78話
中立都市アリオンは今日も活気に満ち溢れている。戦争中である三公国の中にありながら、中立を保っているからだ。フィーベル公国、ドロンチェスカ公国、グロリア公国も神子一族が支配するアリオンを攻撃するつもりはなく、戦争地域の選択もアリオンから離れた場所を指定する程だった。
戦争中でありながら平和の都市。
それは神子一族の持つ権力が果てしなく大きいことも示している。たとえ大公だとしても、神子一族には決して触れてはならないのだ。
魔王セイ=アストラルは、そんな神子一族に仕える武のフランチェスカ家から依頼を受けていたのだが、二年ほど経ってようやく解放されることになった。フランチェスカ家の長女リファの修練相手になるのが自由組合員としての依頼だった。セイは依頼のままに満足するまで相手になり、ようやく依頼完了となったのである。
結果として血統スキル『リボーン』を何度か目覚めさせることになった。フランチェスカ家の持つ、ピンチの時に覚醒するという主人公のような能力だ。あまり相手の戦力を増強させたくなかったので、ある程度は手加減をしていた。しかし、それでも何度か覚醒させてしまったのである。
というよりも、初めから何度か覚醒させるまでセイを雇うつもりだったらしい。手加減していてもあまり意味はなかったということだ。
「これが依頼完了のサインです」
「分かりました」
「およそ二年にも及ぶ仕事、お疲れ様でした」
「はい、では」
神子一族居住区と繋がる出入り口から出て、神殿の一般開放区域まで案内されたセイは、そこで依頼完了証明書を受け取った。後はこれを自由組合アリオン支部にまで持っていけば依頼完了となる。
依頼中も何度か居住区の外には出ていたが、こうして解放されて出るのとでは感覚が違う。伸び伸びとした気持ちで街を歩き始めた。
「はぁ……想像以上に縛られたね。お陰で必要な情報は全部集まったけど」
高位悪魔たちとも連絡を取り続けていたので、進行状況は理解している。三公国を任せていた憤怒のイーラ、傲慢のスペルビア、色欲のルクスリアも上手く各国上層部へと取り入ったようだ。
また、中立都市アリオンでアビス金貨を使い、情報収集役のアビスを撒いていた暴食のグラと怠惰のアケディアも上手に立ち回ったらしい。アリオンのことはもはや完璧に把握していると言っても過言ではなかった。
僅か二年。
その期間で上げた成果としては充分である。戦争中で隙だらけだったとはいえ、国の上層部に食い込み、あらゆる機密情報すら気付かれることなく盗み出したのだ。これで後は三公国を落とすだけである。予定では、その過程で神剣から大悪魔が解放されるのだ。
(おーい、アビスー。魔力核の場所は把握してるな?)
『是』
(いつでも回収できる位置に移動してくれ。今夜から仕掛ける)
『是。アリオンの大結界を張る魔力核、アリスティア家を守る結界の動力に利用される魔力核、研究に利用されている魔力核が三つ。合計五つの魔力核はいつでも回収可能です』
(合図を出すまでは隠れていろ)
『是』
本当なら後一年か二年はかかる予定だった。しかし高位悪魔たちは予想以上に優秀で、僅か二年で準備を整えてしまったのだ。流石というべきである。
セイはアビスネットワークを利用した神速思考でこれまでの情報を整理しつつ、予め計画していた作戦の見直しをする。当初の予定から多少は改良しているが、大まかな流れは変わらない。今日から三か月以内に三公国は中立都市アリオンと共に滅び去り、権力を笠に着る高慢な神子一族も一掃することが出来る。
(ようやくこっちサイドの戦力が揃ってきたな……)
本来、セイが悪魔たちを解放するのは味方を増やすためではない。どちらかと言えば、人類に敵対する存在を増やしたいだけだ。セイだけが有名になるより、各地で悪魔が猛威を振るった方がセイも動きやすい。
ましてや大悪魔まで復活すれば、魔王アストラルのことなど気にならなくなるだろう。基本的にセイは暗躍するので、表立って動く存在が欲しいのだ。
