60話
セイの魔法陣転移魔術によって王都ムーラグリフに移動した高位悪魔スペルビアは、翼を出して滞空していた。ムーラグリフの場所は大体の座標で計算しているため、障害物のない上空の方が失敗確率が下がるからである。下手に地上へと転移させると、壁の中に転移してしまうという事故もあり得るのだ。
そして転移してすぐのスペルビアは、セイから託された命令を実行するために考える。
(さてさて。貴族を殺し尽くせと言われましたが、どうしましょう)
万能型のスペルビアに取れる手段はかなり多い。得意ではないが、広範囲の魔術で一掃する手もあるし、眷属召喚で蹂躙するのも良い。
だが、ここで不安要素となるのが第二騎士団の団長オリエスト・ゼーライクである。王都に残る最強戦力であることに間違いはなく、戦えば多くの魔力と時間を浪費してしまう。つまり、負けはしないだろうが、貴族を全滅させるうえで障害になる可能性が高いのだ。
故に、考えて行動しなくてはならない。
(全く……何故この私が人間如きのために考え事をしなくてはならないのか)
そんな思考すらも頭に過る。
だが、その反面で、セイの指示は人類の効率的な駆逐に適している。
人類は群れて生きているのだ。支配階層である貴族を滅ぼし尽くせば、自然と瓦解する。そして混乱が収まるころには適度に勢力を減らしていることだろう。悪魔よりも悪魔らしいことを考えるものだとスペルビアは感心もしていた。
悪魔の役目は人類を適度な数に減らす事。
これは破壊神によって定められたルールだ。
調子に乗っていると天使が止めに来るが、基本的には世界公認の仕事なのである。
考え事に没頭して怠ける訳にはいかない。
「まずは派手に混乱を起こすことにしましょう。《豪旋風》」
スペルビアはかなりの魔力を込めつつ風魔術を発動させる。元々、スペルビアは万能型ゆえに、一つの属性に特化した者より発動効率が悪い。だが、それも魔力を多く込めることで解決できるのだ。亡都ナスカで悪魔ガーゴイルを召喚した際にかなりの魔力を失っているが、この程度ならば問題ない。
烈風が回転し、建物すら巻き上げる旋風が貴族居住区を破壊した。
風速にして百メートルを超える大竜巻は、頑丈に作られているハズの貴族屋敷を吹き飛ばす。運良く即死した者もいれば、死にきれずに竜巻に巻き込まれて体をボロボロにされた者もいる。吹き飛ばされた貴族屋敷の破片が高速で飛び散り、それが二次被害となって王都を蹂躙していた。
遠目にも分かる大竜巻を見て住民は混乱するが、すぐに他人ごとではなくなる。
金貨へと擬態していたアビスが起動し、深淵竜となって暴れ始めたのだ。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
絶望の始まりを思わせる咆哮で空気が震えた。
金貨から深淵竜へと形態変化する際に、多くの建物が崩れ、運悪く財布にアビス金貨が入っていた人は圧し潰された。特に、金融機関や大規模な店には多くの金貨が仕舞われている。そのような人が多く集まる場所で大量の深淵竜が現れたので、それだけで千単位の人が死傷したのだった。
そして合計して数百体の深淵竜が王都に現れる。
今は殆どの騎士が亡都ナスカに進軍しているため、対抗する手段は限られていた。
「早く逃げろ! これなら結界の外の方がマシだ!」
「何でこんな時に騎士様はいないんだ!」
「どうでもいい。今は貴族居住区が集中的に狙われている。今のうちに逃げるぞ!」
「くそ! 何でこんなっ!」
「無駄口を叩くな。急げ」
「せめて自由戦士がいてくれたら……」
残っているのは治安維持が仕事の第二騎士団と、貴族の私兵のみ。自由組合所属の戦士は、魔物駆除のために殆ど街の外に出ている。異変を感じて戻って来るにも、かなりの時間がかかるだろう。
騎士、自由戦士と手数を奪われた上での完璧な奇襲。
迷宮という強力な防御によって戦力を引き剥がした魔王の作戦勝ちだった。
そんな中で、悪魔スペルビアは逃げ惑う一般市民を無視して貴族居住区を破壊する。
「滅ぼすと言えば、やはり火でしょうか。《墜火滅却》」
その瞬間、空が赤色に染まる。
燃える硫黄を広範囲に降らせるこの魔法は、爆風によって毒物である硫黄を撒き散らし、高温の炎が殆どを焼き尽くす。まさに生き物を大量に殺すためのもので、スペルビアが気に入っている魔術の一つだった。
