24話
王都ムーラグリフで国の重鎮たちが連日の会議を開催していた頃、魔力の精霊王セイ=アストラルも同様に王都へと潜入していた。魔王がそんな場所に居ていいのか!? とも思える所業だが、王都を守る大結界を気づかれることなく一部解除できるセイにとっては気にすることではない。強大な無属性結界に穴を空けて簡単に侵入してしまったのである。
結局は魔王が首都に侵入していることに気付かないアルギル騎士王国が悪いのだ。
尤も、木を隠すには森という言葉もある。例え漆黒ローブのフードを外して顔を晒していたとしても、どこにでもあるような公園のベンチで本を読んでいる人物を魔王と疑う方が不可能に近い。
「ふぅ。結構疲れたな……」
セイは読んでいた本を閉じて目を休憩させる。いや、精霊王であるセイの体は魔力で構成されているため、目というよりは精神を休ませると言った方が正しいだろう。肉体が疲れないという利点を利用して活動し続けることは可能だが、精神的な疲れまで無効化できるわけではないのである。身体は大丈夫でも、精神面でいつか限界が訪れるのだ。
それに本を読むという行為は精神に影響を与える。
多かれ少なかれ、本の内容は人に影響を及ぼす。それは物語、哲学書、歴史書、専門書……などのジャンルを超えて起こるものだ。特に気分の悪くなる内容であるほど精神的に疲れることは間違いない。
そしてセイが読んでいた本に書かれていたことは非常に腹の立つものだったのだ。
「やっぱりこの国は滅ぼすか」
だから思わずこのような声を漏らしてしまったのは仕方のないことである。そしてセイはすぐに周囲を見渡して誰も聞いていないか確認したのだった。
周囲には相変わらず公園で遊んでいる子供や、それに同伴している保護者の微笑ましい風景が続いていただけであり、セイは自分の声に気付いた者がいないことを確かめて安堵する。
しかしそんな言葉を吐いてしまったのは当然である。セイは手に持っていた『アルギル歴史録』を道具袋へと収納しつつ内容を思い返していた。
(竜と騎士と医学の国……ねぇ)
アルギル騎士王国は竜と騎士によって軍事力を保ち、長く栄えている国だ。そして霊峰から流れる豊富な竜脈によって効果の高い薬草が自生し、そこから派生して医学も発達している。薬学の発達によって麻酔薬が発見され、外科手術が可能となったのだ。また、寒い気候から雑菌が繁殖しにくく、さらに清潔さを優先した都市設計のお陰で国全体で国民の寿命が長い。
さらに外敵は竜を従えた騎士が倒してくれる。
建国されて八百年にもなり、二十八代も王家が続いている王国は伊達ではないのだ。
だが、この国も始めは薬草だけが取り柄の国だったのである。薬草によって薬学が発達した国として栄えていたのだが、当然ながら薬草を求めて周囲の国から狙われることになる。そこで結成されたのが国防の兵士だったのだ。当時は騎獣がいなかったために騎士とは呼ばれなかったのである。
それが騎士となったのは六百年前であり、王国の近隣に出現した魔王が魔物ドラグーンを生み出してからだ。
だが当時、強靭な肉体を持つドラグーンは国全体に大きな被害を齎した。国防を担っていた兵士が奮闘するも、甚大な被害を受けたのである。ドラグーンは成長が望めない代わりに初期から強いというタイプの魔物であり、それが群れを成して襲ってきてはどうしようもない。現代の武器ならばともかく、六百年前の武装ではドラグーンの竜鱗に傷を付けるのは難しかった。為す術もない国防軍は負け続け、徐々に活動領域も狭くなっていく。
しかしここで英雄が現れる。
後に英雄と呼ばれた男は非常に心優しい兵士であり、目立った戦績はなかった。
しかしその英雄はドラグーン同士の仲間割れで傷ついていたドラグーンを発見して可哀想に思い、偶然持っていた薬草で治療してやったのだ。そしてドラグーンは男に心を開き、人馬一体ならぬ人竜一体とも言うべき武勇を発揮して戦いの先端を切り開いていったのである。
そして男は倒したドラグーンを殺そうとはせず、自分の相棒となったドラグーンと同様に命を助けるという選択をした。そうしてドラグーンと友誼を結んだ英雄は、仲間と共に騎士を名乗ってドラグーンを生み出した魔王を討伐したのだった。
ドラグーンは魔王から解放されて友となる。
それがアルギル騎士王国の始まりであり、その英雄は後に初代騎士団長となった。
というのが国の興りの内容である。
(ったく……そんな馬鹿な話がある訳ないだろ)
セイは鼻で笑いつつベンチに転がる。
