62話
魔水晶塔の麓まで到達したアルギル軍は、戦闘可能人数を千以下にまで減らしていた。本来ならば一万人以上は残ったハズだが、魔王セイ=アストラルによるアクティブトラップのせいで大きな被害を受けたのである。
五万もいた騎士が九割以上も死亡、もしくは負傷。
軍用に改造した飛行船も大破。
普通の戦なら負けである。
だが、相手が魔王である以上、ここで引くことも出来ない。このまま引き下がれば、魔王に撃退された貧弱国軍として他国から侮られることになるからだ。それならばいっそ、大きな被害を出しても討伐してしまえば面目は保たれる。
大々的に迷宮攻略に乗り出してしまえば、もう引き下がれないのだ。
「魔王討伐後も建て直しが大変だな」
「そうですね王よ」
ペルロイカ王の呟きに、第五騎士団長フラッド・ケルビンが答える。
アルギル軍は魔水晶塔の内部に侵入し、入ってすぐの場所で休息を取っていた。魔水晶塔の屋上には無属性魔術《破魔》が魔法陣として刻まれているので、広域加重術式グレイプニルを無効化している。つまり、アルギル軍を苦しめていた十倍重力も消えるのだ。
歩くことすら困難だった騎士たちは、ようやく休息の時を手に入れたのである。魔水晶塔に入った瞬間から深淵竜によるブレス攻撃も止まったので、今はそれぞれが英気を養っている。
油断することなく見張りも立てているが、殆どが体を休めていた。
動ける騎士は千人にも満たない。
三万人以上が負傷し、およそ二万人が死亡している状況なので顔色も悪かった。魔水晶塔へと行軍していた時は、英雄王ペルロイカや騎士団長たちの活躍もあって士気が高まっていたが、こうして休憩に入ると改めて現実を思い知らされる。
麻痺していた感覚が戻ってきたのだ。
ペルロイカとしても騎士たちに感覚を麻痺させたまま塔の頂上まで連れて行きたかったが、流石に無理をさせ過ぎている。十倍重力とはそれほど厄介なものだったのだ。
「フラッドよ、治療で復帰できる騎士は何人いる?」
「およそ五千が限界でしょう。ここまで来るために大量の傷薬を使いすぎました。アレだけの薬品を投入しながら、これほどまでに死者を出してしまうとは……厄介な広範囲加重トラップが痛かったようですな」
「確かにな。鎧をつけている騎士にとって、あの加重は辛い。鎧に施してある軽量化も全く意味をなさなかったようだからな。それに黒い竜のブレス攻撃も痛かった。飛行船が無事なら対処できたものを」
しかし、ここまでくれば勝ったも同然だとペルロイカは考えていた。
基本的に、魔王の強さは迷宮があってのものだ。魔王単体はそこそこ程度の強さしかない。残されている文献にはそのように記されているので、まだ余裕があった。
そうでなければ、こんな場所で休憩など出来ない。
魔王に近づいていると分かっているからこそ、休憩しているのだ。
「魔王討伐にはそれほどの人数はいらぬ。多すぎても寧ろ邪魔だ。今の内に選別をしておけ」
「はっ! 仰せのままに。では残りの騎士には外のドラグーンを見張って貰うことにしましょう」
「それで良い。中まで連れてくることが出来れば良かったのだがな」
「流石にドラグーンでは階段を上ることは出来ませんから。数段なら問題ないのですが」
「まぁよい。覇道への一歩一歩を自らの足で踏み進めることにしよう」
そう言って笑いを漏らすペルロイカだが、ドラグーンを魔水晶塔に入れなかったのは偶然とはいえ正解だった。何故なら、この魔水晶塔では《破魔》の術式が発動しているのだ。ドラグーンにかけられている洗脳魔術が自動的に解除されてしまうので、仮にドラグーンを中まで連れて来ていれば大変なことになっていただろう。
セイとしてはそれも狙っていたのだが、今回は当てが外れてしまっていた。
尤も、魔水晶塔に《破魔》を仕掛けたのは別に理由があってのことなので気にもしていなかったが。
「ククク。追い詰めたぞ魔王めが」
