79話
78話の最後で発動した魔術を名称変更しました。
《幻想霧界》→広域霧幻呪術ファントムミスト
広域霧幻呪術ファントムミストが発動した翌朝。濃霧に包まれた中立都市アリオンはどこも混乱に包まれていた。始まりは朝一番に外に出ようとした行商の者たちが外に出られなかったことである。何度試してもアリオンの外壁門へと戻ってしまうため、外に出ることが出来なかったのだ。
急いで自由組合の魔術部門が調べたところ、強力な呪術が発動していることが分かった。アリオン全体を覆い尽くすほどの大規模呪術など聞いたこともなく、対処法など分かるはずもない。
分かったのはアリオンが孤立してしまったことだけだった。
加えてアリオンにあった全ての魔力核が盗み出され、現在は結界が機能していない。取りあえずの策としてアリオンを守る警護団が各地に配置されている状態だった。アリスティア家専用の結界も消えたため、武のフランチェスカ家と裏のメイガス家も動きが慌ただしい。
ともかく、アリオンの混乱は隅々にまで浸透していたのである。
「今日は集まってもらって感謝する」
「いや、今回は緊急事態。当然だよ」
「ああ、流石にこれは不味い」
「今は大丈夫ですが、直に暴動が起こるかもしれませんからね。対策はしなければなりません」
「同意よ。寧ろこれからが大変ね」
自由組合アリオン第一支部の大会議室で、各支部の支部長が緊急会議を開いていた。このアリオンには合計して五つの支部が存在しており、いざという時は第一支部に集まることになっている。
今回の大規模呪術発動に対し、第一支部の支部長が招集をかけたのだ。
「議題は分かっているな?」
第一支部長の言葉に全員が頷く。
それを見て魔術部門に作らせた今回の大規模呪術に関する資料を配った。それらを手に取った各支部長はサッと目を通す。その間に第一支部長が簡単な説明を続けた。
「発生している濃霧の解析は殆ど進んでおらん。簡単な仕組みとしては、水と呪と虚の属性を複合した迷いの魔法だ。術式構成は複雑怪奇で、これらの魔力情報体が混ざっていることしか分かっておらんのだ。それに対抗術式を構築しようにも、一時的な解決にすらならん。恐らくは魔法陣によって広域制御されていると考えるべきだな。勿論、魔力供給源すら不明だ。ちなみに、資料の五ページ目が魔術部門が解析した術式構成の一部だ」
「なるほど……意味が分かりませんね」
第四支部長が呟く。
術式は全て変数処理がされており、対抗術式をぶつけるたびに変化するように設定されている。イメージとしてはルービックキューブに近かった。どこかの色を合わせようとすれば、別の場所が崩れてしまう。そのようにして術式が複雑化されていたのである。
資料を眺めていた第五支部長が首を振りながら口を開く。
「発動者はかなりのやり手よ。少なくとも自由組合の魔法技術では難しいわね」
「ああ、そう言えば第五支部長殿は魔術部門出身でしたか。専門家としての意見はどうですか?」
「使用されている技術は一般的なものよ。中には十年以上前の術構成も混じっているわ。でも、その組み合わせ方は理解不能ね。一つのロジックに最低でも二十の変数が使用されているわ。これだけの変数を自在に組み合わせ、更に最終的な術として構成して見せるとなると、恐ろしい才能よ。まるで千年の時を魔法陣魔術に注いでいるかのような出来だわ。魔法陣技術が確立したのは僅か五十年ほど前の話。だから、これは常軌を逸した天才の作品ね」
「そこまでなのか……」
専門家でない者からすれば、複雑な術式だという程度の感想だ。しかし、専門家からすれば身震いしてしまうほどの術構成である。少なくとも、理解できる術式を理解不能なほど複雑に組み合わせるなど正気の沙汰とは思えない。
狂気を感じさせる術だった。
だが、それも当然である。既に一万体を超えたアビスによって構成されているアビスネットワークは、人の領域を逸脱した演算能力となっている。セイはその思考力を使って存分に魔法陣を解析し、独自の手法を組み込みつつ既存の術式で広域霧幻呪術ファントムミストを創り上げたのだ。
迷いの濃霧としての効果だけでなく、対抗術式への保護や解析防止の無意味な術式羅列まで組み込まれている。更に、街中に設置した魔術印を見つけられないように、それらを誤魔化す術式も入っているのだ。
少し解析した程度で理解できるはずもない。
「異世界人部門に便利なスキルを持った奴でもいないものか……」
「いたら誰も苦労せんよ。現実逃避は止めろ」
「そもそも、優秀な異世界人は神聖ミレニア教国が独占している。自由組合が確保しているのは、そのおこぼれに過ぎない」
「外部に協力を要請できないのが何よりも痛いな」
正直、この程度の情報では対策の立てようもない。素直に魔術部門が解析を終えるまで待つ他ないのが現状だ。