ふわりと優しい風がセイの頬を撫でたが、この国にそんな優しさなどない。セイはこの歴史録という名の物語を読んでそう思わざるを得なかった。
(魔物が人類如きに従うはずがないんだよ)
魔物とは魔力の精霊王が迷宮を通じて創り出す存在である。存在理由は魔力を吸収することだ。空気中の魔力だけでなく、生物を殺害して宿っている生命エネルギーを魔力に変換して吸収することを目的としている。吸収した魔力は生命エネルギーと意思に分解され、生命エネルギーは魔物の強化に、そして意思は魔石の強化に使用される。生命エネルギーによって魔物の肉体が大きく強化され、意思によって魔物の知恵が大きく発達するのだ。
それはともかく、魔王の完全なる僕である魔物が人類に心を許すなど有り得ない。絶対の生みの親である魔王に逆らうなど有り得ないのだ。つまりこの歴史書は全くの嘘ということになる。
(虚属性魔法による洗脳……ってのが事実なんだろうな。魔物にも一定の意思が宿っている以上、精神に干渉する虚属性魔法が通じるはずだ)
魔物は魔王に従順だが、一匹一匹が意思を持って行動している。例外としてセイの魔物アビスは思考リンクで繋がっているために、全体で一つの意思を成していると言っても過言ではない。そのため、一匹が影響を受けても全体の内の一部しか虚属性魔法を受けていないことになるため、簡単に抵抗できるのだ。
だが普通の魔物はそうもいかない。虚属性魔法を受けたならば、それに抵抗するためにその個体が頑張るしかないのだ。抵抗に失敗して洗脳されれば、魔王から離れて制御を奪われることになる。
つまり『アルギル歴史録』に登場する英雄とは……洗脳の虚属性魔法によってドラグーンを魔王より奪い取り、魔力を生命エネルギーに変換するシステムを崩壊させた一人であるということだ。
(ということは同じ要領でワイバーンも奪ったということか。こちらの数が少ないのは、単純に空を飛ぶから捕獲が難しいってことだろう。本物の竜種まで洗脳していたのは驚きだけど)
アルギル騎士王国が竜と騎士と医学の国と呼ばれるようになった理由の内、一つは『竜』という言葉が入っているのは本物の竜種である低位竜を従えているからだ。第五騎士団と呼ばれる十人の騎士たちが使う騎獣が低位竜であり、セイもその内の三匹を実際に見たばかりだ。
だが理由はこれだけではない。
もう一つの理由は、この国が竜の素材を多く所持しているという点である。
アルギル騎士王国は最強の兵器の一種である竜殺剣を五本も所持しており、その兵器を使用することで大量の竜種を狩っている。その中には低位竜だけでなく高位竜、真竜、果てには竜王までいたほどだ。その素材を用いてさらに装備を整え、より多くの竜を殺害してきた歴史があるのである。
この事実が『アルギル歴史録』には覇道の歴史として描かれている。
セイが気分を悪くした理由だった。
竜を大量虐殺し、自然のシステムを捻じ曲げて魔物を洗脳する異端の国。それが魔力の精霊王としてセイ=アストラルが見たアルギル騎士王国の感想だった。
「キュイィィィン」
「わーっ! 待って待ってー!」
「ピィピュインッ!」
「そっちはダメだよアルク!」
突然そんな声が聞こえてきてセイは思考を中断し、声の聞こえた方へと向く。すると蒼と白の美しい羽毛が目立つ鳥がセイに飛び込んできた。
ベンチで横たわっていたセイは避けきれずにそのまま鳥を受け止める。
「うぐっ」
「わあぁぁぁ! ごめんなさい!」
腹部へと強烈な体当たりを仕掛けてきた鳥だったが、精霊王であるセイはそれほどダメージを受けていなかった。呻いてしまったのは人間だった頃の条件反射のようなものである。
そしてその鳥を追いかけてきたのは十歳にも満たないような風貌の少年である。癖のある白い髪が特徴的であり、豪華な服装から裕福な家の子供なのだと予想できた。周りに護衛や親のような人物はいないことから、一人と一匹で公園に遊びに来ていたと分かる。だが、そんなことをしても誘拐されないぐらいに王都ムーラグリフの治安が良いという事実も窺えた。
セイは体当たりをしたままお腹の上に乗っている蒼白の鳥を左手で抑えつつ起き上がり、ベンチに座って少年と向き合う。すると少年は慌てたように頭を下げて謝りだした。
「ごめんなさい! ごめんなさい! アルクにも悪気はないんです。だから赦してください」
「アルク? この鳥のことか?」
「はい。従魔なんです。でも僕の大切な友達なんです。赦してください!」
「従魔……か」
白髪の少年がこれほど必死に謝っているのには理由がある。
だがその説明をするためには、まず従魔について知る必要があるだろう。
