82話
あけましておめでとうございます。
今年も不定期ながら更新しますので、宜しくお願いします
グロリア公国首都にあるレイトン城。大公の住まいと言うだけでなく、行政の中枢として機能するこの場所に、傲慢の高位悪魔スペルビアは訪れていた。
理由はただ一つ。
広域霧幻呪術ファントムミストで覆われた中立都市アリオンへの対策である。
僅かな高位政務官と大臣、武官が会議室に集まりスペルビアを相手にしていた。
「これが、我らサテュロスの調べた結果です」
「馬鹿な……アリスティア家が悪魔に魅入られただと……!?」
サテュロスのボスであるスペルビアから情報を得た大公ペリック・グロリアはそんな言葉を漏らす。かつて勇者と共に大悪魔を封じた聖女の末裔がアリスティア家なのだ。それが悪魔に魅入られているなど冗談でもあり得ない。
ペリックだけでなく、彼の息子バルクも同意した。
「スペルビア殿。これは些か冗談がきついのではないか?」
「そんなことはございませんバルク殿。我らは契約で結ばれた仲でございましょう? 少なくとも、虚偽の情報を与えて混乱を起こそうとしてるわけではないのです」
「それは……そうだが……」
サテュロスはグロリア公国と契約を交わしている。かつてペリックの娘であるメルシェラ姫が裏組織アステスに誘拐された際、サテュロスがそれを助け出した。これによってサテュロスはグロリア公国と正式に取引する関係となったのである。
尤も、この誘拐事件もスペルビアがアステスを唆して起こした事件であるため、酷いマッチポンプであるのだが、これを知る者はいない。
そして肝心の契約内容だが、その一つにグロリア公国はサテュロスに対して情報を求めることが出来るというものがある。これは対価を払わなければならない上に、サテュロス側に拒否権もある。しかし、情報を供給する場合、決して嘘を教えてはならない。
これらの契約は呪属性によって魔術的制約が決められているので、破れば呪いを掛けられることになる。
そしてスペルビアには呪いが降りかかった様子がない。
つまり、嘘ではないということを示していた。
(愚かですね。この私が契約書如きの呪術で縛られるはずがないでしょう)
スペルビアはそんなことを内心で思いつつ、表情には出さずに嘲笑する。
契約の相手は高位悪魔なのだ。
傲慢たるスペルビアが人間の契約に縛られるはずがない。契約とは一方的なものであり、需要と供給とは形だけの搾取。これが傲慢たる所以である。
「良かろう。確かに契約書のこともある。スペルビア殿の言葉は信じよう。構わないなバルク」
「……分かりました父上」
目の前で微笑むスペルビアからは矛盾点もない。信じるしかなかった。それに、グロリア公国の情報収集でも各国で同様の噂が流れているのを知っていたのだ。火のない所に煙は立たぬとサテュロスに裏から情報収集を依頼した結果、今回の件は事実だという結論に至った。
それだけである。
ザワザワと文官たちが小さく言葉を交わし合う中、将軍サイス・アバンが発言した。
「済まない。質問を宜しいかスペルビア殿?」
「ええ。どうぞ『怪力』のアバン将軍」
「悪魔に魅入られていると言ったが、それはまさか高位悪魔がいるということなのか? 文献によれば、中位以下の悪魔は特に知性がないと聞く。魅入られるというからには、誘惑されたということだろう。ならば、高度な知性が伴っていなければならない。
どうなのだ?」
彼の指摘は鋭いものだった。
大抵の人間は悪魔と聞いて、ただ邪悪な存在と言う風にしか受け止めなかったが、武官として戦場を駆ける者は流石に視点が違う。
スペルビアは一瞬だけ思考を動かした。
(ここは高位悪魔の存在……つまり私たちの存在は隠すべきか否か。ここで高位悪魔ではないと言った場合、悪魔以外の黒幕を疑われてしまいますね。そうなると魔王様の存在に気付かれる可能性もあります。
今回は大悪魔マリティア様を復活させることが目的。そしてそれは魔王様が黒幕だと気付かれないように成就されなければならない。ならば、敢えて高位悪魔の存在を知らせるのが最善でしょう)
僅か一秒にも満たない思考を終え、スペルビアは微笑みながら答えた。
「仰る通りですアバン将軍。最低でも数体の高位悪魔が関わっていると考えて良いでしょう。そしてアリスティア家はかつて大悪魔を封印した聖女の一族。動機は充分です」
「やはり……」
相手が大悪魔であることを肯定したことで、誰もが驚く。
そしてペリックやバルク、そしてアバンは更に別の危機を覚えた。
「だが不味い。神子が悪魔に操られたとすれば……」
「神剣を悪魔に利用されることになる」
「はい。ペリック様やバルク様が恐れていることが起こる可能性が高いです」