そこで支部長たちは話題を変えることにする。
「アリスティア家への対応はどうする?」
「それは自由組合の範疇ではないだろう。どうもせんよ……と言いたいところだが」
「ああ、依頼を出してくるのは確実だ。霧の魔術を解除するように要請してくるのは間違いない。その時にどう対応する? 無理ですとは言えんぞ」
「頭の痛い話だ……神子様方はこちらの話を聞かれないからな」
正直、本当のところは神子一族について話し合うために集まったようなものだ。どうせ大規模魔術については魔術部門が解析するのを待つ他ないのは分かっているので、それは情報共有だけで構わない。
尤も、想定以上に複雑な術式であったことには驚いたが。
ともかく、本題は神子一族への対応なのだ。絶対に依頼を断ることも出来ないし、失敗も許されないアリオンにおいて至高の存在。それが悩みの種なのである。
「霧の術式は呪属性が組み込まれているのだろ? 聖属性で解除できないのか?」
「そんな単純なら会議など開かんわ!」
「あー、分かってるっての。冗談だよ」
「だから現実逃避は止めてくれ」
しかしその気持ちも分からなくはない。
何故なら、神子一族は確実に無茶な依頼をしてくるからだ。
例えば、想定されるのは『今すぐに不愉快な霧を消せ』である。無理だから時間かけて解析しているにもかかわらず、神子一族はそれを無視して命令してくる。自由組合に拒否権などない。神子一族とはそれほどの暴虐を平然としてくるのだ。
ただ、それで赦されるのは神剣を扱える血族だからである。
現代では誰も知らないが、文献ではその効果が記されている。ただの一振りで山を消し、大地を割り、一軍を殺し尽くす。それが神剣である。
故に各国への発言力も強力で、様々な支援者も持っている。東の大帝国ですら、神子一族には遠慮する部分があるほどだ。神剣とはそれだけ恐ろしいのである。
決して逆らってはいけない。
そんな存在なのだ。
「頭が痛い」
第一支部長の言葉に誰もが同意する。
その後は神子一族への対策のための会議に成り果てたのだった。
◆◆◆
中立都市アリオンが霧に包まれた日。
その日の昼から魔王セイ=アストラルは暗躍を開始していた。その身を黒い服装で包み、フードを被って仮面も着ける。そして右手には深淵剣。
早速とばかりに神子一族を暗殺するつもりだった。
本来、暗殺は闇に紛れ、心理的に油断する夜が相応しい。しかし、昼に暗殺されたとすれば、それは大きな揺さぶりになる。セイは危険であることを踏まえつつ、その利点を重視した。
霧に包まれた上空で《障壁》の足場を展開しつつ、一歩ずつ歩いてアリスティア家の居住区へと近づいていく。魔力核を全て回収した今、神子一族居住区を守る結界はない。セイは上空から近づき、奇襲的な侵入をするつもりだった。
「アビス。ターゲットの様子は?」
『ターゲットNo1、ギャバン・アリスティアは暴食に耽っています。近くにはフランチェスカ家の者が三名、メフィス家の者が四名、オーエン家の料理人が一名います。メイガス家の者も隠れて護衛しているようですが、こちらの数は不明です』
「待機中のアビスは?」
『三体です』
「充分だ」
セイが一番目のターゲットとして選んだのは、代表神子アリアの父親であるギャバンだった。アリアに近しい人物であり、害悪そのものとも言える人格。殺すことに何の躊躇いもない。
精霊王としての精神に変質しつつあるのか、人の死に対して頓着しなくなってきた。重要なのは身内の精霊と中立仲間である竜種、そして世界の全体的なバランスである。そのためには人殺しすらも許容してしまう。
セイ本人としては、この精神的変質を気味悪く思うこともなく、受け入れている。それに、アルギル騎士王国では万単位の騎士を殺し尽くしたのだ。今更、一人や二人を殺したところで誤差の範囲である。寧ろ、そう思うことで自身を赦していた。
(ま、虐殺しているわけじゃない。要は駆除だ)
箱の中にある腐ったリンゴは取り除かなければならない。
他のリンゴが腐らないために。
精霊王から見た人類とはそのような認識となる。
『到着。この真下にギャバンがいます』
「分かった。じゃあ、早速飛び降りるとしようか」
セイはそう言って足場にしていた《障壁》を解除し、自由落下し始める。そして自身の体の表面に風属性の魔法陣を展開し、落下速度と位置を調整しながらギャバンの所へと向かう。ギャバンの位置は張り付いているアビスによって特定させているので、セイの脳内にはキッチリと把握されている。
そしておよそ一分後。
セイは屋根を突き破ってギャバンのもとに落ちてきた。
「死ね」
