59話
セイが発動させた広域加重術式グレイプニルによって重力が通常の十倍にまで膨れ上がり、第四騎士団と飛行船はなす術もなく墜落した。第四騎士団はこの墜落ダメージによって四十名以上が死亡し、残りも重傷を負っていた。重力が十倍ということは、地面に衝突したときのエネルギーも十倍である。例えば十倍重力下で二十メートル上空から落下した場合、時速五十キロの乗用車に衝突され、壁とサンドイッチされるエネルギーに等しい。生きている団員が居ただけ奇跡である。いや、普段の訓練で鍛えられたお陰もあるだろう。
そして飛行船が墜落したことで受けた被害は酷いものだった。
搭載されていた無属性結界魔道具を起動させれば被害は激減したのだろうが、残念ながらそれは間に合わなかった。地上数百メートルから落下したことで飛行船は大破し、爆発に巻き込まれて第三騎士団は壊滅状態となった。咄嗟に防御系の魔法を発動させた団員ですら、大なり小なりの怪我を負っているほどである。
生きてさえいれば回復薬で完全治療が可能であるとは言え、これは大きすぎる被害だった。
「な、なんだこれは……」
第一騎士団の団長シギル・ハイドラは茫然としてこの地獄絵図を眺める。
墜落した第三騎士団、第四騎士団もそうだが、被害が大きかったのは第一騎士団も同様だった。数百メートル上空から落下した飛行船の下敷きとなって数百名が死亡し、その後の大爆発で千人以上が死亡、さらにその三倍の人数が負傷した。
被害を受けた割合は第三騎士団と第四騎士団よりも小さいが、人数は圧倒的に第一騎士団が多い。
そして極めつけは体が重くなる謎の現象である。
勿論、加重を魔法陣で再現することが出来るのは有名な話なので、これ自体に疑問はない。恐らくはどこかに仕掛けてある魔法陣で発動しているのだろうと予想できた。
だが、この範囲で、この出力を再現するためにはどれほど複雑な魔法陣が必要になるだろうか。そう考えると、専門家でないシギルすらも身震いを覚えたほどである。
重い体を動かし、シギルはどうにか歩き出す。
ドラグーンは自重で動けなくなったので、ここからは自分の足で魔水晶塔を目指すしかない。
「体が……重い!」
十倍の重力は人外的な強さを持つシギルにとっても大きな負担となる。
体重八十キログラムのシギルは、二十キログラムの鎧を着ているので合計重量が百キログラムになる。つまり十倍の重力下では千キログラムということになるのだ。言い換えれば一トンである。とても歩ける重さではないが、シギルはどうにか動くことが出来ていた。
普段は三キログラムしかないオリハルコン剣も、今の重さは三十キログラムに等しい。得意の剣を振るうだけでも一苦労である。
だが、絶望はこれだけで終わらない。
「なん……だと……」
身体を引きずるように一歩一歩と魔水晶塔に近づいていると、上空に黒い影が見えた。数にすればおよそ数十といったところだろう。翼を広げ、勇ましい威容を見せつつ深淵竜が飛んでいたのだ。
第三騎士団が発動した極大多重聖属性魔術《七征凛光神聖領域》で百体もの深淵竜が消えたのは事実だが、あれが亡都ナスカに潜む全てのアビスではないのだ。
魔王セイは超重力によって地面に這いつくばる人類へ絶望を届ける。
竜脈に乗ることで空中を飛ぶドラゴンは、重力など関係なく飛翔できるのだ。竜をモデルにした魔物であるワイバーンと異なる点である。
数十体の深淵竜は吼え猛り、ドラゴンブレスを照射する。魔素を圧縮することで破壊的な威力を叩きだす竜種の固有技だ。理論上は人間でも可能だが、魔力操作能力が現実的ではないので実質不可能である。さらに竜種は魔力情報体内に破壊の性質も保持しているからこそ、あの威力なのだ。再現したところで、人間には大した威力を出せない。
