54話
セイは降り立った建物の屋根の上で再度感知を行い、強い無属性魔力……魔力核を探し出す。魔法が飛び交う戦場で一つの魔力を探すのは至難だが、多数のアビスと思考をリンクさせているため、並列思考も問題なく行使できる。
探知に要した時間は数秒だった。
尤も、魔力核がこの建物にあることは分かっているのだ。今回は正確な場所を探知するために魔力感知を使っただけなので、そういう理由もあってすぐに済んだのである。
「場所は……地下」
そう呟くと同時に剣形態のアビスを振るい、屋根に穴をあけて建物に侵入する。竜王牙のお陰でゼリーを切っているかのような感覚で屋根を切り取り、更に着地と同時に床を切り取って下の階へと降りた。
余りにも綺麗に切り裂かれているため、余計な騒音もない。
大事な結界魔道具が地下に保管されていることもあって、多少の警備もいるようだが、まだ誰もセイの侵入には気付いていなかった。魔力を感知することで警備員の居場所を把握できるセイは、意図的に警備の穴を突いて移動していたのである。
そうすることであっという間に一階へと辿り着いたセイは、迷うことなく地下室へと歩みを進めた。
(結界魔道具が移動させられていることも想定していたけど、これなら思ったより楽に取り返せそうだね)
セイが迷わず建物内を移動できるのは、予めアビスが調査していたからである。各都市に潜む鼠サイズの小動物に擬態したアビスが、それぞれの都市にある結界魔道具の位置を全て割り出している。セイはその情報をアビスネットワークから引き出すだけで良い。
一応、非常時には結界魔道具が別の場所へと移動させられる可能性も考慮していた。しかし、バレていないと思われているのか舐められているのか、僅かな警備だけ残して、魔道具は移動させられていなかったのである。
ザル過ぎる警備をすり抜け、セイは数分と経たずに地下室へと入り口に辿り着く。
流石にここには警備を残していたようで、二人の騎士が入り口の両脇に立っていた。
(殺してもいいけど……ここは穏便に済ませるか。《幻惑術》)
すると騎士たちの足元に魔法陣が浮かび、次の瞬間には虚ろな表情に変化する。セイが使用したのは投影法による魔法陣魔法であり、虚属性をメインとした幻術だった。意識を飛ばして、しっかりと警備している夢を見させるというだけの効果である。
陣を弄れば軽めの幻覚症状を引き起こすだけに留めることも可能だが、今回は意識ごと夢の世界へと旅立たせたのである。
「うわ。ちょろい」
この幻術系の魔法は厄介で、自分で破るためには、自身が幻術に陥っていることを自覚するところから始めなくてはならない。強力な幻術ほど違和感が強くなり、弱い幻術ほど違和感が弱くなるという一般的性質上、幻術の強弱で破りやすさはあまり変わらない。
強い違和感を感じても、強力な幻術は破りにくい。弱い幻術はすぐに破れるが、まず幻術であることを知覚するのが難しい。
使用者側もこの辺りの調整を上手くすることで破られにくい幻術を発動させるため、他の属性魔法に比べても難易度が高い仕様になっている。
滅多に使用者がいないので、騎士たちも幻術を破る訓練はしていないことが多かった。
故に簡単に引っかかってしまったのである。
「じゃ、遠慮なく通らせてもらうよ」
幻術に囚われ、立ち尽くす二人の騎士の間をセイは堂々と通り抜ける。階段は鉄製の螺旋階段であり、グルグルと回りながら一段一段静かに降りて行った。魔力感知で常に警戒しているので、セイとしてはそれ程緊張する要素もない。
希少な能力だけあって、かなり便利なのである。
(地下の一か所に人が集まっているね。そこが魔力核の場所かな? 大結界が破壊されたせいで技術者が駆り出されたってところか。強い魔力持ちは護衛の騎士だろうね。まぁ、今の俺からすれば敵じゃない)
