8話
魔力の精霊王として星は魔力の存在を感知できる。そして生物の体内は生命エネルギーから変換された魔力が宿っており、それを見ることで生物を探知できるのだ。
そして霊峰の麓に集まっている人の数は五千を超える。星や氷竜王に比べれば遥かに小さな魔力ではあるが、夥しいほどの数がそれを補っていた。星にとっては、まるで魔力の塊が押し寄せるかのように感じられたのである。
「実は大所帯による観光でしたってオチじゃないよな?」
「現実逃避は止めることだ」
霊峰は竜脈が湧き出る特異点であり、さらに素材として最上級の氷竜王までいる。もしも氷竜王を討伐して、さらに竜脈の湧点を手に入れることが出来れば……。そんな思いに駆られた人類が攻めてくるのは自明の理である。
そのことは星にもよく分かっていた。
「だけど少なく見積もって五千だぞ。俺とお前だけで戦うとか無理だろ。逃げるのは当然無しだよな?」
「当たり前だ。だが単純に数だけで考える必要はない。私は竜王であり、お前は魔王なのだ。戦力的な質の面では勝っている」
「いや、俺はまだ《障壁》しか使えないって」
「役に立たんな」
「生まれ変わって少ししか経ってない素人に何を期待してるんだ」
星と氷竜王は軽口を叩くが、それほど余裕がある訳ではない。いや、氷竜王は多少の余裕があるのかもしれないが、防御手段以外が皆無の星は内心で溜息を吐きつつ状況確認をしていた。。
(手駒は魔王と氷竜王か……将棋で言えば王と飛車ってところか? まぁ飛車も成り上がることで竜王になるし、王と竜王ってとこだな。それに対して相手は十分な手駒を揃えていると。将棋と違って地形も考慮するべきか。なら霊峰は俺たちにとって有利だな。寒さを感じないし)
東大陸の北に存在する霊峰は本当に寒い。まさに極寒の土地と呼ぶに相応しいほどだ。温度計があれば氷点下五十度を示していることが分かることだろう。普通の人ならばまず辿り着けず、まして戦闘など行えるはずがないのだ。
そして何より麓から中腹にかけては常にブリザードが吹き荒れている。視界もままならない吹雪の中を進軍するなど自殺行為なのである。これは氷竜王が余裕の表情を崩さない理由の一つであるのだ。如何に数をそろえたところで、霊峰の山頂まで辿り着けるのは極一部の強者のみ。そしてその強者も寒さで体力を奪われて本来の力を出せないと思われる。
つまるところ霊峰は氷竜王のフィールドなのだ。伊達に何百年も守護しているわけではないのである。
(ならばこそ私は本気で相手をしてやろう。霊峰の恐ろしさを思い知らせてくれる)
氷竜王は竜脈から力を借りて氷魔法を発動させる。莫大な生命エネルギーが溢れだすこの場所では氷竜王は力を使いたい放題だ。しかも今は魔王である星もいるため、魔法に使用した分は簡単に回収して竜脈に戻すことが出来る。つまり近年の生命エネルギー減少を気にすることなく力を行使できるのだ。
「こちらは数で劣っている。ならば地形を利用するのは当然だ。《絶氷吹雪》」
上位属性に位置付けられている氷魔法。その真髄は氷そのものではなく極低温だ。空気すらも液体にしてしまうほどの冷気。それを吹雪に混ぜて放つのだ。
普段から霊峰の麓から中腹にかけて吹き荒れているブリザードも元を辿れば氷竜王の魔法である。だが常に魔法で吹雪を発現させている内に、自然とブリザードが吹き荒れるようになったのである。長きに渡って魔法を発動させ続けることで周囲の気候や風の流れが変化してしまったのだ。
そして今回改めて使った魔法は嘗ての再現。それによって普段でも立ち入ることが難しい霊峰は、もはや生物の生存が許されない超極寒の地となったのである。
「今の魔法……凄い魔力だったな。一瞬だけ数百倍に膨れ上がったぞ」
「竜脈の力を借りたのだ。これで進軍も難しいだろう。これで引いてくれるなら良し、引き返さぬのなら殲滅だ」
