32話
「さてと、粗末で悪いが朝食だ」
「いえ、恐縮です」
「キュイ!」
セイは小屋の中で待っていたルカとアルクの前に朝食のスープとパンを置く。尤も、氷晶鳥であるアルクにはパンのみであったが。
器は床に置かれ、それを囲むようにして床に座るという行儀の悪い食事だ。しかしそれはセイやルカの文化から鑑みたものでしかない。現に地球の中東地方では、そういった食事の形式をとっている地域も珍しくはないのだ。
「まぁ、適当な料理だが我慢してくれ」
セイはそう言ってスープを口に運ぶ。元が高校生でしかないセイにとって、料理など初めての試みだ。しかし家庭科知識としての料理スキル程度なら習得していたので、簡単な調理ならば可能である。適当な味付けではあったが、食べられるものにはなっていた。あとは貴族であるルカの口に合うかどうかである。
ルカは恐る恐るといった様子で口にした。
「……薄い?」
「キュイキュイ?」
「そうか?」
調味料を大量に使った味付けを日常的に嗜んでいたからか、ルカにとっては薄味だった。また、寒い土地柄だけあって新鮮な野菜類は届きにくく、どうしても濃い味付けになる。肉や魚に関しても、高級な料理は香辛料を大量に用いた料理と相場決まっているのだ。
「やっぱり口に合わないか……」
「す、すみません」
「別に責めては無いって。予想はしてたから」
言いにくそうに謝るルカに対してセイは苦笑しながら気にしてないと手を振る。さすがに貴族だったルカを満足させる料理を作れる自信がなかったからだ。
「キィ?」
アルクはそんな二人のやりとりを見ながらパンを突くのだった。
…………
……
…
「で……そろそろ本題に入ろうか」
「本題ですか?」
一通り朝食を済ませ、食後のお茶を飲んでいたセイは真面目な顔になって口を開く。そんなセイにルカは首を傾げつつ聞き返した……が、すぐに自分の置かれている状況を思い出した。
「そうですね。お願いします」
「ああ。まずは俺のことについて話しておこうか」
「セイさんのことですか?」
「そうだ。先に話しておかないといけないことだからな。本当ならルカを連れ出す前に話しておくべきだったんだろうけど、生憎そんな暇はなかったし」
セイは一旦ここで話を切り、お茶を口に含む。魔力で水を発生させる魔道具と湯沸かし魔道具を使って造った適当なお茶だが、良い茶葉であるためかそれなりの味にはなっている。
そして一息ついたセイは話を続けた。
「単刀直入に言おう。俺の正体は精霊だ」
「精霊……ですか? でも人型の精霊って……」
「ああ、人型の精霊は高位に属するものだけだ。そして俺は魔力を司る最高位の精霊種、つまり――」
「魔王……ですか?」
「その通り」
全く否定する様子もなく落ち着いた様子でお茶を飲んでいるセイに対して、ルカは目を見開いて驚いていた。ルカの知る魔力の精霊王、すなわち魔王は残酷無比にして史上最悪の存在ということだ。迷宮を創り出し、魔物を以て人類と敵対する存在だと学んできた。そしてそれと同時に魔力核や迷宮の希少素材を生み出す存在であるとも認知されている。
それが目の前のセイであるなどすぐに信じられるはずがない。
「で、でも普通に王都の公園で本を読んでましたよね!?」
「そうだな」
「魔王なのに!?」
「ああ、意外とバレないもんだ」
しれっとそんなことを言うセイは平然としてお茶を飲むだけだ。
ルカからすればとても信じられる内容ではなかったが、思い返せばセイは不思議な部分が多かった。様々な専門書を読み漁り、魔宝珠――正確には魔晶珠だが――を生成し、漆黒のドラゴンすらも使役する。考え直してみれば魔王と告白されても納得できるような気がしてくるのである。
「えっと、納得です」
「キュイ―」
「え? 納得するのか。まぁ話が早いからいいけど」
取りあえず納得した様子のルカを見て、セイは改めて説明を始めた。
「俺の名はセイ=アストラル。お前たちが魔王アストラルと呼んでいる存在だ。三大秘境の一つである白銀の霊峰で騎士を五千人ほど殺した魔王アストラルさんとは俺のことだよ」
「え、えーっと……」
