35話
すみません。
投稿がかなり遅れました。
窓から差し込む光を感じて魔王セイ・アストラルは目を覚ます。背中には高級宿屋の柔らかなベッドの感触があり、目覚めは良好だ。首を傾けて隣のベッドへと目を向けると、ルカが気持ちよさそうに眠っているのが見えた。枕の傍らでは小鳥サイズまで変化した絶死氷鳳凰のアルクがいる。
それを確認したセイは起き上がり、窓を開けて部屋に風を入れた。
夏の朝風は心地よく、フワリとセイの髪を撫でる。
非常に清々しい、気分の良い晴れた朝だった。
「ん……セイさん?」
「起きたかルカ」
風が入ってきたことでルカも目覚めたらしい。眠そうに目を擦りながらベッドの上で起き上がった。ここ九か月はまともにベッドで寝ることも少なかったため、ルカとしても久しぶりによく休めたのである。
ルカは大きな欠伸をしつつ、枕元で眠っているアルクを起こし始めた。
「アルク朝だよー」
「キュゥゥ……」
アルクは進化することで冷気を支配する最強クラスの魔物となった。だが根本的な性格は変わらず、主人であり、友でもあるルカに甘えている。
「キュイキュイ~」
「うん。おはようアルク」
小鳥と戯れるルカという構図は中々に微笑ましいものではあるが、今日も予定が詰まっているのだ。無駄とまでは言わないが、必要以上に時間を取る訳にはいかない。放っておけばいつまでも止まらないルカとアルクに制止を掛けるのはいつもセイの役目だった。
「その辺にしておけよ。今日も出かけるから用意してくれ」
「分かりました」
「キュイ!」
精霊種であるセイは基本的に準備が必要ない。魔力体は汚れないし、服も精霊王としての能力で顕現させているので着替えなくてもよい。霊峰の山頂で転生したとき、制服姿だったのは精霊王の能力で服を出していたからである。
今のセイはアルギル騎士王国でも目立たない一般的な服装を参考にしたものだった。簡単なシャツとズボンを身に付け、上着は単色染めのものを羽織る。寒さ対策でローブを着るのが市民の基本的なスタイルである。
装飾に関して言えば、アルギル騎士王国ではローブに拘っている。下に着るものは男性女性ともにシャツやズボン、スカートと変わらないが、上に着るローブに刺繍などの模様を入れているのである。所謂オシャレはローブの部分を指していることが多かった。
セイは目立ちたくないので黒一色のシンプルでスタンダードなローブを羽織っている。
しかし、実はこのローブは能力で顕現させているのではなく、アビスの擬態でローブの形にしているだけだった。つまり、黒はアビスの色なのである。
氷竜王クリスタルを捕食したことでアビスは竜王鱗の特性を手に入れた。防御の瞬間に竜王鱗の特性を表出させることで、最強の防御力を実現しているのである。
見た目の割に高性能すぎるローブだった。
「セイさん。着替え終わりましたよ」
「そうか。じゃあ下の食堂に行って朝食にしよう」
「はい」
元は第五位階爵アルコグリアス家の次男だったルカも、今は市民に紛れるような服装である。王都ムーラグリフでの騒ぎから九か月経って、もはやルカは死んだ者とされている。セイがアビスで情報を集めた結果、アルコグリアス家ではそう扱われていることが分かった。
それでも貴族の恰好をするわけにはいかないので、今のルカはセイが買った普通の服を着ているのだ。勿論、購入の際にはアビスが擬態しているお金を使っている。
お金を流通のツールとしてアビスを都市中にばら撒く計画は今も実行中なのだ。
この宿を取ったお金もアビス金貨である。
(そろそろ魔王城クリスタルパレスから追加のアビスを呼ばないとな。それにアビス金貨にだけ頼る訳にはいかないし、自前で稼ぐ手段も必要……効率的に追加のアビスを迎え、お金を稼ぐとすればアレしかないだろ)
セイが考えている仕事。
それは魔王城クリスタルパレスの攻略だ。
魔王が自分の迷宮を攻略などと言う意味の分からないことになるが、実はセイの作戦を進める上では非常に効率がいい。それは『自由組合』という組織のお陰だった。
これは自由組合法という国際法に加盟している全ての国に存在している組織であり、国家をまたがる国際大企業に近い。この自由組合は分野を問わずに様々な技術者や能力者が集まり、世界に文化的な貢献をすることを目的とした組織なのである。
