76話
傲慢の高位悪魔スペルビアが潜入するグロリア公国。
今、この国の上層部は荒れていた。
理由は大公ペリック・グロリアの末娘であるメルシェラ姫が攫われたからである。誘拐を実行したのはグロリア公国でも有数の裏組織だった。身代金要求の書状が送りつけられ、その紙一枚を巡って上層部が連日の会議を開いているのである。
「裏は取れたのか?」
「ええ。間違いなく裏組織アステスでしょう。最近、賭博都市カールテッドで頭角を現し始めた新しい裏組織サテュロスに押され始め、資金調達のために今回の事件を起こしたものかと」
「焦っている……ということでしょうな」
「こうなると裏の奴らは見境がないぞ。裏組織の戦いは負ければ死だ。よほどサテュロスが怖いのだろうさ」
「しかし我らとて屈する訳にはいかん。メルシェラ姫が攫われた上に、大人しく犯罪者共に大金を渡すなど有り得んぞ!」
「だが姫はどうする? まさか国境を守る将軍を動かすわけにはいくまい」
「我が国の諜報組織もかなりのものだが、流石にアステス相手では難しいな。サテュロスに押されているとは言え、この国の裏を殆ど仕切っていたのだぞ? 並みの諜報員では奴らを怒らせるだけになる」
上層部の高官たちは口々に議論を交わす。
裏組織アステスとはグロリア公国がグロリア大公領だった時代から存在しており、麻薬取引や規制品の密輸に加え、暗殺、誘拐、違法賭博経営など数々の汚れ仕事をする組織だった。勿論、アステス以外にも小規模な組織は点在していたが、大抵はアステスの傘下に入り、中堅規模の組織だけはどうにか独自の裏ルートを構築している状態だった。
アステスは本拠地こそグロリア公国に持っているが、活動範囲は非常に広く、三公国だけでなく南部のエスタ王国や東部の大帝国にも手を広げている。大帝国は侵略によって大規模な領土を得ているのだが、それ以前にあった小国家群にも手を伸ばしていたので、非常に国際的な組織であったのは確かである。
しかし、その大組織が一つの中堅組織によって押され始めたのだ。賭博都市カールテッドをメインに活動していた裏組織が一年半ほど前から気付かれないように力を伸ばし始めたのである。一年もしない内にカールテッドを完全掌握し、その財力を利用して数か月以内にあらゆる方面へと手を伸ばしたのだ。油断していたわけではないにもかからわず、あっという間にアステスの支配領域と傘下組織を飲み込んで巨大化。闇ルートも半分近く奪い取られ、特に賭博経営に関しては全てのシェアを奪われることになった。
経済的には圧倒的敗北であり、これからの未来を考えても状況は芳しくない。そこで一発逆転を狙うべく、資金調達のためにメルシェラ姫を誘拐したのである。
「自由組合に依頼することは可能か? こういう時にこそ使える組織だろう?」
「馬鹿な! 国家レベルの問題を民間レベルに依頼してどうする!」
「我らがやるよりかは確実だと思うがね。私は賛成だ」
「待て、早まるな。これ程の規模だと、十分な金銭を渡しても自由組合に借りを作ることになるぞ」
「なら代案を出せ! 先程から否定ばかりしおって!」
「ここは会議の場だ。否定ぐらいするのが普通だろう!」
「静まれ静まれ! 話が逸れておるぞ!」
その言葉にハッとして熱くなっていた高官たちは口を噤む。
会議の場で競い合うつもりはないのだが、ついつい張り合ってしまうのが人の性だ。しかし、一度静まるタイミングとしてはベストだったと言えるだろう。会議室が豪快に開かれ、公国政府高官である証のバッジを付けた一人の人物が入ってきた。
灰色の髪に切れ目という冷たい印象を与える風貌だが、周囲に漏れ出す気配からは沸騰するような怒りすら感じる。
誰が入ってきたのか気付いた高官の一人が慌てて立ち上がり、頭を下げつつ挨拶を口にした。
「バルク様! ご機嫌麗しゅう……」
「これが機嫌麗しく見えるのか?」
「し、失礼しました」