かつて大悪魔を封印するために用いられた武器であり、その力は一軍すらも滅ぼすという。そんな伝承が伝わる恐ろしい兵器が神剣なのだ。
それを唯一扱える神子一族が悪魔に魅入られているとすれば、その力が人類に向けて放たれる可能性は決して低くない。寧ろ高いと言える。
彼ら首脳陣が危機を感じるには充分すぎる情報だった。
それに対して、スペルビアも同意するように頷く。
「ええ、全くその通りです。私たちサテュロスとしても困っているのですよ。アリオンはとても重要な場所ですから」
スペルビアの言いたいことも分かる。
中立都市アリオンは、三公国にある他の都市と比べると人の出入りが多い。やはり三公国は戦争中で不安定なので、唯一安全なアリオンが人気となるのだ。
それはつまり、裏組織も動きやすいということになる。
スペルビアの言い分は尤もであり、公に認めることは出来ないものの、その言葉で利害の一致を察する。いや、利害が一致していることを暗に示してきたのだと理解した。
そこでペリックは尋ねる。
「何が望みだスペルビア殿」
「ええ、話が早くて助かります。軍を出して欲しいのですよ。アリオンに向けて」
「なんだとっ!?」
流石にそれは許容できるものではない。
軍を出すということは、明確に神子一族へと敵対するということである。よほどの理由がなければ、他国からも非難を浴びることになるだろう。それだけ神子一族は力と名声を持っているのだ。
いくらサテュロスからの要請であっても、こればかりは許可できない。
しかし、スペルビアは引き下がらなかった。
「既にドロンチェスカ公国は出陣を決めました。そしてフィーベル公国も準備はしているようです。どうやらあの国は他の二国を見てから軍を出すかどうか決めるようですから」
「あのドロンチェスカ公国が既に……」
そう呟いたのは『怪力』の称号を持つ将軍サイス・アバンだった。ドロンチェスカ公国には番外将軍『死師』アルトリウスがいるので、単純な戦力はかなりのものとなる。何故なら、混沌魔術を扱う彼は死霊魔術を使えるのだ。たった一人で軍団を生み出せるのは強い。
一般には都市伝説とされている彼の存在も、サイスは事実として知っていた。
混沌魔術の死霊術は、死体がなくとも怨念や魔力に含まれる混沌の性質からアンデッドを作り出す。魔物のアンデッドとは違うので、倒しても魔石は手に入らない。これが魔物と死霊術の違いだ。
そしてアルトリウスは魔力の限り、延々と軍団を作り出してくる。
戦略的な面で考えれば恐ろしい。飢えず、疲れず、決して恐れない不死者の軍隊は、敵対者からすれば悪夢でしかないのだから。
(あのアルトリウスがいれば、アリオンはドロンチェスカ公国の手に渡ってしまうかもしれんな)
サイスはその結論へと辿り着いた。
人類の中でも僅か数名程度しかいない法則属性の使い手とはそれだけの力がある。たとえ神子一族が神剣の力を使ったとしても、アルトリウスだけで勝利してしまうのではないかと考えるほどに。
そしてフィーベル公国もキナ臭い。
あの国には最強にして最凶、そして最恐とも呼ばれる紫電将軍アイリスがいるのだ。彼女はこの国……つまりグロリア公国との戦線でよく姿を見るので、強さはよく知られていた。更に最近はアイリスに並ぶ実力者、特殊部隊インテリトゥム隊長イーラを引き入れたと聞く。
軍としての力はグロリア公国が劣っているのは認めるしかない事実だ。
このままでは出遅れる。
三公国にとって元アウレニカ王国の首都アリオンは重要な土地だ。そこを手に入れることが出来るならば、王権を手に入れたことに等しい。普段ならば軍を派遣するなど不可能だが、今回はアリスティア家が悪魔に魅入られたという大義名分がある。
これは民衆にも多く噂として広がっているので、情報操作の必要すらない。
これまでにないチャンスなのだ。
(この男。分かっていて言っているのだろうな)
サイスはスペルビアを忌々しそうに睨みながらそう考える。わざわざ対価もなくフィーベル公国とドロンチェスカ公国の情報を渡したのはそれが理由だ。
そして中立都市アリオンが裏組織として動くために重要だなどと語っているが、スペルビアにはもっと別の思惑があるのだろうとサイスは思考を重ねる。
(恐らくは軍需産業で儲けるつもりだ。サテュロスは表の経済にも参入していると聞く。食料、武器、その他諸々で莫大な利益を得ることが出来るだろう。これまでも散発的な争いはあったが、今回は公国三つがすべて参加する大きな争いとなる。
得られる利益は桁違いとなるだろう。
逆に我らは国力を低下させることになる。そうすれば、サテュロスはこれまで以上に暗躍することが可能となる。全てが奴の掌で転がされているだけではないか!)