大悪魔を中心として高位悪魔が暴れている隙に、セイは竜種を解放するつもりなのである。今のところ、確保しているのは氷竜王クリスタルのみだ。魔王城クリスタルパレスで保護しているので、今のところは安全だろう。しかし、竜王一体では竜脈の調整も心許ない。残りの竜王も必要である。
また、同時にシルフィン共和国に囚われている精霊王の救出も急ぎたい。エルフたちに利用されているのは我慢ならないので、さっさと解放したいのだ。セイが大きく暗躍するためには、より大きく暴れる存在が必要になる。今はそれを集めている段階だ。急いで精霊王や竜王を解放したいところだが、我慢するのも大切である。
「取りあえず……今日の宿を探そうか」
その後、セイは自由組合アリオン第四支部で依頼報酬を受け取り、防音の施された高級宿の部屋を取ることに成功する。今夜から始動する魔王の策略に気付く者は誰一人いなかった。
◆◆◆
深夜になって、セイは周囲の魔力を感知する。そして自分が泊まっている部屋を覗き見している人物がいないか確認した。更に盗聴魔術が発動していないかも調べ、機械による盗聴がないかも確認する。
そして安全だと判断したところで転移魔法陣を五つ展開した。
高級宿の部屋に敷かれた紅い絨毯には青白い魔力光が良く映える。そしてほぼ同時に五人が転移魔法陣を通って現れた。
「久しぶりだね。スペルビア、イーラ、ルクスリア、グラ、アケディア」
「お久しぶりでございます魔王様」
セイの挨拶にスペルビアが代表して答える。
こうして集まったのは、遂に行動へと移るためだ。余計な馴れ合いは必要ない。セイは淡々とこれからのことを語り始める。
「今夜からアリオンは俺の手に落ちる予定だよ。全ての魔力核を回収し、同時に迷宮化を施す。アビスを使ってアリオンの各所に魔法印を付けてきたからね。迷宮化に伴う無属性魔力供給で大規模魔法陣を完成させる。これでアリオンは完全に孤立することになる予定だよ」
「では私どもの役目は?」
「うん。スペルビア、イーラ、ルクスリアはそれぞれの公国に進言してくれ。アリオンを落とすようにね。同時に三つの公国で同盟も組んで欲しい。そして三公国同盟でアリオンに挑むように仕向けて欲しいんだよ。経過報告は聞いているから、スペルビアがメインで動くのが一番だと思う」
「かしこまりました。では私の組織サテュロスの手を伸ばしましょう。グロリア公国だけでなく、フィーベル公国とドロンチェスカ公国にも伝手はありますから」
「じゃあ、イーラとルクスリアは大公に進言する程度でいいよ」
「分かった」
「その程度なら楽ね」
高位悪魔の中ではスペルビアが最も賢いので、こういった裏の作業では信頼できる。上手く情報操作して同盟へと結び付けてくれるとセイも確信していた。そしてイーラは特殊部隊インテリトゥムの隊長として暴力的な力を発揮している。彼女の意見なら大公マルス・フィーベルも無下には出来ないはずだ。そして言わずもがなルクスリアは完全に大公ゼノン・ドロンチェスカを篭絡している。こちらは問題ないだろう。
そして後はグラとアケディアである。
「グラ、アケディア。二人は呪いの魔術で食料や水をダメにしてくれ。一気にするんじゃなく、かなりゆっくりとしたペースでお願いしたい」
「喰い物をダメにするのか……? やだなぁ……」
「ちょっと面倒臭い。一気にやっちゃダメなの?」
「グラは呪魔術じゃなく、普通に食い荒らすのでもいいよ。ただし、バレないようにね。アケディアも面倒だからって一気にやるなよ? こっちの作戦が崩れかねないから」
二人は渋々と言った様子で了承する。
迷宮化によってアリオンを孤立させ、その状態で食料や水を汚染していく。これでアリオン内部の不満は高まることだろう。加えてセイは二人に頼みごとをする。
「あと、二人は内部で悪魔召喚をしてくれ。それでアリオンを警備する兵を減らす。神子一族の私兵たちも殺しまくって構わないよ。ただし、全滅はさせないようにね。一割ぐらいは残す感じで。まぁ、気にしなくても一割の強者は自然と残るだろうけど……」