貴族居住区は爆風と毒に包まれ、高貴な衣装に身を包んだ人々が苦しみながら倒れていく。スペルビアはそれを眺めながら、どうしようもなく愉しそうな表情を浮かべてた。
「ふふふ。これですよこれ。人類が苦痛の表情を浮かべる様は実に面白い。特に傲慢を気取る愚か者が命乞いをする様はいつ見ても満たされるものです」
傲慢の悪魔スペルビアは傲慢な者を嫌う。
正確に言えば、弱者が傲慢を気取ることを嫌うのだ。例えば、豚貴族のように、意味もなく傲慢な者はスペルビアが最も嫌う対象の一つである。せめて財力、権力のような力が傲慢に足りていれば、その対象から外れることだろう。
しかし、殆どの場合、スペルビアの目に適う傲慢の持ち主はいない。
力なく傲慢な者には死を。
力あれど傲慢でない者には誘惑を。
それがスペルビアが根底に持つ悪魔としての存在意義である。
「貴族居住区は人の数に比べて無駄に広い。この辺りで眷属を呼んでおきましょうか。魔界瘴獄門、出でよ寄生魔蟲パラス」
貴族居住区の上空に赤黒い巨大な渦が出現し、そこから数十センチほどの肉塊が次々と落ちてくる。その一つ一つには目玉が付いており、周囲には蔦のような触手が大量に生えていた。この触手の先に付いている糸のような器官によって弱い生物の神経に侵入し、対象を操る能力を持っている。
一度寄生したら悪魔パラスの方からも離れることが出来ず、一心同体となる。
寄生していない内は、軽い一撃で死んでしまう脆弱さが大きな欠点である。
逆に、この弱さゆえに召喚コストも低く、大量に呼び出してもスペルビアの魔力は尽きない。
「二千体ほど呼び出せば……弱い者は一掃できるでしょうね」
目玉と触手が付いた肉塊を二千も召喚すれば、それはかなり奇異に満ちた光景となる。空から降ってくる悪魔パラスに気付き、空を見上げたことで魔界瘴獄門にも気づいた。
そして、その側で滞空する高位悪魔スペルビアの存在にも気づいたのである。
「馬鹿な……人型に悪魔の翼、そして尻尾だと? 伝説に聞く高位悪魔が何故ここに!?」
深淵竜の対処に追われていた第二騎士団長オリエスト・ゼーライクもスペルビアに気付いた者の一人だった。高位悪魔の姿は書物によって語り継がれており、当然ながらオリエストも知っている話である。
だが、何百年と昔の話なのだ。
伝説は伝説であり、高位悪魔など俄かには信じられなかったのである。
現代では、高位の悪魔や魔物は駆逐され、実物を見た者など殆ど生きていない。長命のエルフ族ならば見たことがある者もいるだろうが、少なくとも人族では一人もいない。オリエストの叫び声は少しずつ伝播し、騎士たちも多くが空を見上げた。
そして多くの視線を向けられて気付かないスペルビアではない。
「おや、見つかってしまったようですね。あれは騎士ですか。魔王様も第二騎士団は王都に残っていると仰られていましたが……つまり、あの中にターゲットの騎士団長もいるのでしょうか」
スペルビアは出来るだけ強者の気配を探ろうとするが、この距離では流石に分かりにくい。騎士団の数もそれなりに多いので、誰が騎士団長なのかは特定できなかった。
「ふむ。では虱潰しに戦うとしましょう。貴族共はパラスで十分のようですからね」
チラリと目を向ければ、悪魔パラスに取りつかれて痙攣している婦人が見える。質の良いドレスを纏っていることから、貴族の一人だろう。背中に寄生したパラスは触手を突き立て、神経に侵入する。そして脳までも操り、筋収縮率のリミッターを外して無理やり周囲の人間を殺させた。筋肉の限界を考慮しない動きをさせた結果、女性であるにもかかわらず、手刀で首を折り、腹を貫く。その代償として筋繊維が断絶するが、悪魔パラスは止めなかった。
身体が勝手に操られている女性は、肉体が崩壊するのを感じつつ痛みで絶叫を上げる。それでも止まることが出来ず、周囲の人間を殺して回っていた。
勿論、悪魔パラスの被害を受けたのは彼女だけではない。二千体の悪魔パラスは貴族居住区に広がり、次々と寄生して暴虐の限りを尽くしていた。ある程度は強い貴族の私兵たちには寄生不可能だったが、子供や女性を中心として悪魔パラスが次々と被害を増やしていく。
私兵たちも寄生によって操られている雇い主に攻撃して良いものかと迷い、逆に殺されることが多かった。
