4話
白銀の霊峰……それは三大秘境の一つに数えられる場所だ。山頂は常に晴れているにもかかわらず、麓から中腹にかけては常にブリザードが吹き荒れるという極端で不思議な気候をしているため、よほどの対策が無ければ登ろうとは思えない場所なのだ。
山頂には古代の魔王が残した秘宝がある、不老不死の薬となる花が咲いている、辿り着いた者は神の如き力を手に入れる。そんな噂に誘われて無謀にも挑戦した者は少なくない。しかし大抵は麓のブリザードを見て諦め、それでも登ろうとした者は引き返し、運が悪ければその身を雪の中に埋めることになる。
だがそんな秘境を攻略してみせようと動いた国があったのだ。
「ふむ……やはり竜王が厄介ですね」
大量の資料や本が積み上げられた机、すっかり溢れている本棚、床にまで物が散らかっている部屋の中で一人の男が呟く。見た目若いその男は、右手を顎に当てて唸りながら左手で資料を捲っている。そして眼鏡を掛けた眼からは強い知性を感じ取ることが出来た。
整えられた銀髪とキリリとした顔立ちの彼は間違いなくイケメンの部類だ。しかし厳しそうな表情からは誠実さも滲み出ており、魅惑の知将といった雰囲気を出している。
「極寒の土地、山という地形、そして地の利を得た竜王……いくら私でもこれは難題だ」
溜息を吐いて左手の資料をバッと放り投げる。部下がせっかく纏めたその書類はヒラヒラと舞い落ちて床のゴミに仲間入りしたのだった。だが内容を一字一句間違えることなく覚えてしまった彼には既に無用の物であり、二度と忘れることはない。そう、彼はこの部屋にある全ての資料や報告書を頭に入れているのだ。
そんな能力を買われて手に入れた地位は国の参謀だ。
正式にはアルギル騎士王国軍事局一級参謀室室長。数多の情報を扱い、国家事業クラスの作戦を立てる部門において『叡智』の二つ名を与えられた彼、リオル・ジェイフォードは国王から受けて霊峰攻略の手がかりを探していたのである。
「やはり情報不足ですね。諜報局に人を回してもらうように頼んでみましょうか? しかし三日前も霊峰の調査で三人失ったばかりですしね……」
白銀の霊峰の麓から数十キロ離れた場所にあるアルギル騎士王国は竜脈のお陰で栄えている国だ。北の大地にもかかわらず、多くの生物がこの地を訪れる。それはこの地にだけ見られる生命力の強い薬草を求めてのことだ。
この薬草は抽出して加工することで魔法のような効果の薬となり、すり潰した汁をかけるだけでも多少の傷は塞がってしまう。魔法を使って効果を高める錬金によって、失った腕まで再生することも可能だ。
そんな薬草ゆえに多くの動物たちも集まってくるのである。そしてアルギル騎士王国の人間は、この動物たちを捕らえて騎獣にしている。特に、ドラグーンと呼ばれる恐竜のようなトカゲ型の騎獣をメインとして編成されているのがアルギル騎士王国の騎士団だ。
圧倒的なパワーの騎獣を乗りこなして大地を駆ける騎士たちは攻撃に優れ、あらゆる作戦行動で突破力を武器に勝利を収めてきた。さらに少数ではあるが、空を飛ぶワイバーンを使った航空部隊まで存在する。統制された動きで作戦を遂行し、優れた騎獣を乗りこなす彼らは全員が国の英雄である。
だから国民たちは影で英雄を支える参謀たちのことなど知らないのだ。『叡智』のリオルぐらい有名にならなければ、名前すら表に出ることはないだろう。
しかしそんなリオルでさえも、今回の命令には苦戦をしていた。
「やはりあの作戦を使うしかないでしょうね……」
リオルは一級参謀室の部下たちと考えた二十六の作戦の内、七つ目に考案したものを思い浮かべる。最終的な処理を考えると面倒なのだが、今ある作戦の中では最も現実的で成功率が高い。そのために必要な道具類もあるのだが、そちらは国の予算でどうとでもなるだろう。
今回の霊峰攻略は謂わば国家プロジェクトなのだ。リオルの提出する作戦が国王の目に適えば、お金などいくらでも降りるのである。
だが何故アルギル騎士王国が霊峰を攻略しようとしているのか? それは彼らが霊峰を竜脈の湧き出る場所だと認知しているからである。竜脈を流れる生命エネルギーによって特産品の薬草を手にれることが出来、さらに騎獣であるドラグーンやワイバーンを入手している。すべては竜脈のおかげなのだが、最近になって竜脈を流れる生命エネルギーが減少しているという報告があったのだ。
