88話
『ふぅん……人間がねぇ』
セイから一通りの話を聞いた大悪魔マリティアは、何かを考えるような仕草をしながら黙り込む。そして数秒の後、再び口を開いた。
『愚かな人間が増えたなら、掃除すればいいわね。さぁ、お仕事よ』
マリティアは魔法を発動して浮き上がる。どうやら魔法陣魔術を使って重力を中和し、浮き上がっているらしい。普通の魔法使いは風系統の魔法で空を飛ぶのだが、マリティアはその属性魔力を持たないので、魔法陣で代用しているのだ。
アリアの体に憑依している状態ではなく、本体で顕現していれば悪魔の翼で飛翔したのだが、今は無い物を嘆いても仕方ない。
『行くわよスペルビア、ルクスリア、グラ、アケディア』
その言葉が聞こえるとすぐに、四人の高位悪魔たちが飛び立つ。そしてアリアに憑依した大悪魔を先頭に、中立都市アリオン城郭西部に向かって飛び立った。つまり、三公国連合軍が陣を敷いている方へと向かって行ったのである。
混沌魔術によって一直線に消滅した街並みが道となり、五体の悪魔を送り出す。
セイはその風景を眺めていた。
「さて、人間は悪魔に任せよう。俺は最後の仕上げのために姿を隠すか」
魔王は無属性魔術《障壁》を足場に上空に向かった。
◆◆◆
禍々しい気配を放つ神剣を右手に、マリティアは飛翔していた。彼女の目に見えているのは、城郭の外で人を構える連合軍。先程マリティアが放った神剣の力に恐れたからか、混乱の様子が伝わってくる。
『あら? イーラがいたわね』
最前線で戦っていたイーラの姿はすぐに見つかった。
そしてイーラもマリティアの気配を発見したからだろう。上を見上げハルバードを掲げていた。よく見ると、かなり嬉しそうな表情を浮かべている。やはり、王である大悪魔が復活したことは大きな喜びなのだろう。
アリアの姿をしているにもかかわらず、こうして判別できたのは流石だった。
「まずは彼女と合流しましょう」
『そうね。行くわよ』
スペルビアに進言された通り、マリティアは方向転換する。そして速度を落としながら、ゆっくりと地上に降り立った。
すぐさまイーラは跪き、口上を述べる。
「復活おめでとうございますマリティア様。復活に際しましては、すぐに駆け付けることが出来ず申し訳ありません」
粗雑なイーラが丁寧な口調で話す姿には違和感を覚える。
しかし、悪魔たちにとってはこれが普通であり、マリティアは何の違和感も感じていなかった。
『今の姿でよく私だと分かったわねぇ』
「当然です。マリティア様の気配を間違えるはずがありません!」
『ふふ。可愛い子ね』
「マリティア様……」
マリティアが両手をイーラの頬に添えると、イーラは表情を緩めて笑顔になる。いつもの獰猛な、獲物を前にした時の笑みではない。心の底から喜んでいる表情だった。
「それでマリティア様! これからどうするのですか!」
『ふふ……お仕事よ』
「じゃあ! じゃあ!」
『ええ、人間共を滅ぼしましょう。一緒にね』
そう言ったマリティアは、神剣に魔力を込めて薙ぎ払った。
混沌属性の力が剣に纏わりつき、それが振り払いと同時に放たれる。黒の渦が巻き、凄まじい斬撃となって三公国連合軍の兵士たちを薙ぎ払った。
生命エネルギーを一撃で削り取り、黒い波動を受けた兵士たちはバタバタと倒れる。
「おお。素晴らしい」
「美しい魔力だわ」
スペルビアとルクスリアはうっとりした様子で言葉を漏らす。今の一撃で数百人は死んだことだろう。周囲は眷属悪魔たちが暴れたことで乱戦となっており、神剣の攻撃を回避する余地はない。
『さぁ、行くわよぉ』
神剣を構えたマリティアは、重力と慣性を制御する魔法陣を展開する。アリアの肉体は脆弱なので、魔力で強化しても限界がある。運動に対する反動を抑えるため、魔法を利用したのだ。