しかしそれはペルロイカの勘違いに過ぎない。
本当に追い詰められているのはどちらなのか、彼らが知るのはもう少し後になる。
◆ ◆ ◆
「来たか……」
「ええ、そのようですね魔王様」
最上階の玉座に座り、側にスペルビアを控えさせたセイの下へとアルギル軍が近づいていた。地獄のような魔水晶の階段を登り切り、遂にここまで辿り着いたらしい。
セイには大きな魔力が幾つも近づいているのを感じることが出来ていた。
「数はたったの百だね。少数精鋭で来たみたいだ」
「そのようでございます。強者の気配が幾つか感じられますので」
「まぁ、気にする必要はないよ。勝負は一瞬だから」
セイはそう言って余裕の表情のまま待ち続ける。
この最上階は一フロアが何もない空間となっているので、アルギル軍が馬鹿でなければセイを囲むように構えてくるだろう。フロアの中央に玉座、天井には魔力核の入った装飾品、外周の壁には多数のアーチが作られている程度だ。一見すると罠もない。
それでもセイは一瞬で勝負が決まると確信していた。
「さて、なら俺は魔王らしく待ち構えよう」
玉座の肘掛けにもたれ掛かり、頬杖をついてアルギル軍が来るのを待つ。
強い魔力は段々と近づいていき、遂にこのフロアまでやってきた。炎の魔剣を持つペルロイカが先頭に立って百の騎士を率い、速足に魔王の前までやって来る。
「貴様が魔王か」
「そうだよ。俺が魔王アストラル。まぁ、この名は君たちが付けたものだけど、気に入っているから名乗らせて貰っている。以後は無いがよろしく」
「ああ、その通りだ。ここで貴様は討伐する」
ペルロイカはそう言って魔剣をセイへと向ける。
それに続いて第一騎士団長シギル・ハイドラ、第三騎士団長レイナ・クルギス、第四騎士団長アルミノフ・ネッキンガー、第五騎士団長フラッド・ケルビン、そして残りの第五騎士団員も一斉にそれぞれが持つ剣を向けた。
背後に続く部隊長クラスの騎士たちもそれぞれが剣を抜き、いつでも戦えるように構える。
たったの百人だが、その闘気密度はかなりのものだった。また《破魔》のせいでシギルの時空魔剣や、竜殺剣以外は使えないはずだが、そんなことは関係ないということだろう。
しかし、セイはそれでも余裕を見せたまま、玉座に座って口を開く。
「見た顔が何人かいるね。特に第五騎士団ジュリアス・アルコグリアス、ヘンリー・モラトリオ、アンジュリー・グライアは氷竜王を殺された借りがある」
「それはこちらのセリフだ魔王め! 我が部下を殺し尽くした残虐の外道は私が成敗してくれる!」
「お前は……あの時の第一騎士団長か。俺の魔物もお前にかなり殺されたし、お相子じゃないかな?」
「ふざけるな! 魔物如きと我が部下を同じにするとは許せん」
そう叫びつつも、一人で飛び出したりせずに剣を構え続けられるのは、彼の精神性が関わっている。騎士たる者、感情に身を任せてはいけない。それは感情を封じるという意味ではなく、熱くとも冷静であり続けるという意味だ。
騎士団長であるシギルは、当然ながら精神訓練も積んでいる。多少の挑発に乗ったりはしない。
これだけの騎士を前に余裕を崩さない魔王に憤りを感じる者は多かったが、シギルと同様に感情をコントロールして静かに剣を構えていた。
そしてペルロイカを筆頭に、一言ずつ決意を剣に込めていく。
「クククククッ! 俺の国で暴れた報いを受けさせてやる」
「我が部下の仇だ」
「私も多くの部下をあなたに殺されました。罪を償いなさい」
「貴様のせいで多くの部下とワイバーンが地面に叩きつけられた。覚悟は良いな?」
「悪は斬る。それだけだ」
ペルロイカに続いてそれぞれの騎士団長もそう語る。
まるで物語にあるような勇者たちである。
しかし、その決意もセイからすれば薄っぺらい言葉にしか感じられない。所詮は人類本位で言っている言葉に過ぎないのだ。
魔王が悪?
