45話
北の森。それは薬草という資源が豊富な場所であり、アルギル騎士王国の主要産業である薬の生産には欠かせないものだ。また薬草には幾つも種類があるため、薬学に通じる者はあらゆる薬草を網羅しなくてはならない。長期の勉強は必須であり、薬学に携わる者がエリートであるという風潮は極めて一般的なものだった。
薬草は人工栽培できる種類もあるが、栽培法が確立されていない希少なものもある。霊峰から流れ出る竜脈によって育った貴重な薬草を求めて北の森へ入る者は少なくなかった。
ただ、アルギル騎士王国を守護する騎士団の者が森に入ることは珍しい。
それも国境警備を主な任務としている第四騎士団が夜の森で野営しているというのは滅多にないことだった。
「どうだ? 何か変わったことはあるか?」
「ん? ああ、そろそろ交代の時間か」
「そうだ」
「特には無かったよ。じゃあ頼む。俺は寝るぜ」
「明日はいよいよ氷竜王と戦うからな。しっかり休めよ?」
野営の端で警戒していた騎士の一人は見張りの交代時間であることを知って欠伸を漏らす。見れば少し離れたところで同じく警戒していた同僚も、交代のメンバーと入れ替わっていた。
氷竜王討伐の極秘任務を受けた第四騎士団である彼らは、空を飛ぶワイバーンに騎乗することが出来るエリート部隊だ。第四騎士団全体でも百人程度しかいないため、その希少さが分かるだろう。
だが、もっと希少な人材として第五騎士団の一人が今回の氷竜王討伐に加わっている。低位とはいえ竜に騎乗するアルギル騎士王国最高戦力の一人だ。自由組合の戦士ランクで言えばランク10とも言われているため、世界的に見ても最強クラスなのである。
更に今回は相手が氷竜王であるため、国宝である竜殺剣の使用も許可されている。
例の第五騎士団から選ばれた騎士が使用する一本だけだが、戦力としては充分以上だった。
「ワイバーンの世話も忘れるなよ」
「分かっているさ。明日はしっかりと活躍して貰わないといけないからな」
今回の氷竜王討伐作戦では、第四騎士団がワイバーンに騎乗して包囲網を築きつつ、低位竜に乗った第五騎士団の騎士が氷竜王を倒す算段になっている。この包囲網のために第四騎士団から二十五名が選出されており、それと同時に騎獣であるワイバーンも二十五体揃っていた。
この野営地でワイバーンを二十五体も休ませれば、当然ながら狭くなる。ワイバーン自体は隷属の首輪で縛っているため暴れたりはしないが、ストレスを感じるのは確かだ。明日の作戦に影響が出てはいけないので、ケアは騎士たちでしなくてはならない。
特にワイバーンに騎乗する以上、空中戦は必須だ。何かの間違いで墜落されては困るのである。彼らにとってワイバーンの世話は死活問題に直結していた。
(さてと……寝る前に俺のワイバーンを確認しておくか)
騎士は自分のテントへと向かう前に、外につないである自分の騎獣の元へと向かう。軽く様子を見た後、隷属の首輪で強制的に睡眠状態に移行させるだけなので、大した手間ではない。夜も遅いので騎士も早く眠りたいと考えていた。だからこそ、手早く済ませようとして足を速めつつ自分のワイバーンへと近づき、声をかけた。
「グルルル……」
「よぉ。大人しくして――」
しかし、騎士は最後まで言葉を発することが出来なかった。
何故なら、ワイバーンが近づいてきた騎士の首を突如として咬み千切ったからである。まさか騎獣であるワイバーンに襲われるとは思ってなかった騎士は反応すら出来ずに死んでしまう。首を失った体は数歩だけ歩いて倒れ、ビクビクと痙攣してから動かなくなった。
周囲には誰もいなかったため、犯人を示す証拠はワイバーンの口元に付着している血液だけである。
そして、首を失った騎士が動かなくなったのを見計らい、ワイバーンの影から漆黒のローブを纏った人物が姿を顕した。夜に紛れて見え辛いが、月明りに照らされて僅かに姿を確認できる。
「終わったか」
「グルゥ……」
「ああ、今までお疲れ様。急にこいつが近寄ってきたときは驚いたけど、音もなく仕留めたのは正解だ」
「グルルル!」
「落ち着け。お前で隷属の首輪を外したのは最後だから、すぐに行動を開始することになる。合図を聞いたら飛び上がって好きに逃げろ。いいな?」
「グルゥ」
漆黒ローブの男、つまりセイは騎士団の野営地に侵入し、ワイバーンたちに取り付けられている隷属首輪を破壊していた。この魔道具は虚属性による魔法であるため、セイの能力を使えば簡単に破壊出来てしまうのだ。また、魔法陣を勉強した今ならば、内部の陣を解析して必要箇所だけ破壊するということも出来るようになっている。
ともかく、魔法に関連するものでセイを上まわりたければ法則属性を用いるしかないのだ。
(アビス。配置は完了したか?)