バルク・グロリア。現在は公国の行政高官として働く大公ペリックの長子である。次期大公でもあり、今は勉強しつつ政治的な手腕を振るっていた。
バルクは空いている椅子にドカリと音を立てて座り、口を開く。
「私が今回の事件において対策委員長に任命されたバルク・グロリアだ。末の妹がアステス如きに誘拐されたことを遺憾に思う。護衛団については既に罰が降っているはずだ。尤も、元から再起不能の奴までいたからアステスの奴らも本気だったということだろうさ。
さて、まずは君たちの間で最も強かった意見を教えてくれないか?」
大公の息子という色眼鏡なしでも優秀と言えるこの男を前に、高官たちは気を引き締める。将来は名君となるだろうと言われている一方、容赦のなさも目立つのがバルクという男の特徴だ。
罰は徹底的に与え、二度と過ちを犯さぬように矯正する。この男が政治に関わるようになってからは刑法が強化され、犯罪件数も二割減少となった。
行動力と冷徹な判断力は現大公ペリックすら上回ると言われているほどだった。
故に誰もが口を閉ざす。何故なら、先程からの討論では全くと言って良いほど意見がまとまらなかったからである。
「どうなのだ?」
しかし、このまま黙っているわけにもいかない。
ここに集まる高官の中で最も位の高い者が恐る恐る口を開いた。
「強かった意見かと言えば難しいところですが、現実的なのは自由組合に依頼することでしょう。裏関係をよく知る者ならば、何とかなるかもしれません」
「自由組合か……大きな借りを作ることになるな」
「はい、そこは私共も懸念しておりました」
裏組織というデリケートな部分に触れること、多くの人員を動員すること、更にそれを秘密裏に済ませることなど、自由組合に要求される項目は多い。金だけで解決できる問題では無く、大きな借りが出来てしまうのは必然だ。
三公国が争っている状況で自由組合に借りを作るのは拙い。何故なら、いざ本格的な戦争が起きた時に自由組合の恩恵を受けられなくなる可能性が高いからだ。格安での物資調達や、情報収集など、戦争時における自由組合という組織の恩恵は大きい。
現段階では決して貸しを作っても借りは作ってはならない相手である。
「小規模な傭兵組織はないのか?」
「アステスほどの裏組織に手を出してくれるところは少ないかと。最低でも同規模以上の組織力を持つか、この手の事件解決を得意とする傭兵団を見つけるか……どちらにせよ難しい問題です」
「ちっ……裏の奴は裏で好きにやっておけばよいものを。どうして表に手を出して厄介事を増やしてくれるのだ。最終手段でアステスに脅しをかけることは出来るか? こちらが見逃してやっている分を盾にすれば交渉は上手くいくだろう」
「いえ、姫様が人質となっている時点でその手札は使えないと思った方がよろしいですね。アステスも追い詰められているわけですから、こちらが強気に出ると何をされるか分かりません。殺されることは絶対にないでしょう。身代金を得られなくなりますから。ですが、姫の身を汚される可能性は高いと思われます」
「メルシェラが殺されないだろうと高を括るのは愚策か……」
バルクとしても末妹のメルシェラを見捨てるほど冷酷ではない。同じ父と母を持つ妹なので愛着はあるし、下手に見捨てるとグロリア公国に対して悪い噂も立つ。この乱世の時代においてはちょっとした噂からも士気低下に繋がるので、物事は慎重に運ばなくてはならない。
戦時中の政治バランスは極端に難しくなるのだ。下手に信用を失って、特に南のエスタ王国から資源が輸入できなくなるのは最も辛い。竜脈の湧き出るポイントがある国なので、食料資源がかなり豊富なのだ。湧点が地下深くなので効果の高い薬草が生えるほどではないが。
会議の場は意見に詰まって沈黙し、誰もが静かに唸る。
しかし、その中で一人の高官が恐る恐る手を挙げた。バルクはそれに気付いて名指しする。
