22話
日が沈み、夜空に星が輝き始めた時刻。
多くの人々は仕事を終えて自宅へと帰るが、中には今からが本番とばかりにやる気を出す娼婦たちも少なくはない。もちろん、そういった職種の人物だけではなく、夜の酒場のマスターたちも稼ぎ時だ。
薬草の成分抽出を主要産業としている城塞都市リンデルの住民の夜はこれからである。
都市の外とは一変して眩しいほどの街明かりが灯されており、活気のある都市なのだと誰もが疑わない様相を見せる。しかし魔物が徘徊するこの世界においてこれほど平和でいられるのは、偏に都市全体を守っている大結界のお陰だった。
魔王が創造した迷宮より手に入れた魔力核は無属性魔力を生み出し、それを制御することで無属性結界を展開できるのである。物理、魔法的に強度の高い無属性結界の有用性は既に証明されており、今では世界中の殆どの都市で使用されている。
本来は迷宮を維持するための無属性魔力を生み出している魔力核も、こうして奪われてしまっては厄介なものとなる。
しかし、新たに魔王として認定されたセイ=アストラルには関係の無いことだった。
「俺の制御能力にかかれば……こんな結界を気づかれずに破るなんて余裕なんだよ」
セイが創造した魔物アビスに与えた特殊能力は思考リンク。本来は死に戻りを繰り返させるうちに、アビスに知識と技術を身に付けさせようと考えて付与したのだが、この思考リンクはセイ自身と魔力核にまで及んでいることが判明した。
そのためにセイの演算能力はコンピューターにも匹敵しうるものとなり、素人のセイですら他を寄せ付けない魔力制御の能力を手に入れることが出来たのである。
これほどの魔力制御能力があれば、都市の結界を気づかれることなく破ることは容易い。《障壁》を足場として空中を歩き、セイは城塞都市リンデルを球状に守っている結界の一部を解除して上から侵入することに成功していたのだった。
(ま、さすがに昼だったら気づかれただろうけど)
主要産業を司っている都市だけあって、防衛戦力もかなりのものだ。不審な存在が侵入しないように常に見張られているのは当然である。こうして闇夜に紛れて侵入しなければ即座に捕捉されてしまうことだろう。
夜に紛れる漆黒のローブを纏ったセイは、そういった警備の穴を突きながら都市内部の情報を集め、出来るだけ警備の薄い場所を狙って上空から侵入したのである。
そしてセイが侵入を成功させ、とある建物の屋根に身を隠したところで、セイへと情報を送っていた存在が近づいていた。
バサバサと羽音を立てて降り立ったのは三羽のカラスだった。
(かなり成長したな。都市内部にも魔力が溜まっていたのか?)
『是』
(まぁいいか。強くなる分には構わないし。しばらくは広範囲に飛んで情報収集を優先してくれ。一応は珍しい色の鳥だから目立たないようにな)
『是』
短くそう念話して三羽のカラスは再び飛び立ったのだった。
もちろん今のカラスはアビスの擬態した姿である。セイが霊峰を降りた後で発見した鳥を捕食させ、羽毛の質感などをコピーさせたのだ。その際に姿も取り込んで、鳥と同じ姿に擬態できるようになった。
唯一の欠点は色が変化できないことだろう。
生物に擬態した際、どうしても見た目はダークマターの黒から変わらないのだ。これに関しては仕方がないので諦めているのだが、今のところは問題はなく、人類にバレることなく偽装できているので大丈夫だろう。
(まぁ、さすがに鳥の出入りまでは制限しないだろうからな。見かけない色の鳥だから不審がられたみたいだけど)
鳥に擬態したアビスが侵入した方法は極めてシンプルである。
城塞都市リンデルの結界も常に張られているわけではなく、都市の出入り口に関しては部分的に解除できるように細工されているのだ。そうしなければせっかく抽出した薬草も輸送できないのだから、当然のことだろう。
そして誰かがリンデルを出入りするべく結界を一部解除したところで、鳥擬態のアビスをスッと侵入させたのだ。こうして結界を解除したところに鳥や虫が入ってくるのは珍しいことではなく、見ていた人も『見かけない鳥だな』程度で興味を失ったのだ。
(さてと……目的のものは見つかるかな?)
