67話
暴走するかのように噴き出た炎魔力は、熱を帯びて周囲の氷を溶かし続ける。セイの即席魔剣による大氷結はリファの魔力によって八割が消失していた。
窮鼠猫を噛むを体現したかのような魔力の高まりにセイも困惑する。本来、魔力は生命エネルギーを変換したものであるため、空っぽの状態から強制的に魔力を練り上げることは命を削ることに等しいからだ。このような試合で命を削るなど、通常の感性ではあり得ない。
だが、その無茶をフランチェスカ家に伝わる血統スキルは実現することが出来る。
血統スキル『リボーン』。
危機に瀕した際、竜脈から強制的に生命エネルギーを徴収することが出来るスキルだ。これによる無茶な吸収は過回復となり、余剰分が肉体強化へと使用される。つまり、死にかけると強くなれるスキルだ。
「ああああああああああああああああああっ!」
リファは叫びながら吸収した生命エネルギーを制御しようとする。魔力の器から溢れるほど大量の魔力が傷を治癒し、体を頑丈に作り替えていた。
そもそも、魔力とは元を辿れば生命エネルギーだ。そして生命エネルギーは生物が生きるために必要なエネルギーであると同時に、肉体を活性化させる効果もある。大量の生命エネルギーが流れる土地で効果の高い薬草が採取できるのもこのお陰だ。
つまり、魔力量が多い者は肉体も強い。少なくとも強くなれる素養がある。
魔力が多ければ、超人的な身体能力や各種耐性を得ることが出来るのだ。
血統スキル『リボーン』は生命エネルギーを過剰吸収することで魔力の器を無理やり大きくし、魔力量を急激に増やすと同時に肉体的にも強くする。
さっきまでのリファとは桁違いの身体能力を持つのだ。
「死ね雑魚!」
溢れる魔力を熱に変換しながらリファは駆ける。氷が割れ、演習場の地面が砕ける程の脚力によって踏み込まれた一撃は、一秒と経たずにセイへと届いた。
セイはリファの強烈な突きを剣の腹で受け止めるも、凄まじい力で押される。
「くっ!」
「壊れろ!」
ガキリ、と嫌な音がしてセイの剣に罅が入った。かなり無茶な受け止め方をしたので仕方ないだろう。このまま使えば数度打ち合うだけで確実に折れる。
「はあああああああああ!」
罅が入ったのを好機と思ったのか、リファは一歩引いて槍を振り上げた。そして溢れるほどの魔力を槍に注ぎ込み、炎属性を纏う。魔法を武器に纏わせる高等技術で、武器の耐久を損耗させる荒業だが、その一撃は相応なものとなる。
セイの持つ壊れかけの剣で防御すれば、そのまま破壊されて斬られるだろう。
纏う《障壁》も人目に見せるのは良くないとはいえ、逆に《障壁》を切ってダメージを喰らう訳にもいかない。魔素体であるセイが大きなダメージを負えば、精霊王であることがばれかねないからだ。精霊は物理攻撃を喰らっても魔素が漏れ出すだけですぐに修復できるのだが、ここでそのような回復を見せるのは拙い。
(なら使えない剣は捨てる。体も立派な武器ってね!)
