58話
決戦の日。
アルギル軍は亡都ナスカを攻略するため、遂に動き出したのだった。ドラグーンに乗った第一騎士団は団長シギル・ハイドラを先頭にして地上を制圧するべく散開し、第四騎士団が団長アルミノフ・ネッキンガーを先頭にしつつワイバーンに乗って次々と飛び立って行く。
魔水晶塔の最上階テラスからアルギル軍の様子を眺めていた魔王セイ=アストラルは、まるで蟻が群れを成して広がっているようだと感じていた。
数にして凡そ五万もの大戦力である。
アビスを使って集めていた魔族は次々に狩られ、地上制圧を担当している第一騎士団はその役目を十二分に全うしていた。
深淵竜対策の第四騎士団は総勢七十名ほどである。以前に氷竜王討伐で多くの第四騎士団を失ったことで、戦力の落ちが激しい部隊だ。だが、空を制圧する第四騎士団は小数でありながら大成果を叩きだすことで有名な部隊である。まだ姿を見せない深淵竜を警戒しつつ、地上を行く第一騎士団の速度に合わせて滞空していたのだった。
「動き出したようですね魔王様」
「スペルビアか……。そうだね。かなりの騎士が進軍を続けているし、二時間もしない内にここまで辿り着くだろうね」
「宜しいのですか? 配置されている魔物は雑魚ばかりですが」
「いいよ。魔物が死ぬことで魔力は竜脈に還っていく。これも必要な犠牲さ。それに、俺もただ指をくわえてみているつもりはないよ。何もなければ二時間でここまで来れるだろうけど、亡都ナスカの仕掛けはそんな優しくない。すぐに彼らも思い知ることになるよ」
「例の仕掛けですな? 結局、どのような仕掛けなのです?」
「そうだな――」
セイは一旦言葉を止めて思考する。
ここでスペルビアに種明かしをしても良いが、どうせなら驚かせてみたい。それに、口で説明するよりも実際に見た方が分かりやすいだろう。亡都ナスカの地下全体に仕込んだ仕掛けと、魔水晶塔の屋上に仕込んだ仕掛けによって、亡都ナスカは不落の迷宮と化している。
最もそれを分かりやすく証明するには、もう少しタイミングを見た方が良いとセイは考えた。
「――飛行船が浮上し始めたら仕掛けを起動させる。まずは、深淵竜を放って空中戦力を引き出させよう」
「かしこまりました。私も眷属を召喚いたしましょうか?」
「うん。頼んだ」
セイがそう言うと、スペルビアは胸に手を当てつつ一礼してから右手を天に突きあげる。そして大量の魔力を込めて、高位悪魔専用スキルを発動させた。
「魔界瘴獄門。出でよ、獄門魔兵ガーゴイル」
赤黒い渦が空中に出現し、そこから羽を生やした悪魔が飛び出してくる。ガーゴイルは獣のような顔を持つ中位悪魔で、剣や槍で武装しているバランス型だ。突出した特徴はないのだが、多彩な武器や魔術を使いこなすことが出来る。
中位悪魔の割には召喚コストが低めなので、かなりの数を呼び出せるのがメリットだった。
魔界瘴獄門から飛び出してきた悪魔ガーゴイルは一分あたりに百体ほど出現しており、魔水晶塔の周囲を埋め尽くそうとしていた。
そして五百体ほど召喚した時点でスペルビアは魔界瘴獄門を閉じ、悪魔ガーゴイルに向かって命令を下す。
「人間共を適当に殺しなさい。連携は必要ありません」
悪魔ガーゴイルたちはスペルビアの命令通り、翼を広げて散らばっていく。敵陣近くで滞空している第四騎士団の方へと向かった悪魔ガーゴイルもいれば、地上を進む第一騎士団に向かって行った悪魔ガーゴイルもいる。
スペルビアが連携不要と言ったので、悪魔ガーゴイルたちは思いのままに攻撃を仕掛けることだろう。そして騎士たちの反撃を喰らい、殲滅させられるはずだ。今回スペルビアが召喚した悪魔の役目はアルギル軍を適当に相手にしながら引き付けることであり、簡単にやられることで油断させる役目も負っている。