そんなドラゴンブレスが空中から一方的に吐き出され、地上は阿鼻叫喚の大騒ぎとなる。
青白い魔力光が煌めき、大爆発で地上が抉れる。
騎士たちの血肉が雨となって降り注ぎ、もはや士気はないに等しかった。
「ぐぅぅ……はあぁぁぁぁぁっ!」
重い体と武器を動かし、シギルはオリハルコン剣を振るう。
怒りのままに魔力を込め、時空属性が付与された魔剣の力を発動させたのだ。空間すら飛び越えて対象を切り裂くシギルの魔剣は所定の威力を発揮し、ブレス掃射する深淵竜の一体を真っ二つに切り裂く。
だが、まだ一体だ。
続いてシギルが再び剣を振ろうとして魔力を込めていると、不意に狙っていた深淵竜が爆炎に包まれて墜落する。そして追撃とばかりに墜落中の深淵竜を爆発が包み、遂には魔石を残して消失した。
「この距離ならば魔法師団の独壇場ですわ」
「レイナ殿か」
「ええ、シギル殿も無事だったようですね。私も大怪我を負いましたが、傷薬で回復済みです。魔力も魔力回復薬で回復しておりますわ」
「ふ、頼もしい」
シギルに近寄ってきたのは第三騎士団の団長レイナ・クルギスだった。魔法師団とも呼ばれる部隊で団長を務める彼女の魔術は一級品である。たった一人で深淵竜を倒す程度なら造作もない。
氷竜王の力を取り込んでいると言っても、アビスは結局ただの魔物なのだ。
本物の竜種ほどの耐久力はないのである。
騎士たちも殆どは深淵竜の攻撃で無様を晒していたが、一定以上の強者は既に反撃を始めていた。
「行くぞ第五騎士団の者たちよ。竜殺剣を構えよ」
第五騎士団の団長フラッド・ケルビンは竜殺剣を掲げながら指令を降す。副長ジュリアス・アルコグリアスを含め、第五騎士団の序列順に合計四本の竜殺剣が天に向かって掲げられる。
魔力を喰らい、瘴気を吐き出す混沌属性の魔剣だ。
超重力の中で倒れ伏す低位竜から強制的に魔力を徴収し、魔剣へと注がせる。竜脈の力を借りることのできる低位竜から受け取った魔力は膨大であり、竜殺剣からは凄まじい量の瘴気が溢れ出ていた。
魔剣の力でそれをコントロールし、四人の騎士がそれを放つ。
『《瘴覇竜滅斬》!』
同時に竜殺剣が振り下ろされ、膨大な瘴気が天まで伸びた。
瘴気に重力など関係ない。
全てを飲み込み、命を奪うのが混沌の力だ。
深淵竜はその瘴気に飲み込まれ、肉体を滅ぼされて魔石を残す。竜殺剣というだけあって、竜に対して期待通りに威力を発揮したのだった。
騎士たちは地面に膝をつきながらも歓声を上げ、第五騎士団を褒めたたえる。
更に士気を挙げるべく、国王ペルロイカは遂に動き出した。
「卑劣な魔王に屈することなどない! この程度で我らが負けるなどと魔王に思わせるな。この剣に誓って徹底的に蹂躙せよ。ナスカを滅ぼした悪逆の魔王を許すな!」
風魔術で声を拡散させ、騎士たちを奮い立たせる。超重力によって地に膝を着けていた者も、王の言葉を聞いて立ち上がった。人間、やれば出来ると思わされる光景である。
精神が肉体に引かれるのと同時に、肉体も精神に引っ張られる。心が奮い立てば、不可能すらも可能になるのだ。
『うおおおおおおおおおおおおおおおお!』
ペルロイカは超重力をものともせずに歩き始め、騎士たちはそれに続く。十倍の重力の中で普通に歩けることは異常だが、超常的な身体能力を持つペルロイカ王、近衛騎士たちならば可能だ。他の騎士たちでは厳しいかもしれないが、頑張れば不可能ではない。
王が戦いの先頭に立つなど愚かにも見えるが、今回はこの行動が騎士たちを勇気づける結果となった。武勇の王ペルロイカのカリスマ性は伊達ではないのである。
深淵竜は魔法攻撃で撃ち落とし、ドラゴンブレスを受けても折れることなく魔水晶塔へと進んでいく。
アルギル軍は決死の進軍で一直線に魔水晶塔を目指していた。