「初めに言っておくが、先に攻めてきたのはそちらだ。俺たちは勝手に侵略してきた奴らを撃退したに過ぎない。謝るつもりはないぞ。それに氷竜王クリスタルも殺されたしな」
「すみません」
「そちらも謝る必要はない。それに俺はアルギル騎士王国を滅ぼすために準備をしている。すでに全ての都市は俺の手によって何時でも陥落させられる状態だからな。まぁ、王都ムーラグリフだけは戦力が桁違いだから無理かもしれないけど」
セイはそう言ってローブの懐から一本の短剣を取り出した。それはルカに渡した短剣と同じ形状であり、それを見たルカは小さく「あっ」と声を上げる。セイは短剣を空中に軽く放りつつ、再び口を開いた。
「こいつは俺が使役する魔物アビス――」
短剣に擬態していたアビスは漆黒に色を変え、空中でグニャグニャと不定形に戻りつつ床に着地する。その際に衝撃を吸収するようにして優しく変形し、音もなく綺麗に着地していた。
「コイツは擬態能力を持っていてな。さっきみたいな短剣から昨晩ルカが見たドラゴンまで、色々な姿をとることが出来るんだ。こいつが都市のいたるところに仕込んである。金貨や銀貨の姿でな」
「金貨に銀貨……つまりお金ですか」
「そうだ。お金ってのは良く回るからな。放っておけば都市全体にバランスよく配置されることになる。それにこれを使って大量の本や魔道具も買えるからな。俺にとっては良いことしかない」
全く動かないモノへと擬態させる場合に限り、アビスは色まで再現して擬態することが出来る。セイは初めて潜入した城塞都市リンデルで金貨型アビスを使って買い物をし、情報などを集めつつ効率的にアビスを配置していたのだ。深淵竜モードがある以上、戦闘力としてはこれ以上に無く期待できるため、近衛騎士などの真なる強者さえいなければ陥落は容易いのである。
つまり、セイの意思一つで都市を滅ぼせる爆弾を配置したに等しいのだ。
ちなみに金貨への擬態は、以前に霊峰を攻めて来た騎士たちの遺品から回収したものをアビスに捕食させたことで擬態可能となったのである。
「そして俺は魔力の精霊王だ。全ての魔力は俺の支配下であり、都市を覆っている大結界なんて俺にとっては障害にならない。その気になれば都市中枢部の魔力システムを全掌握して、公共設備関連を崩壊させることも容易い」
「ならどうして実行しないのですか? 簡単に僕たち人間を滅ぼせるみたいな言い方ですけど」
「別に俺は人間を殺したい訳じゃないしな」
「え?」
人を殺したい訳じゃないと語るセイに対してルカは驚いたような声を上げる。物語や歴史では、魔王は人類に敵対する存在として描かれており、悪魔たちと共に人類を滅ぼす存在だと言われてきたからだ。
しかし、セイはルカの内心を察して静かに反論する。
「ルカの言いたいことは分かるぞ。俺も歴史や物語は読んだからな。正直言って読みながら笑いそうになったぞ。中には七つの角と目を持った化け物みたいに描写されてたりしたものもあったしな。魔王も精霊なんだから……いやでもアレはないわー」
「そ、そうですね」
「キュイー?」
「っと、それは置いておこう。まず言っておくが、俺たち精霊種って存在は自然を管理している。この世界に存在している八種の精霊王を頂点として自然の管理システムが築かれているんだよ。それぞれの精霊王は配下として属性精霊を生み出し、各地に放って広域的に管理を行っている。俺の場合は魔力の精霊王だから自然界の魔力を管理していることになるな。ここまではいいか?」
「はい」
九歳児であるルカには難しい内容ではあるが、高度な教育を受けている秀才でもある。ルカはセイの言葉を噛み砕くようにして反芻しつつ、頭の中で理解する。セイもルカがここまで容易く話を理解できたことには驚いたが、それはそれで都合がいいと話を続けた。
「えっとだな。つまり魔王も人類に敵対することが目的ではなく、魔力を管理することが目的なんだ。それが結果的に人類と敵対することに繋がっているに過ぎない」
「どういうことです?」
「魔王が魔力を管理するために創造するのが迷宮というシステムなんだよ。迷宮は魔物を生み出し、それが生物を襲って魔力を奪い取る。だから必然的に魔王は人類と敵対することになってしまうんだ。残念なことにな」