傲慢の悪魔スペルビアは、消耗品が消耗されることで戦場が有利になるなら、悪魔ガーゴイルの数百体は使い捨てにする。これこそが傲慢、これこそが悪魔の所業である。
(行け、アビス百体は深淵竜になって応戦だ。死んでも構わん)
『是』
そしてセイも亡都ナスカの各所に潜んでいるアビスへと命令を下す。自らの子と言っても過言ではないアビスが殺されるのは気分が悪いことだが、これも自然の摂理である。魔物の死によって魔力が竜脈へと帰っていくのだから、これは必要な犠牲なのだ。
百体のアビスが深淵竜になって飛び上がった。氷竜王クリスタルを解析したことで手に入れた切り札とも言える形態であり、ブレス攻撃すら可能としている。
今回はアルギル軍を出来るだけ亡都ナスカの中央付近まで引き付け、更に飛行船を発進させることが深淵竜の目的だ。強力なブレス攻撃は控え、じわじわと攻撃をするようにセイも命令している。
「さてと……飛行船は出てくるかな?」
まだ明るい空を暗く彩る百体の深淵竜を眺めながらセイは呟く。これに加えて五百体の悪魔ガーゴイルがいるのだから、アルギル軍は飛行船を投入するしかないだろう。
それに、元から飛行船は深淵竜対策で投入された兵器なのだ。悪魔ガーゴイル五百体というイレギュラーがあろうとも、それとは関係なく発進は確実である。
たった一隻しかない飛行船だが、魔術師団とも呼ばれる第三騎士団を乗せた火力の権化なのだ。ここで使わなければ、いつ使うというのだろう。
先行していた悪魔ガーゴイルの一部が地上を制圧している第一騎士団に接触し、戦闘を開始し始めた。魔法による空中からの一方的な攻撃で第一騎士団を追い詰めているのを見て、第四騎士団がワイバーンを操り救援に向かおうとする。それを空中に留まっていた残りの悪魔ガーゴイルが迎撃し、混戦模様となり始めた。
体躯が小さな悪魔ガーゴイルはすばしっこく、地上から魔法を撃つだけでは当てるのも難しい。そしてワイバーンに騎乗して空中を自在に飛び回る第四騎士団も、僅か七十名ほどしかいないのだ。五百体の悪魔ガーゴイル全てに対処することは出来ない。強いて言うならば、団長のアルミノフ・ネッキンガーだけは精密な魔術狙撃で一体ずつガーゴイルを仕留めていたぐらいだ。
それにさらに奥には百体の深淵竜もいるのである。
アルギル軍としても出し惜しみしている場合ではないと判断するしかなかった。
「人間共が慌てて飛行船を投入したようですね。無様な事です」
「そう言ってやるなって。向こうにとってスペルビアの存在は予想できなかったことだろうからね。ガーゴイル五百体なんて予想外のものを見て慌てても仕方ないさ。それに、第三騎士団が出てくれば聖属性の攻撃を使ってくる。そうしたらガーゴイル五百体なんてすぐだ」
「仰る通りでございますね。人間の生き汚さと狡猾さは尊敬するべき部分もありますから。では、人間共が混乱している内に、地上戦力もぶつけておきましょう」
そう言ってスペルビアは眷属に通じる念話を発動し、各所に隠れさせている悪魔エニグマと悪魔フォルテに命令を下す。思いのままに暴れまわり、人間共を殺し尽くせと。
魔水晶塔から見える遥か遠くで閃光と爆音が鳴り響く。
悪魔エニグマの粒子砲と、悪魔フォルテの音波攻撃が炸裂したのだ。
防御力が極端に低い代わりに凄まじい攻撃力を持つのが悪魔エニグマと悪魔フォルテの特徴である。遠距離から攻撃を仕掛けられると対処は難しく、ドラグーンの機動力を利用して接近しようとすれば悪魔ガーゴイルに邪魔される。
地上制圧が役目の第一騎士団は早くも苦戦を強いられていた。
