41話
今回は説明回
セイとルカが自由組合に登録して一か月。自らが作り上げた大迷路の地図を作成するという、一見すると訳の分からないマッチポンプのために自由戦士となったセイだったが、実際に大迷路に入ったのは二回だけだった。
その他の日は宿で勉強と作業をしていたのである。
自由組合が転移魔法陣を使ってリンデルと霊峰麓を繋いでいるとは言え、既に勝手知りたる大迷路にわざわざ入り口から侵入し、攻略するなど時間の無駄だったからだ。地図を描くだけならペンと紙だけで幾らでも描けるのである。
一応、攻略しているという口実のためにルカを送り出しているが、結局セイが自ら大迷宮へと乗り込んだのは二回だけとなった。その二回も、地図作成というよりはルカの氷魔導を練習させるためという意味合いが強い。
そしてルカはセイが伴わない日、セラとミラの姉妹自由戦士とパーティを組んで活動している。ランク測定試験以来、この姉妹はルカへと構うようになったので、セイは経験を積ませるためにルカを二人に任せていたのだった。
「んー。肩が凝った……気分だな」
魔力の精霊王であるセイが実際に肉体的な疲れを感じることはない。肩が凝っているのは気持ちの問題であり、要は精神的に疲れているということだった。
ただ、左手にペンを持って大迷路の地図を描きつつ、右手で本を捲りながら読書していれば疲れるのも当然だろう。地図の方はアビスネットワークの演算能力でほぼ自動書記と化しているのだが、本を読みながらの勉強はセイ自身で考え、理解しなくてはならないため、意外と疲れるのだ。
「取りあえず基礎は終了かな」
セイはそんなことを呟きつつ、右手で本を閉じる。
題名には『魔法陣学基礎』という文字が北方語で記されており、分厚さからもそれなりの専門書であることが理解できる。魔法陣学というのは、魔法現象を機械的に発動させる処理技術を詰め込んだ学問であり、レベルとしては普通の魔術学よりも数段上になる。
前提知識として、魔術学、数学、場合によっては工学も必要であり、特に数学では、線形代数学、確率論、暗号解析、図学……といった幅広い学習が望まれるのだ。例え基礎であったとしても難易度の高い分野であることには変わりなく、応用分野ともなれば一生使っても学びきれないと言われている。
基礎であっても一か月ほどで終了できるものではなかった。
セイがそれを可能としたのは、既に前提知識を習得済みだったというのも大きいが、何よりアビスたちとの思考リンクで演算能力が格段に上がっていたことが主な理由だ。この演算能力は天才と言える幅ですら収まりきらず、人外の領域に達している。
尤も、魔力の精霊は元から人外であるのだが……
「基礎だけでも俺が無属性魔法以外を使えないことは誤魔化せるか。剣士ってことにしてあるから、魔法の威力が低くても疑われないだろうし、魔法陣ならば無限の可能性も秘めている。いっそ学者になって自由組合に登録するのもありだな」
セイがこれほどまでに魔法陣を評価しているのには理由があった。
それは、魔法陣が魔力情報体に依らず現象を引き起こすからである。例えば、炎属性魔力を有する人物が水属性を引き起こす魔法陣に魔力を流した場合、水魔法が発動可能なのだ。これは魔法陣自体に現象を引き起こす情報が含まれているからであり、魔力は単なる燃料として働いている。
魔力情報体を解析できるようになった現代魔術学が発達して以降に、魔力属性に依らない魔法というコンセプトで開発されたのが魔法陣だったのだ。魔力情報体を解析し、その情報がどんな現象を引き起こす因子になっているのかを調べる。地道に繰り返し、情報因子を人工的に組み合わせるという試行錯誤の末、今の魔法陣学の雛形が出来上がった。
魔法陣学はここ五十年ほどで発見された新技術であるが、魔道具開発や、新たな魔法開発の根幹部分を担っていることは間違いなく、短い期間で大きな成長を遂げている。
収束魔法陣。
拡散魔法陣。
重力制御魔法陣。
加速魔法陣。
これらの属性魔力からは再現できない魔法も、情報因子を抽出し、魔法陣として完成させることで再現している。まだ未解決問題ではあるが、生命、混沌、時空、力属性も魔力を解析することで再現できるのではないかと言われている。
その典型例が転移魔法陣であり、これは時空属性を研究して手に入れた大きな成果の一つだった。
更には魔力核から無属性魔力を解析し、力属性魔力の破片を集めることで、ベクトル制御すら可能になるのではないかと言われている。現段階では夢のまた夢であり、仮説でしかないのだが、期待の余地は大きかった。
しかし、当然ながら魔法陣にも欠点や未熟な点はある。
「重力制御魔法陣……投影」
緻密な魔力制御でセイは右手から魔力を放射し、魔法陣の形として投影する。それは閉じた『魔法陣学基礎』の本へ魔法を発動させ、反重力によって宙に浮かせた。
