89話
どうも、お久しぶりです。
半分復活した大悪魔マリティアと再会したイーラは歓喜していた。憤怒の高位悪魔であるイーラにとって、マリティアは仕えるべき主なのである。五百年ぶりの再会は全身が震えるほどの喜びだった。
(マリティア様のために人間を滅ぼす!)
恍惚とした表情でイーラは魔力を練り上げ、凄まじい魔術を構築する。
炎と爆属性の魔力情報体による干渉により、大地から灼熱を呼び出すのだ。
「滅びてしまえ! 《星の怒り》」
地面が振動し、大きく罅割れて水蒸気が漏れ出る。地熱により気化した地下水が噴出しているのだ。高温の水蒸気は触れるだけで火傷する。これだけで十分な範囲攻撃魔術となり得るが、《星の怒り》の本当の力はこれではない。
「燃えろ! 燃え尽きろ! 灼熱と化せ!」
イーラの呼びかけに応えるかのように、大地が鳴動する。
そして罅割れた大地が紅蓮に輝き、爆発音と共に溶岩が溢れ出た。地下深くを流れる溶岩流に干渉し、地表まで呼び出す魔術。これこそが《星の怒り》だ。この魔術の神髄は、呼び出した大量の溶岩を自在に操ることである。
溢れ出た溶岩はイーラによって制御され、まるで生き物のようにフィーベル軍を襲った。
「うわ! うわあああああああああ!」
「たすけてくれ!」
「氷だ。氷の魔術だ! 誰か早くしろ!」
「あんなのどうやって冷やすんだ! 魔力が足りる訳ねぇ!」
「逃げろ。早くどけてくれえええ!」
そんなフィーベル軍の兵士たちを無慈悲に飲み込む。
溶岩に触れた兵士は灼熱によって身を焦がされ、命尽きていった。同時に放射熱によって周囲の空間は気温が急上昇する。鎧をまとっている兵士たちはあっという間に体力を奪われた。
逃げ惑うフィーベル軍の陣営に向けて、イーラはトドメを刺す。
「吹き飛べゴミが! 焼却処分なのだ!」
炎属性魔力に加えて風属性の魔力が大量に練り上げられる。そうして出現したのは所謂、火災旋風という大災害だ。
紅蓮の大竜巻がフィーベル軍の陣地を一掃し始める。暴風が全てを巻き上げ、激しい熱風が全てを焼き尽くす。凄まじい災害の前に、人間など紙切れ同然だ。
「アハハハハハハハハハハ!」
悪魔の翼で浮遊したイーラは、火災旋風を操ってフィーベル軍陣地を破壊する。逃げ惑う兵士を火災旋風で呑み込み、テントや武器防具も一瞬で溶かしてしまった。
地上は湧き出たマグマで逃げ道を塞がれ、火災旋風が追い詰めるのだ。
決して逃げることは出来ない。
フィーベル軍は混乱のあまり、高位悪魔イーラが特殊部隊インテリトゥムの隊長だったと気付けない。
「悪魔! 悪魔だ! 神子一族は本当に悪魔を使役していたんだ!」
「神聖属性だ。早くしてくれ」
「馬鹿。こんな状況で使える訳ないだろ! 格が違いすぎる」
兵士たちの中にはイーラを攻撃しようとする者もいる。だが、魔力が違いすぎた。圧倒的な高位悪魔の前には、人間の力など儚いものでしかない。
人間は五百年前に比べて強くなった。多くの魔術を開発し、効率化を進め、その辺の魔物相手ならば問題ないまでになったのだ。
しかし、やはり高位悪魔のような一部の強者は、英雄と呼ばれる人間でなければ対抗できない
そう、例えば最強の将軍と噂される、紫電将軍アイリスのような。
「アハハハハハァ! 《黒雷嵐》」
フィーベル軍の誇る最強将軍が……激しい戦いを好むアイリスが見逃さないはずがない。
広範囲嵐属性魔術《黒雷嵐》によって、火災旋風を封じ込めた。灼熱の竜巻は、雷を纏った大嵐によって抑え込まれる。凄まじい紫電が弾け、爆炎すらも打ち消してしまった。
「こんなに疼く戦いは久しぶりよ!」