従魔とは、その名の通り魔物のペットだ。だがドラグーンなどの騎獣と違って、これらの従魔は既存の魔物とは限らないのである。
どういうことかというと、従魔は魔物を捕えて洗脳するのではなく、迷宮から奪い取った魔力核を制御することで自分専用の魔物を生み出す技術なのだ。生み出される魔物は本人の精神の在りようによって変化すると言われており、魔王と違って能力や姿をコントロールすることは出来ない。そのため、既存の魔物だけでなく全く新種が生み出されることもあるのだ。
元はドラグーンやワイバーンを効率的に生み出す研究だったのだが、生み出せる魔物をコントロール出来ないので従魔を生み出す技術となった。また他の理由としては、魔力核から人工的に生み出せる魔物は一人につき一生で一体という制限が存在し、さらに魔物創造には莫大なコストがかかることが判明したからだ。もちろん、制限解除と効率化も研究されたが、無理だということが証明されている。
結局、貴族や一定以上のお金持ちだけが従魔を手に入れることが出来るため、今では従魔が一種のステータスとなっているのだ。高級な犬や猫を飼うのと同じ心理である。
だが従魔が主人に従っていると言っても所詮は魔物だ。人を殺害するだけの能力を有しているのは当然のことであり、それを防ぐための法も存在している。
『従魔が人を害した場合、被害を受けた人物が従魔を自由に処断できる。ただし、飼い主が被害者の納得できる補償をするならば、双方の合意の下で解決しても良い』
というものだ。
つまり、セイはアルクと呼ばれた少年の従魔に体当たりをされたので、従魔に攻撃を受けた被害者となったのである。そして法の観点からすれば、セイは少年の従魔アルクを好きに処断できるのだ。
「お願いします。必要ならお金を支払うので赦してください!」
セイが左手で従魔アルクを捕まえたまま思案していたことで不安になったのだろう。少年はさらに必死さを滲ませて頭を下げる。彼にとってアルクは本当に大切らしく、声も震えて、目には涙すら浮かんでいた。
特にダメージを受けたわけではなかったので、セイは普通に従魔アルクを返すことにする。
「別に構わないよ。薬が必要なほど傷を受けたわけじゃない」
セイがそう言って従魔アルクを軽く放ると、アルクはバサバサと飛んで少年の方に停まった。こうして並ぶと、少年の白髪と従魔アルクの蒼と白の羽毛が兄弟であるかのように思わせる。とても絵になる一人と一匹だとセイも思った。
そして大切な従魔であり友人でもあるアルクを返してくれたことに驚いた少年は一瞬だけ目を見開くが、すぐに頭を下げてお礼を言った。
「ありがとうございます! ってアルクごめん!」
急に頭を下げたことで肩に停まっていたアルクが投げ出され、怒ったかのようにバサバサと羽ばたいて抗議の意思を表明する。少年も慌てたように今度はアルクへと謝罪するのだった。
そんな微笑ましい光景を眺めつつ、セイは再び思案する。
(生物を殺し、生命エネルギーを回収するはずの魔物が人と仲良くか……魔物をペットにするなんて、余程ナメられてないと有り得ないことだ。まぁ、地球でも肉食のワニとかを飼っている人もいたし、そんな感覚なのか?)
悪くはない光景だが、それと同時に摂理を捻じ曲げられた結果でもある。
そしてセイにとって魔物は家族や仲間のような存在であり、こうしてペットのように人類に扱われているのは気分の良いものではなかった。それに魔力核すらそのように利用されているというのも気に入らない。
セイは別に人類を心底嫌っているわけではないが、逆に魔族……つまり歴代魔王が生み出してきた魔物たちは仲間だと認識している。自身が魔物アビスを生み出したことで変化してしまった感覚なのだろう。
尤も、アビスは『個にして全』とも言うべき性質であるため、使い捨てのように生み出して戦わせても特に心は痛まない。イメージとしては、コンピューターのソフトがアビスの思考リンクで繋がれた『一つの意思』であり、ダークマター体の肉体は乗り換え可能なハードのようなものなのだ。『一つの意思』こそがアビスの意思の本質であり、体は幾らでも創れるのである。そのためアビスに関しては少し特別なのだ。
だがそんな例外はともかくとして、基本的にセイは唯一の味方であり、仲間でもある魔族を隷属させるということを許すつもりはないのである。
(でもまぁ……こいつは魔物をペットじゃなくて友達って言ってたし、少しは気を許して良いかもしれないな)
セイは少年とアルクが戯れているのを眺めつつ、そんなことを思うのだった。