セイがこうして城塞都市リンデルへと侵入したのはある物を見つけるためだ。そしてそれと同時に仕込みをするためでもある。さすがに魔王一人とアビス三体だけで都市を落とせるほどは甘くないと考えているので、いきなり暴れたりはしないのである。
戦力差は霊峰での戦いで実感したばかりだ。
普通の騎士たちならばともかく、団長クラスともなると格が違う。どう足掻いても今のセイには勝つビジョンが見えていなかった。
だがそれは正面戦闘をした場合の話。
実力差をひっくり返して勝つために、この仕込みをしているのである。
セイは漆黒のローブで顔を隠しながら夜のリンデルを歩き回る。
(確かこの辺りに本屋があったはずなんだけど……)
セイが探しているのは書物を取り扱う店だった。鳥型アビスを経由して得た情報によると、近くに本屋があるということが分かっている。セイが探している書物類を見つけるために本屋へと向かっていたのだ。
何をするにしても情報は大切である。
アビスを使って情報を集めてはいるが、やはり書物から得られる情報は格が違う。噂話よりも正確な情報が幾らでもあった。
「あった……」
あらかじめ下調べをしていたことで本屋はすぐに見つかった。
やはり自分で見ていない分、少し時間はかかった。だが見たこともない場所で目的の場所を見つけられるという点を考慮すれば、アビスとの思考リンクは凄まじい効果であることが理解できる。
高度な情報化社会を生きていたセイからすれば、まだまだ改良の余地はある。
だがこれもアビスが増加することで情報網が拡大していき、前世のインターネットにも近しい効果へと進化していくと確信している。特殊能力を『思考リンク』にして正解だったとセイは満足していた。
セイは改めてローブのフードを深く被り直し、本屋へと足を踏み入れる。
「いらっしゃーい」
少し気だるそうな声が聞こえて目を向けると、重たそうに分厚い本を五冊ほど抱えている女性店主がいた。もうすぐ閉店という時間に現れた客に面倒臭そうな目……というよりも疑わしい目を向けているが、客を相手にそれでいいのかとセイは考える。
だがセイには関係の無いことだ。
店主の視線を無視してセイは本を探す。
「製本技術が意外と発達している。活字印刷技術もあるのか? 凄いな」
一冊だけ手を取ったセイは、日本でも見たような綺麗な本を見て驚く。セイは気付いていなかったが、この世界では紙を作る技術もかなり発達しており、真っ白で艶のある紙が惜しみなく使用されていた。
セイからしてみればファンタジー世界だが、科学の面でも十分な文明を築いているのである。
「必要なのは世界地図、あと歴史、それに魔術関連も欲しいな。あとはこの国や大陸の情勢についても本があるといいけど」
技術が発達していることで豊かな生活を送れているのか、本もかなり種類が多い。さすがに日本の書店には及ばないが、それでもかなり多い方だと理解できた。ジャンルによって仕分けされており、小説類も揃っている。
セイは表示にあるジャンルを見て欲しい本を手に取り、望みの本を探していく。
地図に関してはこの国周辺のものしかなかったが、それは仕方のないことだろう。衛星で宇宙から世界を見ることの出来た地球と異なり、地図を作るにはかなりの労力と時間が掛かるのだ。川、森林、池、湖、村、街、都市、街道などが簡単に描かれただけのものだったが、セイは諦めて買うことにした。
そして歴史に関する本は氷竜王クリスタルからの話を補足するため、そして人類から見た世界の流れを知るために望んだものだ。アルギル騎士王国の歴史本だけでなく、世界史についての本も手に取る。
魔術に関する本は数学や語学に関する教本の棚に置かれていた。ちらりと数学の本を見てみたが、どうやら微分積分の手法は既に発見されているらしい。だがそれよりもセイの動きを止めたのは語学の本だった。
(……そう言えば俺は何で言語を理解できているんだ? あまり気にしてなかったけど、この世界には幾つか言語があるみたいだしな)
気になったセイは適当な語学の本を取って開いてみる。題には『始めよう! エルフ言語』と書いてあったので、エルフたちが使う言葉なのだと分かった。
(なぜだか理解できる。さっきの地図とか歴史本も何気なく見てたけど、日本語とは違う言語だ。エルフの言語も理解できるということは、俺は聞く、話す、読み、書きをすべての言語で出来るということか? いや、全言語かは分からないか……)