この自由組合に所属している者は、組織に利益の幾らかを上納する代わりに組織力を使って個人の利権などを守ってくれるのだ。つまり特許のようなシステムがあるというわけである。
例えば自由組合に所属している料理人が画期的なレシピの料理を開発したとしよう。この料理人が自由組合でレシピを登録することで、もしもレシピが盗まれてしまった場合でも自由組合が対処をしてくれるのだ。
勿論、料理だけでなく、魔道具、科学技術、新魔法、薬学、その他発明品に至るまで何でもありだ。誰でも所属することが出来るからこそ『自由組合』。国家は自由組合が文化の発展に貢献していることを知っているため、かなり低い税率で迎え入れている。
海を越えた西大陸までは進出していないが、アルギル騎士王国のある東大陸では全ての国が自由組合法に加盟しているのだ。
そして自由組合には戦士も所属している。
各国が抱える軍が動かないような小さな事案だが、解決に武力を必要とする場合に利用される。依頼金も良心的なので、各国も自由組合が独自に戦力を保有することを認めているのだ。
ただ、アルギル騎士王国では騎士が完全に治安を守っているため今までは必要とされなかった。しかしセイがドラグーンの洗脳魔道具を破壊し、暴走させることで騎士団の活動に支障が生じ始め、ここ数か月では自由組合の戦士が活躍することが増えてきたのである。
そして数多く寄せられる依頼の中で、特に注目されているのが迷宮の調査だ。
迷宮の地図を作成して組合に提出することで国から莫大な報酬が貰えるのである。勿論、一部の地図でも報酬は貰えるため、自由組合所属の戦士と測量士が一挙に参加していたのだ。
(でも俺の場合は迷宮を完璧に把握しているから、地図なんか作り放題だし)
セイとしては迷宮の地図を作られた所で全く問題ない。アビスたちによる思考リンクを使った超速演算で即座に迷宮の構造を作り替えることが出来るからだ。セイの目的はアルギル騎士王国の軍を魔王城クリスタルパレスにおびき寄せることであるため、軍出動の基準である迷宮地図完成はセイも望むところなのである。
そして軍が入った瞬間に迷宮を改変し、全滅させる方針だった。
(思ったよりもアビス金貨が上手く流通しているし、情報収集も完璧だ。あとは迷宮に軍が派遣されるのを待つだけなんだけど……迷路を複雑にし過ぎたせいで攻略が全然進んでないんだよなぁ)
魔王城クリスタルパレスに辿り着くためには霊峰内部に巡らされている大迷路を攻略しなければならないという前提がある。魔王城クリスタルパレスにも深淵竜を中心とした凶悪なアビスたちが待ち受けているのだが、魔水晶で出来た大迷路を通り抜けなければ話にならないのだ。
さらに大迷路内は発光魔水晶の微かな明かりだけが頼りであり、光を透過する透明魔水晶、光を反射する反鏡魔水晶のせいで道を惑わされる。さらに大迷路は階層ごとにクリアして昇っていくという構造ではなく、昇ったり降りたりを繰り返す立体構造なのだ。一年も経たずにクリアするのは無理だろう。
何せ霊峰自体が五千メートル級の山なのである。
その内部に形成されている大迷路は一階層あたり二メートルであり、単純計算で二千五百階層という想像もできない領域なのだ。尤も、山頂付近は魔王城クリスタルパレスとなったときに崩れているため、実質は二千階層と少し程度だろう。それでもヤル気が失せるレベルだが。
現に、セイとルカが泊まっている宿にも迷宮攻略をしている自由組合員がいたらしく、食堂で朝食を食べていると、他のテーブルにも聞こえるような声で愚痴を漏らしていた。
「誰だよあのアホみたいな迷宮を作った奴」
「魔王だろ。魔王アストラル」
「分かってるさ。だが魔王如きがあんな複雑な迷宮を作れるのかよ? 破壊神が絡んでいるって言われても納得するぜ」
「それは同感だ。頂上にある城で破壊神が待ち受けていたりしてな」
「はは。冗談でも止して欲しいぜ。伝説の異世界勇者でも破壊神には勝てなかったって言われているんだからよ」
「だけどまぁ……異世界人の奴らはホントにすげぇよ。有り得ねぇ能力者ばかりだ」
「スキルだっけ? 俺たちの間じゃ希少能力って呼ばれている技能をポンポン使いやがるからな。笑えねぇよ」
セイは普通に朝食を取っているように振舞いつつ、彼らの言葉に耳を傾ける。