「手慣れているな」
「何百年ここを守っていると思っている」
竜脈の力を使ったとはいえ、氷竜王の魔力は空っぽに近くなっている。竜脈の力を借りるにしても生命属性の魔法が必要だからだ。恐らく魔法を使うにしても、強力なものは出来ないだろう。だが、この超極寒ブリザードを越えてでもやって来るような者は確実に消耗してしまっているハズだ。つまり後は竜としての肉体能力で十分なのである。
もちろん星もそう思っていた。氷竜王の魔力を感知すれば空っぽなのはよく分かっている。しかし圧倒的に有利となったこの地形を突破してくる軍などないと思っていたのだ。
だがそれは星と氷竜王の遥か下方に見えた光景に否定されてしまった。
「あんなのアリかよ……」
「私も初めて見る。最近になって開発された魔道具といったところだろう。正直言って人類共を舐めていたと言わざるを得ないな」
そこにあった光景。
それは数百もの騎士を乗せた空飛ぶ船が二十隻ほど。さらにドラゴンのような生物が三匹ほどブリザードを飛び越えて迫ってくるというものだった。
◆ ◆ ◆
一方で、難なくブリザードを越えたアルギル騎士王国の軍団だったが、実はそれほど余裕なわけではなかった。二十隻ある飛行船の内、その旗艦である中央の一隻で参謀リオルが叫ぶ。
「想定よりも寒波が酷いようです。各自、暖房の魔道具を起動してください。多少の魔力を消費してもここで体力を奪われるよりはマシです。第三騎士団は魔力温存のために飛行船の暖房器具で暖を取るようにしてください」
音を拡散するマイクのような魔法道具で指示を出すリオル。今回の作戦を考案した責任者として作戦に同行しているのだ。細かい指示は各騎士団の団長以下の上官がするのだが、軍全体としての指揮は完全にリオルに任されていたのである。
今回の作戦の肝は飛行船。その名の通り空を飛ぶ船だ。地球の飛行船のように気体密度の差を利用した浮力……つまり物理学の力で飛んでいるのではなく、完全に魔法で飛行している。主に風属性の魔法で飛んでいるのだ。そのため見た目も海を渡る船と同じであり、一隻に数百人を乗せることが可能だ。何よりの利点は、たった十名ほどで船を運航できるということであり、とんでもない大量輸送を実現している点である。
普段は国家間を移動したりするために使用されているため、軍事に転用しようとは誰も思わない。特にアルギル騎士王国ならばワイバーンを操る第四騎士団がいるため、航空戦力は間に合っているのだ。
東にある大帝国が飛行船を武装して軍事運用しているという資料を見たリオルが思いついたことで実現した作戦なのである。国の重要な運送魔道具である飛行船を急に軍事転用するのだ。お金もかかるし、国内の混乱も避けられない。だが今回はそれを許容する程の事案だったのだから仕方ない。
(竜脈の力の減少……この作戦で解決してみせます)
クイッと眼鏡を直して戦場を整えていく。霊峰が氷竜王のフィールドであることは知っており、そのために様々な用意をしてきたのだ。それは飛行船や暖房の魔道具もそうだが、あらゆる事態を想定した行動予定も含まれている。
「第二から第六艦は左翼に展開、第七から第十一艦は右翼に、そして第十二から第十八艦は霊峰に着陸してください。第十九と第二十艦は上空に待機して魔法の準備です。第一射は炎属性と風属性にしてください。旗艦である第一艦を中心に行動開始っ!」
リオルが拡声の魔道具で指示を出すと、それに従って艦隊が移動していく。空中という三次元の動きをする飛行船の操作は非常に難しいのだが、この飛行船を操っているのはベテランの技師ばかりだ。僅かなミスすらも起こらない。