一見すると力魔法にも見えるが、実は土魔術を飛ばす際に使っている情報因子から抽出したものでしかない。物質などを生成して飛ばす場合、宙に浮かせるために重力中和などの情報体が発生しているのだ。この因子を持たない魔力の人物は、魔法を浮かばすことが出来なくなるという研究結果もある。
これらの因子を集めることで力属性に至るという仮説も存在するが、採取できる因子が余りにも小さすぎるので、不可能であると結論付けられている。やはり、鍵となるのは無属性魔力だという説が強いのだ。
それはともかく、ここで重要なのは魔法陣を描く技術である。
魔力に特定の意味を持たせるための陣であるため、複雑かつ巨大なものになるのは仕方のないことだ。しかし、実用化して使うためには簡易化、小型化が必須であり、魔法陣を描く技術も考えなくてはならない。
初期段階では物質に刻印をするという手段が取られていたが、魔力に反応しやすい金属などに直接刻み込むというコスト上は最悪と呼べるものでしかなかった。これが発展して魔力を通しやすい物質を絵の具のようにして対象に書き込むという手法が編み出される。最終的に魔石を砕いたものが最適だという解が導き出されることになった。これが現代の魔道具に用いられている方法である。
そして別の手法として……というよりも実戦で使用することを想定して編み出されたのが、自分の魔力を空間中に投影するという方法だ。魔素には確かな質量があると観測されているため、精密な魔力操作をすることで自分の魔力を絵の具のように用い、指先から放出した魔素を空間中に固定しながら描くという事が可能だと分かった。
さらに魔素が自分の意思を汲み取りやすいという性質を利用し、丸暗記した魔法陣をイメージしながら魔素を放射することで、空間中に直接魔法陣を投影するという手法もある。現代ではこの投影法がメインだが、こうして実戦の中でも魔法陣が使用可能となってきたのだ。
しかし、ここが一番の問題点なのである。
魔道具を作るにしても、魔法陣を描くために魔石を砕いた特殊インクが必要になる。これはそれなりのコストがかかっているため、魔道具は複雑化するほど加速度的に価格が上がるのだ。一般市民でも手を出せなくはないが、気軽に買おうとは思えない額になるのである。
そして魔法陣を投影する場合、精密な魔力操作が求められる。魔力の精霊王であるセイならば遊びのようなものだが、人類の制御能力では高度と位置付けられる技能レベルだ。これを習得していれば、魔法師団として有名なアルギル騎士王国第三騎士団でも中核をなす実力者として認めてもらえる。
セイが余りにも簡単に重力制御魔法陣を発動したので勘違いするかもしれないが、魔法陣投影は非常に高度な技能なのだ。それでも、術式破壊と比べれば劣るのだが。
そして重力制御で本を浮かべていたセイは、魔法発動の様子を観察しながらポツリとつぶやく。
「術式構成は不安定。一応発動しているが魔力消費は非効率的で、常時発動にかかる追加魔力コストも尋常じゃない。とてもじゃないが力魔法にはなりそうもないな。それに重力を多少弄る程度しか出来ないようじゃダメだ。加速魔法陣と合わせたとしても、複雑化させるには巨大で高度な魔法陣になってしまう。やはり直接情報が刻まれている魔力情報体には敵わないか……」
魔力情報体というのは遺伝子情報と似たような部分がある。
遺伝子が各細胞に組み込まれ、その生物を為す高密度情報体となっているように、魔力も魔素に情報体が全て記録されているのだ。それを情報因子として解析すると、気が狂いそうなほどの情報量として現れることになる。
情報の傾向を測定することで簡単に属性を調べることは可能だが、精密な測定は年単位での解析を必要とするほどだ。また魔法陣として情報因子を組み込んだ魔法を再現すると、どうしても陣が巨大化してしまうのも大きな問題だ。
人は視覚による情報が最も多くを占めているため、魔法陣の内容も目で見える大きさでなくては正確に投影することが出来ない。当然、直接書き込む方式でも同じことが言える。
魔法陣学が未熟なのは、この魔法陣の効率化が不十分過ぎる点だった。
勿論、今のままでも有用だが、セイからしてみれば未完成品のオンパレードでしかない。セイは更にその先を目指しているのだから。
「魔導の魔法陣化……難しそうだな」
魔導とは完全な魔力情報体を持つ者が為せる業だ。
個人が有する魔素には莫大な情報体が記録されているが、それは多種多様な因子によって決定付けられている。炎属性に適性を持つ人物でも、多少は他の属性に見られる因子を保有しているのだ。あくまでも、情報因子の傾向が適性として現れるのである。
そして完全な炎爆、水氷、風嵐、土樹の情報因子のみで形成された魔力を持つ者は、属性の根底にある概念効果とも呼ぶべき力……魔導を発動できるのである。ルカの水氷属性が持つ概念効果『収束』と『沈静』も、ルカの魔力が完全な水氷属性だから使える効果なのだ。