アビスによる情報収集でも得ていたが、この世界では異世界人というのは意外と一般的だ。溢れているということはないが、探せば簡単に見つかる程度には存在している。そして、異世界人というのは例外なく東大陸にある神聖ミレニア教国に現れる。過去に伝説の勇者を召喚した国なのだが、その影響で未だに異世界人が前触れもなく現れるのだという。
そして召喚された異世界人には仕事が無い。
つまりお金を稼ぐことが出来ず、飢え死にしてしまう訳だ。
何か特別な能力があれば神聖ミレニア教国で保護して貰えるのだが、大体は海を渡って出張してきている自由組合の保護員によって確保されている。神聖ミレニア教国で保護して貰えずとも、異世界人が希少な能力を持っていることは珍しくないのだ。様々な人材や知識を求めている自由組合からすれば宝石箱にも思えるのである。
だから自由組合に所属している異世界人は意外と多かった。
実はセイもアビスを通して日本人らしき風貌の自由組合員を見たことがあるのだ。もしかしたら韓国人や中国人かもしれないが、少なくともアルギル騎士王国で見かける風貌ではない。実は東の大帝国は東アジア人風の顔つきなのだが、本人が自分は異世界人だと語っていたので間違いないだろう。
(とすると……俺も異世界人の可能性を疑われるかもしれないな。帝国から流れて来たって設定もアリだけど、流石に帝国の情報は本でしか知らないしボロが出るかもしれない。いっそ初めから異世界人ってことで登録するか。別に珍しくないだろうから、ここは嘘をつかない方がいいだろ)
組合内では異世界人だけの特別なネットワークもあると聞いている。アビスによる情報収集も便利だが、別の情報網を持っていても良いはずだ。現在はアルギル騎士王国でしかアビスを展開させていないので、外国の情報は入ってこないのである。
今は本から簡単な情報を入手しているが、生の情報というのは必ず益になる。
(設定としては……異世界人で剣士ってことにするか。希少能力は魔力感知でいいだろ。ルカは……剣の弟子ってことでいいか。実際に教えているし)
セイはアビスが騎士と戦って得た経験を全て持っている。特に霊峰の戦いで得た経験は既にアビスネットワークによる最適化がされており、セイはそれを完璧に習得していた。
本来は頭の中のイメージと体の動きを擦り合わせていく鍛練が必要なのだが、そもそもセイの肉体は魔力粒子である魔素なのだ。魔力の精霊王であるセイは魔素を自在に扱うことが出来るため、自身の肉体もイメージのまま動かすことが出来る。つまり、剣技のイメージさえ明確ならば、鍛練が無くとも超絶剣技すら自分のものに出来るのだ。
さらに思考リンクによる超速演算で剣技は常に進化し、限界というものが存在しない。
加えて槍、斧、短剣、その他あらゆる分野で同様の結果が起こるのだ。
魔王は戦闘力が低いというのが通例であるが、セイに関しては全く当てはまらない。ナメてかかれば簡単に返り討ちだ。
(ともかく粗方の設定はこれでいいか。自由組合でも根掘り葉掘り素性を聞かれるわけじゃないし、設定を詰め過ぎてもボロが出そうだ)
セイは思考リンクを使って設定に矛盾が無いかを確認しつつも、何事もないかのように宿の朝食を食べ続ける。トーストに卵とトマトの炒め物、玉ねぎのスープと満足できるメニューであり、思考リンクを使った並列思考のお陰で考え事をしながらでも味の評価を言うことが出来る。
「結構美味いな」
「セイさんの料理も良かったですけどね」
「そうか? 流石にプロには敵わないと思うけど」
「いえ、結構上手だと思いましたよ」
セイとルカはそんな会話をしつつ朝食を終えたのだった。アルクは魔物ではなく小鳥のふりをしているため、特別に麦を炒った物を出されている。こういった融通の利く部分が高級宿である所以だった。
因みに最高位まで進化したアルクには食事が不要なのだが、小鳥に偽装するために食べて貰っている。セイが食事をするのも同じ理由だった。
尤も、セイには人間としての感覚が強く残っているため、食事と睡眠は大切にしている。余程のことがない限りは抜かないようにしていた。
そして朝食を終えた二人は立ちあがる。
「さてと、早速登録に行くぞ」
「分かりました」
「キュキュ!」
アルクがバサバサと飛んでルカの肩に着地する。
二人と一匹は宿を出て、自由組合リンデル支部へと向かったのだった。