安全にナスカ全域を制圧する当初の作戦など最早ないに等しい。だが、今は王が最前線に出ることで騎士たちが有機的に動けるようになっている。危険度は増したが、騎士全体の強さも増した。
魔王など取るに足らない。
アルギル騎士王国の底力を見せつける。
ペルロイカを含め、全ての騎士たちの心が一致した瞬間だった。
◆ ◆ ◆
奮い立つアルギル軍を魔水晶塔のテラスから眺めていた魔王セイは少しだけ驚いていた。十倍の重力下でもあれ程の動きが出来るとは思わなかったのだ。興奮状態による一時的なドーピングに近いとは言え、人の力は侮れないものである。
そして上空から深淵竜で一方的な攻撃を仕掛けるつもりだったのだが、それも第五騎士団が使用する竜殺剣の力で反撃され、かなりの深淵竜が撃墜されていた。先頭を歩くペルロイカも炎を纏う剣を振るい、爆炎で深淵竜を焼き尽くしていたのである。
更に、偶に出現する中位悪魔や魔物も十倍重力下で碌に動けず、一般騎士によって楽々と対処されていたのである。騎士たちは確かに少しずつ数を減らされているが、順調に魔水晶塔へと近づいていた。
現段階で残っている騎士は凡そ三万人。
深淵竜によるブレス攻撃でこのまま減っていけば、魔水晶塔に辿り着くころには一万人ほどになっているだろう。
ただ、セイは千人ほどしか残らないと予想していた。
予想をはるかに上回る快挙である。
「へぇ? やるね」
「勝手なものでございますね。あれだけ好きに竜種を狩り、精霊すらも捕縛しておきながら、魔王様を悪逆と罵るとは」
「魔力の精霊王が仕事をすると、結果的に人へ脅威を与える。だから排除するって思考は理解できなくはないよ。でも、他の精霊や竜種を狩るのはやり過ぎだったね。自然の調停者が居なければ、世界は正常になれないのが道理だ。俺たちはただ、自然の脅威を見せつけるだけさ」
「どうなされるのですか魔王様?」
「人類にはもう奇跡なんて必要ないよ。今日、アルギル騎士王国は滅びる。勇ましく迷宮を進む彼らは、自分の国が滅んだことすら気付かずに死ぬ」
そのために一年前から準備をしてきた。
アビスを金貨に擬態させて各都市に潜ませ、情報を集めて攻略の手口を探し出す。更に他国からの干渉を押させるために自由組合理事のネイエス・フランドールと協力関係を結び、理想的な状況を手にした。
第二騎士団を除くアルギル騎士王国の全軍が亡都ナスカに集結しており、この場にいる騎士たちは魔水晶塔を目指すことしか頭にない。そして国防は自由組合に任せているため、各都市には殆ど戦力がない状況だ。自由戦士がメインになって各地の魔物を掃討している以上、都市内で戦えるのは第二騎士団や貴族の私兵ぐらいだろう。
潜ませたアビスを解放するには理想的な状況である。
「スペルビア。命令する」
「はっ。なんなりと申しつけ下さい」
「これから転移魔法陣で君を王都ムーラグリフへと転送する。貴族を殺し尽くせ。そして第二騎士団長オリエスト・ゼーライクを始末して欲しい。オリエストは適当に暴れていれば来てくれるはずだよ。だから君は思いのままに、悪魔としての役目の通りに人類に災害を齎せばいい」
「仰せのままに」
「二時間で滅ぼせ。その時になったら迎えに行くよ」
セイはそう言ってスペルビアに手を翳し、魔法陣を投影する。完全習得した魔法陣魔法《転移》により、スペルビアは王都ムーラグリフへと瞬間移動した。
そしてセイはアビスネットワークを起動して全てのアビスに命令を下す。
(命令。全力で暴れろ。そして各都市の魔力核を回収し、亡都ナスカへと持って来い。二時間以内だ)
『是』
深淵竜の移動速度なら、各都市から亡都ナスカまで二時間で来れる。そして集めた魔力核をセイが吸収すれば、かなりの魔力増加が見込めるだろう。
魔水晶塔へと辿り着いた騎士たちを迎え撃つため、魔王も用意を始めるのだった。