弾丸のように飛び出したマリティアは、連合軍兵士と擦れ違いながら神剣を振るう。混沌魔術を使わずとも、凄まじい切れ味を誇るのが神剣だ。兵士の鎧ごと真っ二つに切り裂いた。
続いて神剣を振り回し、周囲の兵士を殺害していく。
脆弱な肉体なので、神剣を満足に振るえないのは不満だ。しかし、混沌魔術を纏わせることで多少はカバーできる。
「マリティア様だけに戦わせるわけにはいきません。私たちも行きますよ」
「そうね」
「うん……わかった」
「面倒臭い、なんて言ってられないよね!」
まずはスペルビアが合成魔術で近くで戦っている兵士を攻撃する。炎と水の属性を混ぜた水蒸気爆発であり、気化した水の圧力が周囲を吹き飛ばす。鎧などひしゃげて壊れ、腕や脚が千切れる。死ぬような威力ではなかったので、余計に苦しむことになった。
ルクスリアは樹属性魔術で地面から巨大な蔦を出現させた。蔦の先には花が咲いており、花の中央には鋭い牙が除く巨大な口。そして、蔦がうねったかと思うと、巨大な花が兵士たちを食い千切った。
「ギャアアアアアアアア」
「ば、化け物! 助けてくれ!」
「うわああああ! 《豪炎》! 《豪炎》! 《豪炎》!」
「嘘だろ……なんだよ……なんだよ!」
まさに阿鼻叫喚。
血の雨が降り注ぐ地獄絵図。
スペルビアの放った大爆発は轟音と共に兵士を吹き飛ばし、ルクスリアの人食い花が混乱と狂騒を生む。そして普段は滅多に働かないグラとアケディアも、今日ばかりは積極的に人間を狩っていた。
「えっと、《雷貫槍》だっけ?」
グラの指先から、青い雷が直線に伸びた。雷速の一撃が兵士たちを貫き、その全てを仕留める。適当に放った魔術でもこの威力なのは、やはり魔力に優れた悪魔だからだろう。
太ったグラは、その姿からは想像も出来ない俊敏さで、的確に兵士を貫く。更には指の五本全てから同時に《雷貫槍》を放ち、中隊すら一掃する。
嵐属性の電撃は回避不能であり、声を上げる間もなく息絶える。
バチバチと雷が弾ける音だけが戦場を支配した。
一方で、アケディアは面倒臭がりを発揮し、眷属悪魔召喚を行う。
「ほいっと……魔界瘴獄門」
アケディアが召喚したのは、下位悪魔に属する生体魔剣グラムである。これは成人男性ほどの大きさを誇る剣型の悪魔であり、鍔の部分には気持ち悪い目玉が付いている。この目玉で敵を捕捉し、宙に浮いて敵を刺し貫くのだ。
大量に出現した生体魔剣グラムは、次々と射出されて兵士を襲った。
ガッガッガガン! と勢いよく兵士を刺し貫き、地面に縫い留める。金属鎧すら貫通するグラムの力は下位とは思えないほど強力だ。怠け者のアケディアは、眷属としてグラムを重宝している。理由は、単純でありながら凄まじい攻撃力を持っていたからだった。
「逃げろおおおお! 化け物剣が襲ってくる!」
「隊長が! 隊長が死んじまった」
「何なんだよこいつらは!」
「悪魔だ! 悪魔がやって来たんだ! 見ろ、背中に翼がある!」
「俺たちで勝でるわげねぇ! うわああああああああ!」
こうして叫んでいる者は、まだ余裕のある方だ。
本当に恐怖で慄いている兵士は、声すら出せずに地面を這いつくばって逃げている。武器など既に放り捨てており、子供のように泣きじゃくりながら必死で逃げていた。一歩でも遠く、一瞬でも早くその場から離れるために。
『あははははは! こうやって直接斬るのも偶には良いわね!』
高度な魔法陣を操り、妖精のように舞って神剣を振るうマリティアは、連合軍にとって恐怖そのものだった。マリティアの姿は目で追えず、神剣の力があれば一撃で鎧ごと断ち切られる。魔力を込めて振るえば、混沌の瘴気が炸裂して生命エネルギーを奪う。
