這い出し、体を震わせながら立ち上がる。まるで生まれたての小鹿だった。
それを見てマリティアは首を傾げる。
『あら? やっぱり神剣から解放されないとだめかしら?』
アンデッドを作成する混沌魔術を発動させようとしたのだが、失敗してしまった。
神剣に封じられている本体から魔力を引き出したのだが、まだ破壊の混沌しか呼び出せないらしい。混沌属性の魔力情報体には様々な効果がある。その中で、神剣は破壊の効果だけを呼び出せるように設定されているのだ。故にアンデッドの作成は完璧に出来なかった。
そんな遊びをしている間にも、マリティアが放った混沌の竜は暴れまわっている。
グロリア軍の本陣は撤退することが出来なくなっている。
残された道は無様な潰走だけだ。
運が悪ければ逃げることも出来ずに体ごと消滅させられる。
『仕方ないわね』
再びマリティアが指を鳴らす。すると、混沌の竜は破裂して滅びの瘴気がグロリア軍本陣を包み込んだ。生命エネルギーを削り取る混沌の魔力は生けとし生ける者を滅ぼし尽くす。
混沌の魔力が消え去った時、そこには何一つ残っていなかった。
いや、生き残っている者が六名だけいた。
「ぐ……」
「メイ様、フォルナー様……申し訳……」
しかし、すぐに二人が倒れた。
よく見ると生き残っている六人は氷のドームに包まれている。倒れた二人が生命力の全てを魔力へと変換し、混沌属性の破壊から守ったのである。
魔力とは生命力に意思が乗ることで生成される。
魔力は極限まで使うと、生命力が尽きて死んでしまうのだ。
「済まぬ。二人とも……!」
「必ず仇は取りましょう」
死音将軍フォルナーは二つ名の通り、音を操る。軍事行動中は幻聴を広範囲に振りまくことで敵軍を混乱させ、同士討ちさせることが多い。しかし、超音波や衝撃波のような攻撃的な魔術も得意としている。
風嵐属性の中でも音のような振動を操ることに特化した魔力情報体を保有しているのだ。
「うおおおおおお! 悪魔め! 《狂気破音》」
風の振動を操り、無数の騒音を響かせる。当然、音には指向性を与えることでマリティアだけ被害を受けるのだ。激しい爆音がマリティアを不快にさせた。
『鬱陶しいわね』
そう呟いたが、爆音にかき消されて自分の耳でも聞き取れない。
マリティアが耳を塞いで動きを止めている間に、今度は蒼竜将軍メイが魔術を発動させた。
「さっきは呑み込まれたけど、今度は負けないわ」
メイは魔力を込めて水を生み出す。
彼女は幼い頃に、竜種を見たことがあった。そして竜に憧れ、魔力情報体に変化が生じた。水を竜の形に変形できるようになったのだ。そして水の竜は自律して動き、敵を屠る。
巨大な竜が敵軍を蹂躙する姿はフィーベル公国との国境でよく見られた。
尤も、紫電将軍アイリスが出てきたら《閃紫光》の一撃で破壊されるのだが。
「悪魔を喰い尽くしなさい! 死んだ兵士たちの仇!」
水竜の魔術が《狂気破音》で動きを止めたマリティアへと襲いかかる。水竜の内部はすさまじい水圧であり、一度呑み込まれたら圧殺されてしまう。この水竜で大悪魔マリティアを殺そうとしたのだ。
現代の人類は古代と比較してかなり成長している。魔法技術も発展している。人類の中には高位悪魔を殺せる英雄クラスの者も多くなっている。メイもその可能性を秘めた人物だった。
しかし、大悪魔の相手には力不足だった。
(音の魔術には音ね)
マリティアは悪魔の固有スキルを発動する。
つまり、魔界瘴獄門を発動した。これによって下位と中位の悪魔を呼び出すことが出来る。その中でマリティアが呼び出したのは壊音魔狼フォルテ。この悪魔は額に第三の瞳を持つ狼型の中位悪魔だ。多種多様の音波を操ることが出来る。
壊音魔狼フォルテを魔界瘴獄門から六体生み出し、これによってフォルナーの発動した《狂気破音》を中和した。それと同時に水の竜を音波で破壊する。
更に悪魔フォルテは一斉に超高音を吐きだす。
六体のフォルテが吐きだす超高音の攻撃はフォルナーやメイ、そして生き残ったもう二人は耳を塞いで膝をついた。マリティアはその隙を逃さなかった。
『私の眷属。出番よ』
再び魔界瘴獄門を発動した。赤黒い渦が出現し、そこから不細工な鳥が大量に出現した。腹に複数の袋のようなものを幾つも抱えており、腹から尾にかけて癒着している。袋には血管のようなものが浮き出ているため、まるで孵る前の卵だった。
しかし、これは卵ではなく爆弾だ。
悪魔の名は爆卵魔鳥ニトログリゼ。
自爆特攻によって対象を爆破する。
「……や……に……っ!」
「だ……う…け…!」
フォルナーとメイは何かを叫んでいたようだが、悪魔フォルテの超高音攻撃で動けない。音で頭を揺らされ、三半規管が狂わされる。立つことも難しい状態だった。
故に悪魔ニトログリゼが特攻を仕掛けて来ても反撃すら出来ない。集中して魔法を発動させることが出来ないからだ。
『死になさいな』
トドメとばかりにマリティアは神剣を振り上げ、混沌魔力を引き出した。そして破滅の瘴気を纏い、振り下ろしと同時に放つ。物質を消滅させ、生命力を削り取る。
悪魔ニトログリゼの引き起こす大爆発。
それがグロリア軍に残った二人の将軍と側近を爆殺する。防御の魔法など全く間に合わなかった。
マリティアが最後に放った混沌の魔力は死体も残さずに全てを消し飛ばす。
物質の持つ質量エネルギーを削り取り、生命エネルギーだけでなく物質すらも消し去る。
本当に最後の混沌魔力がグロリア軍の陣地を決定的に壊滅させた。
『ふふ……』
人類を滅ぼし、その文明の痕跡すら残さない。
それが悪魔だ。
更にマリティアは今の一撃で至ってしまった。
『ふふ、ふふ……あははははははははは!』
神剣に亀裂が走り、黒い魔力が漏れる。
それは一瞬にして神剣を侵食し、あっという間に神剣は砕け散った。マリティア……いや、アリアの体を黒い瘴気の渦が包み込み、天を衝くような魔力の奔流が出現する。
それに合わせるかのように、傲慢のスペルビア、色欲のルクスリア、暴食のグラ、怠惰のアケディアが人類蹂躙を中止してまでマリティアの御前へとやってきた。
「我が主のご復活ですね」
「ふふ。待ちわびたわ……」
「マリティア様、復活」
「これで僕も楽が出来るよねー」
スペルビアは歓喜に震え、ルクスリアは頬を染め、グラは狩った人類の頭部をかじり、アケディアは召喚した生体魔剣グラムを一撫でした。
魔力の嵐は消え去り、遂には大悪魔が真の姿を現す。
仮の体でしかない神子アリア・アリスティアの肉体など混沌魔力で滅ぼした。忌々しい人間の体にいつまでも宿っているほど、マリティアはプライドを捨てていない。
「はあぁぁあ! ようやく出られたわ!」
黒髪黒目、そして黒いドレスを纏った絶世の美女。
背中には特徴的な悪魔の翼が一対。
大悪魔マリティアが真に復活したのだった。