参謀リオルが乗っている旗艦を中心として、それを守護するように第二から第十一艦隊が周囲に展開されていき、その隙に第十二から十八艦隊が着陸して騎士を降ろしていく。ブリザードが吹き荒れる霊峰中腹さえ超えてしまえば、あとは携帯用暖房の魔道具で対応できるのだ。そして魔法師団とも呼ばれる五百名の第三騎士団は第十九と第二十艦に搭乗しており、空中から魔法を浴びせる役目を負っているため地上に降りることはない。
(今回は最も簡単に事が運ばれた場合の手です。一番シミュレーションを重ねたパターンですから間違うはずもありませんね)
リオルは大量の資料と諜報部からもたらされた情報を元にして氷竜王の性格や、行動の傾向についても調べ尽くしていた。その結果、氷竜王は地形を利用した防御を主としており、積極的な攻撃をしてこないことが分かっていたのだ。そのため、軍隊を近づけても麓から中腹にかけてのブリザード地帯を強化する程度の対応しかしてこないと予想できていた。
さらにこれほど大規模に氷魔法を行使すれば、如何に竜脈に力を借りられると言っても相当の疲弊をするはずだ。だから無駄に魔法を使わせ、氷竜王を消耗させたところを攻めると決めていたのである。
そして氷竜王が完全に消耗していない場合の対策もある。
「魔力感知器で氷魔力の発現を確認。氷竜王の氷魔法だと思われます」
「目視でも確認しました。直径五メートル程の氷塊です」
「問題ありません。作戦行動を続行させてください」
焦ったような声を出す魔力感知器担当の人員にリオルは冷静に返す。まだ数発程度なら氷魔法を使える可能性は想定していた。そのためにペルロイカ国王にまで直接許可を取った騎士たちがいるのである。
リオルの余裕を示すかのように旗艦のさらに上空からドラゴンに乗った近衛騎士が現れる。そして旗艦に向けて一直線に飛来していた氷塊の前に立ちふさがり、魔法を発動させた。
「《雷迅牙》」
近衛騎士の翳した右手の先から白い雷光が放たれ、直径五メートルはある氷塊を粉々に砕く。風属性の上位である嵐属性魔法による雷の力だ。近衛騎士として選ばれた者は常軌を逸した能力を持っている。それは技術だけでなく生まれ持った才能まで含めてだ。その近衛騎士は当然ながら魔力量も尋常ではなく、完全ではないとはいえ、氷竜王の攻撃を打ち破ったのは称賛に価するだろう。
さらに白い雷は勢いを弱めることなく発射元の氷竜王にまで届こうとしていた。
『おおっ!』
旗艦でも幾らかの歓声が上がり、近衛騎士の圧倒的な強さに沸き上がる。少し見上げた先には五十メートルをも超える巨大な白い竜の姿が見えており、白い雷は既に直撃しようとしていた。リオルもこの攻撃で氷竜王を倒せるとは思っていないが、初撃を与えられたことには素直に喜ぶ。
しかしそれは寸前のところで氷竜王に直撃することなく霧散する。
何かに弾かれたような形で《雷迅牙》が防がれた。それは目で見ても明らかだったし、各種データもそのように表示していた。これに驚いたのは近衛騎士だけでなく、その光景を見ていた全員である。
「そんな馬鹿な……こんな魔力は有り得ないはずなのに」
言葉を失っていた旗艦の指令室の中で、魔力を観測していた隊員がそう呟く。沈黙の中にポツリと呟かれた言葉はリオルの耳にもしっかり聞こえており、どういうことかとすぐに確認する。
「どうしたのです?」
「リオル様……作戦は中止するべきです!」
どうしたのかと聞くリオルにそう叫ぶ魔力観測員。これにはリオルだけでなく、この場にいた全員が眉を顰めて非難の目で彼を見つめた。王が勅命を出して実行した作戦を、近衛騎士の一撃が防がれた程度で中止するなど有り得ない。なんて臆病な奴だと思われたのである。
しかし焦燥した様子で続きを語った彼の次の言葉に全員が凍り付く。
「完全な無属性魔力を感知しました。先程の攻撃を防いだのは無属性障壁です。つまり霊峰には竜王だけでなく魔王が……魔王指定種ではなく本物の魔王がいますっ!」
想定外過ぎる事態にリオルは目を見開いて驚くのだった。