加速する思考の中で最善の一手を導き出し、アビスネットワークを通して格闘術の記憶を引き出す。意志のままに操れる魔素体であることを利用し、達人級の技で柔術を使った。
振り下ろされるリファの槍を身体をずらすだけで回避し、腕を取って力が入りにくい向きに締め上げる。そして動きを止めた隙を突き、一気に投げて地面へと叩き付けた。
溶けきっていない氷が割れて飛び散り、リファは背中を強く打って動きを止める。
「そこまでだ」
審判をしていたバズはようやく勝負を止めた。
セイは倒れているリファに手を差し伸べるが、リファはしばらくそれを見つめた後、結局無視して自分で立ち上がった。
心なしか苛々しているようにも見える。
一方的に負けたことを理解しているのだろう。
「はぁ……」
セイは仕方なく手を戻し、放った剣を拾う。罅が入っているので処分するしかないだろう。予備となる剣はアルギル軍を壊滅させたときに回収した分が嫌ほど残っているので問題はない。
「バズさん。このあたりで剣の処分を出来る場所ってありますか?」
「ふむ。それならオーエン家が回収してくれる」
「ああ、匠のオーエン家でしたっけ?」
「そうだ。後で持って行ってやれライラ」
「かしこまりましたバズ様。ではセイ様、それを預かります」
セイは壊れかけの剣を鞘に入れてライラに渡す。ライラはそれを受け取り、両手に抱えて一歩下がった。鉄の塊である剣はかなり重いハズだが、ライラは難なく持っている。侍従としてそれなりに鍛えているのだろう。
ライラが剣を回収したのを見計らってバズが再び話し出す。
「貴様は私の期待以上に強いようだ。これで依頼も安心して任せられる。暫くはリファを相手にしてやってくれ。明後日には神子一族の方を招いた演舞もある。そこに貴様も出て貰うぞ」
「わかりました。それが依頼ですから」
基本的にはリファを鍛えることが依頼だが、神子一族の前で戦うことも依頼に含まれている。特に代表神子アリアは、血が飛び散るような本物の戦いを好んでいるらしく、演舞と言っても手を抜けば命に関わるものだ。
バズの鷹のような目が更に鋭くなり、頬の傷も相まって威圧感を醸し出す。
「手加減は無用だ。死ねばそれまで。それは貴様も同様だがな」
「……相手が娘でもですか?」
「無論。それがフランチェスカを継ぐ者の試練だ。リファは私の他に唯一、血統スキルを開花させている。厳しさは期待の裏返しと知れ」
その言葉は先程から黙っているリファに向けられたものだった。
彼女はフランチェスカ家で当主バズ以外で血統スキル『リボーン』を開花させたこともあり、次期当主として育てられてきた。英才教育と彼女の才能もあって、今では父親であるバズの次に強い。そしてそのことは自信にもなっていた。
だが、その自信は見事に打ち砕かれることになる。
フランチェスカ家の二番手という誇りは、自由組合からやってきた少年の前で意味をなさなかった。殆ど何もさせてもらえずに敗北してしまうなど、これまではバズ以外にあり得なかったのである。
「絶対に潰してやる……アリア様の前で貴様の魂を奉げ、神子一族の方々に相応しい矛になってみせる……」
強くセイを睨んだリファは、不穏なセリフを残して立ち去る。彼女の中でセイは殺害対象になったらしく、試合ではなく死合をすることになってしまった。
セイは苛立ちの見えるリファの背中から目を外し、バズの方を向いて口を開いた。
「で、俺はどうしたらいいんですかね?」
「今日のところは休むがよい。我がフランチェスカ家の離れが客人用となっているのでな。そこへ案内することにしよう。世話はメフィス家の者がするはずだ。そうだなライラ?」
「はい。セイ様の世話はメフィス家で担当させていただきます。食事、風呂、掃除洗濯、ベッドメイキングなど、あらゆることをお任せください」
ライラが丁寧な礼をしつつ説明したので、セイも頷いて答える。自由組合の依頼であることを考えれば、かなりの好待遇だろう。
尤も、命に関わる依頼なので、それぐらいのサポートはして欲しいところだ。
「早速ですが、案内させていただきます」
「頼む」
セイはライラに案内され、しばらく暮らすフランチェスカ家の離れへと向かったのだった。
◆ ◆ ◆
「ようやく一人になれたか……」
フランチェスカ家の離れにある寝室でセイはそんなことを呟く。
案内された後、セイは即座に魔力感知と《風雷術》による物理、生体電気感知を実行し、周囲に人がいないことを確認した。さらに盗聴魔術の可能性を考えて、無効化するために《破魔》も発動させたのだ。