しかし新しく言語を学び直す必要が無いのは便利だ。
セイは気にしないことにして言語の本を棚に戻し、魔術の本を手に取る。セイ自身は無属性魔法しか使用できないのだが、人類の使ってくる魔術を知っておくのは悪いことではない。自分に向けられる魔術は無効化できるとはいえ、人類は魔王を何度も倒してきている。対抗策となる魔術を制作していてもおかしくはないのだ。
例えば岩を生成して飛ばす魔術はセイにも消すことが出来る。しかし山を崩して土砂崩れを起こす魔法は消すことが出来ないのだ。初めから物質として存在しているものに関しては《障壁》で防ぐしかないのだ。
「あとは国の情勢に関する本が欲しいな……ん? これは?」
セイが見つけたのは武具や金属に関する書物だった。どうやら物好きな人が趣味で買うような本らしく、そういったジャンルに仕分けされている。だがダークマター体の魔物アビスを操るセイとしては非常に興味の惹かれる内容だと思えた。
無意識のうちに手を伸ばし、パラパラと捲ってから買う本の一冊に加える。
そしてついでとばかりに金属系の専門書も買うことにしたのだった。
(ま、お金は使えば使うほど俺の仕込みが上手くいくしな)
本を買うにしてもお金がかかるのだが、セイは余り気にした様子もなく本を追加する。今日初めて城塞都市リンデルへと入ったハズなのだが、セイはしっかりとお金を持っていたのだ。
世界の情勢に関する本も追加し、大量の本を抱えて店主が座っているカウンターに近づいていく。漆黒のローブで身を隠しているという怪しい恰好ゆえに、もしや泥棒の類なのではないかと疑っていた女性店主は少し驚く。
(人は見かけに依らないものねぇ。ちょっと失礼だったわ)
第二騎士団が治安を守っているとはいえ、夜の街は犯罪者が増える。とくに閉店間際の人が少ない時間帯にやって来る怪しい客には注意が必要なのは常の事だった。そのため、女性店主がセイの姿を見て泥棒ではないかと疑っても仕方がない。
印刷技術があるとはいえ、本は少し高価な学芸品・嗜好品の一種なのだから。
「これを頼む」
「はいはーい。『アルギル騎士王国図』『アルギル歴史録』『世界の変遷』『新版魔術大辞典』『世界を変えた英雄の武器』『大解説:金属の世界』『なぜ大帝国は大陸最大の国家となったか』『シルフィン共和国精霊録』『魔物目録』『エスタ王国と大迷宮』『アウレニカ王国の興亡~三公国の今は』『勇者の始まりの国~神聖国~』の十二点ですね。えーと……全部で金貨四十五枚と銀貨六十六枚になりますけど、たくさん買ってくれたから銀貨六十六枚はサービスしてあげますねー」
「ありがとう。金貨四十五枚だ」
セイはローブの中に手を入れて大量の金貨を次々と出していく。複雑に彫刻された金貨は、確かにアルギル騎士王国で使用されている正式な金貨であり、女性店主は客を疑ったことで罪悪感を感じ始めていた。
お金を大量に持っていることから、お忍びで外出している貴族なのだろうと考えたのだ。
全くの見当違いではあるのだが、変に不審者と間違われるのと比べればセイにとっても都合がいい。
女性店主は金貨が四十五枚あることを確認してセイに本を渡す。
「お買い求めいただきありがとうございました。袋はサービスですよー」
「……サービスが多いな」
「い、いえ。それほどでも……」
まさか泥棒だと疑っていたから罪滅ぼしに……などと言えるはずもなく、女性店主はテキパキと十二冊の書物を袋に収めてセイに手渡す。
不審に思いつつも、得をしたと考えたセイは遠慮なく袋ごと受け取ったのだった。
もちろん、地球のビニール袋のような袋ではなく、しっかりとした布製の袋だ。普通ならばサービスで渡すようなものではない。だが大量の本を買ったのは確かだし、セイも結局は納得して店を出る。
「買いすぎたか。重いな」
大きな袋を抱えている漆黒のローブ姿の人物というのはかなり怪しいと自覚しているため、どうにかできないかと思案する。
(そう言えば収納に便利な魔道具があるとか聞いたな)
魔王城クリスタルパレスの魔水晶迷路を探索している地図職人たちから得た情報を思い出し、次に買う物を決めるセイ。それなりに高価な品ではあるのだが、この都市で大量のお金を消費することが目的であるセイにとっては都合のいいことだ。
噂の魔王アストラル。
そんな存在がまさか街に紛れ込んでいるとは思わない夜のリンデル。
魔王の暗躍は夜の闇に溶けて誰も気づかない。