もはや悪夢でしかなかった。
『うーん……封印が解けるまでもう少しかしら?』
マリティアがアリアの肉体に宿って神剣を使うのも、意味があってのことだ。混沌属性を神剣から引き出すことで、時空属性による封印を解除しようと考えているのである。
法則属性による封印は、同じ法則属性でなければ解除不可能だ。
大悪魔マリティア本体は未だ神剣の中に封じられたままなので、こうして神剣から混沌属性を引き出すことは重要なのである。
魔力を込めて神剣を振り落とすと、その直線上が混沌瘴気によって消滅した。生命エネルギーではなく物質エネルギーを削り取ることで、存在を消滅させたのである。
瘴気の被害を受けたグロリア公国本陣は、壊滅状態となっていた。
『あれは人間の本陣みたいね。野営テントなんか張っちゃって……潰し甲斐があるわね!』
マリティアは呆れるほどの魔力を神剣に込め、大量の混沌瘴気を溢れさせる。刀身の周りには瘴気が黒い渦を巻いており、禍々しい気配が空気を侵食する。
この一撃が放たれれば、恐ろしい被害が生まれるのは簡単に予想できた。
死にたくない、と足掻く兵士たちの反応は二種類だ。
一つは敵わないと悟って無様に逃げる者、そしてもう一つは賭けとばかりにマリティアへ突貫する者だ。
「死ねええ! 化け物女あああああ!」
今のマリティアは、一見するとか弱い少女にしか見えない。剣の一突きで殺せると勘違いしてしまうのも仕方ないだろう。
しかし、それは見誤り過ぎだった。
『邪魔ね』
マリティアは神剣を振り下ろし、溜めていた混沌を解放する。物質エネルギーを削り取る黒い波動が天から墜ちた。
音もなく全てを喰らい尽くし、命あるすべてのものを滅ぼし尽くす。
この世の混沌を詰め込んだ最凶最悪の魔力だった。
斬撃ではなく、槌のような面の攻撃。それによって、グロリア軍の陣地における前衛は消滅した。当然ながら、勇気ある一兵士の命など一瞬で尽きた。
『ふぅ……もっと手応えのある敵はいないのかしら?』
完全復活でないマリティアでさえ、タダの人間では相手にならない。改めて周囲を見渡すと、混沌瘴気によってすっかり更地となっていた。
仕方なく視線を遠くに向ける。
すると、北の方でかなり大きな火柱が上がった。
『あれはイーラの魔術かしら? 相変わらず派手ね』
とても人のことは言えないが、確かに派手だ。
対軍団戦闘において爆発系の炎・爆属性は非常に有用だ。戦争において重宝されるのは炎・爆・嵐・聖属性であり、その内の二つを使えるイーラは非常に強い。高位悪魔として恵まれた魔力を存分に使い、猛威を振るっているのだ。
彼女の戦う姿はまさに怒りそのもの。
憤怒の高位悪魔を体現した、荒々しい立ち回りをする。
恐らく、あの場所にいる軍団は壊滅しただろうとマリティアも予想した。
『あら?』
しかし、火柱を打ち消す紫色の雷を見てマリティアは首を傾げる。
『イーラの魔術に対抗できる人間がいたのかしら?』
取るに足らない人間ばかりかと思えば、高位悪魔と戦闘になる人物もいるようだ。魔王セイから現在における人類の強さについて大まかに聞いていたが、予想以上だと気付く。知らず知らずのうちに、マリティアは口元を緩めていた。
『うふふふ。私も強者を探して、人間の陣営を探ってみましょうか』
マリティアはグロリア軍陣地の奥へと目を向ける。よくよく集中すると、奥からは二つほどの強い気配が漂って来ていた。
これならば多少は楽しめるかもしれない。アリアの体を使う以上、気を付けなければならないが、多少は楽しんでもいいだろう。
そう考え、舌なめずりするのだった。
早く更新を! という要望が意外と多かったので、少し頑張ってみました。
次はいつ更新できるでしょうかね……