それが一年や二年ならば偶然で片付いただろう。生命エネルギーも一定ではないからだ。だが、十年以上に渡って少しずつ、少しずつ生命エネルギーが減少しているのである。今は大丈夫だが、このままでは五年と経たずに薬草への影響も出ると考えられており、国王は早急に対策を命じたのだった。
その一つが霊峰を攻略し、竜脈の制御を奪い取るというもの。東にある大帝国が竜脈を制御する技術を持っているため、それに倣おうと考えたのだ。
「あの作戦ならばブリザードはどうにかなるでしょう。寒さは魔法道具で凌げます。地形に関しては難しいですね。騎士団長たちに相談が必要でしょうか」
アルギル騎士王国の擁する騎士団は全部で五つだ。
まずは花形である第一騎士団はドラグーンを駆る。最も数が多く、地方にも散らばって各地を守護している騎士団だ。全てかき集めれば五万人はいるだろう。それぞれの騎士が出身地を中心として防衛を分担しているため、戦争でも起こらない限りは五千人も集まらないのだが。
そして第二騎士団は犯罪を取り締まる役目を負っている。そのためドラグーンではなく普通の馬を相棒にしているのだが、彼らのお陰で国の治安は守られているのだ。第一騎士団に比べれば憧れこそ少ないものの、彼らを馬鹿にするような者はいない。
第三騎士団は魔法を得意とする者たちで構成されている。別名で魔法師団とも呼ばれているが、ドラグーンに跨っている姿は間違いなく騎士だ。さまざまな魔法による遠距離からの殲滅力が売りであり、この部隊を上手く運用することを常に参謀は求められている。
第四騎士団は僅か百人程度しかいない少数部隊だ。しかし全員がワイバーンを騎獣として使っており、空からの急襲によって一気に戦況をひっくり返す。またワイバーンが吐き出す火の玉は強力な魔法にも匹敵するため、空高くから一方的に攻撃することも可能である。
そして最後に残っているのが第五騎士団であり、またの名を近衛騎士団という。たった十名という最も少ない人数であるが、その戦力は凄まじい。まず一人一人が一騎当千とも呼ばれる者たちであり、さらに使いこなす騎獣はドラゴンだ。ワイバーンやドラグーンとは違う本物の竜。つまり竜脈の力を使うことの出来る存在だということだ。竜脈から得た力によって凄まじい運動能力を発揮する。これが十体いるのである。
「第一騎士団は当然として、第三騎士団も呼び出しましょう。第四騎士団は今回の作戦では使えないので待機してもらいますか。本当は近衛騎士にも最低一名は同行をお願いしたいのですが……難しいかもしれませんね。
まぁ、いいでしょう。一度この提案を会議に持っていけばよいのです。私は考えるだけですが、実際に作戦を実行するのは彼らですからね。意見を聞かないことには始まらないでしょう」
リオルはそう呟いて作戦の立案書を書いていく。三大秘境の一つとも呼ばれる白銀の霊峰は普通の方法で攻略することは難しい。ならば普通ではない方法を使うまで。
相変わらず散らかった彼の部屋にはカリカリと何かを書く音だけが響いているのだった。
◆ ◆ ◆
「―――という方法にて霊峰の山頂へと登る作戦です。この方法は非常に準備に時間が掛かると思われ、私の計算では魔法道具の用意と今回のための特別な整備に一か月以上は必要です。以上で軍事局一級参謀室からの発言は終わります」
「ご苦労。さすがは『叡智』のリオルだ。面白い作戦を考える。まさかあの魔法道具を戦いに利用するとは俺も盲点を突かれた気分だ」
「いえ、既に東の大帝国では似たようなことをしているようです。私はその資料を読んで思いついたに過ぎません」
アルギル騎士王国の王城の一室にて行われているこの会議。霊峰攻略のための幹部会議であり、一定以上の立場の者だけが参加を許されている。現に一級参謀室からの参加はリオル・ジェイフォード一人であり、他の部署もトップの者だけがこの場にいることを許されているのだ。
そしてリオルのプレゼンテーションを労ったのが国王であるペルロイカ・アルギルその人だ。彼自身も近衛騎士に並ぶほどの武勇の持ち主であり、考えることが仕事のリオルは緊張を隠せない。恐る恐るといった様子で席に着いたのだった。
そしてそれを見たペルロイカ国王は続けて口を開く。