本当に強い騎士は、ナスカで暴れている悪魔エニグマと悪魔フォルテの討伐に向かっている。攻撃特化の悪魔であるため、恐らくは近寄るだけでも一苦労だろう。早々に討伐して帰還してくるという可能性は限りなくゼロに近い。
というより、この広いナスカで暴れている数百の中位悪魔を数分程度で討伐しきれる可能性などゼロだ。セイにも余裕がある訳ではないが、慎重に行動できる程度の時間はある。
ここは安全に、確実に攻めるべきだろう。
(強い魔力は二人だけ……そして慌ただしく動き回っている普通ぐらいの魔力が四人。この四人は結界魔道具を弄れる技術者ってところだね。恐らく戦闘力はないから、先に護衛二人を始末しよう。技術者らしき四人とは少しだけ離れた位置にいる……ということは、結界魔道具のある部屋の中で技術者たちが作業し、その部屋の前で騎士二人が護衛しているって構図かな)
実際、まさにその通りだった。
魔力感知からの情報でそこまで推理できるのは、アビスネットワーク云々以前にセイ自身の思考能力がそれなりだったからである。元々、凄腕の棋士だったのだ。予測思考は得意であり、この程度のことならば思考リンクの領域を借りるまでもない。
セイは地下へと降りた後、複雑に入り組んだ通路を迷いなく歩き、目的の部屋の前まで辿り着いて予想を確信へと変えた。
通路の陰から観察すると、魔力核を感じ取れる部屋の前には二人の騎士が立って護衛している。油断しきっているのか、小声で会話をしているらしかった。
(ここは後腐れ無く殺しておくか)
地下室入り口で立っていた騎士が死んでいると、見回りの騎士が発見した場合、地下で異常が起こっていることを知らせることになる。だから殺さずに幻惑で誤魔化したのだが、ここの騎士は殺してしまった方が楽に事を終えられるだろう。
セイはそう考えて通路の陰から飛び出した。
話し込んでいた騎士は一拍遅れて気付くが、普段から鍛えているだけあって反応速度は中々である。咄嗟に剣を抜き、通路から飛び出してきた一つの影へと剣先を向けた。
しかし、既に遅い。
(《氷結術》)
魔法陣魔法による水氷属性魔法が発動し、騎士の足元が凍り付く。水を発生させて凍らせるだけの簡単な魔法陣だが、変数を弄ることで色々と応用も効く便利な魔法陣である。魔法陣学を勉強してから少しずつ改良してきた成果だった。
そして剣を振るという行為には全身を上手く使うことが必要であり、足を固められるとバランスを崩してしまう。特に剣の威力を大きく左右する踏み込みが使えないのは痛い。
膝をついてしまうようなことはなかったが、二人の騎士は更に後れを取る。
「な……」
「危ないザイル!」
セイから見て奥側の騎士が警告するが、既に遅い。ザイルと呼ばれた手前側の騎士は、セイが振るった深淵剣の一閃で首が飛んだ。いや、飛んだという言い方には語弊がある。余りの鋭さで深淵剣がザイルの首を通過し、少し遅れて頭がズレ落ちたのである。
「畜生が!」
もう一人の騎士はザイルが死んだことで怒り、足を凍りつかせている氷を無理やり砕いてセイに斬りかかる。元々、《氷結術》は一瞬の足止め程度にしか効果を発揮しないのだ。セイもこうなることは予測済みであり、冷静な思考でもう一人も切り裂いた。
もはや剣技だけでも一流を名乗れるほどである。
一介の騎士が敵うはずもなかった。
「ま、こんなもんかな」
血を流して崩れ落ちる騎士を横目に、セイはポツリと呟く。こうして殺しに慣れてしまった自分を考えると、一種の感慨も覚える。しかし、今は感慨に耽っていられるほど暇ではない。
霞むような速度で深淵剣を振るい、魔力核がある部屋の扉をバラバラにした。
そしてそんな目立つことをすれば、当然ながら中にいた技術者たちにも気づかれる。彼らは戦闘などとは無縁な一般人だが、これぐらい目立つことが起きれば気付くというものだ。
「誰だ!」
「黒いフード? 騎士じゃない」
「おい見ろ! 騎士様が倒れている……」
「……」