『是』
(第五騎士団から派遣された奴の持っている竜殺剣は確保できたか?)
『申し訳ありません。どうやら道具袋に入れているようです。確保できませんでした』
(なら仕方ないか。プラン其の二で行くぞ)
『是』
野営地に張られている結界もセイには効かないため、いつもの要領で一部解除しつつ侵入し、こうして堂々と暗躍することが出来る。魔法を無効化できるという能力は本当に便利だった。また騎士たちも警戒用魔道具に頼り切っているのか、思ったよりもザル警備だったのである。見張は立てているが、本当に形だけだった。
潜入に関しては素人のセイでも入り込めるのだから相当である。
尤も、この野営地で発動されている警戒魔道具は非常に優秀であるため、魔力の精霊王のような存在が無効化しない限りは警報音で侵入者を知らせるようになっている。空中から地中まで球状に警報結界を張る魔道具だと騎士たちは知っているため、雑な警戒をしていたのだった。
魔王のような能力など想定していないのだから、こうなるのも当然なのかもしれない。
(では第一フェイズ開始。アビスの一体は深淵竜になってブレスを放ち、野営地中央にある一番大きな篝火を破壊せよ。残りのアビスは姿を隠し、適宜擬態して面白そうな物資を回収だ)
『是』
今回セイと共に来ているアビスは十体だ。セイが着ている漆黒ローブに擬態しているアビスと、セイが武器として使用しているアビスがもう一体。そしてこの騎士団の野営地を見張っていた初めの四体に、追加で呼び出した四体である。
一体は深淵竜となって野営地中央の篝火を破壊して明かりを奪うと同時に、上空を飛び回って囮となる。セイが身に着けている二体を除いた残り七体は騎士たちの所有している物資の回収が主な仕事だ。
更に深淵竜が篝火を破壊するために放つブレス攻撃が合図となって、セイが解放したワイバーンたちが一斉に飛び立つ算段となっている。セイはこの混乱に乗じて騎士たちを刈り取る作戦だった。
『ビビ――――――――――ッ!』
深淵竜が空中に飛び上がったことで警戒魔道具の結界に触れ、警報の効果が発動してしまう。セイがやった無効化は一時的に結界を一部解除するという手法であるため、普通のアビスが触れれば警報音が鳴り響くことになるのだ。
如何に警備を怠っている騎士たちでも、この音を聞けば真面目になる。彼らは音の発生源である上空を見上げ、それと同時に絶句した。
「ドラゴン……だと?」
辛うじて誰かがそう呟いたが、もはや遅い。
口元に魔素を圧縮した深淵竜は、破壊のブレスを野営地の中央にある篝火へと叩き込んだのだった。
ズウゥゥゥウン……
激しい魔力光と共に大地が揺れ、一部の騎士たちは膝をつく。眠っていた騎士たちも警報音に続いて聞こえた大地を震わせる響きに目を覚ましていた。
だが、中央にあった篝火が消えたことで野営地は一気に暗くなり、頼りになるのは個人で所有する懐中電灯のような明かり魔道具だけだった。
更に、騎獣であるワイバーンが一斉に暴れ出して鎖を引きちぎり、一斉に飛び上がって何処かへと飛んで逃げていく。そんな光景を騎士たちは見ていることしか出来なかった。
「くそ! 待てノール!」
そんな中で第五騎士団から派遣された唯一の騎士、マルキス・スウェルティは相棒である低位竜が逃げ去っていくのを追いかけようとしていた。ノールと名付けていた彼の低位竜も、所詮は隷属の首輪で従えているに過ぎない。逃亡するのも当然である。
セイはこの低位竜を首輪から解放する際、しばらく森の竜脈を整えるようにと言っておいた。竜種の使命は世界を支える竜脈を管理し、整えることである。それは低位竜であっても変わらないため、氷竜王が霊峰へと避難している間は、細かい部分をこの低位竜に任せようと考えたのだ。
もしかすると討伐されてしまうかもしれないが、氷竜王が殺されるよりは遥かに良いので、ここは妥協した形である。流石に低位竜のことまで面倒見切れないからだ。
『ビー―ッ!』
『ビビビーッ!』
『ビー! ビビ――――ッ!』
『ビビ――ッ!』
『ビビビビビ―――ッ!』
