21話
空気すらも凍り付く魔境と化した白銀の霊峰……いや、魔王城クリスタルパレス。淡い瑠璃色の光を放つ魔水晶で出来た非常に美しい宮殿が山頂で存在感を放っているのだが、麓から中腹にかけて吹き荒れるブリザードとマイナス百度をも下回る気温のお陰でまともに登頂することは難しい……というよりも不可能である。
だがそのブリザードと冷気を逃れて迷宮に辿り着く唯一の方法が、霊峰の内部で複雑に通路を形成している魔水晶迷路を攻略することだった。
そして星がアルギル騎士王国の軍を退けて三か月が経った頃、何人かの勇敢な者たちがこの霊峰を攻略するべく迷路へと足を踏み入れていた。
「くそ……厄介な水晶だぜ」
「そういうな。そのために地図を作っているんだから」
「王家が地図を買い取ってくれるってことだからな。稼ぎ時だぜ」
「だけどよぉ。軍が魔王如きに敗走なんてカッコ悪いことしなきゃ俺たちがこんなことをしなくても良かったんだぜ? 確かに報酬は最高だけど、仕事の内容は最悪だ。迷路内はマシだけど寒すぎる」
「おい、騎士様を悪く言うな」
「ちっ……わかったよ」
魔水晶迷路を進んでいるのは三人の男たち。
彼らはいわゆる地図職人だった。普段はこういった迷宮の迷路ではなく、普通に王国周辺などの地形や地質を調査する仕事をしている。測量技術にかけては王国一の実力を持った者たちなのだ。
だからこそ迷路の正確な地図を作成するべく派遣されたのである。
だがこの三人を除けば、彼らは護衛の一人も連れていない。明らかに迷宮という場所を舐めていると言えるだろう。
そうして進んでいた時、先頭を歩いていた男が通路を曲がった先で明かりを持った人の姿を認め、思わず驚いて叫んだ。
「っ! 誰だ! ……って水晶に映った俺か」
「またかよ。いい加減慣れろって」
「うるせぇ」
彼らはこの大迷路の厄介さに思わず溜息を吐く。
この迷路を形成している魔水晶は三種類存在しているからだ。まず一つは淡い瑠璃色の魔力光を放っている普通の魔水晶だ。この発光魔水晶は明かりにもなるので問題は無い。だが二つ目に、非常に透明度の高い魔水晶がある。こちらもよく観察すれば薄く魔力光を放っているため壁だと判別できるのだが、それでも迷路内では透明魔水晶の光は他の魔水晶や、自分たちの明かりに掻き消されて判別しにくい。そしてぶつかって初めて、通路だと思えば実は壁だったと気付くわけだ。そして三つめが光を反射する魔水晶だ。この魔水晶が最も厄介だと言えるだろう。通路を曲がった先に誰かがいると身構えれば、それは反鏡魔水晶が映し出した自分の姿だったりするわけである。実害はなくとも精神衛生上は非常に悪い。霊峰内部ということで光は発光魔水晶やランタンに頼るしかなく、そういった薄暗い場所でいきなり鏡に映った自分を見れば、驚いてしまうのも無理はないだろう。
「ここは反鏡魔水晶あり……っと。地図に記すのも面倒になってきたな」
「そういうな。地図は正確なほど高く売れる。それに手を抜くのは俺の矜持が許さん」
「分かっているさ。俺も雑な仕事をするつもりはねぇからな」
彼らはアルギル騎士王国で一番という誇りをもって仕事をしている。口が悪い一面はあるが、だからといって適当な地図を作るつもりは一欠片もないのだ。
それに魔物が闊歩する場所の測量も経験している。それなりの戦闘力も所持しているからこそ、こういった余裕のある会話も出来るのである。
「それにしても魔物が一匹もいねぇな。迷宮にしちゃぁ珍しい」
「いいじゃねぇか。真っ黒な魔物だって話だからな。暗い場所で相手にするのは面倒だろ?」
「普通の騎士じゃ無理だったらしいが……魔王なんかが騎士様を倒せる魔物を生み出せるわけがない。この前の攻略作戦も氷竜王に手を焼かれたんだろうさ」
