31話
月が照らすアルギル騎士王国の北の森。
針葉樹林がどこまでも広がっており、大地には竜脈の影響で効果の高い特殊な薬草が密集している。アルギル騎士王国の者でも北の森までは来ることが滅多にないので、採取されることなく薬草が残っているというわけだ。そしてそんな薬草を求めて多種多様な動物、魔物が集まって来ており、それなりに危険な場所でもある。
だがそこへ上空から降り立ったのは一体のドラゴン。
漆黒の竜鱗に包まれた巨大ドラゴンであり、その圧倒的な気配から逃げるようにして動物たちは一斉に離れていく。いや、動物だけでなく魔物たちでさえ強烈な魔力を感じ取ってその場から離れようとしていた。
ズズン……
そんな地響きを立ててドラゴンは着陸する。
圧倒的強者であるドラゴンには逃げ惑う動物や魔物など気にすることではないのだ。
「ルカ。大丈夫か?」
「あ、大丈夫です。アルクはどう?」
「キュイ~」
「あー。完全に目を廻しているな」
「凄いスピードでしたからね」
漆黒のドラゴンの背中からフワリと飛び降りたのは黒いローブの男、寝間着姿の幼い少年、美しい蒼色の鳥型魔物だった。当然ながらセイ、ルカ、アルクのことである。
王都ムーラグリフから大きく離れたこの森がセイの予定していた逃亡先であり、これから行動を起こすための始まりの場所でもある。
「ルカも取りあえずこっちに来い。休む場所を用意してある」
「休む場所ですか? こんな森に?」
「俺の配下に用意させておいた。まぁ、来てみろ。深淵竜も戻れ」
『是』
深淵竜は命令通り竜の姿を解除して不定形となり、流動しつつセイの元へと戻っていく。そして綺麗にセイの右手へと収まり、短剣型に変形した。セイはそれを懐に仕舞って歩いていく。
この光景にはルカも驚きだったが、それよりも目を廻してしまったアルクを休ませるほうが大切だ。それにドラゴンを操り、王都の大結界すら破壊したセイなら何でもありだと思い始めていたのだ。難しいことを考えない子供らしく、柔軟に受け入れたのである。
「確か……この辺に……あった。あれだ」
「え……? ホントにあったんですね」
少し歩いた二人の目の前に現れたのは小さな木の小屋だった。針葉樹林の中でポツリと開けた場所が出現し、その真ん中に小屋が建っていたのである。
この小屋はセイがアルギル騎士王国の城塞都市で細工をしている間に、アビスたちを働かせて作らせておいたものだ。隠れ家的なものが欲しかったのである。人を招待することになるとは思わなかったため、かなり小さな小屋なのだが、ルカはまだ九歳の子供であるため気にするほど狭くはならないだろう。
因みにこの小屋……釘などを一切使わず、木を削って噛み合わせることで建てられている。チャチな見た目に反して高度な計算の末に建てられているのだ。
「小さい小屋だけど我慢してくれ」
「い、いえ……」
ルカの中では謎の人物セイは更に謎な人物へと変わっていた。
魔宝珠を作ることが出来、ドラゴンを従え、大結界を破壊し、こんな辺境に小屋を持っている……ということを考えれば当然の反応なのかもしれないが。
そんなルカの様子に気付くことなくセイは小屋の戸を開けて中に入る。ちなみにスライド式の戸であるため、これもまたルカからすれば珍しい光景だった。
「玄関で靴は脱ぐから気を付けてな」
「あ、はい」
この小屋は靴を脱いで上がる日本式であり、これもまたルカからすれば見慣れないものだった。だが、靴というものは意外と人に圧迫感やストレスを与えている。くつろぐ場において、靴を脱いでいるというのは悪いことではないのだ。
セイは無限収納のアイテム袋から毛布や、暖房魔道具を取り出して床に並べる。セイだけなれば問題ないのだが、生身の人であるルカには寒さに耐えきれない。暖房魔道具も毛布も必須なのである。セイは魔力の精霊王であるため、その気になれば寒さも問題にならず、睡眠すらも必要としない。それでも人としての記憶が残っているため、この手の道具は一応持っているのだ。セイも普段は人間と同じような感覚にしているからである。
「ルカもこっちに。これを貸すから今日は眠った方がいい。まだ深夜だしな」
「はい。ありがとうございます」
ルカも目を疑うようなことがあり過ぎて忘れていたが、今は完全に深夜だ。暗殺者のせいで意識がハッキリしていたものの、安全となったせいか眠気が増している。しっかりしているルカもまだ九歳であり、睡眠は非常に大切なのだ。