『ビビ―――ッ! ビビ―――ッ!』
『ビビビ――ッ!』
ここで七回連続で警報音が鳴り、残りのアビスたちも侵入したとセイは察知する。騎士たちは相棒であるワイバーンや低位竜が逃げ去ったことで警報音に殆ど気付けなかった。隷属の首輪で従えているだけとはいえ、騎獣に逃げられるとはショッキングな出来事なのである。
そしてセイはこの隙に最後の仕上げを行った。
(演算完了。《障壁》)
無属性魔術によってセイは野営地全てを取り囲む大結界を発動させ、騎士たちを一人も逃がさないように囲い込んだ。セイはこの騎士たちを殲滅させると決めているため、逃がさないための檻として《障壁》を発動させたのである。
また、今回はセイが自分自身の戦闘力を測るための戦いでもある。決戦に向けての調整でもあるため、自分の戦闘に関する情報を渡すわけにはいかない。つまり、ここで全力戦闘をするならば、騎士は全滅させておくしかなかった。
「さぁ、行くぞアビス!」
『是』
セイは漆黒の剣の形をしているアビスを右手に持ち、魔力を感知して近くにいる騎士の元へと走り寄っていく。魔素体である魔力の精霊王の身体能力は魔力操作能力次第であり、凄まじい演算力を有しているセイの身体能力は並みならないものだった。
また暗闇でも魔力感知によって相手の居場所を感知できるため、今の状況でも問題なく行動できる。逆に騎士たちは野営中央の篝火を消され、さらにワイバーンが逃げ去ったことによる動揺でセイが走り寄ってくる気配に気づくことが出来なかった。
仮にもエリートである第四騎士団の団員ならば、これくらいの気配察知は出来るはずだ。
しかし、セイの作戦によってその感覚は麻痺させられていたのである。
如何に訓練を積んでいても、予想外過ぎる事態の前には無意味となるのだ。
「ふっ!」
「はへ?」
姿勢を低くしつつ近寄ったセイの一閃が騎士の一人を仕留めた。竜王牙の性質へと変化した深淵剣の切れ味は凄まじく、騎士たちの着ている鎧すらも軽く斬り飛ばす。セイに狙いを定められてしまった哀れな騎士は、無残にも上半身が下半身と泣き別れることになった。
唯一の幸いは、混乱の中で死んだこともあり痛みが無かったことだろう。魔力が高いということは生命エネルギーが多いということであり、魔力量が多い騎士はそれなりの傷を負っても死なないことが多い。また致命傷でも長く意識が保たれることがザラなのだ。しかし、不意打ちで殺された彼は、気付けば死んでいたという楽な死に方をさせて貰えたのである。
(竜王牙が鋭すぎるな)
セイがアビスネットワークを通じて習得している最適化された剣技も合わさって、今のセイに斬れないものはオリハルコンのような希少金属くらいになっている。またアビスの擬態である漆黒ローブも竜王鱗に性質変化することで最高クラスの防御力を実現できるのだ。
つまり、今のセイにとって、一般の騎士は相手にならない可能性が高いのである。
(やはり注意するべきは団長クラス。あいつらはオリハルコン装備をしているから、竜王牙を使っても斬れないかもしれないな。法則属性が付与されている魔剣とか魔鎧は特に注意が必要か)
魔力の精霊王の能力で抑え込める魔術は特殊属性までだ。法則属性になると、魔力情報体が世界を改変する効果が強すぎて制御しきれないのである。それは魔道具でも同様であり、第一騎士団団長シギル・ハイドラの持つ時空属性の魔剣の効果は防げない。
今回も団長クラスである第五騎士団の団員マルキスがいるため、油断は出来なかった。
「でもまずは雑魚掃除だな。これで二人目!」
「ぎゃっ!?」
考え事をしつつも移動していたセイは、二人目の騎士を背中から切って真っ二つにする。正々堂々というよりは暗殺に近いが、数が減るまではこういった戦いをする必要があるだろう。何せ相手は第五騎士団から派遣されたマルキスを含めて二十六名だったのだ。ワイバーンに殺害された騎士が一人で残り二十五名。今、二人殺したことで残り二十三名となったが、まだ数の上では不利が続いている。
セイは闇に紛れ、混乱に乗じて騎士たちの命を刈り取っていくのだった。