中にいた四人の技術者たちはそれぞれがセイに反応を示す。黒いローブで身を包み、フードを被って顔を隠しているセイは怪しさ満点であり、側で倒れている騎士が全てを証明している。
不運にも大結界魔道具の様子見に呼び出された四人の技術者は、魔王アストラルと邂逅することになってしまったのである。
尤も、ナスカにいる以上は中位悪魔の暴威に晒されることになる。悪魔の猛攻から逃げ回るか、魔王と正面から出会うか……どちらが不幸なのかは人それぞれだろう。
ただ、どちらにしても彼らが死ぬ運命は変わらないが。
「邪魔。死んでくれ」
セイはそう言いながら横一文字に深淵剣を一閃する。その瞬間に刀身が伸び、一撃で技術者たちを上下真っ二つにしたのだった。一瞬で部屋が深紅に染まり、生臭い匂いが充満する。
少しだけセイも顔を顰めたが、すぐに気を取り直して正面にある結界魔道具へと近寄った。
魔術回路や配線が多数並べられた複雑な魔道具であり、その中心部には動力となる魔力核が置かれている。結界魔道具に興味のないセイは《破魔》を纏わせた右腕で魔術回路を破壊しつつ、魔力核に触れる。
(吸収)
セイがそう念じると、魔力核は魔力となってセイに吸収されたのだった。そしてセイの保有魔力が増大する。
「やっぱり……魔力核を吸収すると魔力量が増えるっぽいね」
魔王が魔力核を制作すると、初期保有魔力の一割が消えることになる。ある種、魔王の分体とも呼べるのが魔力核であるため、魔力そのものではなく、魔力保有量の最大値が削られるのである。
逆に、魔王が魔力核を吸収すると、最大保有量が増える。
それは自身が制作した魔力核に限らず、過去の魔王が作った魔力核でも同様だったのだ。
魔王城クリスタルパレスを作って一割を消費し、今、同量を回復した。よってセイの魔力保有量は初期状態と同じであり、これから他の都市で利用されている魔力核を吸収することで、更に保有量は増やせることだろう。
「さてと、工業用に使われている他の魔力核はアビスたちに回収させよう。俺は俺でやることがあるし」
工業都市ナスカでは、結界以外にも、実験や工業生産で魔力核が利用されている。それを全て回収するのは面倒であるため、大結界に使用されている魔力核以外はアビスに持ってこさせることにしたのだった。
勿論、大結界魔道具の魔力核もアビスに回収させた方が楽だっただろう。しかし、セイはこの場所でもう一つやることがあったので、自ら回収に出向くことにしたのだった。
「ここからが本番。新しい迷宮の誕生だ」
セイは魔力を集中させ、右手に新しい魔力核を作成する。この工業都市ナスカを丸ごと迷宮に作り替えるために、都市の中心、つまり、大結界魔道具が設置してある場所へと来る必要があったのだった。
そして普通ならば数年もかかる迷宮化だが、アビスネットワークによって思考リンクされているセイならば数十分で改変可能である。
リンクした魔力核に演算領域を分け与えると、迷宮は勝手に生成され始めた。ある程度の指示を出しておけば、あとは勝手に迷宮が作られる。そして、地上での乱戦では魔法が連発され、大量の魔素が溜まっていることだろう。新しいアビスを生み出すのも良いが、今回は金貨としてナスカに仕込んであるアビスたちを強化するのに打ってつけである。
「俺の目的は達した。あとは観戦かな? やれ、アビス」
『是』
魔力核による迷宮化は工業都市ナスカ全域にまで広がり、大地が改変されることで地震が起こる。それと同時に金貨へと擬態していたアビスが真の姿を顕した。
突然の大地震で逃げていた者たちも膝を突き、中位悪魔の餌食となる。狼型の悪魔フォルテはともかく、蜘蛛型の悪魔エニグマは上手くバランスを取って負電荷粒子砲をばら撒いていた。更に隠れていたアビスは深淵竜モードとなって咆哮を上げる。
数百体の中位悪魔。
迷宮化に伴って蠢く大地。
百体近い漆黒のドラゴン。
まだ生き残っていたナスカの人々は恐怖したのだった。