「けど新聞には魔王に負けたって書いてあったぜ?」
「はっ! あんな適当なことを書いてるような新聞が当てになるかよ」
「そりゃそうか」
実は新聞メディアの方が正しいのだが、騎士に大きな信頼を寄せている彼らは気付かない。五千近い犠牲者を出したのは事実であり、国も魔王が出現したと発表はしているのだが、まさか魔王一人に殺されたのだとは信じられないのである。
そもそも魔王の存在自体が物語の中の存在である以上、地球で言うところのUFO記事ぐらいのイメージでしか認識できないのだ。二百年も魔力の精霊王が封印されていたため、これも仕方のないことだろう。人は長くても百年生きるか生きられないかという程度なのだから。それに五百年以上も魔王は簡単に討伐されてきた歴史もある。元から存在自体を脅威に思われていないのだ。
むしろ彼らはこの迷宮も資源の宝だと考えているほどである。
「この魔水晶……いくらで売れるかな?」
「俺が抱えられる大きさでも結構いくだろうな」
「ばーか。王家直轄になるに決まってんだろうが。勝手に持って帰ったら処刑されるぞ」
「わかってるさ……冗談だよ」
「俺だって興味本位で言ってみただけだっての」
「ったく……」
事実、迷宮内では非常に濃い魔力に晒されて変質した希少資源が採掘されることがある。魔力を集める迷宮ならではの特性だろう。そう言った資源を求めて迷宮を国主導で攻略することは珍しくない。魔力核自体も無属性魔力を生み出すので、結界魔道具には必須なのだ。
つまるところ、迷宮とは人類にとって宝の山なのである。
そのため、その資源を回収するために邪魔となる魔王は即座に討伐しなければならないのだ。もしくは迷宮を出せるだけ出させてから討伐するということも考慮されている。資源回収の際にも、迷宮の地図は必須なのである。
「こっちは発光魔水晶で……こっちは透明魔水晶と……」
「どうだ? そろそろ埋まってきたか?」
「紙が足りんな。予備は持っているか?」
「大丈夫だ。道具袋にたくさん入れてあるぞ。ほら」
「おいおい。そんな高いモノ買っても大丈夫なのか?」
「ああ、最近はグラトニーの養殖も始まっているからな。ファントムラットから進化させるのは面倒らしいが、以前よりは格段に安くなっているぜ」
「へぇ。なら俺も買おうかな」
「おい、無駄話せずに仕事しろ」
時空属性を持ったグラトニーという魔物の胃袋から出来ているのが道具袋、別名アイテム袋だ。基本的に魔物は法則属性のような極めて貴重な属性を得ることはないのだが、特殊属性にあたる虚属性を持ったファントムラットが膨大な魔力を得て進化することでグラトニーとなり、時空属性を持つことになる。精々が胃袋の容量が無限になり、内部時間が停止するだけであり、グラトニー自体が時空属性を扱えるわけではない。だがこの能力は非常に人類にとって有用であり、養殖することで素材を得ていたのである。
因みに魔物を倒しても普通は霧散して魔石を残すだけになる。だが魔物の肉体のうちで、非常に強い魔力で変質した部分は霧散せずに残るのだ。この残った素材はドロップアイテムとも呼ばれ、魔力を強く帯びているため、様々な用途で用いられる。
なお、アビスは非常に不安定なダークマターという肉体を持っているため、核である魔石という意思の塊が抜け落ちれば霧散することになる。素材にされないところもダークマター体の利点だろう。
「ほら、新しい紙だ」
「ありがとよ」
道具袋から取り出した紙を受け取り、さらに地図を書き込んでいく。そしてその間に一人は周囲を警戒しつつも横から地図に間違いがないか確認し、もう一人は少し離れた場所で測量をしていた。縮尺の正確な地図を記すために、役割を分担しつつ進んでいるのである。