毛布を受け取ったルカは目を廻しているアルクと一緒に床に転がる。セイはそれを見て暖房魔道具に魔力を流し、小屋全体を温めた。魔力が電気の代わりに機能する高性能品であり、日本で言うところのエアコンぐらいには普及している。小型であることを考えれば、地球のエアコンより高性能かもしれない。手が出せない高級品というわけではないのだが、簡単に買える程は安くないといったところである。
「すぅ……」
「キュルルルゥ……」
「眠ったか。俺も休んでおこう」
ルカとアルクが眠ったのを見てセイも眠ることに決める。セイは精霊王の一体であるため睡眠は必要ないのだが、それは肉体的な話だ。精神的な休息を得るという点では睡眠も必要なのである。
セイもすぐに毛布に包まり、意識を闇に落としていったのだった。
◆ ◆ ◆
「ん……ん?」
セイは懐で振動するアビスに気付き起床した。
目覚まし時計替わりに起こしてくれるよう頼んでおいたのだ。セイがアビスに用意させた小屋は窓のないシンプルな建物であるため、日の光が殆ど入ってこない。そのため、外で活動しているアビスが思考リンクを通じてセイの懐に入っている短剣型アビスに朝を知らせ、起床の合図をしたのである。
「ふぅ……朝か。分かりにくいから今度は窓を追加しておいてくれ」
『是』
思考リンクによって加速度的に能力を上昇させていくアビスにとって、大工仕事など容易い。セイもアビスを変化させたまま各地に放っているので、アビスは独自の知識を集めているのだ。この時点で、魔物の中では最も知恵ある存在となっていることだろう。そう思わせてくれるだけの能力だった。
「取りあえず朝食を作ろう。ルカには必要だからな」
『獲物を狩ってきましょうか?』
「いや、アイテム袋に入っている分で構わない。アビスたちは周囲の警戒を頼む。それと各地で情報収集を強化してくれ。昨日の事件でアルギル騎士王国の政府も動きがあるはずだからな。各地に潜んでいるアビスは絶対に正体を気取られるなよ」
『是。魔王城クリスタルパレスは如何なされますか?』
「適度に攻略させろ。最終防衛ラインに辿り着けそうなら、深淵竜で撃退だ。ただし、相手は殺さずに迷宮の恐ろしさを伝えさせろ。それで強い奴らが迷宮に来てくれたら作戦成功だから」
セイはアルギル騎士王国の真なる強者と戦えるほど強くはない。
だがそれでも負けるわけにはいなかないため、勝つための条件を整えようとしていたのだ。自らの領域である迷宮内部ならば有利になるため、強者を迷宮に誘い出すために策を色々と講じているのである。
さらに勝率を引き上げるために情報網を形成して情報を集め、自分自身やアビスたちの強化も図っている。魔王城クリスタルパレスはそのための時間稼ぎも兼ねているのだ。
アルギル騎士王国は魔王セイ=アストラルの存在を知り、居城である魔王城クリスタルパレスにいるのだと考えている。そして魔王討伐のために迷宮の地図を作成し、攻略してみせようとしているのだ。セイはそれを逆に利用したのである。
魔王城クリスタルパレスは魔物アビスを全く出現させず、三種類の魔水晶と複雑な迷路から形成されているため、攻略には時間が掛かる構造となっている。そしてその間に魔王自らが外に出て活動し、アルギル騎士王国を陥落させようとしているのだ。
防衛地を固めることで落されにくくし、防御を気にすることなく激しく攻める。
これが将棋における『穴熊戦術』の極意だ。
「魔王城クリスタルパレスを攻略させろ。魔王は魔王城にいると思わせれば成功だ。相手は気付かない間に追い詰められているってシチュエーションが最高だな」
『是。周囲の魔物をけしかけ、危機感を煽らせます』
「それもいいな。頼んだ」
『是』
この作戦会議もアビスの思考リンクによってリアルタイムに共有される。各地に散っているアビスたちは追加案件としてアルギル騎士王国内にいる魔物を煽り、人を襲わせることにした。魔王が復活したことで魔物が活性化していると思わせ、早く迷宮を攻略しなければならないと思わせるのだ。
そして迷宮に意識を集中させれば集中させるほどセイは動きやすくなる。
「っと……早く朝ご飯を作らないとな」
ここでセイは朝食のことを思い出して外に出る。カラカラと引き戸を開き、差し込んできた朝日に目を細めた。
