68話
神子一族の前で御前試合する日、セイは身軽な恰好になって腰に剣を差し、演習場へと赴いた。武のフランチェスカ家が有する演習場には神子一族専用の観戦席が用意されているので、そこで試合をすることになっているのだ。
普段はフランチェスカ家の者たちや、捕獲した魔物が戦う。
だが、今日はその中に自由戦士セイも混じっていた。
試合は完全にランダムとなる。出場者の名前が記されたクジが用意され、それを代表神子アリアが引くことで試合相手が決定されるのだ。勝ち残れば、名前の記されたクジは二回戦用の箱に入れられ、二回戦が始まる時に再びクジが引かれる。
要は変則的なトーナメント方式だ。
(出てくるのは……一昨日戦ったリファと、フランチェスカ家当主バズ、それに知らない奴が十名ほどいるみたいだね。あとは檻に入れられた魔物か。オーガにミノタウロス、それにカースドウルフか? 魔物目録を読んでおいてよかった)
魔術的な保護が施された檻に入れられている魔物は意外にも大人しくしている。何らかの形で調教されているのだろう。パッと感知した様子では隷属魔道具は使用されていないので、別の方法が取られていると分かる。
ただ、見ていて気持ちの良いものではないが。
気を紛らわすために、神子一族の観戦者がやってくるまで軽い運動をしていると、演習場の一角が不意に騒めいた。どうやら神子一族がやってきたらしい。
セイは素振りのために抜いていた剣を仕舞い、そちらへと目を向ける。
「アリア様、ぺリシア様、ロクシス様がいらっしゃった。皆、その身を地に投じて出迎えよ!」
それを聞いた者たちは一斉に跪き、頭を垂れる。それまで剣を振っていた試合出場者さえも、武器を放り出して身を投じたのだった。
セイが見てみると、演習場の端から三台の人力車がやって来るのが見えた。防御や空調の魔法陣が組み込まれているらしく、微かに魔術の気配がする。かなりお金をかけた人力車なのだろう。アリア、ぺリシア、ロクシスという三人の名前が聞こえたので、一人につき一台ずつということになる。
あれ程の豪華な人力車を一人一台とは、かなりの贅沢だ。
更に、人力車の周囲には使用人服を着た侍従のメフィス家の者が控え、護衛としてフランチェスカ家の者もいる。神子一族の敷地内であるにもかかわらず、厳重な防御だった。
「おい、早く跪け無礼者」
「ん?」
セイが考え事をしていると、不意に隣から声が聞こえてくる。全く礼を示さないセイを無礼と考え、窘めたのだ。それを聞いてセイは少し考える。アビスネットワークすら利用して神速思考を発動し、どうするべきか一人問答した。
(ここで奴らに跪くのは癪だね。かと言って、このままだと面倒事になるかな? ただ、ここで神子一族を試しておくのもアリか……)
魔力の精霊王であるセイが人間に頭を下げるなど、正直に言えばお断りだ。ただ、今は人間と偽ってこの場にいるため、そんな言い訳は通用しないし、魔王であることがばれたなら余計にややこしいことになる。
リスクとリターンを天秤にかけ、よく考えて行動するべきだ。
(ここでしっかりと跪けば、面倒は起こらない。普通に試合して終わりだろうね。ただ、これからもしばらくはずっと頭を下げ続けなければならなくなる。今回の一回限りなんてことはないはず。それは魔王としての矜持が許さない。これでも真面目に魔王をやっているつもりだからね。作戦であったとしても、譲れない一線ってのはあるわけだし)
逆に跪かないパターンを考えてみる。
(まずあり得るのがその場で処刑。周りの奴ら……多分フランチェスカ家の奴らが一斉に襲いかかって来るだろうね。まぁ、逃げるだけなら楽勝かな。問題は、アビスの報告にあった四つ目の家、裏のメイガス家か……)
一昨日、セイが放ったアビスによって幾つかの情報を手に入れていた。その中には、秘匿されていた四つ目の家であるメイガス家に関する情報もあったのだ。暗殺、諜報、改竄など、裏仕事をこなすメイガス家は、アビスの調べでも殆ど何も分からなかった。
理由としては、メイガス家が必要以上に喋らないので、会話から情報を盗むことが出来ないのである。基本的にアビスは盗聴によって情報収集している。そのため、今回のように、会話が少ない相手からは殆ど情報を得ることが出来ないのだ。他の三家からメイガス家の情報を抜きだそうにも、彼ら自身すらメイガス家について深くは知らないときた。要するに、手詰まりなのである。
(揺さぶるためにも、あえて反抗的な所を見せてみるか?)
