9話
空を飛ぶ船……星からしてみれば非常識極まりないが、そんな現実逃避をしている余裕はない。氷竜王は魔力を完全に消費しており、あとは氷魔法を少し使える程度だ。竜脈の力を使うにしても、管理者として無闇な使用をするわけにはいかない。それに竜脈の利用には自らの魔力を呼び水にする必要があるため、もう少し回復しなければ運用できないのである。
「どうするんだよ。聞いてないぞ」
「私の氷魔法だけでは難しいな。相当な使い手もいるようだ。しかも低位の竜を従えている。下手をしたら竜脈を利用した攻撃をされかねん」
氷竜王が言っているのは近衛騎士のことだ。嵐属性の魔法で氷塊を破壊し、さらに氷竜王まで攻撃を届かせようとしていた。しかし星が咄嗟に《障壁》を使ったことで無傷なままなのである。
そして近衛騎士が騎獣としているのは竜種だ。それもかつての魔王が竜を参考に創造した魔物ではなく、竜脈を管理することが出来る本物の竜種。竜王には遠く及ばないが、それでも普通では考えられないほどの能力を保有している。
「お前は二十隻の空飛ぶ船とドラゴン三匹を同時に相手できるのか?」
「分からんな。一昔前ならいざ知らず、今は人間共がどんな兵器を開発しているか分からん。戦ってみなければどうなるかは不明といったところだ。お前が奴らを殺してくれるなら少しは楽を出来るだろうが……」
「……殺す……か」
星は視線を落としてそう呟く。
今も七つの艦が霊峰の斜面に着陸して、続々と騎士の恰好をした人間が降りてくる。空中に留まっている残り十三艦で氷竜王を牽制しているうちに地上部隊を降ろしているのだろう。見事なまでにブリザード地帯を抜けられ、こうなればもはや戦うしか道は残されていないだろう。
だが星は人を殺すということに躊躇を覚えていた。その気になれば魔力核を作成し、溢れだす竜脈に接続して大量の魔物を生み出すことも出来る。そうすれば適当な魔物でもある程度は抵抗できるだろう。しかしその決断を下すことは出来なかったのだ。
その様子を感じ取った氷竜王は仕方ないとばかりに顔を上げて少し下方を飛んでいる十三隻の飛行船を睨みつける。そして霊峰の山頂で威風堂々とした姿を見せつけ、厳かに口を開いた。
「私はアレを潰す。地上に降りている分はお前で対処することだ。自衛ぐらいなら出来るだろう?」
そう言って氷竜王は翼を大きく広げ、巨体を起こす。五十メートルを超える巨大な竜は少し動くだけで大風が発生し、飛行船は少し煽られているように見える。しかしその程度で墜落するような造りではない。すぐに持ち直して氷竜王に警戒しているように見えた。低位竜に乗った近衛騎士こと第五騎士団三名も前に進み出て飛行船を守る位置に陣取っている。
だが氷竜王は気にすることなく一気に仕掛けた。
「私の名は氷竜王クリスタル! この名を最期に刻み込んで逝けっ!」
そうして空へ飛びあがった氷竜王クリスタルは体に冷気を纏い始める。それは残り魔力を氷属性に変化させて纏ったモノであり、触れた対象を瞬時に凍らせるだけの威力を持っていた。空気中の水分と反応して氷結し、陽光を反射してキラキラと輝く様子は神々しいまでに美しい。星すらも思わず言葉を失って見とれていたのだった。
そして一方でアルギル騎士王国軍の作戦参謀リオルも艦全体に指示を出して応戦しようとしていた。
「魔力の精霊王と思われる存在を発見しました。想定外の事態につき、作戦コードFを実行します。総員速やかに行動へと移ってください。第五騎士団の方には例の兵器の使用許可を出します。氷竜王クリスタルを討伐してください。地上部隊は魔王の討伐です。迷宮もないことから生まれたばかりであると考えられます。絶対に逃してはなりません」
今回の作戦は初めての試みであり、リオルはどんな状況が押し迫っても対応できるように作戦を立ててきたつもりだった。そんな中で発動した作戦コードFはFollowのFだ。つまり想定外過ぎて既存の作戦では対応できないため、ここからは参謀から直接作戦指揮が実行されることになる。だからそれに従いなさい、という意味なのだ。