「火と水は魔道具で出せるから……食料だけは適度に補充しないといけないな」
セイはアイテム袋から幾つか魔道具を取り出し、さらに野菜と肉も幾つか取り出す。火の魔道具は魔力をエネルギーとして燃えるコンロのような形状であり、薪も必要ない。魔力を込めるか魔石をセットすることで起動するのだが、莫大な魔力を持っているセイは気にする必要もないことだった。水を出す魔道具も魔力によって水を発生させる水筒のような形状の道具であり、かなり便利である。
都市部でも水道は下水道しか存在しておらず、上水道の代わりにこの魔法システムが採用されている。旅でも都市でも大活躍の画期的な魔道具なのだ。
「取りあえずは……温かいスープがいいか。小麦でちょっとだけトロミを付けたらお腹も膨れるし」
セイは鍋を取り出して火の魔道具の上に置き、水を満たして野菜を刻みながら入れていく。調味料は意外と種類があり、値段も良心的だったので存分に使用した。空飛ぶ船がある程なので、この世界は流通が発達しているのだ。香辛料も一般市民が手を出せるぐらいには安い。
「んー。ちょっと薄いか? でも塩と胡椒ぐらいならこんなもんか。せめて醤油があればなぁ」
セイも王都ムーラグリフで幾つか謎の調味料を発見している。赤いドロドロとした液体はチリソースにも似ており、白いチーズソースもあった。紫のサラサラとした液体はさすがにセイもチャレンジする気が起きなかったが、基本となる塩、砂糖、胡椒ぐらいは普通に買っている。そのお陰で簡単な料理ならば作れるのだが、やはり万能調味料として名高い醤油は発見できなかった。
アルギル騎士王国は北部に位置しているため、植物自体が割高なのだ。ほとんどを輸入に頼っているらしいと本に書いてあったのをセイは覚えている。南部にあるエルフの国、シルフィン共和国ならば期待できるかもしれないとセイは考えているのだが、今はそれを考えても仕方ない。あるもので満足しなければならないのだ。
「んぅ……セイさんー?」
「キュウゥ……」
そこへカラカラと戸を開けてルカとアルクが小屋から出てくる。どうやら外で作っている料理の匂いが漂ってきたらしい。
それに貴族は意外と規則正しい生活をしている。当主ともなれば朝から夜まで公務をしなければならないので、しっかりとした体調管理と仕事時間が必要になってくるのだ。贅沢で優美な生活をしている代わりに民のための働きをしているのである。
ちなみにルカの実家であるアルコグリアス家は不正を働いたり怠けている貴族家を取り締まる役目を負っている。ルカにした所業は許されることではないが、当主ロメリオも仕事の出来る人間であるという点では王国にとって必要な人材である。
それはともかく、ルカも貴族としてだらけた生活は許されない。幼い時からの慣れによって体内時計がセットされ、一定の時間になると自然に目が覚めるようになっていた。
「ルカ。起きたのなら朝食にするぞ」
「……セイさんが作ったのですか?」
「ああ。まぁ口に合うかは知らないけどな」
「いえ! ありがとうございます」
「キュイッ!」
「ルカはともかくアルクも食うのか?」
「キュイ!? キイィィッ!」
「お、おう。そうか」
「セイさんはアルクの言っていることが分かるのですか?」
「分かるぞー」
ルカはセイの言葉を聞いて黙り込む。
従魔はあくまでも魔物であり、アルクの言葉はルカには理解できない。長年を共に過ごしているため、ニュアンスはある程度理解できるものの、完全な言葉の理解までは出来ないのだ。
セイは一体何者なのかとルカは何度目か分からない驚きの表情を浮かべる。
「まぁ、俺のことやこれからのことは朝食を食べながら話そう。小屋の中に入って待っておいて」
「はい……分かりました」
「キュゥゥ?」
「アルクも戻ろう?」
「キュイ!」
ルカがアルクを肩に乗せて小屋に戻っていくのを眺めながらセイは再び視線を鍋に戻す。朝食はこのスープに加えてアイテム袋からパンを出す予定だ。貴族としての生活をしていたルカには粗末に見えるかもしれないメニューだが、ルカの性格からすれば文句は言わないだろう。
(さてと。九歳児にも分かるように説明するのが大変そうだな……)
セイの吐いた溜息は冷えた朝の空気中で白くなる。
アイテム袋から器を取り出し、湯気の立つスープを両手に持ってセイは小屋へと戻っていった。