最悪は転移で逃げられるので、処刑と言い渡されても問題ない。魔王だとバレる可能性もあまり考える必要はない。
基本的に、セイは自由組合の依頼でやってきたのだ。まさか魔王が自由組合に所属しているなどとは夢にも思うまい。ここで問題なのは、セイが自由組合からやってきたために、問題を起こせば自由組合がセイを切り捨てるということだ。
セイが問題を起こした場合、この依頼をセイへと出した自由組合に責任が問われる。自由組合はセイを除名した上で、指名手配すること間違いない。特に、神子一族信仰のあるこの都市では大々的に手配されることだろう。
(自由組合を追い出されるのは不味……くないのか?)
そもそも、セイが自由組合へと入ったのは情報収集のためだ。自由組合が独自に持つ情報網を利用したかったからである。
だが、今は自由組合理事であるネイエス・フランドールとのコネが出来た。別段、自由組合に所属しておく義理はないし理由もない。元から指名手配されているようなものなので、今更感もある。
(次は見逃された場合。まぁ、あまりないと思うけど、その場合は予定通りにしよう。それに、もしも俺が指名手配されることになれば、グラとアケディアも動きやすくなる。それに、そのことで三公国の動きから目を逸らせれば僥倖か。指名手配されたら、堂々と仕込みも出来るし)
驚いたことに、このまま頭を下げなくても計画には支障が無い。元々、今回の仕込みは高位悪魔たちがメインなので、セイは時が来るまで身を潜めておく予定だったのだ。
ならば、まだ情報が掴めないメイガス家を揺さぶるために、ここは敢えて無礼な態度をとる。
セイはここまでのことを一秒と経たずに考え、実行に移した。
人力車で運ばれてくる三人の神子一族たちを前にして、セイは立ったままで迎える。当然、側に控えていた者が声を荒げた。
「そこの者! すぐに身を投じて礼を尽くさぬか」
人力車に乗っていた神子一族の三人、アリア、ぺリシア、ロクシスもセイが立ったままであることに気付いて驚いたような表情を見せる。自分たちに対して礼を取らない者がいたからだ。
先頭の人力車に乗っていた代表神子アリアは、セイを見て詰まらなそうに命令を下す。
「殺せ」
「御意に」
返事をした側仕えが笛を鳴らす。遠くまで響く甲高い音が演習場で鳴り響き、それと同時に周囲の物陰から黒服で身を包んだ者たちが現れた。
模様が入った仮面で顔を隠した者たちが十六名。
身体のラインが分かりにくい服装であるため、男か女すらも分からない。
ただ、その動きは手練れそのものだった。
(これがメイガス家の暗部組織か)
セイは腰の剣を抜くことすらなく、その場で自然体のまま待ち構える。黒服の者たちはまず、一斉に暗器を投げつけた。針のような投擲武器であり、ご丁寧にも毒が塗られているらしい。
当たったところで身に纏う《障壁》が弾いてくれるのだろうが、セイは敢えて避けた。アビスネットワークによって思考速度は極端に上がり、全てを見て避けることすら容易い。バランスを崩しそうになる動きすら、魔素体であることを利用して、乗り切った。
「馬鹿な!? アレを避けただと!?」
側仕えの者が叫ぶが、黒服たちは落ち着いた様子で次の攻撃に移る。暗部に携わっているだけあって、全く油断がない。こういう点では武のフランチェスカ家すら超えているだろう。
実態が分からない分、裏のメイガス家の方が色々と怖いが。
黒服たちは腰から黒塗りナイフを取り出し、一斉に構えてセイへと突撃する。
(ナイフにも毒か……)
殺すということを追求しているらしく、十六人が有機的に動きながらセイの急所へと狙いをつける。三方から囲いつつ、波状攻撃できる陣形だ。
セイは正面からの突きをギリギリで避け、死角からの攻撃を魔力感知で知覚して掴み取る。そして掴んだ腕を基点にしてスルリと入れ替わり、三人目の攻撃を避けた。代わりに入れ替えられた黒服が三人目の突き出した毒ナイフを喰らい、悶絶する。
どうやら傷口に酷い痛みを与える毒らしい。
流石に味方を刺したことで動揺したのか、一瞬だけ動きが鈍った。常人には隙にもならない隙だったが、セイからすれば大きな隙である。