団長であるシギル・ハイドラは時空属性を付与されたオリハルコン剣で悪魔エニグマ、悪魔フォルテ、悪魔ガーゴイルを楽々仕留めているが、他の団員はそんなこと出来ない。概念拡張金属であるオリハルコンのお陰で時空属性が強化され、一振りで多数の悪魔を屠ることが出来ている。それでも、数百の悪魔を全て一人で対処するのは不可能だった。
あっという間に被害は広がり、死者は二桁、負傷者は三桁にも上ろうとしている。アルギル騎士王国製の理不尽な回復薬を用いてすらこの犠牲者数なのだ。どれほど激しい戦いなのかは察するに難くない。
魔水晶塔で高みの見物をしている魔王と悪魔はいい気味だと考えていたが。
「中位悪魔でも結構戦えるみたいだね。団長クラスの強者にはあまり意味がないみたいだけど、一般の騎士には十分みたいだ」
「しかし認めたくはありませんが、人間共の実力も上がっているようですね。五百年前と比べれば桁違いに強くなっております。あの時代は中位悪魔数体で都市が壊滅しましたから」
「今じゃ考えられない時代だね」
「当時の人間共は魔術発動に大規模な詠唱を必要としておりました。火球一つに数分を要する呪文を唱えていたのを覚えております」
「現代は無詠唱が当たり前だけどね」
「ええ、その点は驚きです。恐らくあの時の勇者が広めたのでしょう。人類の中で、奴だけは異常に強かったですから」
五百年前、創造神と破壊神が遣わした勇者は本当に強かった。当時、最強クラスと呼ばれた人物ですら中位悪魔を相手取るのが精一杯であり、多くの魔物の脅威にも晒されていた。悪魔を退けるのは結局のところ天使の役目であり、人類が適度に減ると天使が出現して悪魔を追い払っていたのである。
だが、今では一軍で数百体の悪魔を相手取り、苦戦しながらも確実に悪魔の数を減らしていた。傲慢を司るスペルビアとしては驚きと同時に、腹立たしさすら感じるほどである。
そして人類の英知と努力の結晶とも言える飛行船は、エンジンを全開にして空へと飛び立ち、空中戦を繰り広げている戦域へとやってきた。
「スペルビア。あれが五百年で成長した人類だ。ここからよく見ておくといいよ」
飛行船の見た目は普通の船と変わらない。内部に大規模な魔工エンジンを搭載したことで空を飛べるようになったことを除けば、海を渡る大戦艦のような見た目なのだ。今回の迷宮攻略のために改良され、希少な金属も多数使用した特別仕様の逸品である。
第三騎士団が運用することを想定し、魔法を補助するシステムすら搭載されていた。
そしてレイナ・クルギスを団長とする第三騎士団は、百名以上による魔法の重ね合わせで発動する極大多重魔法を得意としている。力を合わせることで英雄の大魔法にも匹敵する大規模術式を発動できるのだ。
飛行船に搭載された補助魔道具。
熟練の合成大規模魔術。
その二つが交わることで、人類は悪魔を滅する力を得る。
飛行船の甲板で第三騎士団が極大多重聖属性魔術《七征凛光神聖領域》を唱える。
半径数キロに渡って発動し、領域内で魔に属する者を尽く滅する。七色の光線が乱舞し、魔物や悪魔を葬り去るのだ。この魔術の利点は、人に対して被害を及ぼさないこと。精々、眩しさで視界に若干のダメージを与えるの程度であり、無視できるようなものだ。
これによって悪魔エニグマ、悪魔フォルテ、悪魔ガーゴイル、更に深淵竜までもが次々と消滅する。
第四騎士団のワイバーンにもダメージを与えてしまう部分は欠点だが、前もって《七征凛光神聖領域》を中和する呪属性魔道具をワイバーンに装備させていたので問題にならなかった。
元は深淵竜対策の魔法だったのだが、悪魔殲滅にも一役買うことになったのである。