なぜ、これほどまでに警戒するかと言えば、それはこれから仕込みをするためである。
「まずはアビスを呼び出すか……」
セイは転移魔法陣を展開し、魔王城クリスタルパレスと接続する。そしてアビスネットワークを介して魔王城クリスタルパレスで生み出されたアビスに命令を下し、転移陣を通ってここまで来るように言いつけた。
するとすぐに転移陣は反応し、黒いスライムのような物体が次々と現れる。
あらゆる物質に性質変化できるダークマター体の魔物アビス。アビスネットワークによる思考リンクで生まれながらにして凄まじい経験値を持ち、擬態を応用した戦闘力は目を見張るものがある。
だがその本領は擬態と思考リンクを利用した情報収集能力だ。
あらゆる場所に潜伏して情報を集め、リアルタイムに集積して整理する。そしていざとなれば魔物の力を曝け出し、戦闘に移行することも可能。
ウイルスのように侵食する質の悪い魔物だ。
だが戦略的価値は計り知れない。
「まずは……十体で良いか。少しずつ増やすことにしよう」
いきなり派手に動いて見つかるのは拙い。神子一族の住む場所とだけあって、防衛機構は一般的な重要施設すらも上回るだろうと予想できる。慎重に、少しずつ侵食していくのが妥当だ。
それに、今回の依頼は時間がかかる可能性が高い。
ゆっくりしても大丈夫だろう。
どちらにせよ、他の仕込みも時間がかかるのだから。
「いつも通り、小動物か虫に擬態して情報収集してくれ。メインは神剣の在りか、そして謎に包まれた四つ目の家についての調査だ。サブで戦力調査も頼む」
『是』
セイの言葉に、念話で答えるアビスたち。すぐに擬態して窓の隙間から外へと出ていった。
今回の調査で最も重要になるのが、神剣の在りかである。神殿にレプリカが飾られているのは知っているが、狙いは本物だ。そこに大悪魔が封じられている可能性が高いので、早めに見つけておく必要がある。実は場所を知らなくても計画に支障はないのだが、念のために調べておきたい。
そしてもう一つは神子一族アリスティア家に仕える四つの家についてだ。ライラとの会話で、武のフランチェスカ家、侍従のメフィス家、匠のオーエン家に加え、秘匿されたもう一つの家系があるとのことだった。恐らく裏を司っているのだろう、その家を調査することは絶対に必要だ。
「次は悪魔たちに連絡だな」
転移魔法陣を今度は元アルギル騎士王国の首都ムーラグリフへと繋ぐ。現在、高位悪魔たちはそこにある物件の一つで暮らしているのだ。
セイは転移魔法陣の中に入って移動し、久しぶりに悪魔たちと顔を合わせる。
「おお魔王様。お久しぶりでございます」
「ご苦労スペルビア。こっちも準備が整ったから、仕事に移るよ」
リビングで各々好き勝手していた悪魔たちも、魔王セイ=アストラルが登場したことで顔を向ける。あまり向こうの部屋を開けるのは良くないので、手短に説明を始めた。
「まず、暴食グラと怠惰アケディアは俺と一緒に中立都市アリオンまで来てもらう。アビス金貨を渡すから、それで好きなように遊んでくれ。あと、遊びながら魔術的なセッティングも頼む。これは年単位で時間を掛けて構わない」
「俺、好きにする」
「うん。遊べるならいいよ」
グラとアケディアは、最低限の仕事さえすれば遊ばせて貰えるポジションだ。二人にとっては最高だろう。食事を楽しみとするグラと、遊びを楽しみとするアケディアには最適だ。
「次に傲慢スペルビアはグロリア公国で文官として働いてもらう。お前の優秀さなら、すぐに頭角を表せるはずだよ。大公ペリック・グロリアに近いところまで上り詰めてくれ」
「確か下に位置する公国でしたか……賜りました」
「憤怒イーラはフィーベル公国で軍人として働いてくれ。あそこは右上に位置してるから、東の大帝国と隣接している。内戦のこともあるし軍人の需要は高い。イーラもある程度は実力を発揮して暴れてくれ。それで将軍クラスになれば最高だね」
「ふん。暴れられるならやってやるさ」
「最後に色欲ルクスリアは左上にあるドロンチェスカ公国だ。大公ゼノン・ドロンチェスカは妾を何十人と抱える色欲魔らしいからね。君の出番だよ」
「あらあら。楽しそうね」
「君たちにもある程度はアビス金貨を持たせるから、適当にばら撒いておいてくれ」
これで中立都市アリオン、フィーベル公国、ドロンチェスカ公国、グロリア公国の全てに悪魔を仕込むことになる。
高位悪魔を三公国の中枢に送り込み、数年単位の準備期間を見越しての国家転覆計画。
五体の悪魔を従えた魔王の手によって、それが実行されようとしているのだった。
今回はちょっとだけ壮大な戦略でいきますよ!