如何にリオルが天才でも、さすがに魔王の存在は予想外過ぎた。もう一匹竜王がいる可能性までは考慮していたが、まさか本物の魔王が出てくるなど想定できるはずもない。そもそも魔王を含めた全ての精霊王はエルフの国で捕縛されているため、そのような発想が無かったのだ。
「氷竜王は第五騎士団を中心に、第三騎士団を搭乗させている第十九、二十艦が相手をしてください。その間に残りは着陸準備です。第一騎士団は無属性障壁を発生させたと思われる魔王の討伐です。第一艦である旗艦は空中に留まり指揮と状況把握を行います」
リオルの指示通りに各艦が行動をしている間、第五騎士団の三名は氷竜王クリスタルと対峙しつつ腰に付けた袋から一本の剣を取り出す。とても剣が一本も入りそうにない小さな皮袋に見えるのだが、実は所持者の魔力量によって内部の容量が増加する魔法道具なのだ。グラトニーと呼ばれる鼠型の魔物の胃袋で出来ている。このグラトニーは雑食性であり、何でも喰らってしまうという性質があるのだが、そのためか胃袋は時空属性を帯びて食べたものが見た目の容量を超えても入るようになっている。それを利用して出来たのがアイテム袋と呼ばれる魔道具だった。
そして三名の第五騎士団のメンバーが取り出した剣は何の変哲もない普通の長剣のように見える。しかし氷竜王には禍々しいほどの気配を感じることが出来た。そしてそれを感じることが出来たのは氷竜王が反対の属性を帯びていたからである。
「その剣……混沌属性を帯びているな?」
「流石は竜王。自らを殺す可能性のあるモノは感じ取れるらしいね」
氷竜王クリスタルの語り掛けに答えたのは三人の内、真ん中を陣取っていた近衛騎士だ。顔出しヘルムからは自信に満ち溢れた表情が滲み出ており、負ける可能性など微塵も考えていないように思える。だが彼の持つ剣からはそれを可能にする程の嫌な感覚がしていたのだ。
「生命エネルギーを削り取る混沌属性の剣……別名では『竜殺剣』とも呼ばれている最強の兵器だよ。尤も、竜以外にも効果はあるんだけどね」
「知らぬはずが無かろう。その剣で多くの同胞が殺された」
冷たい覇気を纏った氷竜王の周囲が一段と冷えた気がした。
クリスタルの言う通り、竜殺剣は生命エネルギーを操る竜種を狩るために非常に役に立っていた歴史がある。クリスタルにとっては仲間の仇のような武器だった。
しかし近衛騎士はそんなクリスタルの怒りの感情をものともせずにサラリと流す。
「そうだね。アルギル騎士王国にも五本しかない竜殺剣の内の三本だ。これから君も殺された同胞の仲間になるんだよ!
アルギル騎士王国第五騎士団第二席兼副長ジュリアス・アルコグリアスの名において君を討伐する」
「同じくアルギル騎士王国第五騎士団第五席ヘンリー・モラトリオ!」
「同じくアルギル騎士王国第五騎士団第七席アンジュリー・グライア!」
三人の近衛騎士はそれぞれが名乗りを上げて騎獣の低位竜を操る。元から極寒の場所で、さらに氷竜王が冷気を纏っているのだ。普通ならば動くことも出来ない程に凍えているだろうが、暖房の魔道具のお陰で彼らは普段の実力を発揮することが出来ていた。
これはクリスタルにとって誤算であり、今まででは考えられなかった相手である。大抵は霊峰の寒さと氷竜王の冷気で行動不能になるのだ。こうしてまともに戦闘になることは非常に稀なのである。特に霊峰の地形を利用したブリザードを使うようになってからは空を飛ぶことも久しぶりとなっている。氷竜王にとってはリハビリ無しの戦闘だったのだ。
「むっ……」
やはり勘が鈍っているらしく、クリスタルは三匹の低位竜に翻弄されつつも冷気を放射することで三人を近づけないようにしている。生命エネルギーを削り取る混沌属性の剣を使用してくる以上、一撃でも喰らえば尋常ではないダメージを受けることになる。特に生命属性を持つ竜種にとっては天敵とも言える属性だった。
残り魔力が少ない氷竜王は派手に魔法を使うことが出来ず、逆に氷竜王の魔力が尽きかけていると知っている三人の騎士は氷竜王に大技を遣わせようと誘っていた。冷静な氷竜王はその程度の誘いに乗ることはないのだが、このままでは魔力が尽きてしまうことに変わりない。どうにかして現状を打破する必要があった。