それは果たして本当か。
事実、セイがまだ霊峰にいた頃、攻めて来たアルギル軍は、セイが魔王と分かると問答無用で殺しにかかってきた。これでは人類の方がよほど悪い。彼らはただ、人類にとって害となるものを悪と断じているに過ぎないのだ。
悪とは何か、善とは何か?
それは物事を測る目線によって大きく変わることだろう。
世界からすれば、竜脈を使い潰す人類こそが悪にも等しいのだから。
「悪いけど、まともに戦うつもりはないよ。お前たちがここに来た時点で、いや、俺に誘い込まれた時点で全ての勝負は決している」
セイは誰にも聞こえないほど小さな声でそう呟き、アビスネットワークで指令を送った。
(擬態を解除。同時に深淵竜に変化しろ)
『是』
その瞬間、床が消えた。
文字通り、魔水晶で出来ていた最上階の床が消えたのだ。
不意を突かれたペルロイカたちアルギル軍は、そのまま魔水晶塔を落ちていく。元々、この魔水晶塔は中央部がくり抜かれた筒状の造りになっている。そのため、床が消えると最下層まで一直線に落下することになってしまうのだ。
螺旋状の階段を登った先にある最上階だけは、一フロアが全て床になっているように見えたが、その床は魔物アビスによる擬態でしかなかった。最上階も同様に、中心部がくり抜かれた構造となっていたのである。床に見えたのは魔水晶の質感を再現した数十体のアビスだったので、擬態を解除すれば床が消えるのだ。
偶然にも擬態解除したアビスの上に乗ることが出来た者もいたが、すぐに振り落とされて落下する。
落下を免れたのは、玉座から変化した深淵竜の上に乗るセイと、自前の翼で飛ぶことの出来るスペルビアだけである。魔法陣発動している《破魔》のせいで、風魔術による落下軽減や空中浮遊すら出来ないのだ。騎士たちはこのまま落ちるしかない。
「き、貴様あああああああああああっ!」
そう叫びながらペルロイカも落ちていく。
重力の前には王も平民もみな平等だ。この世の法則に従って、百人の騎士たちが自由落下していく。この塔では広域加重術式グレイプニルも対象外となるので重力加速度は普通のままだが、およそ五百メートルも上空から落下することになるのだ。幾ら頑丈でも地面に叩きつけられた瞬間に即死である。
風属性を扱える者は必死に魔術を発動しようとするが、魔力を練った瞬間に霧散する。この塔では特殊属性以下の魔術は全て封じられているのだ。どれだけ力を込めて、どれだけ叫んでも結果は変わらない。
「全く。竜殺剣とか時空魔剣とか持っている奴を相手にまともな戦いを仕掛ける訳がないだろう。俺の武器は迷宮全てだからね。誘いに乗ってノコノコと攻撃範囲に入ってきたのが全ての敗因ってことさ」
「流石でございます魔王様」
あまりに予想外だったのか、捨て身の反撃すら飛んでこなかった。
秒読みで死が近づいていると分かっている状況で、冷静な判断など出来ないのだろう。一矢報いるために竜殺剣の瘴気でも飛ばしてくるかと構えていたセイは拍子抜けした気分だった。
五百メートルから落下した場合、空気抵抗を無視すると十秒で地面と衝突する計算になる。
自分が落下しているという状況を理解し、打開策を模索し、無理だと悟るだけで過ぎる時間だ。最後に一矢報いようと決断したときには、地面で赤い染みとなっている。
「さてと、あとは魔水晶塔の一番下で待機している残りを掃除するだけだね」
セイはそう言ってアビスに残りの騎士を掃討する指示を出す。
今頃、最下層の騎士たちは赤い染みとなったペルロイカ達を見て大騒ぎしていることだろう。百人もの精鋭たちが次々と地面に叩きつけられる光景を見て絶望するに違いない。
精鋭たちは魔王を舐めていた代償として、戦いにすらならず全滅したのだった。
決着
魔術を封じて高所から落とすという鬼畜の所業でした。