そして測量をしていた男が戻ってきて口を開く。
「向こう側は五目盛りまで透明魔水晶が続いている。そこで通路が分かれてた」
「なるほど……嫌がらせのような構造だな」
「ああ、油断していると分かれ道に気付けないだろう」
「魔王って意外に賢いのか?」
「さぁ?」
現代日本で最高クラスの教育を受けていた星だ。生まれたての魔王だとしても、その知恵が存分に生かされれば面倒な迷宮が出来てしまうのも当然である。しかも思考リンクで構築した圧倒的演算力も備わっているのだ。計算され尽くした最悪の迷路を作るのも容易い。
「魔王アストラル……『亡霊』『天の星々の高み』ねぇ。大袈裟な名前だ」
ペンを走らせていた男はそう呟くのだった。
◆ ◆ ◆
「大袈裟か……俺もそう思うけど、実際はそういう意味じゃないんだよな」
そう呟いたのは黒いローブで身を包んだ星だった。
思考リンクで魔力核とリンクしている星は、迷宮内の会話も鮮明に聞き取ることが出来る。地図職人の彼らの会話も、魔王にはしっかりと聞かれていたのだ。
「まさかそんな名前を付けられるとは思わなかったからな。ちゃんと名乗っとけば良かったか?」
星は岩場に腰を下ろしつつ溜息を吐く。
ここは霊峰ではなくアルギル騎士王国にある都市リンデルにほど近い森の中だ。星は色々と情報を集めるために魔王城クリスタルパレスから出ていたのである。
そしてその際に得た情報の一つが自身に付けられた名前だった。
メディアに報じられてあっという間に広がった魔王アストラルという名前。星という名前を英訳したような名前となったのは偶然である。
星がエルフたちに捕えられているハズの魔王とは別の魔王であることが確認され、そういった意味を込めて『亡霊』。そしてアルギル騎士王国軍を退けたという話から『天の星々の高み』という意味を込めて魔王アストラルとメディアに名付けられたのである。
アルギル騎士王国軍を皮肉に扱うようなネーミングだったが、意外にも王家はこの名を正式に採用し、魔王アストラルの名を公に発表した。どうやら『天の星々すらも地に落としてみせる』という意思の表れらしいと星は情報を入手している。
そこで星も、せっかくなのでセイ=アストラルと自身を改名したのだった。
(ま、宮古 星は死んだわけだしな)
セイは何か心残りをしたまま死んだわけではない。最後に世話になったバイトの先輩に恩を返したのだと納得できている。だからこそ生まれ変わったつもりで名前を変えてみたのだった。
またこれは覚悟の表れでもある。
初めて人を殺したセイは、アルギル騎士王国軍を撤退させた後の一か月ほどを悶々としながら過ごしていた。覚悟を決めて殺人をしたつもりであり、そうしなければ殺されていたという事実もある。それに氷竜王クリスタルは殺されてしまった。転生すると聞いているが、セイはその兆候を見つけることが出来ていないし、転生したとしてもセイのことは覚えていないだろう。
セイはこれから一人で戦わなくてはならないのである。
何か月も精霊王として生活する内に、もはや人間でないことは受け入れ始めていたが、それでもセイは高校生でしかなかったのだ。悩むのも当然である。
しかし、こうして追い詰められれば意外と決心は出来るものだ。魔力の精霊王としての自分に取りあえず納得し、こうして情報を集めるために都市の近くまで降りてきた。その際に自身がどう呼ばれているのかを知り、覚悟の意味を込めて改名したのである。
「さてと、まずはリンデルから陥落だ」
セイ=アストラルは漆黒のローブを靡かせつつそう呟く。
彼の視線の遥か先にあるのは無属性結界に覆われている巨大な城塞都市。薬草から抽出液を生産するアルギル騎士王国の主要都市の一つだった。