落下途中に氷竜王牙の深淵剣を振ってから着地する。寸前で反動を消し去る重力系の魔法陣を使ったので着地は滑らかであり、また体を覆うタイプの《障壁》を常に展開しているので屋根を突き破った際のダメージもない。
ただ、セイの着地と同時にギャバンの首も落ちた。
「は……?」
自分の死を把握できなかったギャバンは、首が絨毯の上に転がってから一言呟き、息絶える。周囲にいたフランチェスカ、メフィス、オーエン、メイガスの者たちは反応すら出来なかった。
首から鮮血を撒き散らすギャバンが椅子から倒れて初めて動き出す。
「そ、そいつを殺せぇっ!」
護衛だったフランチェスカ家の一人が叫びながら剣を抜いて斬りかかる。しかし、セイは深淵剣を伸ばしながら一閃するだけで撃退した。
無造作に振り抜かれた一撃は、アビスネットワーク内で最適化された一撃。氷竜王牙という最高の切れ味を誇る素材だったということもあって、フランチェスカ家の男は武器ごと体を上下に切り裂かれた。
「よくもギャバン様を!」
「殺す!」
残る二人のフランチェスカもセイへと斬りかかるが、同じく深淵剣の一閃によって死に絶えた。奇襲によって完全にペースを乱されたので、武のフランチェスカ家と言えどもまるで敵わない。
そもそも、セイの攻撃は初見殺しが多いのだ。
誰が伸びる剣など想像できるだろうか。
また、人体をたったの一振りで両断できるというのも信じがたい。人の体を真っ二つにする場合、骨や脂肪が邪魔になる。それを気にすることなく一撃で両断するとなれば、凄まじい性能の剣だけでなく、それを扱う腕も必要になるのだ。
「くっ! 仇を取りますよ!」
『はっ!』
侍従のメフィス家に連なる四名はセイを取り囲んで袋叩きにしようと考える。メフィス家の者もいざという時は神子一族を守ることになるので、多少は武術の心得もある。だが、それは服の中に隠しておけるナイフを扱ったり、護身レベルの体術を扱う程度。
到底、セイには敵わない。
(想定演算、最適な剣の軌道を計算、背後の一撃は《障壁》で弾くことを前提とする)
セイは素早く深淵剣を振って目の前の一人を殺し、次に右から迫るもう一人のナイフを斬り飛ばしてから返す一撃で首を刎ねる。さらにその慣性力を生かしつつ、左足を軸にして体を反転させ、逆側のもう一人も首を飛ばした。
初めに背中からセイの首を狙ってきた最後の一人は、並列演算で《障壁》を展開し、ナイフを弾く。そして隙を突く形で深淵剣を喉に突き刺し、殺害した。
(後はオーエン家の料理人だな)
どこからともなくフライパンを取り出して振りかぶっていたオーエン家の料理人には、一瞬で短剣化させた深淵剣を投げた。綺麗に額を貫かれた料理人はそのまま後ろに倒れる。
「ふぅ……」
セイは一息ついて構えを解く。
しかし、その油断を狙って隠れていたメイガス家の者が五人も飛び出してきた。隠形や暗殺を得意とする彼らは、セイが最後に油断する一瞬を狙って今まで隠れていたのである。主であるギャバンが殺されても、冷静に隠れていられた彼らは実に我慢強いと言えるだろう。
だが、やはり考えが足りない。
「やれアビス」
『是』
その呟きと同時に潜んでいた三体のアビスが出現する。
スライムのように自在な変形をする漆黒の魔物。彼らも暗殺と諜報を得意とするセイ自慢の魔物だ。そして得意とする変幻自在の串刺し攻撃によって、五人のメイガスは刺し貫かれた。
例え数で劣っていたとしても、針のように変形して伸ばせば多方向にも同時攻撃が出来る。この時にアビスはオリハルコンに変質していたので、五人が黒服の内側に着ていたステンレス製の防護服も簡単に貫いてしまった。
しかし、アビスが伸ばした針は細いので、一撃で死ぬことは出来ない。
そこでセイがしっかりとトドメを刺す。
「五重展開、《氷結術》」
セイの周りに展開された五つの魔法陣から鋭い氷柱が飛び出し、メイガスの五人にトドメを刺す。しっかりと心臓を貫かれた五人は、数秒で息絶えた。
それを確認したセイは念のために魔力感知で周囲を探り、残っている者がいないか調べる。結果として誰もいなかったので、セイの戦闘法もバレることはないだろう。《障壁》も使ってしまったので、バレる訳にはいかないが。
魔王だと分かる物的証拠が何もないことを確認したセイは、部屋に残る自身の無属性魔力を霧散させる。これで魔術的証拠も消えた。
近いうちに屋根を突き破った音を聞きつけた別の者がやって来ることが想定されるので、さっさと逃げなければならない。
料理人に向かって投げた深淵剣を回収しつつ、セイは口を開く。
「アビス、継続して諜報を任せる。アリスティア家の動向は常に把握しておけ」
『是』
最後に三体のアビスに命令を下しセイは《障壁》の足場を展開しながら突き破った屋根の上へと昇っていく。そして霧に紛れつつ、再び上空へと逃げて行ったのだった。
やったね
さっそく蹂躙だよ!