例えばバズ・フランチェスカ。神子一族ことアリスティア家に仕える名家の当主だ。武を司るだけあって実力はかなりのもの。自由戦士換算でランク10は堅いだろう。セイが鍛えて、血統スキル『リボーン』を何度も発動させたリファ・フランチェスカも実力者となっている。
後は同じくアリスティア家に付ける裏のメイガス家にも実力者は揃っている。アリオンに滞在する高ランクの自由戦士もいるので、悪魔が出現しても強者だけは残るだろう。
そして仕上げはセイが担当する。
「そして俺はアビスを使って神子一族を何人か暗殺する。更に偽の情報を流して疑心暗鬼を促す。限界まで追い詰めれば代表神子アリアも神剣を使わざるを得ない。封印を解いて神剣を起動させるはずだよ。神剣には恐らく大悪魔が封印されている。引っぱり出せばこっちのものさ」
神剣が収められている場所は、高度な封印が施されている。セイでも解除している間に見つかってしまうことだろう。仮に問題なく解除できたとしても、封印の内部がどうなっているか分からないので、手を出しにくい状態なのだ。加えて言えば、魔王としてはまだ表に出るつもりはないので、可能な限り暗躍に留めたい。
そこで、今回は戦争を誘発して神剣を使わざるを得ない状況にする。代表神子アリア自身に封印を解かせることが出来れば、全て解決だ。
「こちらはどのタイミングで動けばよろしいのですか?」
「スペルビアたちが動くのは情報が伝わってからだね。俺たちはアリオンを孤立させる上に、外部からは何も分からなくする。物理的にも情報的にも孤立させる予定だよ。だから、自然と動き出す時期は分かると思う」
「かしこまりました。では私どもはしばらく待てばよいのですね」
「そういうことだ」
これからの流れを大まかに理解したところで、五体の悪魔たちは頷く。そしてセイは再び転移魔法陣を展開し、元居た場所へと繋いだ。アビスネットワークでそれぞれの居場所は把握しているので、神速演算によって転移魔法陣を描くのも簡単なのである。
スペルビア、イーラ、ルクスリアの場合、あまり長時間いなくなるのは不味い。だからこそ、手短に話を終えて五人を帰した。
「さて、次はアビスだね。回収しろ」
『是』
アビスネットワーク内で思考が響き、アリオン内部で五つの魔力核に張り付いていたアビスが行動を開始する。都市を守る大結界、また神子一族居住区を守る大結界を発動させている魔力核に加え、研究に利用されている魔力核三つも全て同時に回収する。
ただ、その場にいたらバレてしまうので、即座にセイが転移魔法陣を展開した。
魔法陣を通ってアビスがセイのもとへと集まり、セイは魔力核を自身の魔力として回収する。
「これでアリオンは無防備になった。ここからが本番だ」
セイは意識を集中させて新しい魔力核を生成し、泊まっている部屋の壁に埋め込む。そして手を触れながら迷宮領域を一気に増やし、改造を開始した。
本来ならば何十年と掛ける迷宮生成も、セイの圧倒的な演算力があれば一瞬で終わる。アビスを使って都市の至る所に仕組んでおいた魔術印を連結して一つの魔法陣を形成する。
それは水属性と呪属性と虚属性を組み合わせた大規模魔術。
「発動、広域霧幻呪術ファントムミスト」
都市の各地に仕込まれた魔術印によって大規模魔法陣は完成し、中立都市アリオンは濃霧で覆われる。霧はアリオン外周だけを覆い尽くし、抜け出せない迷いの領域を創り出した。
呪属性と虚属性によって幻惑と精神作用を与え、真っ直ぐ進んでいるつもりでも迷わせる。これによってアリオン内部からは絶対に外に出られないようになってしまった。霧はドーム状にアリオンを包み、たとえ空を飛んだとしても脱出は不可能。
物理、情報面でもアリオンは孤立する。
誰もが寝静まる深夜のことであり、一般市民が異常事態に気付くのは夜が明けてからだった。
次回から蹂躙開始ですね