「どうした。良い案でも浮かんだのか?」
「いえ……良案と言えるかは難しいところですが、一つマシな方法はあると思います」
「構わん。言ってみろ。この場はそれを議論する場所なのだからな」
そう言われて少しは安堵したのか、その高官は不安そうな表情から真剣な眼差しに変わる。そして周囲から注目を受ける中、ハッキリとした口調で意見を述べた。
「私は治安に関する部署で働いているのですが、その際には裏組織に関する事案も扱います。そして裏世界を支配し、安定化させていたアステスにはある程度の便宜を図ってきました。これは極秘の取引によって成立しており、裏の事情を裏に任せるというものです。これによって度が過ぎない限りはアステスに裏を管理させ、仕事を二分化することで治安の上昇に役立ててきました」
「それは知っている。だが、それを手札に交渉するのは無理だと先に言ったはずだ」
「はい。ですから、この際アステスは捨てましょう。そして新しく契約する相手としてサテュロスを引っ張ってくるのです。ここ一年で大きく実力を伸ばし、経済面で言えばアステスを大きく上回ります。今回の事件をサテュロスに任せることで、成功したあかつきには裏社会を任せるという風に持っていくことは出来ないでしょうか?」
その提案には納得できる部分がかなりあった。
不本意な方法ではあるが、力も落ち込んで公国にすら牙を剥いたアステスよりも、経済的に将来性のあるサテュロスを利用した方が理に適っている。
裏社会の経済を掌握したサテュロスは、放っておいても数年以内にアステスを壊滅させて完全に乗っ取ってしまうだろう。それならば、先にこちらから連絡を取り、首輪を付けておくに越したことはない。
裏組織としても一部とはいえグロリア公国政府から見逃して貰えるようになるのだ。間違いなく食いついてくるはずである。
問題はサテュロスがアステスに囚われているメルシェラを助け出せるかどうかだ。
「サテュロス……まぁ、その案を採用したとしよう。確実にメルシェラを助け出せるのか?」
「かの組織は情報収集能力に特化していると思われます。巧みに情報を操り、我々ですら最近になるまでサテュロスの存在すら知りませんでした。徐々に下部組織を集めて情報や金の流れを分散し、小さな裏組織が活発になり始めているという程度でしか認知できなかったのです。私共が慌ててサテュロスを追い始めた頃にはアステスに並ぶ大組織になっていました。恐らく、既にアステスが姫を攫ったことは認知していることでしょう。そして我らとの交渉に使えないかと隙を狙っているハズです」
「なるほど。つまり敢えて隙を晒すというわけだな。サテュロスの実力を測るためにも。それに、失敗したとしても裏組織同士の抗争で済む。最悪の場合が訪れても被害は最小に抑えられるか……」
しかしそれが事実ならば恐ろしい話でもあるとバルクは思う。
国ですら感知できないほどに情報を操る組織など、これまで見たこともない。隠すのではなく、巧みに情報を流すことで、一つ一つの情報を無関係なものだと錯覚させるという手段を取っているのだろう。
あまりに不自然なので虚属性の魔術すら使われている可能性がある。
だが、だからこそ国に繋ぎ留めておきたい。少しでもパイプがあれば、不気味な組織であってもやりようはあるのだ。バルクの心は決まった。
「グロリア公国はアステスと手を切り、サテュロスと手を結ぶ。こちらからも支援してアステスを潰して貰うことにしよう。金銭は不要だろうし……こちらからはアステスと結んでいた極秘契約を持ち掛け、更にアステスが消滅するまでは軍の目を向けさせないように支援する。これを対価にメルシェラを取り戻してもらうことにする。
異論はあるまいな?」
高官たちを見回すバルクは有無を言わせない目をしていた。
勿論、誰一人として反対はしない。
グロリア公国は悪魔との契約を結ぶことになるのだった。