「つまり、魔王が人を殺すのは必要だからであって、それ以上に虐殺することはないのですね?」
「全部の魔王がそうじゃないみたいだけど……基本はそうだな」
かつてアンデッドの魔王が人類を滅亡の淵まで追い詰めたことから分かるように、全ての魔王が理知的に仕事を全うしているわけではない。しかし少なくともセイは虐殺などするつもりはなかった。
「俺の目的はバランスをとることだ。そのためにアルギル騎士王国には……一度滅んでもらう必要があると考えている」
「それは……」
「バランスが壊れるほどの竜殺し、魔物ドラグーンの隷属は目に余る行為だ。ドラグーンに関しては目を瞑るにしても、王国は竜種を殺し過ぎた。これは看過できない」
「どういうことです?」
「竜種は精霊と同じく自然を管理する存在だ。それも竜脈を管理し、調整することを目的としている種族だな。竜脈とは生命が生きるために欠かせない生命エネルギーが流れる重要なモノだってことは知っているか?」
「はい。人には制御できないほどの莫大なエネルギーを有しており。僕たちが魔力を回復できるのは竜脈からエネルギーが供給されているお陰だと言われています」
「その通り。それに大地の活性にも関わっているな。竜脈の生命エネルギーが足りないと、大地は枯れて荒涼とした場所に変化することになる。逆に豊富な生命エネルギーがあればアルギル騎士王国が誇る最上級の薬草のようなものまで生えてくるな」
生命エネルギーは動物だけでなく植物にまで強い影響を与える。また竜脈が暴走することで気候にまで悪影響は及び、最悪の場合、未曾有の大災害すら引き起こされる可能性もあるのだ。地震、暴風、竜巻、大干ばつ、集中豪雨などは竜脈の変化によっても発生する。
竜脈を管理する竜種がいるからこそ安定を保っているが、多くが狩りつくされた今では各地でこのような災害が起こっている事も珍しくない。
近年では災害が増えてきていると家庭教師による授業で習っていたルカは、セイの話を聞いて戯言だとは到底思えなかった。
「俺から見ればアルギル騎士王国は歪んでいる。まぁ、アルギル騎士王国に限らず、最近の人類はどうにも歪んでいるように見える。だからこそ俺はバランスを取り戻すために、まずはアルギル騎士王国を滅ぼしたいってことさ。
っと、アビスも戻ってくれ」
『是』
ルカに見せるために不定形になっていたアビスはセイの右手に戻りつつ、短剣型に擬態する。それによって完璧に短剣にしか見えなくなり、セイはそれをローブの中に仕舞った。
そんなセイを眺めつつ、ルカは恐る恐る口を開く。
「それで……セイさんはどうして僕を助けたんですか? 国を滅ぼしてしまうなら、僕なんて放っておけばいいのに」
「キュイッ!」
「わっ!? アルク!」
「キュキュイ!」
暗に自分など必要とされていないと口にしたルカに対してアルクが抗議するかのようにバサバサと羽ばたいて嘴で突いた。従魔であり、ルカに生み出されたアルクからすればルカは親であり、親友のような存在なのである。そんな発言を見逃すはずがないのだ。
それを見たセイは軽く微笑みつつ嬉しく思う。
(従魔とは言え、ここまで魔物と人が心を通わせているなら……やはりルカを助けて正解だった)
本来、魔物は生物を殺害して魔力を奪い取る存在だ。こうして人と心を通わせることなど、普通ならば有り得ないことだと一蹴してしまう。
しかし魔物の本質を考えれば、これも有り得ないことではないのだが……
「アルクもそれぐらいにしておけ。お前がいる限り、ルカも居なくなったりしないさ」
「キュイ!」
「ごめんねアルク」
「キュイン」
問題ないとばかり首を縦に振るアルクはどこが可愛げがある。本来なら魔物であるアルクはルカの言葉を、ルカはアルクの言葉を理解できないはずだが、四年間も生活を共にしてきたことである程度の意思疎通が可能となっていた。
そしてセイはここまで心を通わせていたからこそルカを選んで助け出したのである。
「さてと、仲直りしたところで理由を話そうか。俺がルカとアルクをわざわざ助けた理由をな」
セイは更に話を続けた。