アイリスは軍刀を抜き放ち、激しい紫電を纏わせながらイーラへと斬りかかる。風嵐属性を極めたアイリスによって、浮遊の魔術など手足のように扱える。
空中で溶岩と火災旋風を操っていたイーラの元に飛んで行くなど造作もないのだ。
イーラは斬りかかってきたアイリスに驚くも、ハルバードで受け止める。
「邪魔だ人間」
「連れないわねぇ。イーラ?」
流石のアイリスはイーラの正体に気付いたらしい。
だが、イーラの正体が悪魔だからと言って気にした様子はなかった。
「高位悪魔だって言うのなら貴女の強さにも納得かしらぁ?」
「ふん。貴様は人間と思えぬほど強力な魔力を宿しているようだな。分不相応で不快だ」
「あら? 辛辣ね」
アイリスは嵐属性を込めた軍刀をイーラに押し込む。
電撃が伝ってイーラを感電させる。イーラは高位悪魔としてかなり高い耐性を有しているが、電撃は確かなダメージとなった。
「ぐっ……」
イーラは至近距離で大爆発を引き起こし、アイリスを弾き飛ばす。しかし、アイリスは常に風壁を纏っているため、爆風と熱を防いでしまった。
「はあああああああ!」
そして《星の怒り》のマグマを操ったイーラは、それをアイリスにぶつける。高さ数十メートルにもなる津波のような溶岩がアイリスを飲み込もうとした。天を覆うような溶岩津波を回避することは出来ない。
だが、アイリスはこの程度で終わるほど弱くない。
「いいわねぇ!」
概念拡張金属オリハルコンで出来た軍刀を構え、切先を溶岩の津波に差し向ける。
そして紫電を纏わせつつ、軍刀から魔術を放った。
「消し飛びなさいな。《閃紫光》!」
アイリスの人外じみた魔力がオリハルコンの軍刀に注ぎ込まれ、解き放たれた。オリハルコンの概念拡張によってその威力は底上げされ、雷光となって放たれる。
雷速の一撃は溶岩の津波に巨大な大穴を開けた。
ただ、溶岩津波は流動して大穴を塞ごうとする。アイリスは飛翔して、大穴をすり抜け、溶岩の巨大津波を回避した。
しかし、フィーベル軍はそうもいかない。
回避不能な溶岩の奔流がフィーベル軍の陣地を呑み込み、兵士も物資も全て呑み込んだ。周囲は灼熱の溶岩によって海のようになり、何もかもが消滅する
「ちっ……避けたか。面倒な奴め」
イーラは苛々した様子で溶岩を操り、アイリスに差し向ける。しかしアイリスは、嵐属性の力で迫る溶岩すらも押し退けた。紫電を放つ暴風がマグマを弾き飛ばし、逆にイーラへと襲いかかった。
雷速の閃光がイーラを撃ち抜こうとする。
だが、イーラがマグマを操ると電撃は散乱し、消えてしまった。炎はプラズマの一種であり、電荷を持っている。故にマグマを使えば電撃を逸らすことも出来るのだ。
そして触手のようにマグマがアイリスを追いかけ、アイリスは紫電を纏った軍刀で切り裂く。
周囲はマグマの海と滅びの嵐によって災害地帯と化している。並みの人物では近づくことすら出来ない。フィーベル軍など既に壊滅してしまった。
「いいわ! 愉しいわねぇ! 心が躍るわぁ!」
「愚かなゴミクズが! 滅びろ」
「あらあらぁ? 私をゴミと呼んでおきながらその程度かしらぁ?」
「すぐに焼却してやる」
イーラの灼熱がアイリスを襲うも、アイリスの大嵐が押し退ける。
アイリスの紫電がイーラに襲いかかるも、イーラはマグマの盾で弾く。
人間と高位悪魔が対等な戦いをしているというのは、イーラにとってありえないことだった。
「ちっ! 呪われて死ね!」
イーラは右手を水平に振り、《黒炎》を発動する。これは炎と呪属性を組み合わせた黒い炎であり、触れると呪いによって消えない炎が体に纏わりつく。
しかし、アイリスは軍刀を一振りして《黒炎》を両断し、返しの一撃で《閃紫光》を放つ。紫電が砲撃となり、イーラを呑み込もうとする。