さらに言うと、自然な生まれで純粋な属性情報因子の魔力を持つことは有り得ない。何故なら、生活する上で多くの環境に晒され、火水風土その他の属性に触れることは多くあるはずだからだ。偶然、本当に偶然にも魔導の可能性を宿して生まれた者は、生活環境の中で魔力情報体が変化し、魔導の可能性を失うことになる。
これを克服するのが精霊契約となる。
精霊契約すると魔力が共有され、契約者の魔力情報因子は精霊の持つ純粋な因子に置き換えられる。ルカの場合なら、魔力の精霊である絶死氷鳳凰アルクの氷属性――下位互換で水属性は付いている――の影響を受けたということである。
話を戻すと、魔法陣で魔導を再現するには、この根底となる属性因子を抽出し、完全な再現を果たさなければならない。現時点での中途半端な情報因子解析では絶対に不可能だろう。
セイは重力制御魔法陣を解除し、本来の物理法則に沿って落下した本を右手で受け止める。
「魔法陣の小型化は気にする必要はないかな。俺は視覚に頼らずとも魔素を認識できるし、その知覚情報を基にして魔法陣投影をすれば可能だ。ただ、相当に魔力を圧縮しないと期待する出力はでないだろうなぁ。まぁ、それはいいとしても、一番の問題は情報因子の解析法か……」
独り言を呟きながら考え続けるセイはどこか不気味だ。
しかしこれは本人が自覚していることではなく、無意識でのことである。将棋をしている時にも偶に見られた光景であり、セイが深く集中している証拠だった。
「ローゲンウェリック法は確率論と統計論を利用して情報因子の傾向を測るだけだし、ネイル・ブランシュ法は性質上、計測中に情報因子に変化を与えてしまう可能性がある。魔素投射解析は精度が低いし、ロクス型属性因子精密測定では時間が掛かり過ぎて意味がない。
そもそも情報因子は魔法を使用するたびに極小変化するものだ。そして使用魔法の属性に偏った情報因子に微変化することで、魔法が上達していくと言われている。この極小変化と使用魔法の関係性を解析できれば法則性を見つけられそうなんだけどな……そもそもそんな極小変化は現代の解析法で発見できない。
俺の魔力感知能力もそこまで優秀じゃないからなぁ」
こうしてセイが情報因子に強い興味を示しているのは、他にも理由がある。それは力属性を習得するためだった。無属性の上位として力という法則属性が存在しているが、これは今の無属性魔力に力を操る情報因子が不足しているから無属性のままだと考えられる。
無属性魔力には魔素に作用する力を操る情報因子は豊富だが、その他物質に作用する力の情報因子は揃っていないのだろう。つまり、これを意図的に揃えれば力属性へ進化すると考えられる。
今の無属性のままでは法則属性が相手に現れたときに対処できないため、セイは早めに法則属性の習得をしたかった。どちらかと言えば、魔導の魔法陣化はついでの目的になる。
「先は長いか……別のアプローチを考えた方が良さそうだな」
セイがそう言って右手の本を机の端に置くと同時に、部屋のドアが開けれられてルカとアルクの元気な声が聞こえて来た。
「セイさん戻りました!」
「キュイ!」
今朝、セラとミラ姉妹に連れられて霊峰の大迷路へと行っていたのだが、帰ってきたらしい。セイがふと窓の外を見れば夕日で赤く染まっており、随分と長く集中していたのだと思い知らされた。
疲れる訳だ、と納得しつつ、セイは首だけ振り返って口を開く。
「二人ともお帰り」
「セイさんは今日も勉強ですか……って左手で地図描いていたんですね。しかもいつもながら見やすく綺麗な地図です」
「あぁ、そう言えばそうだった。片手間に描いてたから忘れてた」
「……片手間でこんなものが描けるんですか」
ルカはまるで生きているかのように勝手に左手が動き、紙の上にペンを走らせている光景を見て頬を引き攣らせる。何度か見たことはあるが、何度聞いても信じられないものだった。
セイはルカに思考リンクのことは教えていないので、ルカはどうやったらそんな真似が出来るのかと思考を巡らせる。しかし結局、セイが凄すぎるという曖昧な結論で終わらせるしかなかったのだが。
そんなルカに構うことなく、セイはアビスネットワークの演算領域で稼働している地図作成を停止させ、自動書記されていた左手を止める。今日は勉強しながら金貨数十枚分を稼げただろう。
明日は霊峰まで行って新たに誕生したアビスを回収し、自由組合では大迷路の地図を売却する予定だ。ついでに魔法陣に関する実験もするつもりなので、意外と忙しいものである。
「さてと。ルカも帰ってきたことだし、今日は止めだ。もう少ししたら夕食に行こう」
「はい」
「キュー」
今日も魔王と少年と従魔の一日が終わる。