しかし状況はさらに悪化する。
「ヘンリー、アンジュ! 回避だ」
『はいっ!』
特にクリスタルが攻撃していないにもかかわらず三人が低位竜を反転させて回避行動を取る。どういうことかと一瞬動きを止めるがそれは悪手。背後から巨大な熱を感じたときにはもう遅かったのだ。
「ぐうぅ……」
身体が焼ける痛みを感じて呻き声を上げるクリスタル。どうやら三人の近衛騎士を相手にしている内に魔法師団を乗せた第十九と第二十艦に背中を見せていたらしく、強烈な熱線砲を浴びてしまったのだ。それはリオルが準備をしておくよう言っていた炎属性と風属性の複合技であり、普通の炎魔法よりも火力が大きく上昇している。それによって氷竜王の放つ冷気をも一瞬だけ突き破ってダメージを与えたのだった。
これが総勢五百名による合成魔法の威力であり、魔法師団とも呼ばれる第三騎士団の運用が重要視される要因だった。これほどの火力を上手く使えば敵を一気に排除できる。他の騎士団を上手く使って相手を密集させ、そこを第三騎士団で殲滅するのはアルギル騎士王国の常套手段として用いられてきた戦法なのである。
さらに優秀な近衛騎士団がこの隙を突かないはずがない。ジュリアス、ヘンリー、アンジュリーは低位竜を操って氷竜王クリスタルを囲い、正三角形の頂点の位置に自分たちが来るように調整した。
「ヘンリー、アンジュ……分かっているね!」
「当然だ」
「分かっているわ」
三人は一度竜殺剣を鞘に収めてホバリングする低位竜の上で立ち上がり、両手を斜め前に突き出して全員が嵐属性魔力を練り上げた。三人の意識をすり合わせるように練り上げられた魔力は繋がり、氷竜王を嵐属性魔力の正三角形が取り囲む。
これは三人で合成発動する大魔法であり、こうして魔力で捕らえることでロックオンしている。それに気付いた氷竜王クリスタルも冷気を強めて嵐属性魔力を吹き飛ばそうとするが、魔力が足りずに上手くいかなかった。
「これで終わり……とは思わない。だけどこの攻撃を受ければ竜王とはいえ動きを止めるハズだよ。その隙に竜殺剣でバラバラに切り裂いてあげる」
無邪気にそう告げるジュリアスはどこか狂気めいたものを感じさせる。子供が虫を捕まえてバラバラに引き裂くように、竜王を殺害すると宣言していたのだ。世界の竜脈を管理している竜すらも素材としてしか見ることの出来ない驕りきった人類。だがその驕りを実現させるだけの力がそこにはあった。
「私もただでは死なん。《絶零氷纏―――」
「遅いね。三重嵐魔法《神鳴》!」
氷竜王は最後の矜持とばかりに生命エネルギーを絞り出して冷気を放出しようとする。だがジュリアスをそれを遮るように魔法を発動させ、天より白い柱のような雷を呼び出した。三人で同時に魔法を重ねることで威力を何倍にも引き上げる。そうして下ってきた神罰の如き雷はロックオンしている氷竜王に向かって一直線に伸びていた。
如何に竜王といえども、これほどの雷を喰らえばただでは済まない。激しい電流と閃光と音によって感覚が麻痺し、少なくとも動ける状態ではなくなるだろう。竜王だからこそ耐えきれるが、本来は人を百人殺してもお釣りがくる魔法なのである。当然の威力だ。
そして動きを止めた氷竜王クリスタルを竜殺剣で攻撃すれば、確実に死に至らしめることが出来るのである。
雷が直撃さえすれば……
「させるかよ」
そんな声と共に直撃寸前だった白い雷は霧散して消え去る。まるで弾け飛んだかのよう《神鳴》が消失した光景を信じることが出来ないらしく、ジュリアスは目を見開いて驚き、目を何度も擦っている。同様にヘンリーもアンジュリーも信じられないといった様子で驚愕の表情を浮かべていた。
氷竜王の背中に乗っていたのは先ほどまではいなかった黒髪の少年。見慣れない不思議な服装だが、どこか気品のようなものを感じさせる清潔さがある。白い鱗の氷竜王とは対極の黒髪が風に靡く少年の名は星。
魔力を支配し、管理する魔王である。
そんな彼に魔力で発動する魔法が効くはずもない。たとえ三重嵐魔法だったとしても関係なく無効化することが出来るのだ。
そして星は黒い瞳を真っすぐにジュリアスへと向けて口を開いた。
「少し聞きたいことがある」