「ぐっ!」
回避を試みたイーラは、僅かに失敗。
悪魔の翼が焼け焦げた。
同時に、イーラは怒りを爆発させる。
「死ね人間があああああああああ!」
更なる魔力を込めて《星の怒り》を再発動。
大地は大きな揺れとともに爆発し、マグマが噴き出た。空気を揺らすほどの大爆発が、周囲の全てを破壊し尽くそうとする。これには流石のアイリスも驚いた。
「これは……」
「この私に傷を与えた報い! 死ね!」
悪魔は人間とは比べ物にならない至高の存在。それがイーラの偽らざる感情である。これはイーラに限らず高位悪魔に共通の認識であり、人間であるアイリスに傷を付けられたことは、プライドを傷つけられたことに等しかった。
憤怒の高位悪魔であるイーラはその怒りを力に、魔力を絞り出す。
溢れるマグマが渦を巻きながら吹き上がり、それが二つ、三つ、四つと続いた。これらは既にイーラの支配下であり、自在に操れる。うねるマグマが一斉にアイリスを襲い、まるで生物のように追跡する。
「あははははは! 凄いわ! これが悪魔なのね!」
死にそうになってもアイリスは高笑いしたままだ。戦いの中に愉しみを見出し、狂騒の中に生きざまを刻むのがアイリスだ。今更、この程度で萎縮する彼女ではない。
むしろ、ますます歓喜した。
そしてアイリスも隠していた本気を見せた。
「貴女にならこれを見せても良いわ! この私の本気を!」
紫電将軍とも呼ばれた狂人アイリスは才能ある人物だった。それこそ、数百年に一度とも言って良いほど、戦闘に長けていた。
風属性、その上位である嵐属性を極めただけでなく、生まれながらにして純粋に近い嵐属性を有していた彼女には、特別な才能があった。
「この力はグロリアの補給拠点を潰した時に使って以来ねぇ。この私に慄きなさい」
紫電を纏うアイリスの体がゆっくりと変質する。膨大な魔力が揺らめき、純粋に近い風嵐属性がアイリス自身を精霊に近い存在に変えた。
肉体を一時的とはいえ、魔力に置き換える究極の魔術。
アイリスはそれを会得していた。
「これが私の切り札、《紫電の雷神》よぉ」
手にしたオリハルコンの軍刀が紫に染まった。魔力性質を取り込み、その質を極端に増大させるオリハルコンの力を借りた究極魔術。
アイリス自身を嵐属性魔力に変え、精霊に近い存在へと昇華するのだ。
これによって人間としての枠から解き放たれ、人という種を圧倒する存在になる。全身から紫の閃光が迸り、眼球が黒く染まった。瞳は深紅に輝き、見た目からしても既に人ではない。
流石のイーラも驚愕した。
「馬鹿な! 人間がそんな力を!」
「行くわよぉ?」
「くっ!」
自身が嵐属性となったアイリスは、紫電と同じ速度でイーラに迫る。イーラは咄嗟にマグマを壁のようにして集めたが、アイリスはそれを突き破った。破裂するようにしてマグマの壁が弾け飛び、紫色に染まったオリハルコンの軍刀がイーラの腹部に刺さる。
「がああああ!」
イーラの全身に雷撃が襲い、その痛みに呻く。
《紫電の雷神》を発動させたアイリスは、その速度も攻撃力も人間のそれとは既に異なる。文字通り、人外の存在となったのだ。
痛みに耐えつつ、イーラは爆発でアイリスを吹き飛ばす。
ただの人間なら四肢が千切れてもおかしくない威力だった。
しかし、アイリスの体は精霊に近くなっており、爆発を受けてもダメージを受けない。アイリスは自身の体を嵐属性によって雷化させている。魔力性質が嵐属性のアイリスは、《紫電の雷神》によって雷の肉体を手に入れたのだ。
「ほらほらぁ! 遅いわねぇ!」