「《地樹術》」
神速演算と神業的魔力操作で十六個の魔法陣を投影し、全ての黒服たちを縛り上げる。投影法による魔法陣魔術によって黒服たちは身動きが取れなくなった。
「《氷結術》」
更にセイは氷結の魔術で黒服たちの足元を凍らせた。
これによって十六人いた黒服たちは全員動けなくなる。一瞬の隙が勝負を分けた。武器すら抜いていない相手にここまであっさり負けると、笑いすら込み上げてくる。
現に代表神子アリアは面白いものを見たと言わんばかりに笑っていた。
「アハ……アハハハハハハハハハハ! 凄いわ。面白いわ!」
「どうしたのですか姉様?」
「見てみなさいよロクシス! メイガス家の者たちが簡単にあしらわれてしまったわ!」
再びセイを殺す命令を下すかと思えば、アリアはただ面白そうに笑うだけだった。彼女の弟であるロクシスは不安そうにしていたが、母親であるぺリシアもあらあらといった様子で眺めるだけ。
アリアの側仕えは身を低くして跪き冷や汗を流しながら口を開いた。
「申し訳ございませんアリア様。すぐに始末いたします」
「いえ、構わないわ。今の曲芸に免じて無礼を許しましょう」
「ははっ! 何と慈悲深い! 流石はアリア様でございます」
「ふふ、そうでしょう? 私は慈悲深い神子だもの」
どの口が……と言いそうになるのをセイは堪える。
無礼だから殺せと命じた口のどこが慈悲深いのかは謎だが、彼女の中では自分は慈悲深い人物なのだろう。
「そこのお前。名前を言いなさい。見たことがないから外部の者でしょう? 私の前で名乗る栄誉を与えてあげるわ」
「……自由組合ランク9戦士セイ」
「ふふん! まぁまぁな名前ね!」
「何様だコイツ……」
「なにか言ったかしら?」
「いえ、何も」
こんな奴が代表神子なのかと考えると頭が痛くなりそうだが、彼女たちに仕える四家は恍惚とした視線を送っている。血筋や魂に神子一族フィルターが沁み込んでいるのだろう。そうでなければ、あんな高慢な女に身を奉げるなど狂気の沙汰としか思えない。
「ふふふふ。自由組合も面白い玩具を寄越してくれたものね。今日の試合が楽しみだわ」
「はっ! 本日は魔物もオーガジェネラルとミノタウロス、そしてカースドウルフを用意いたしました。フランチェスカ家の者も気合が入っております。今日も存分に楽しめることでしょう」
「ええ。期待しているわ」
「光栄の極み」
そしてアリアは再び人力車を進ませて、観覧席へと移る。セイとしてはこのまま逃亡して暗躍生活を送るつもりだったが、予想外にも気にいられたらしい。
黒服たちを縛ったままなので、セイは指を鳴らして魔術を解除する。
十六人の黒服たちは強くセイを睨みつけた後、どこかへ消えてしまった。恐らく、再び神子一族の号令がない限りは姿を見せないのだろう。
(ま、これはこれでいいか。神子一族は……特に代表神子アリアはかなりの下種っぽいし、いっそのことある程度の力を見せて気に入られてみるかな。下種な奴ほど、お気に入りは大事にするからね)
奪う側というのは奪われる恐さを熟知している。だからこそ、気に入ったモノは絶対に離さぬよう、手を尽くす生き物だ。多少反抗的でも面白ければ許されるようなので、セイは力を見せて彼女たちの目に適うように立ち回ることを決めた。
アリア、ぺリシア、ロクシスの三人が観覧席に着席すると同時に、側仕えとしてメフィス家当主マルコが現れて甲斐甲斐しく世話をする。そして演習場ではマルコと同じ燕尾服を来た青年が立ち、拡声魔道具を手に持って口を開いた。
「そろそろ一回戦を開始いたします。これよりアリア様がクジを引かれますので、それによって対戦相手が決まります。注意しておいてください。なお、審判はメフィス家当主が嫡男、このヘイクが務めます」
セイは選手用の控え場所へと向かい、そこにあった椅子へと腰掛ける。
第一試合のクジには選ばれなかったので、まずは観戦だ。出場者は主に武のフランチェスカ家に連なるものであるため、戦力調査には打ってつけだろう。
フランチェスカ家の者が十二名、魔物が三体、そしてセイの十六名による御前試合が始まったのだった。