更に、悪魔パラスは大量の触手で地面や壁を這いながら、非常に嫌悪感を煽る移動をしている。そういったものに耐性のない貴族たちは腰を抜かしてしまい、逃げ切れずに寄生されていた。スペルビアの選択は実に効率的だったということである。
そして、スペルビアはこのまま放置しても問題ないと判断した。
王都中心部の貴族居住区では悪魔パラスが猛威を振るい、外周にある一般居住区では数百体の深淵竜が暴威を見せつけている。街の中心部から外まで、長い距離を移動しなくてはならない貴族たちは、どこかしらで殺されることになると考えたのである。
そこで、スペルビアはもう一つの任務を遂行するべく、地上へと降り立った。
「き、気を付けろ! こいつは悪魔だ!」
「ほう、私を知っているのですか?」
「喋っただと!? やはり高位悪魔だな!」
「ええ、その通りです。では自己紹介をしましよう。私は傲慢の高位悪魔スペルビアと申します。この度は第二騎士団長オリエスト・ゼーライクという方を抹殺しに参りました。では死んでください」
一気に喋り切ったスペルビアは、右手に黒い炎を集めて薙ぎ払う。
炎呪複合魔術《黒炎》によって、数十人の騎士たちが悲鳴を上げた。これは、消えない炎の呪いであり、聖属性による浄化でしか消すことが出来ない。少ない魔力で多くの結果を出せることから、スペルビアも愛用している魔術だった。
「だ、誰か水を!」
「違う。それは悪魔が使うと言われる呪いの炎だ! 聖属性使いを連れてこい!」
「固まると魔術で全滅するぞ。散開して奴を囲め。所詮は嘗て滅ぼされた悪魔だ。俺たちに倒せないはずがない」
慌てて聖属性使いが浄化を発動させようとしたが、それよりもスペルビアの方が早かった。
「水が欲しいなら上げましょう。《黒霧雨》」
再びスペルビアが右手を横に薙ぎ払うと、黒い水滴が無数に飛び散る。その様子は横向きに降る雨で、騎士たちはずぶ濡れとなった。浄化を発動しようとしていた騎士も、この黒い雨を浴びて思わず発動を止めてしまう。
そして、この《黒霧雨》を浴びた者の内、魔力耐性が低い者は苦しみながら膝をつき始めた。呪いの水を散布する複合魔術で、強い風邪のような症状を引き起こす効果を持っている。致死性はないが、対多数においても大きな結果を齎す便利な魔術だ。
流石に重い風邪を引いた状態で戦えるような人物はおらず、そんな精神力がある者は大抵の場合、元々《黒霧雨》の呪い効果に抵抗できる。
ある意味、弱い者と強い者を選別する魔法だと言えるだろう。
傲慢を司るスペルビアの前に立つことが出来る者を選別する儀式なのである。
「ふむ。耐えきった者は数名ですか。昔なら一軍でも全滅させられたものですがね。人類も人類なりに多少は成長しているということですか」
数十人いた騎士も、今立っているのは数人だけだ。その数人も難しい顔をしながら剣を向けるだけであり、スペルビアからすれば脅威に値しない。
「五秒も保てば褒めて差し上げましょう」
翼を折りたたみ、腰を落として構えたスペルビアがそう告げる。
そして人外の肉体能力で近くの騎士の前まで移動し、手刀で首を飛ばした。
『は?』
その光景を見ていた他の騎士たちは気の抜けた声を上げる。
まるで意味が分からない。
高度な複合魔術を使いこなしているかと思えば、肉体能力も化け物級なのだ。更に、ただの手刀で首を断ち切るだけの技量すら持っている。本来、刃物があっても首を斬り飛ばすのは案外難しい。首の骨は太いので、あそこまで綺麗に切断するには、かなりの技量が必要なのだ。
だが、スペルビアはそれを武器もなくやってみせた。
その一瞬で、騎士たちは実力差を理解し、死を意識する。
「まるでダメですね。不合格です」
土属性による金属脆化で騎士の鎧を貫き、心臓を破壊する。最小限の魔力と効率的な体裁きによって織りなされる芸術的なまでの一撃だった。
傲慢の前に膝をついた時点で、負けは確定している。
スペルビアも多少の抵抗を期待していたのだが、騎士たちはたったの一撃で力量差を理解し、絶望してしまったのだ。故に不合格。スペルビアにとって、もはやこの騎士たちには何の価値もなかった。
三秒と経たずに心臓を破壊され、血溜りに沈む騎士たちを横目にスペルビアは呟く。
「さてさて。騎士団長とやらはどこにいるのでしょうね」
阿鼻叫喚の貴族居住区を、スペルビアは優雅に歩いて移動し始めるのだった。