「さて、この作戦で必要な戦力は第一と第三の騎士だったか。主要戦力である第一騎士団は当然として、第三騎士団の魔法能力は山での作戦で重要な役目を果たす。足場が悪く騎獣たちの力を望めないとすれば、遠距離から攻撃できる第三騎士団は有用だろう。騎士団長たちよ、どうだ?」
「第一騎士団は問題ないでしょう。地上戦に長けた者が多くいますし、山の斜面でも十分に戦えます。五千名を出しましょう」
「第三騎士団も問題ありません。すぐにでも五百名を用意できますわ」
「ふっ……頼もしい限りだ」
そう答えたのは第一騎士団と第三騎士団の団長たち。ペルロイカは満足そうに頷いた。
治安維持がメインの第二騎士団は攻めるための戦力ではなく、ワイバーンを騎獣とする第四騎士団は山での作戦に向かない。何故なら空気が薄く、ワイバーンの飛行が困難だからだ。霊峰攻略のためには妥当といえる選択だった。
そして騎士団長たちの言葉に安堵したリオルは王と第五騎士団の団長に目を向けつつ口を開く。
「最大の難関である氷竜王については通常の騎士団では無理でしょう。竜脈の力を借り受けることの出来るドラゴンの中でも、竜王の力は圧倒的です。竜脈の湧き出る霊峰ならば尚更です。ならばこそ同じく竜脈の力を借りることの出来るドラゴンを騎獣としている第五騎士団の力が必要です。竜ならば魔法で飛ぶことが出来ますから……。現に先日の調査でも三人が竜王に殺されたと思われますから、万全の体制を整えるべきです」
「ふん。俺は構わんぞ」
「王が言われるなら……攻略を確実にするためにも最大で三名なら出せるであろう」
国王であるペルロイカも相当な実力者だ。余程のことがなければ近衛が動く必要のない程である。しかしだからといって王の守りを失くすわけにはいかない。普段もローテーションで常に警護しているため、戦力として出すなら三人が限度だった。
しかし参謀リオルとしては満足のいく答えである。一人でも出してくれたなら僥倖と思っていたのだ。三名まで同行を許されたというのは作戦成功の可能性を大きく引き上げている。リオルは若干の笑みを浮かべながら礼を言った。
「感謝します。では限度の三名をお願いできますか?」
「よかろう。図らっておく」
「お願いします。お陰で心配が消えました」
ホッと息を吐いて安堵するリオル。一級参謀室に任されていた作戦立案がようやく一段落したのだ。これからもっと忙しくなるが、それでも第一関門を突破したという思いが強い。
リオルは眼鏡を外し、疲れをほぐすように目頭を押さえているのだった。
そしてペルロイカ国王はリオルと入れ替わるようにして立ち上がり、大きな声で宣言する。
「ではアルギル騎士王国第二十八代国王ペルロイカ・アルギルの名において命じる。此度の霊峰攻略作戦を了承し、各騎士団にはそれぞれ命令を下す。
第一騎士団は攻略に参戦する五千の騎士を選別し準備を整えろ。第三騎士団も同様に五百名を選別するように。そして第二騎士団は通常通りの任務をこなせ。第一騎士団が減る分、治安が崩れるかもしれんからな。そして第四騎士団が第二騎士団をフォローしろ。第五騎士団は出陣する三名の選出と俺の警護のスケジュール調整をしておけ。
そして大臣たちは食料やその他物資の準備だ。竜脈を手に入れるのだから他国への牽制も忘れるなよ。特に東の大帝国はちょっかいを掛けてくる可能性が高い。そして国中の錬金術師にポーションを作らせろ。普段より割増しで買い取ると言えばいい。
それと一級参謀室は例の魔道具を手配しろ。金は好きなだけ使っても構わん。
作戦実行は夏となる三か月後。第八の月の十日だ」
ニヤリと嗤ってそう締めくくるペルロイカ。国王としての覇気のある声を聞いて、会議の場にいる全員が一斉に起立する。
竜脈の生命エネルギー減少によるアルギル騎士王国特産の薬草への影響は間違いない。貴重ゆえにこの国以外では殆ど採取できず、薬草が生えなくなれば世界中に影響を与えることとなるのだ。そして何より、アルギル騎士王国の外貨獲得手段が大きく削がれることとなる。
つまり霊峰を攻略し竜脈の制御を氷竜王から奪うことが出来れば、薬草の生産を維持できるだけでなく、圧倒的な生命エネルギーを利用して更なる強国となることが出来ると考えたのだ。
様々な思惑が巡る中、三大秘境である白銀の霊峰を攻略しようと一国が動き始めた。