この力を解放したアイリスは、高位悪魔であるイーラを圧倒する。人の身にして人を超越した彼女は、空中を雷速で移動しながらイーラを攻撃していた。
マグマの盾すら突き破り、全身から紫電を発して空間を支配する。
「アハハハ! いい気分よ! こんなに楽しいのは久しぶりね!」
アイリスはどこか生き生きした様子で中を飛び回る。半精霊化した今のアイリスは、人間という肉体の枷から解き放たれている。嵐属性魔力が活性化した彼女は、特別な魔術もなく宙に浮くことすら可能であり、意思一つで自然現象を操れる。
今のアイリスが願えば、それだけで嵐を呼び、雷を落とせる。
軍刀を構えてイーラを指し示すと、その場所に竜巻が発生する。巨大な竜巻は天地を結び、大地で滾るマグマすら巻き込んで、それでも威力を落とさない。
天空には暗い雲が留まり、激しい雷雨となった。
マグマが噴き出す大地と、雷光が閃く黒雲の天空。
まさに異常事態、異常気象である。
「まだまだいくわよぉ!」
アイリスが軍刀を使って落雷を誘導し、イーラを狙い続ける。流石の高位悪魔も、雷雲からの落雷は簡単に耐えられない。悪魔という存在は確かに人間より頑丈で優秀だ。しかし絶対の無敵ではないのだ。
何度も落雷を喰らえば消滅する。
イーラにとって腹立たしいことだったが、アイリスは高位悪魔を消滅させ得る力を持っていた。
「人間如きが……!」
「悪魔なんてこの程度なのかしらぁ? アハハハハハハハハハハ!」
「殺す!」
イーラにとって怒りはそのまま力となる。
人間如きに翻弄されている自身に怒りを覚え、その魔力を爆発させた。
「天すら滅ぼせ! 《崩落の天蓋》!」
その瞬間、黒雲を覆い尽くすような紅蓮が天で輝いた。
この《崩落の天蓋》は紅蓮の破滅を呼び出す炎爆属性魔術である。天空から無数の爆炎を落とすことで、広範囲に爆撃する。イーラはこの魔術によって黒雲を吹き飛ばした。
同時に、爆裂する火球をアイリスへと殺到させる。
全天からアイリス一人に向かって爆炎が集中し、次々と爆発する。
「あらあらあらぁ! まだこんなことも出来たのねぇ! やりがいがあるじゃない!」
アイリスは嬉々として軍刀を振り回し、その度に嵐を引き起こす。天を裂いて現れた爆炎の火球も、嵐の力で吹き飛ばす。《閃紫光》を連続して放ち、降り注ぐ爆炎を消すどころか、イーラに反撃までしてみせた。
イーラは雷速のそれを回避し、同時に《星の怒り》のマグマで攻撃を仕掛ける、
天地からの挟撃はまるで隙のない、死の運命が確定した攻撃だった。
しかし、アイリスはそれでも慌てる素振りすら見せない。
「無意味よねぇ!」
今のアイリスは雷化している。つまり雷速で動けるのだ。
降り注ぐ爆炎の雨も、下から迫るマグマの触手も、その隙間を縫って回避することが出来た。紫電の軌跡が残り、見事に完全回避したことが理解できる。
「ちっ! 人間がちょこまかと!」
イーラは《星の怒り》と《崩落の天蓋》を同時に操り、アイリスを燃やし尽くそうとする。二種類の広域魔術を同時に操るのは非常にレベルの高い技術であり、流石は魔力の扱いに長けた高位悪魔だと称賛出来る。
しかし、それでもこの二つの魔術は速度が足りない。
マグマが触手のように蠢いてアイリスを捕らえる鳥籠となり、天から降り注ぐ爆撃がアイリスにトドメを刺す……はずだった。
「死ね人間!」
「やれるものならねぇ!」
紫電に染まった軍刀を天にかざし、黒い竜巻を発生させてマグマを吹き飛ばす。
半精霊と化したアイリスは、もはや人間に見えない。全身から嵐属性の気配を発し、眼球は黒く染まっている。赤く光る瞳は既に人のそれではない。
三公国と中立都市アリオンの戦争。その一角で人外の戦いが激しさを増していた。