サイスが大公ペリック、その息子バルクに目を向けると、同じく目を合わせてきた。恐らく、同様の結論へと辿り着いたのだろう。他の大臣たちや数人の高官もスペルビアの思惑を一部でも見抜いたのか、不快そうな態度を示している。
しかしここまで見抜いたところで引くことは出来ない。
ここで引けば、フィーベル公国かドロンチェスカ公国に利益を奪われる。そして、参戦すればサテュロスが手に負えなくなるほど力を得る。
「さて、軍は出していただけるのですか?」
スペルビアは改めてその言葉を提言する。
しかし、誰も答えることが出来ない。大公ペリックですら、難しい表情をしていた。せめて妥協点を見つけなれば、このままではグロリア公国がサテュロスに呑み込まれてしまう。
分かっていたはずだが、このスペルビアという男は恐ろしすぎた。
スペルビアは返事がないことで、困惑した風に表情を変える。
「困りましたね。こちらにはあなた方に貸しがあったはずなのですが……」
「待つのだスペルビア殿。確かに我が娘メルシェラを助けてくれたことは感謝している。そのことについてサテュロスに借りがあるのは間違いない。だが、軍を動かせるほど大きな借りではないはずだ」
「しかし、メルシェラ姫を助け出すために軍を動かそうとしていたのでは? ならば等価ではありませんか?」
「暴論だ。あれは裏組織アステスによるテロ行為だった。だが、今回は国家間の問題となる。規模が異なるのは明白だろう!」
グロリア公国がサテュロスに対して借りがあるのは事実だ。しかしペリックの言った通り、軍を動かすほどのものではない。これに関してはグロリア公国側に道理があった。
すると、スペルビアとしても本気で貸しを行使するつもりはなかったのか、大人しく引き下がる。そして譲歩の条件を出してきた。
「ふむ。それならば、三公国による首脳会談を開いてください。通信の魔道具によるものでも構いません。それによって三公国が一つの意思を貫き、悪魔に魅入られた神子一族に対処すると約定を結べばよいのです。この会談についてはサテュロスで手配しましょう」
「何……?」
「先ほどから色々と心配されていたようですが、一番の問題は悪魔に魅入られたアリスティア家の方々です。そうでしょう?」
「……確かに、その通りではある」
その言葉でこの場にいる誰もが危機感を思い出した。本来の危機はフィーベル公国やドロンチェスカ公国ではなく、悪魔に魅入られた神子一族なのだ。神剣を悪用されては堪らない。
何よりも優先するべき事案だったはずである。
思い出した彼らに対してスペルビアは更に語りかけた。
「私たちサテュロスが困っているのは事実。しかし、戦力と言う面では高位悪魔と敵対するに物足りない……ならば、国に対処して頂くのは道理です。そこで、サテュロスが主催する三公国首脳会談に参加して頂きます。
これを貸しへの対価として払っていただきましょう。勿論、一時的な同盟に賛同するまでが貸しの範囲ですよ?」
「待てスペルビア殿」
「どうかされましたかペリック様?」
「我らとしても賛同することに忌避はない。しかし、フィーベル公国やドロンチェスカ公国は賛同するのか?」
それは純粋な疑問だった。
たとえ会談を開いたとしても、最低二か国は賛同しなければ多数決で負ける。一つはグロリア公国が賛同するから良いとして、フィーベル公国かドロンチェスカ公国のどちらかがこの条件に賛同するとは思えなかった。
何故なら、この二つは充分な戦力を保有しているからである。
仮にアリオンを悪魔から解放した後戦争が起こったとしても、勝てる自信があるはずだ。
今までは、この二つの国が互いに戦力を意識していたからこそ、一歩戦力が劣るグロリア公国が生き残ってきたという面もあるほどである。
しかし、スペルビアは心配ないといった様子で答えた。
「問題ありません。恐らくドロンチェスカ公国は賛同してくださるでしょう。フィーベル公国は不明ですが、グロリア公国とドロンチェスカ公国が賛同すれば、拒否してきません。流石にこの国とドロンチェスカが組むのは不味いと判断するでしょうから。
三竦みのバランスを考えれば、ここは一致団結するのが最善だとフィーベルも決断するハズです」
「ドロンチェスカ公国が? 何故だ?」
「それは秘密です」
スペルビアはすまし顔で回答を拒否する。
ドロンチェスカ公国が既に色欲の高位悪魔ルクスリアによって支配されているなど、口が裂けても言えない情報だ。それに、情報提供を拒否する権利を有しているので答えなくとも問題ない。
最上位の目的は三公国すべての軍が中立都市アリオンを攻めること。
三公国会談はそのために最も重要な準備となる。
そして、グロリア公国はこれ以上の最善手を見つけることが出来ない。
「…………いいだろう。手配を任せる。ただし、映像通信によるやり取りだ」
「かしこまりました。我らサテュロスが全て計らいましょう。日程は後日、お伝えします」
何もかもが悪魔の仕掛けた盤上の出来事。
それすら知らず、人類は動かされ続けるのだ。