「まさか一つの魔法で私の眷属が滅されるとは……人類の癖に調子に乗っているようですね」
「そう言ってやるな。人間だって努力している。そこは認めてあげようぜ!」
「私としては納得いきませんが……」
世界の調整が役目の精霊王と異なり、悪魔の役目は人類を滅ぼすことだ。感性に違いが出るのは仕方のないことであり、スペルビアの発言にセイも肩をすくめる。
ここで無駄に言い争う必要もなければ理由もない。
事実、人類は英知の限り、努力の限りを尽くして魔王と悪魔に抵抗して見せたのだ。
ならば見せよう。
理不尽とも言うべき今代魔王の実力を。
セイは内心でそう呟き、遠くに見えるアルギル軍へ向かって手を翳す。
手を翳すことに意味はない。
ただ、セイの気分的な問題だ。
「スペルビア。例の仕掛けを見せてやるよ」
「ほう。ようやくでございますね。これは見逃せません」
「ああ、瞬きしている暇はないぞ?」
セイは思考リンクを起動し、アビスネットワークに繋いで亡都ナスカの魔力核に遠隔で指令を飛ばす。
全てはこのために亡都ナスカの地下に仕込んでおいたのだ。
魔力核の力を使い、亡都ナスカ全域の地下に一階層だけ迷路を作ったのである。通路は複雑に絡み合い、中には壁の破壊以外に侵入方法がない小部屋すら存在する。実際に迷路を進んでみれば何の変哲もない複雑な迷路だが、視点を変えると意味が変わってくる。
透視能力を持つ者が、亡都ナスカの遥か上空から見下ろした時、一階層しかない地下迷路は巨大すぎる魔法陣に見えることだろう。迷宮を丸ごと一つの魔法陣に変えることで、全域に特殊な魔法効果を与えることが出来るようにしてあるのだ。
あとは魔力核が地下迷路の通路に魔力を流すことで、特殊効果は発動する。
「広域加重術式グレイプニル発動」
その瞬間、亡都ナスカ全体が淡く魔力光に包まれた。
地下に眠る直径十数キロの超巨大魔法陣が発動し、亡都ナスカ全域に加重魔法陣による重力が付加されたのだ。徐々に重力は増してゆき、僅か十秒で十倍の重力になる。
ドラグーンは自重でつぶれ、騎士たちも鎧の重さに耐えきれなくなった。ワイバーンは次々に落下して第四騎士団は殆どが地面に叩きつけられ、内臓がグチャグチャになって命を散らす。辛うじて風魔術で落下速度を軽減しても、増加した重力のせいで思うように減速できず、団長のアルミノフ・ネッキンガーを含めて無傷の者はいなかった。
そして空中に居たのは第四騎士団だけではない。
飛行船は急増した重力に耐え切れず、地上数百メートルの空中から落下していた。
搭乗している第三騎士団が風魔法で必死の抵抗を見せるが、これだけの大質量が十倍重力の状況下で落下しているのだ。風魔術ではどうにもならない。
「誰も亡都ナスカでは空を制することが出来ない。重力の鎖から解き放たれるのは、屋上に《破魔》の魔法陣を刻み込んでいるこの魔水晶塔だけだからね」
「なるほど。所詮、人間は地面で這いつくばっているのがお似合いということですね。流石でございます魔王様」
「いや、そこまでは思ってないけどね……まぁいいや。ともかく、この重力の中で空を飛べるのは竜種だけだよ。竜種は竜脈から漏れ出る生命エネルギーとの反発で空を飛んでいるからね。アルギル軍側の低位竜だけはどうにか空を飛べるだろうさ。でも、それは深淵竜も同じだ。それに十倍重力の中で空中戦なんて出来るはずがない。低位竜に騎乗して無理に空を飛べば、いつもと違う感覚に戸惑うか、下手すれば墜落だよ。確実に魔水晶塔までくるためには、地上を行くしかない」
さて、どうするアルギル軍?
セイは最後にそう言ってアルギル軍の奥にある陣地へと目を向けるのだった。




